第36話 堺の港と胸騒ぎ
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「しんべヱくん、おはよう!」
「おはようございまーす! あー、お腹減ったあ」
「はいっ、いっぱい食べてね」
カウンターで朝食を渡しながら、早く食べたそうに目を輝かせているしんべヱくんに笑いかける。
「そうだっ、堺の港に行くの、ぼくのパパにも伝えておきましたぁ」
「ありがとう! とっても楽しみだよ」
「美味しいものとか珍しい物がいっぱいですから〜!」
しんべヱくんの口元からはドバドバとよだれが滴り落ちる。後から来た乱太郎くんときり丸くんは眉を下げて困り顔だ。
きっと大きな船に、たくさんの舶来品に……外国の人もいるのかな。すごいと噂のしんべヱくんの実家である福富屋さんも気になってうずうずする。
二人にも朝食を手渡すと、さらにぞろぞろと集まってくる忍たまや先生達のご飯を盛り付けていった。
「……と、言うわけで土井先生。今週のお休みは、堺の港に行きたいのです!」
「別に行っても構わないんだが……。名前さんと乱太郎たちだけで大丈夫なのかい?」
「そんなに危ないことはないと思うんですけど?」
「いや、心配だ。でもその日はなあ」
職員室でプリントを作っている土井先生。彼と向かい合って座り、なんとか許可をもらおうと必死だ。うーん、とあごに手を当てて考え込む先生にうるうるとした瞳で訴えかける。
「……そんな目で見つめてもダメだ」
「えぇっ、山田先生〜っ!」
「土井先生、心配し過ぎじゃないか?」
「でもですね……! 名前さん、いつも何かしらに巻き込まれるじゃないですか」
山田先生に泣きつくと助け舟を出してくれた。確かに、心配してくれるのは嬉しいけれど……。土井先生は反論しつつボソボソとこぼしている。
「仕方ない、忍務が終わったら堺に向かうから」
「わぁ、ありがとうございますっ」
土井先生はボサボサの前髪をぽりぽり掻いてため息をつく。そんな様子を、山田先生は苦笑して眺めていたのだった。
*
ついにお出かけの日がやってきた。
雲ひとつない青空に、さらりとした風がそよいでいる。湿気った暑さは過ぎ去り、もうすっかり秋の様相だ。
着物に先日買った紅をさし、土井先生と山田先生に挨拶をしてから正門へと向かう。
「三人とも、お待たせっ」
「名前さーん。すみません、じつは……」
「ん、どうしたの? 乱太郎くん」
「学園長先生から、金楽寺の和尚さまに文を届けてくれと言われちゃいまして……」
「く、くれだってぇ〜!? うわーんっ!」
「あぁ、きりちゃんごめん! 届けさせてあげる、と言われて」
「そっかぁ。みんなでお寺に行って、早く済ませちゃおう!」
学園長先生に、出掛ける雰囲気を感じ取られたのかもしれない。遣いを頼まれてしまった乱太郎くんを励ましつつ、早足で金楽寺へと向かっていく。道中、金楽寺の和尚さまが元忍者だと教えてもらい、なんとなく気持ちが浮き立っていた。
立ち並ぶ木々の葉や風のにおい。おだやかに季節の移り変わりを感じる。途中、へたるしんべヱくんにどこんじょー!だよ、なんて掛け声をかけた。
ひとしきり歩いていくと、遠くの方に高い石段とその上にちょこんと立派な門構えが見えてくる。
「名前さん、この階段を登ったら金楽寺っす!」
「えぇーっ。けっこう高いね……」
長く続く段を一歩ずつ上がっていく。一段の高さはそれ程ないものの、同じ動きをする足の筋肉は次第に重くなり、息もあがって辛い。
「「「「はあーっ、やっと着いたー!」」」」
最後の一段を踏み上がり、みんなで顔を見合わせて額の汗を拭う。ひとまず本堂へ進んでいくと、人の良さそうな顔の和尚さまが外廊下を歩いていた。その姿目がけてパタパタと走っていく。
「和尚さまー! 学園長先生からの文をお持ちしましたっ」
「おお! 乱太郎、きり丸、しんべヱ、それにお嬢さん。ご苦労じゃった」
「あの、私は学園でお手伝いをしている名前と申します。無事、和尚さまにお届けできて良かったです」
「では、わたしたちは堺の港に行くので、失礼しまーす!」
「ほう、そうじゃったか。南蛮船が寄港しているから賑わっているだろう」
「へぇ〜! って、和尚さま。なんでご存知なんですか?」
乱太郎くんの無邪気な問いかけ。それを受け、和尚さまが一瞬びくっと驚き、穏やかな顔に緊張が走った。その様子をじっと見つめる。
「い、いやあ、噂になっとるじゃろ?」
「そうでしたっけー?」
「まいったなあ。……実は、天竺から不思議なお札が届く事になってのう。今回の船に乗っている予定なのじゃ」
「「「へぇー!」」」
てんじく……? ふしぎなおふだ……?
どくんどくんと鼓動が早鐘を打ち、全身を巡る血液が加速して息苦しくなる。
もしも、あの紙切れと関係があったら……。胸騒ぎがして、背中をたらりと汗が伝う。そもそも、桜の時期にお寺に行って……そこでお守りとして手に入れたものなのだ。
でも、まさか。
「不思議なって、どう言うことなんですかー?」
「もしかして、銭が増えるとかっ?! あひゃあひゃ!」
「まあ、それに近い。ここだけの話じゃが……。なんでも、願いが叶うと言うまじないが掛けられているようでな。まあ、それはさておき美術的な価値があるものでのう」
「お宝っすねー!」
「さよう。だから学園長先生に連絡をしたのじゃ」
「みんなぁ、はやく港に行こうよー! ぼくお腹すいちゃって我慢できないっ」
願いが叶う……?
たしか、私もお寺で何かをお願いしたような気がする。思い出しそうで、もやがかかったように思い出せない。土井先生に今すぐ伝えて、この不安を消し去って欲しくなる。
「……くしゅんっ!」
「あれ、名前さん。大丈夫っすか?」
「あっ、ご、ごめんね! くしゃみなんかして……」
和尚さまに挨拶をすると、みんなで港を目指し金楽寺を後にした。なんでこんな時にくしゃみなんか出るんだろう。一番最初に雅之助さんに会った時もそうだ。
……港へ行くと心躍らせていたのに。
胸騒ぎに気もそぞろで、道に転がっている小石に足を挫きそうになる。
心配そうに覗き込む三人の顔に申し訳なさがおそう。ほほをペシペシ叩き気合を入れ直して、なんとか笑顔を作ると、道順なんて分からないのにどんどん先陣を切って進んでいった。
後ろから、待ってくださーい!と楽しそうに叫ぶ声が聞こえる。
「みんな、はやくおいでー!」
大きく手を振って呼びかければ、くもった気持ちが少し消えていくようだった。
*
「堺の港に着きましたねーって、きりちゃん! 銭探すのはやめて!」
「えぇー! それぐらい良いだろー?」
きり丸くんが小銭探しに夢中になり、乱太郎くんがすかさず突っ込んでいた。そのやり取りに視線を向けようとした瞬間、広がる景色に目を奪われる。
「港って、初めて来たけど……すごいっ!」
倉庫のような蔵の立ち並ぶ街並みに、海の近くだからか潮の香りが漂う。
木製の大きな船が港のへりに寄せられ、木箱がそこらに積み置かれている。水夫だろうか、動きやすそうに裾をめくった男性が忙しなく荷物を運んでいた。
「あれー、名前さん。来たことなかったの〜!?」
「え、あ、あったかも! あはは……」
「名前さんってば、何でも初めてみたいに驚きすぎっすよ」
キョロキョロしていると、きり丸くんは違った意味でびっくりしている。私の身の上は先生達しか知らない。怪しまれないように慌てて誤魔化した。
「ねぇねぇ、お店のある方に行こうよー!」
しんべヱくんに誘われ、みんなで賑やかな通りを歩いていく。店先には青くてトゲトゲした果物や、この辺りでは見かけない食べ物、それに海外の甲冑なんかも並べられている。
豪華な衣装で金髪碧眼の南蛮の人とすれ違い、物珍しさにただただ圧倒されてしまった。
「わぁ、かすてーらにボーロだって!」
「よくパパが送ってくれたんだけど、とっても甘くて美味しいですよー!」
「いいなー。私も食べてみたいっ」
しんべヱくんとニコニコしながら、子どものようにわいわい騒いでしまう。お団子とは違う、四角い黄金のお菓子によだれが垂れそうだ。
三人とはぐれないように目を配る。
きり丸くんは小銭を探して地面を食い入るように見つめ、乱太郎くんは活気ある風景をスケッチしていた。
「あっ、パパー! カメ子ー!」
「兄さまーっ」
「ようこそ、乱太郎くんたち。よく来たねぇ」
街を見学していると、向かいの方から上等な着物をまとい髭を生やしたふくよかな男性と小柄でおかっぱの女の子がやって来た。しんべヱくんのパパさんも、妹のカメ子ちゃんも柔和な雰囲気がそっくりだ。
簡単に自己紹介をしてペコリと頭を下げると、朗らかにほほ笑み返してくれる。「しんべヱがお世話になって……」なんてやり取りが続いた。
「みんなを福富屋に連れて行きたいんだけど、ぼくもう歩けない〜!」
「兄さまたち。お疲れでしょうから牛車を用意しました」
「カメ子ちゃん、ぎ、牛車って!?」
それはガラガラと音を立ててやって来た。初めて見る牛に引かれた乗り物に目を丸くしていると、みんなが驚く私にキョトンとしている。
「あ、あの、私乗ったことないから、びっくりしちゃって!」
「あはは、そりゃそうっすよねー」
みんなでぎゅうぎゅうになりながら牛車に揺られ、小窓から街の様子を眺める。店に呼び込む威勢のいい声や行き交う人の動きをのんびり楽しんだ。
――ガタン
牛車が福富屋の前で止まる。
堺の貿易商というだけあって立派な構えの店だ。カメ子ちゃんに中を案内してもらうと、目新しく高価な品々ばかりで緊張してしまった。
しばらくして客間に通される。ふかふかの座布団に座り込むと、高そうな掛け軸を興味津々で見つめた。
「みなさん、南蛮のかすてーらをご用意したので召し上がって下さいっ」
「カメ子ちゃんありがとう!」
「「「わーい! いただきまーす!」」」
茶色の見た目に、黄金の中身はふわりとした口当たり。一口かじると卵と砂糖の甘さが口内に広がり、いっきに疲れが吹き飛んでしまう。みんなでもぐもぐ食べ進む様子を、しんべヱくんのパパさんが優しい笑顔で見つめていた。
「「「しんべヱのパパさん、カメ子ちゃん、今日はありがとうございましたー!」」」
福富屋さんの暖簾をくぐり、赤い夕日に染まった街をみんなで並んで歩く。
「あっ、そうだ」
「名前さんどうしたんっすか?」
「土井先生が、仕事のあと堺の港に来てくれるって言ってたんだ。会えるかなあ?」
「ほんと、土井先生は名前さんの事になると心配し過ぎるくらい心配するんだよなー」
「きり丸くんったら……。でも、嬉しいな」
*
学園長先生から急きょ頼まれた忍務を終えると、急いで堺の港へと向かう。
最近、ドクタケの様子がきな臭い。
夏休み前、名前さんがパートの説明会に無理やり連れ去られそうになったこともあった。どうやら、戦力や物資を増やそうとしているようだ。
その調査で手間取ってしまった。
……杞憂で終われば良いのだが。
店が連なる通りに立つ、大きな木によじ登ると街を見下ろす。騒がしい三人と……彼女の姿を目を凝らして探していく。
……お、楽しそうに歌でも歌っているのか?
太い木の枝からスッと飛び降り駆け寄った。
「お前たち、今日は楽しかったか?」
「「「土井先生ーっ!」」」
「探されましたか……?」
「大丈夫だ。君がどこにいても、必ず見つけるよ」
「土井先生ってば、名前さんに格好いいこと言っちゃってー」
「なんだ、きり丸……!」
名前さんはそんなやり取りを見てくすくすしている。照れ臭さを隠すように咳払いをしてその場をおさめた。
「さあ、暗くならないうちに学園へ戻るぞ!」
「「「はーいっ!」」」
前を歩く三人を微笑ましく思いながら、名前さんと二人でじゃり道を歩いていく。
どこか様子が変だ。
隣を歩く彼女に今日の様子を尋ねてみるも、どこかうわの空だった。
「あの、土井先生。あとで、少しお話ししたいのですが……大丈夫でしょうか?」
「あ、あぁ。もちろんだ」
「ありがとうございます」
「学園長先生に今日の報告してからになってしまうが……」
「お忙しいのに、ごめんなさい」
「気にしないでくれ。報告が終わったら、君の部屋に向かうよ」
燃えるような夕日に照らされた名前さんのほほ、不安に揺れる瞳。ドキリと心臓がはねて、気の利いた言葉が出てこない。小さな背中にそっと手を添えると、そのままの歩調で進んでいった。
歩きつつ、意味深な言葉に顔が熱くなる。
もしかして、私に想いを伝えようと……?!
いやいや、名前さんが私のことをどう思っているか全く見えないのに。……都合よく考えすぎだ。
乱太郎たちの騒がしい声も耳に入らないくらい、鼓動がうるさく鳴り響く。遠くの景色を眺めながら、心を落ち着かせるのだった。
*
「私だ。失礼するよ」
「土井先生。お疲れのところわざわざすみません」
「遅くなって悪いね。……夜になってしまった」
あれからすぐ名前さんの部屋に向かえずに、夕飯後の遅い時間になってしまった。
一緒に学園に戻るとやっぱり何か別のことを考えている様子で。久しぶりに中庭の落とし穴に落ちた彼女を抱きかかえ、ふらつく足取りを気にかけながら食堂へ送っていったのだった。
「……それで、話って何だい?」
「じつは……。港に行く前、学園長先生の文を渡しに金楽寺へ行ったんです。そうしたら……すごく胸騒ぎがして」
うつむいてぽつり言葉を紡ぐ名前さんと向かい合って座る。膝の上のこぶしがぎゅっと握られ白くなっていた。
淡く期待していた話とはかけ離れていて、そんなことを考えていた自分がひどく嫌になる。どういう事なのか戸惑っていると、懐に手を入れ何かを差し出してきた。
……!?
「こ、これは……」
「ずっと持っていたものです。……帰ってきて、見てみたら光っていて」
そっと手に取ると、くしゃくしゃの札はたしかに光を放っている。薄暗い部屋にぼうっと怪しく輝くそれは不気味だった。
「ひとまず、名前さんに何もなくて良かった」
「先生っ、金楽寺の和尚さまが、近く不思議なお札を手に入れるって……。それと関係あるのでしょうか……?」
「今はなんとも言えないが……」
「願い事が叶うって……。わたし、ここに来る前、お寺で何かお願いした気がするんです」
「願いごと……?」
「でも、記憶が曖昧で……!」
「……無理に思い出さなくていい」
困惑して縋るように見つめてくる名前さんに、どうしてあげることもできない。何か思い出そうとしていたが、辛そうな顔を見たくなくて遮ってしまった。彼女の口から、核心に迫ることを聞くのも怖かったのだ。
ぐっと身体を近づけ、膝の上の小さなこぶしに自身の手のひらを重ねる。少し力を込めると、お互いの視線がぶつかった。
「先生……。わ、わたし、どうしたらっ……! ここに居られなくなったら、わたしは……」
「私が、君を守るから」
だから、安心して……なんて無責任だ。名前さんにではなく、自分に言い聞かせるようだった。彼女が学園から、この世界から居なくなるなんて考えたくない。
「……学園長先生にお伝えしなきゃ」
「私も一緒に行こう。……立てるかい?」
力なくよろめく名前さんに腕を回し、しっかりと抱きとめる。
普段の元気な姿とかけ離れた姿に、心の奥底がチクリと痛む。支えるふりをしてぎゅっと彼女の身体を抱き締めた。
――カコン
暗く静寂な庵に、ししおどしが軽やかな音を立てていた。時折り、竹林の葉がサラサラと揺れる。
「……そうじゃったか。土井先生に名前ちゃん、すぐに教えてくれてありがとう」
今日、彼女の身に起こったことを事細かに報告する。学園長の前には、光るお札が置かれていた。
燭台の灯だけの部屋は薄暗く、さらに緊張感が煽られる。隣に正座する名前さんが言葉につまると、そのたびに背中を優しくさすった。
「ここに居たいと。……迷いはないのかのう?」
「……はい。学園の皆さんと過ごして、どうしても離れることが考えられなくて。その気持ちは変わりません」
鋭い眼光の学園長に、名前さんは怯むことなく答えた。強い意志の感じられる言葉に、学園長の白い眉が優しく下がる。
「うむ。わしも、ずっと名前ちゃんに居てもらいたいと思っておった」
「……ありがとうございます。うれしい、です」
「君がいなくなったら、みんなとても悲しむよ」
「土井先生の言う通りじゃ。……それにしても、不思議だのう」
「……また、何かあったらご報告します」
「ああ、頼む。二人とも、今日は疲れたじゃろ? もう遅いから、ゆっくり休むと良い」
*
そのまま長屋に戻るのも気が重い。庵を後にすると、こじんまりとした池を望む月見亭へ向かった。
そこは小さな櫓になっていて、二人きりの空間に少しそわそわしてしまう。名前さんの鬱々とした気分をなんとかしてあげたくて、ちょうど良い場所かもしれない。
「……夜の池って、静かで落ち着きますね」
「それはよかった」
へりに並んで、水面に映る月をぼんやり見つめる。秋のひんやりした風がそよぐと、あたりの木々がサワサワと音を立てて池にさざなみがたつ。
「先生。今日はたくさん心配させちゃってごめんなさい」
「君が謝ることなんかないさ」
「……でも、嬉しくて。わたしったら、だめですよね」
はにかむ名前さんと視線が絡み合う。細めた瞳にきらりと月明かりがうつり込み、その儚さに息を飲んだ。
……だめなわけ、ないじゃないか。
言葉のかわりに細い腰を引き寄せ、冷えた身体を暖めるように包み込む。
何もなくたって、いつだって君のことを考えてしまうんだ。そんな気持ちまで名前さんに伝わってしまえばいいのに。
二人寄り添いながら、ゆったりと揺らめく水面を眺めているのだった。
(おまけ)
小さく身じろぎする名前さんに視線を落とす。
「そういえば、秋休みはどうするんだい? 私ときり丸は学園に残るが……」
「もうそんな時期なんですね。前に、大木先生から畑の手伝いを頼まれていて。ずっと杭瀬村にいる予定です」
「……そ、そうか」
「アルバイトのお手伝い、できなくてごめんなさい」
「いや、それはいいんだ! ……収穫、大変だろうからきり丸を手伝いに向かわせるよ」
「わあ、ありがとうございますっ。助かります!」
もうすでにそんな話になっていたのか……!
秋は繁忙期だから仕方がない。
名前さんが大変だからという理由もあるけれど、なるべく大木先生と二人きりにしたくなくて勝手にきり丸を引っ張り出してしまった。
きり丸のことだ。これ幸いにと大量のバイトを押し付けてくるのだろうな、と今から胃が痛むのだった。
「おはようございまーす! あー、お腹減ったあ」
「はいっ、いっぱい食べてね」
カウンターで朝食を渡しながら、早く食べたそうに目を輝かせているしんべヱくんに笑いかける。
「そうだっ、堺の港に行くの、ぼくのパパにも伝えておきましたぁ」
「ありがとう! とっても楽しみだよ」
「美味しいものとか珍しい物がいっぱいですから〜!」
しんべヱくんの口元からはドバドバとよだれが滴り落ちる。後から来た乱太郎くんときり丸くんは眉を下げて困り顔だ。
きっと大きな船に、たくさんの舶来品に……外国の人もいるのかな。すごいと噂のしんべヱくんの実家である福富屋さんも気になってうずうずする。
二人にも朝食を手渡すと、さらにぞろぞろと集まってくる忍たまや先生達のご飯を盛り付けていった。
「……と、言うわけで土井先生。今週のお休みは、堺の港に行きたいのです!」
「別に行っても構わないんだが……。名前さんと乱太郎たちだけで大丈夫なのかい?」
「そんなに危ないことはないと思うんですけど?」
「いや、心配だ。でもその日はなあ」
職員室でプリントを作っている土井先生。彼と向かい合って座り、なんとか許可をもらおうと必死だ。うーん、とあごに手を当てて考え込む先生にうるうるとした瞳で訴えかける。
「……そんな目で見つめてもダメだ」
「えぇっ、山田先生〜っ!」
「土井先生、心配し過ぎじゃないか?」
「でもですね……! 名前さん、いつも何かしらに巻き込まれるじゃないですか」
山田先生に泣きつくと助け舟を出してくれた。確かに、心配してくれるのは嬉しいけれど……。土井先生は反論しつつボソボソとこぼしている。
「仕方ない、忍務が終わったら堺に向かうから」
「わぁ、ありがとうございますっ」
土井先生はボサボサの前髪をぽりぽり掻いてため息をつく。そんな様子を、山田先生は苦笑して眺めていたのだった。
*
ついにお出かけの日がやってきた。
雲ひとつない青空に、さらりとした風がそよいでいる。湿気った暑さは過ぎ去り、もうすっかり秋の様相だ。
着物に先日買った紅をさし、土井先生と山田先生に挨拶をしてから正門へと向かう。
「三人とも、お待たせっ」
「名前さーん。すみません、じつは……」
「ん、どうしたの? 乱太郎くん」
「学園長先生から、金楽寺の和尚さまに文を届けてくれと言われちゃいまして……」
「く、くれだってぇ〜!? うわーんっ!」
「あぁ、きりちゃんごめん! 届けさせてあげる、と言われて」
「そっかぁ。みんなでお寺に行って、早く済ませちゃおう!」
学園長先生に、出掛ける雰囲気を感じ取られたのかもしれない。遣いを頼まれてしまった乱太郎くんを励ましつつ、早足で金楽寺へと向かっていく。道中、金楽寺の和尚さまが元忍者だと教えてもらい、なんとなく気持ちが浮き立っていた。
立ち並ぶ木々の葉や風のにおい。おだやかに季節の移り変わりを感じる。途中、へたるしんべヱくんにどこんじょー!だよ、なんて掛け声をかけた。
ひとしきり歩いていくと、遠くの方に高い石段とその上にちょこんと立派な門構えが見えてくる。
「名前さん、この階段を登ったら金楽寺っす!」
「えぇーっ。けっこう高いね……」
長く続く段を一歩ずつ上がっていく。一段の高さはそれ程ないものの、同じ動きをする足の筋肉は次第に重くなり、息もあがって辛い。
「「「「はあーっ、やっと着いたー!」」」」
最後の一段を踏み上がり、みんなで顔を見合わせて額の汗を拭う。ひとまず本堂へ進んでいくと、人の良さそうな顔の和尚さまが外廊下を歩いていた。その姿目がけてパタパタと走っていく。
「和尚さまー! 学園長先生からの文をお持ちしましたっ」
「おお! 乱太郎、きり丸、しんべヱ、それにお嬢さん。ご苦労じゃった」
「あの、私は学園でお手伝いをしている名前と申します。無事、和尚さまにお届けできて良かったです」
「では、わたしたちは堺の港に行くので、失礼しまーす!」
「ほう、そうじゃったか。南蛮船が寄港しているから賑わっているだろう」
「へぇ〜! って、和尚さま。なんでご存知なんですか?」
乱太郎くんの無邪気な問いかけ。それを受け、和尚さまが一瞬びくっと驚き、穏やかな顔に緊張が走った。その様子をじっと見つめる。
「い、いやあ、噂になっとるじゃろ?」
「そうでしたっけー?」
「まいったなあ。……実は、天竺から不思議なお札が届く事になってのう。今回の船に乗っている予定なのじゃ」
「「「へぇー!」」」
てんじく……? ふしぎなおふだ……?
どくんどくんと鼓動が早鐘を打ち、全身を巡る血液が加速して息苦しくなる。
もしも、あの紙切れと関係があったら……。胸騒ぎがして、背中をたらりと汗が伝う。そもそも、桜の時期にお寺に行って……そこでお守りとして手に入れたものなのだ。
でも、まさか。
「不思議なって、どう言うことなんですかー?」
「もしかして、銭が増えるとかっ?! あひゃあひゃ!」
「まあ、それに近い。ここだけの話じゃが……。なんでも、願いが叶うと言うまじないが掛けられているようでな。まあ、それはさておき美術的な価値があるものでのう」
「お宝っすねー!」
「さよう。だから学園長先生に連絡をしたのじゃ」
「みんなぁ、はやく港に行こうよー! ぼくお腹すいちゃって我慢できないっ」
願いが叶う……?
たしか、私もお寺で何かをお願いしたような気がする。思い出しそうで、もやがかかったように思い出せない。土井先生に今すぐ伝えて、この不安を消し去って欲しくなる。
「……くしゅんっ!」
「あれ、名前さん。大丈夫っすか?」
「あっ、ご、ごめんね! くしゃみなんかして……」
和尚さまに挨拶をすると、みんなで港を目指し金楽寺を後にした。なんでこんな時にくしゃみなんか出るんだろう。一番最初に雅之助さんに会った時もそうだ。
……港へ行くと心躍らせていたのに。
胸騒ぎに気もそぞろで、道に転がっている小石に足を挫きそうになる。
心配そうに覗き込む三人の顔に申し訳なさがおそう。ほほをペシペシ叩き気合を入れ直して、なんとか笑顔を作ると、道順なんて分からないのにどんどん先陣を切って進んでいった。
後ろから、待ってくださーい!と楽しそうに叫ぶ声が聞こえる。
「みんな、はやくおいでー!」
大きく手を振って呼びかければ、くもった気持ちが少し消えていくようだった。
*
「堺の港に着きましたねーって、きりちゃん! 銭探すのはやめて!」
「えぇー! それぐらい良いだろー?」
きり丸くんが小銭探しに夢中になり、乱太郎くんがすかさず突っ込んでいた。そのやり取りに視線を向けようとした瞬間、広がる景色に目を奪われる。
「港って、初めて来たけど……すごいっ!」
倉庫のような蔵の立ち並ぶ街並みに、海の近くだからか潮の香りが漂う。
木製の大きな船が港のへりに寄せられ、木箱がそこらに積み置かれている。水夫だろうか、動きやすそうに裾をめくった男性が忙しなく荷物を運んでいた。
「あれー、名前さん。来たことなかったの〜!?」
「え、あ、あったかも! あはは……」
「名前さんってば、何でも初めてみたいに驚きすぎっすよ」
キョロキョロしていると、きり丸くんは違った意味でびっくりしている。私の身の上は先生達しか知らない。怪しまれないように慌てて誤魔化した。
「ねぇねぇ、お店のある方に行こうよー!」
しんべヱくんに誘われ、みんなで賑やかな通りを歩いていく。店先には青くてトゲトゲした果物や、この辺りでは見かけない食べ物、それに海外の甲冑なんかも並べられている。
豪華な衣装で金髪碧眼の南蛮の人とすれ違い、物珍しさにただただ圧倒されてしまった。
「わぁ、かすてーらにボーロだって!」
「よくパパが送ってくれたんだけど、とっても甘くて美味しいですよー!」
「いいなー。私も食べてみたいっ」
しんべヱくんとニコニコしながら、子どものようにわいわい騒いでしまう。お団子とは違う、四角い黄金のお菓子によだれが垂れそうだ。
三人とはぐれないように目を配る。
きり丸くんは小銭を探して地面を食い入るように見つめ、乱太郎くんは活気ある風景をスケッチしていた。
「あっ、パパー! カメ子ー!」
「兄さまーっ」
「ようこそ、乱太郎くんたち。よく来たねぇ」
街を見学していると、向かいの方から上等な着物をまとい髭を生やしたふくよかな男性と小柄でおかっぱの女の子がやって来た。しんべヱくんのパパさんも、妹のカメ子ちゃんも柔和な雰囲気がそっくりだ。
簡単に自己紹介をしてペコリと頭を下げると、朗らかにほほ笑み返してくれる。「しんべヱがお世話になって……」なんてやり取りが続いた。
「みんなを福富屋に連れて行きたいんだけど、ぼくもう歩けない〜!」
「兄さまたち。お疲れでしょうから牛車を用意しました」
「カメ子ちゃん、ぎ、牛車って!?」
それはガラガラと音を立ててやって来た。初めて見る牛に引かれた乗り物に目を丸くしていると、みんなが驚く私にキョトンとしている。
「あ、あの、私乗ったことないから、びっくりしちゃって!」
「あはは、そりゃそうっすよねー」
みんなでぎゅうぎゅうになりながら牛車に揺られ、小窓から街の様子を眺める。店に呼び込む威勢のいい声や行き交う人の動きをのんびり楽しんだ。
――ガタン
牛車が福富屋の前で止まる。
堺の貿易商というだけあって立派な構えの店だ。カメ子ちゃんに中を案内してもらうと、目新しく高価な品々ばかりで緊張してしまった。
しばらくして客間に通される。ふかふかの座布団に座り込むと、高そうな掛け軸を興味津々で見つめた。
「みなさん、南蛮のかすてーらをご用意したので召し上がって下さいっ」
「カメ子ちゃんありがとう!」
「「「わーい! いただきまーす!」」」
茶色の見た目に、黄金の中身はふわりとした口当たり。一口かじると卵と砂糖の甘さが口内に広がり、いっきに疲れが吹き飛んでしまう。みんなでもぐもぐ食べ進む様子を、しんべヱくんのパパさんが優しい笑顔で見つめていた。
「「「しんべヱのパパさん、カメ子ちゃん、今日はありがとうございましたー!」」」
福富屋さんの暖簾をくぐり、赤い夕日に染まった街をみんなで並んで歩く。
「あっ、そうだ」
「名前さんどうしたんっすか?」
「土井先生が、仕事のあと堺の港に来てくれるって言ってたんだ。会えるかなあ?」
「ほんと、土井先生は名前さんの事になると心配し過ぎるくらい心配するんだよなー」
「きり丸くんったら……。でも、嬉しいな」
*
学園長先生から急きょ頼まれた忍務を終えると、急いで堺の港へと向かう。
最近、ドクタケの様子がきな臭い。
夏休み前、名前さんがパートの説明会に無理やり連れ去られそうになったこともあった。どうやら、戦力や物資を増やそうとしているようだ。
その調査で手間取ってしまった。
……杞憂で終われば良いのだが。
店が連なる通りに立つ、大きな木によじ登ると街を見下ろす。騒がしい三人と……彼女の姿を目を凝らして探していく。
……お、楽しそうに歌でも歌っているのか?
太い木の枝からスッと飛び降り駆け寄った。
「お前たち、今日は楽しかったか?」
「「「土井先生ーっ!」」」
「探されましたか……?」
「大丈夫だ。君がどこにいても、必ず見つけるよ」
「土井先生ってば、名前さんに格好いいこと言っちゃってー」
「なんだ、きり丸……!」
名前さんはそんなやり取りを見てくすくすしている。照れ臭さを隠すように咳払いをしてその場をおさめた。
「さあ、暗くならないうちに学園へ戻るぞ!」
「「「はーいっ!」」」
前を歩く三人を微笑ましく思いながら、名前さんと二人でじゃり道を歩いていく。
どこか様子が変だ。
隣を歩く彼女に今日の様子を尋ねてみるも、どこかうわの空だった。
「あの、土井先生。あとで、少しお話ししたいのですが……大丈夫でしょうか?」
「あ、あぁ。もちろんだ」
「ありがとうございます」
「学園長先生に今日の報告してからになってしまうが……」
「お忙しいのに、ごめんなさい」
「気にしないでくれ。報告が終わったら、君の部屋に向かうよ」
燃えるような夕日に照らされた名前さんのほほ、不安に揺れる瞳。ドキリと心臓がはねて、気の利いた言葉が出てこない。小さな背中にそっと手を添えると、そのままの歩調で進んでいった。
歩きつつ、意味深な言葉に顔が熱くなる。
もしかして、私に想いを伝えようと……?!
いやいや、名前さんが私のことをどう思っているか全く見えないのに。……都合よく考えすぎだ。
乱太郎たちの騒がしい声も耳に入らないくらい、鼓動がうるさく鳴り響く。遠くの景色を眺めながら、心を落ち着かせるのだった。
*
「私だ。失礼するよ」
「土井先生。お疲れのところわざわざすみません」
「遅くなって悪いね。……夜になってしまった」
あれからすぐ名前さんの部屋に向かえずに、夕飯後の遅い時間になってしまった。
一緒に学園に戻るとやっぱり何か別のことを考えている様子で。久しぶりに中庭の落とし穴に落ちた彼女を抱きかかえ、ふらつく足取りを気にかけながら食堂へ送っていったのだった。
「……それで、話って何だい?」
「じつは……。港に行く前、学園長先生の文を渡しに金楽寺へ行ったんです。そうしたら……すごく胸騒ぎがして」
うつむいてぽつり言葉を紡ぐ名前さんと向かい合って座る。膝の上のこぶしがぎゅっと握られ白くなっていた。
淡く期待していた話とはかけ離れていて、そんなことを考えていた自分がひどく嫌になる。どういう事なのか戸惑っていると、懐に手を入れ何かを差し出してきた。
……!?
「こ、これは……」
「ずっと持っていたものです。……帰ってきて、見てみたら光っていて」
そっと手に取ると、くしゃくしゃの札はたしかに光を放っている。薄暗い部屋にぼうっと怪しく輝くそれは不気味だった。
「ひとまず、名前さんに何もなくて良かった」
「先生っ、金楽寺の和尚さまが、近く不思議なお札を手に入れるって……。それと関係あるのでしょうか……?」
「今はなんとも言えないが……」
「願い事が叶うって……。わたし、ここに来る前、お寺で何かお願いした気がするんです」
「願いごと……?」
「でも、記憶が曖昧で……!」
「……無理に思い出さなくていい」
困惑して縋るように見つめてくる名前さんに、どうしてあげることもできない。何か思い出そうとしていたが、辛そうな顔を見たくなくて遮ってしまった。彼女の口から、核心に迫ることを聞くのも怖かったのだ。
ぐっと身体を近づけ、膝の上の小さなこぶしに自身の手のひらを重ねる。少し力を込めると、お互いの視線がぶつかった。
「先生……。わ、わたし、どうしたらっ……! ここに居られなくなったら、わたしは……」
「私が、君を守るから」
だから、安心して……なんて無責任だ。名前さんにではなく、自分に言い聞かせるようだった。彼女が学園から、この世界から居なくなるなんて考えたくない。
「……学園長先生にお伝えしなきゃ」
「私も一緒に行こう。……立てるかい?」
力なくよろめく名前さんに腕を回し、しっかりと抱きとめる。
普段の元気な姿とかけ離れた姿に、心の奥底がチクリと痛む。支えるふりをしてぎゅっと彼女の身体を抱き締めた。
――カコン
暗く静寂な庵に、ししおどしが軽やかな音を立てていた。時折り、竹林の葉がサラサラと揺れる。
「……そうじゃったか。土井先生に名前ちゃん、すぐに教えてくれてありがとう」
今日、彼女の身に起こったことを事細かに報告する。学園長の前には、光るお札が置かれていた。
燭台の灯だけの部屋は薄暗く、さらに緊張感が煽られる。隣に正座する名前さんが言葉につまると、そのたびに背中を優しくさすった。
「ここに居たいと。……迷いはないのかのう?」
「……はい。学園の皆さんと過ごして、どうしても離れることが考えられなくて。その気持ちは変わりません」
鋭い眼光の学園長に、名前さんは怯むことなく答えた。強い意志の感じられる言葉に、学園長の白い眉が優しく下がる。
「うむ。わしも、ずっと名前ちゃんに居てもらいたいと思っておった」
「……ありがとうございます。うれしい、です」
「君がいなくなったら、みんなとても悲しむよ」
「土井先生の言う通りじゃ。……それにしても、不思議だのう」
「……また、何かあったらご報告します」
「ああ、頼む。二人とも、今日は疲れたじゃろ? もう遅いから、ゆっくり休むと良い」
*
そのまま長屋に戻るのも気が重い。庵を後にすると、こじんまりとした池を望む月見亭へ向かった。
そこは小さな櫓になっていて、二人きりの空間に少しそわそわしてしまう。名前さんの鬱々とした気分をなんとかしてあげたくて、ちょうど良い場所かもしれない。
「……夜の池って、静かで落ち着きますね」
「それはよかった」
へりに並んで、水面に映る月をぼんやり見つめる。秋のひんやりした風がそよぐと、あたりの木々がサワサワと音を立てて池にさざなみがたつ。
「先生。今日はたくさん心配させちゃってごめんなさい」
「君が謝ることなんかないさ」
「……でも、嬉しくて。わたしったら、だめですよね」
はにかむ名前さんと視線が絡み合う。細めた瞳にきらりと月明かりがうつり込み、その儚さに息を飲んだ。
……だめなわけ、ないじゃないか。
言葉のかわりに細い腰を引き寄せ、冷えた身体を暖めるように包み込む。
何もなくたって、いつだって君のことを考えてしまうんだ。そんな気持ちまで名前さんに伝わってしまえばいいのに。
二人寄り添いながら、ゆったりと揺らめく水面を眺めているのだった。
(おまけ)
小さく身じろぎする名前さんに視線を落とす。
「そういえば、秋休みはどうするんだい? 私ときり丸は学園に残るが……」
「もうそんな時期なんですね。前に、大木先生から畑の手伝いを頼まれていて。ずっと杭瀬村にいる予定です」
「……そ、そうか」
「アルバイトのお手伝い、できなくてごめんなさい」
「いや、それはいいんだ! ……収穫、大変だろうからきり丸を手伝いに向かわせるよ」
「わあ、ありがとうございますっ。助かります!」
もうすでにそんな話になっていたのか……!
秋は繁忙期だから仕方がない。
名前さんが大変だからという理由もあるけれど、なるべく大木先生と二人きりにしたくなくて勝手にきり丸を引っ張り出してしまった。
きり丸のことだ。これ幸いにと大量のバイトを押し付けてくるのだろうな、と今から胃が痛むのだった。