第34話 スケッチの行方
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夏休みが終わり、いつもの慌ただしい学園生活が始まった。もう秋だというのに、まだまだ日差しは強く暑い日が続いている。
昼食の片付けが終わり、一段落ついた頃。食堂の調理場で土井先生のお粥を作っていた。先生が風邪をひいて寝込むなんて珍しい。無理をしてしまったのかな……。気付けなくて、何もできなくてため息しか出ない。
――ドンドンドン
考え込みながら鍋をとろとろかき混ぜていると、勝手口から戸を叩く音が聞こえてきた。
「あら、誰かしら? 私、見てくるわ」
「おばちゃん、ありがとうございます!」
誰だろう?なんて思っていると、大きな足音と共に聞き覚えのある声が響き渡る。
「おお、名前! 元気にしてたか?」
「大木先生ーっ!?」
雅之助さんが勝手口から調理場に入ってきた。久しぶりに顔を合わせたからか、少し照れ臭い。
いつも通りの豪快な笑顔で、頭をわしわし荒っぽく撫でられる。少しずれてしまった頭巾を直すと、夏休み振りに会えて自然と笑みがこぼれた。
食堂のテーブルに着いた雅之助さんは、おばちゃんに差し出されたお茶を美味しそうに啜っている。
「はい、おばちゃん! ラッキョ漬け」
「あらぁ、いつもありがと」
「大木先生、ありがとうございますっ」
「名前もいっぱい食べるんだぞ」
カウンターからチラリと顔を覗かせてお礼をする。
コトコトお粥を作っていた鍋をうつわに移し、梅干しやいただいたラッキョ漬けを小皿にのせていった。手は動かしながら二人の話し声が所々耳に入る。
「ほお……優秀な忍者の土井先生が……」
「そうなのよ……」
「誰が授業の代わりを……」
おばちゃんと雅之助さんは、土井先生のことを話しているのだろうか。今日はあいにく山田先生が出張だから、授業の代理は……
「なにぃッ!? ……野村雄三ーっ!?」
ブーっとお茶を吹き出す音と、盛大な叫び声が聞こえてくる。慌ててカウンターから身を乗り出して、思わず二人の会話に突っ込んでしまった。
「おばちゃんっ、それ言っちゃダメです!」
「いやだわ、私ったら!」
「じゃ、じゃあ、私は土井先生にお粥を運んできますね」
「おい、待て名前っ!」
「待ちませーん! 野村先生とケンカしたらダメですからねっ」
お盆を手に、そそくさと食堂を後にする。今日は土井先生の代わりに、野村先生が授業をしてくれているようだ。
これは大変な騒ぎになりそう。
は組の子たち、大丈夫かな……? あとで、ボロボロになった野村先生と雅之助さんを医務室に連れて行くのは必至だ。
ぼんやり廊下を進むと、土井先生の部屋にたどり着いた。
「名前です。……お粥を持ってきました」
「ありがとう」
障子越しにやり取りをしてから、そっと戸を開けて中へ失礼する。
部屋には、寝巻き姿の土井先生が布団に横たわっていた。ほほは少し上気して、結った髪はいつにも増してボサボサに見える。きっと、熱のせいかもしれない。先生はゆっくり上体を起こすと力なく口元を緩めた。
「だ、大丈夫ですか?」
「心配かけてすまない」
「そんなこと……!」
慌ててお盆を床に置き、布団のそばに正座する。
おでこに触れると、手のひらから先生の熱が伝わってくる。気持ちよさそうに目を閉じる姿をみて、水仕事で冷えた手のひらには感謝だ。
「お粥、食べられますか……?」
「食べさせてくれるかい?」
「……もう、先生ったら」
甘えるように頼られ、困ってしまう気持ちと嬉しい気持ちが混じりあう。先生らしくない先生に、とても弱いのだ。
ひと口さじに掬ってふうふう冷ましてから口元まで運んでいく。何度も繰り返すうち、むぐむぐと食べる姿が動物みたいでくすっと笑ってしまった。
「先生、なんだか可愛いです」
「……あまり嬉しくないな」
「あ、ラッキョもありますよ。あーん」
差し出すとぱくりと食べてくれる。弱った姿に心が痛むけれど、気を許してくれているようで少し得意になった。
「ラッキョ……? 大木先生が来たのかい?」
「そうなんです。代理の野村先生とケンカして、は組の授業が中断しないといいのですが……」
「うぅ……。また授業が遅れてしまう……!」
「あっ、変なこと言ってごめんなさい!」
傷口に塩を塗るようなことを言ってしまった。大丈夫ですから! なんて取り繕いながら、先生の背中をよしよしとさすっている。
「先生、また様子を見に来ますね」
「名前さん……」
「ゆっくり休んでください」
ごろんと横になった先生のまぶたを閉じさせるように手を滑らせていく。手のひらを掠める熱い呼吸やかさついた唇の感触に、ドキリと心臓がはねた。
最後に、ぎゅっと手を握ると先生も握り返してくれる。
早く良くなりますように……。そんな気持ちを込めて、お盆を手に部屋を失礼した。
――トントントン
小気味良く小鉢の菜っぱを刻んでいる。食堂で仕込みをしているけれど、やっぱりあの先生二人と一年は組のことが心配だ。
「名前ちゃん、大木先生達が気になるんでしょ?」
「すみません。……なんだか、嫌な予感がして」
「大木先生ったら、あれから一年は組の教室に飛んで行っちゃったからねえ」
「えぇっ!? ……まったくもう」
「こっちは大丈夫だから、見に行ってきたら?」
「……そうします!」
割烹着を脱いでおばちゃんに渡すと、困った人達ねえ……なんて一緒に苦笑を漏らした。
*
一年は組の教室に向かうべく、早足で廊下を歩いている。雅之助さんったら、絶対に授業の邪魔をしているハズだ……!
中庭に出たところで、何やら浅葱色の塊とひゅんひゅん飛び交う赤と黒の人影が見える。足を止め、その姿に目を凝らした。
「とりゃーっ!」
「なんのなんのッ!」
大きな叫び声が辺りに響き渡り、確信する。
……大木先生と野村先生、ここでケンカしているんだ。「やめてください!」と駆け出した瞬間、小松田くんの大声が聞こえてきた。
「各教室からうるさいとの苦情が出ています! ケンカは他でやってください!」
すると、野村先生と雅之助さんはサッと飛ぶ様にどこかへ消えてしまった。
一緒に着いて行こうとしているは組の子達の後を慌てて追いかける。最後尾にいる、からくり好きの兵太夫くんに力を振り絞って呼びかけた。
「兵太夫くーん! みんな、どこへ行くの?!」
「名前さん、裏山です! 本当は、野菜をスケッチする授業だったんですけど……大木先生が乱入して、急にケンカが題材になっちゃって」
「ええっ?! そうなんだ……! 裏山、私も行く!」
そうこうしているうちに、小松田くんがすぐ近くに来て怒っている。
「ちょっとみなさーん、出門票にサインしてくださーい!」
「小松田くん、はいっ! 私書きます!」
「名前さん、一体何事ですかぁ?!」
「ごめんね……! 授業の一環なんだって」
「……は、はあ」
は組と先生二人と私と……出門票に名前を殴り書きすると、小松田くんに押し付ける様に手渡した。
みんなに遅れてしまった。木々をかき分けなんとか裏山まで走っていく。かすかに声が聞こえるけれど、どこにいるのかさっぱり分からない。
「おーい、名前さーんっ!」
「兵太夫くんっ!」
「待っていてくれたの!? ありがとう!」
「はい、ぼくたちだけだと収集がつかないので……」
「た、たしかに……!」
途中で兵太夫くんが待っていてくれて、一緒にケンカの場所まで向かって行った。私もうまく収められる自信はないんだけど……なんてことはグッと飲み込む。
「どこんじょー!」
「これでどうだッ!」
ひときわ騒がしい所に辿り着く。あたりは背の高い木が生い茂って、隠れながら戦うのにちょうど良さそうだ。
は組のみんなは列になって座り、一所懸命にケンカの様子をスケッチしている。兵太夫くんも急いでそこに加わって、私もこそっと見学させてもらう。
野村先生が懐から手裏剣を取り出し、高い木の上に飛び上がりながら雅之助さんへ勢いよく打ちつける。
雅之助さんはその攻撃をさらりと交わすと、幹に刺さった手裏剣を抜き取り、すかさず野村先生めがけて打っていく。
さらに野村先生が頭上から手裏剣を放つと、雅之助さんは大きな石を盾にして距離を詰め、ついには盾自体を投げてしまった。
……キィィン
「まだまだじゃー!」
「何をッ!?」
風を切るような速さで駆け抜けていく。その素早い身のこなしに、ケンカという言葉で片付けられない凄さをまざまざと見せつけられる。
……こんな危険なこと、実際に潜り抜けてきたのだろうか。二人とも、先生になる前はどんな風に過ごしていたんだろう。
雅之助さんなんて、いつもは呑気に「わはは!」と笑っているくせに。ちょっとでも間違えば命に関わりそうなこの戦いが、ケンカだなんて。どれだけ過酷なことを経験してきたのだろう。そう思うと、胸が苦しくなる。
「……先生たち、すごいね」
「大木先生は手裏剣の名人っすからね! 前に、手裏剣一枚で忍たま五人やっつけたんすよ!」
「そうなんだ……!」
スケッチをしているきり丸くんに話しかけつつ、やっぱり格好良いなあ……なんて高い木々を見上げその姿を探す。
木の枝に逆さまにぶら下がる雅之助さんの足裏を、野村先生がくすぐっているのが見える。
「あーはっはっは! やめろー! 野村ぁ!」
「こちょこちょこちょ……」
せっかく凄いなぁって見直したところなのに。ボロボロになりながら、二人して何をやってるんだろう。気が合わないんだか、合い過ぎているのか……。みんなで苦笑いする。
――カーン
「「「ありがとうございましたー!」」」
授業の終わりを告げる鐘の音が響き渡る。忍たまたちは先生に構わず、ぞろぞろと学園へ戻っていった。
「大木先生、野村先生ー!そろそろ、戻りませんかー?」
いまだ火花を散らして対峙している二人に、大声で呼びかける。両者とも顔は擦り傷だらけで、頭にはいくつもたんこぶができている。
「まだ勝負がついとらん!」
「かかってこい! 雅之助っ!」
「……そうですか。じゃあ、もう知りませんからね!」
「おい!待て!」
「名前さんっ!」
「もうその辺にして……食堂で、ご飯たべましょ?」
まったくもう。ため息をつきながら困った顔で先生達を見つめると、つい吹き出してしまった。背の高い二人の間に挟まって腕をぎゅっと絡め、引きずるように学園へと戻っていく。
大の大人なのに、子どもみたいに戦って。
永遠のライバルって言っていたけれど、敵ではないし、嫌いあってもない。私には分からない強い絆があるみたいで……。そんな関係が少し羨ましい気もする。
「じゃ、私は土井先生の様子を見てきますので」
食堂に着くと、ニッと笑って二人の背中をトンっと叩いて中へと押し込んだ。
「お前が作ってくれるんじゃないのか!?」
「名前さんの手料理が食べられると……!」
「野村には食わせん!」
「何だとっ!?」
「お二人とも。食べ終わったら、医務室に来てくださいねっ」
*
医務室は相変わらず薬草の匂いが漂い独特な空間だ。新野先生を前に、隣の野村雄三と睨み合って座っている。
今日はラッキョを届けに……。
というのも本当だが、名前の様子を見に来たのだ。学園長先生と彼女についての話もあった。なんせ夏休み以来会っていないのだから。
だが、何で一年は組の授業を野村雄三が教えているんだ!? 忍たま達に野菜なんかスケッチさせて呑気なものだ。あいつから教わることなど一つもないと言うのに。まあ、わしらのケンカが良い題材になってよかったが……。
「おい、もっとあっちの端っこに行け」
「どこんじょー馬鹿の方こそ……!」
「先生方、ここでケンカしないでくださいよ」
「新野先生、その心配は……」
「「必要ありません!」」
「雅之助ッ! 私のセリフを取るな!」
――カタン
「あっ、もう医務室にいらしてたのですね」
「名前! 遅いじゃないか」
「貴女を待っていましたよ」
少し息を切らしながら名前が室内へ入ってきた。
たしか、土井先生の部屋に行ってたんだよな……? しかも山田先生は出張でいない。二人きりで何をやってたんだ……? 途端にジリジリとどうしようもない気持ちに襲われる。
「お二人とも、名前さんに診てもらうんだってきかなくてねえ」
「新野先生に治してもらった方がいいのに……。すみません」
「薬は作っておきましたよ。では吉野先生のところへ行ってきますね」
新野先生はこちらに会釈をすると医務室を後にした。名前はその姿を見送ると、くるっと振り返りわしらに向けて口を尖らせている。
「もう。大木先生も野村先生もわがまま言って」
「お前こそ、今まで何してたんだ?」
「確かに、遅かったですね?」
「な、何でもないですっ! さっ、野村先生からお薬つけますからね」
名前は慌てた様子で胸元を押さえていた。……何でもないようには見えん。
それにしても、なんで野村からなんだ。腕組みしながら隣に目をやると、名前に包帯を巻いてもらいながら勝ち誇ったような顔で眼鏡をいじっている。
責めるような視線で名前を見ると、少し首を傾げ困ったようにニコリとほほ笑まれた。……そんな顔をされたら、何も言えなくなってしまうと言うのに。
「名前さん、ありがとうございました。お手を煩わせて申し訳ない」
「野村先生も無茶しないでくださいね」
「そうだぞー。名前に迷惑かけるんじゃない」
「お前もだろうがッ!」
「もう、静かになさってください……!」
「では、名前さん。まだ貴女といたいのですが、暇な雅之助と違って私は仕事が残っていますので……」
「なんじゃ! その言い草は……!」
名前にジロリと睨まれ口をつぐむ。野村が医務室から出ていくと、久しぶりに二人きりだ。日が暮れるのも早くなり、室内が少しずつ薄暗くなっていく。
「お前の部屋で、手当てしてもらってもいいんだぞ?」
「ダメですっ。はい、腕出してください」
ぴしゃりと否定されて、すぐ近くに正座される。仕方なく、肩のあたりが見えるように袖を捲り上げた。そっと手を添えられると、触れた指先の温度が伝わる。薬草を潰したものを傷口に乗せられ、するすると包帯が巻かれていった。
「こんな傷、大したことないんだがな」
「……大したこと、ありますよ」
「おい。そんな顔しおって」
「雅之助さん。こんなに危険なこと……経験されてきたんですか」
「まあ、色々あった」
「……これからも?」
「そう心配するな」
「だって……!」
珍しく、不安そうに揺れる瞳で見つめてくる。
忍器を使った野村とのケンカを見たのは初めてだったからか。名前なりに思うところがあったのだろう。何をしてきたかを伝えて、その心配を取り除いてやりたいが、もっと不安にさせるだけかもしれない。
言葉にできない気持ちをグッと抑え込み、大丈夫だと伝わるように小さな身体を引き寄せた。胸元にうずくまって擦り寄る姿に、心臓の音が伝わってしまいそうだ。
「……お前こそ、夏休み危険な目にあったんだろう?」
「……っ!」
「学園長先生から聞いたぞ。わしのいないところで、まったく……」
「ごめんなさい」
「頑張ったな」
「雅之助さん……」
「だが、もうあんな事するんじゃないぞ」
「……はい」
「お前に何かあったら、後悔してもしきれん」
胸元の布を握りしめ、ぴったりとくっ付いてくる温もりを離したくなくて、腕に力を込めた。
「お、これは何だ?」
懐からチラリと白い紙がのぞいている。先ほど隠すような仕草をしていたから気になっていたのだ。
「あっ! だ、だめです! これは……!」
「ふふーん。あやしいな」
「ひゃぁっ……!」
胸元に忍ばせている紙の端っこを摘み、するりと抜き取る。名前が腕を伸ばして取り戻そうとしてくるが、高いところでひらひらさせる。どうしたって取れない様子に笑いが堪えきれない。
「か、返してくださいっ!」
「何じゃー? 見られたくないものか?」
赤い顔で胸をパシパシ叩いてくる名前をニヤリと見つめ、掴んだ紙をパサリと広げる。
「これはなんだ?」
「……今日のスケッチです」
「何でお前が持ってる?」
「さっき、土井先生のお部屋に行ったとき……乱太郎くんたちが授業の報告をしていて。その時にもらったんです」
わしと野村が手裏剣を打ち合っている姿が描かれている。ずいぶんと上手にスケッチできているから感心してしまった。
「別に隠すことはないだろう?」
「そうですけど……」
ほれ、と紙を返してやるとうっとりした顔で眺めたあと、大事そうに懐へしまっていた。
「野村のところ、塗りつぶしてやろうか?」
「なんてこと言うんですか!」
「冗談だ」
――カタン
「失礼しますよ」
二人寄り添うような格好で座り込んでいると、用事を終えた新野先生が戻ってきた。慌てた様子でパッと離れる名前を横目で見つつ、何ともないように咳払いをする。
「あれ、お邪魔だったかな?」
「いえっ! そ、そんなことないですから!」
「ええ、気にせんでください」
新野先生に苦笑されながら、ほほを染めた名前と目配せするのだった。
(おまけ)
雅之助さんを見送って、自室に続く廊下を歩いている。
今日は雅之助さんも、野村先生も格好良かった。真剣な表情で戦う姿はどうしても見惚れてしまう。土井先生は微妙な顔をしていたけれど、スケッチがもらえてラッキーだ。
それにしても、雅之助さんに夏休みのこともスケッチのこともバレてたなんて……。やっぱり忍者の先生には敵わない。
「……あれ。これは何だろう?」
部屋の前につくと、障子の隙間にぺらりと紙が挟まっていた。
すっと抜き取り見てみると……
乱太郎くんからだ。
「あ、土井先生がチョーク投げてる……! これも素敵だなぁっ」
にこにこと見つめていると、隣の部屋から大きなくしゃみが聞こえてくるのだった。
昼食の片付けが終わり、一段落ついた頃。食堂の調理場で土井先生のお粥を作っていた。先生が風邪をひいて寝込むなんて珍しい。無理をしてしまったのかな……。気付けなくて、何もできなくてため息しか出ない。
――ドンドンドン
考え込みながら鍋をとろとろかき混ぜていると、勝手口から戸を叩く音が聞こえてきた。
「あら、誰かしら? 私、見てくるわ」
「おばちゃん、ありがとうございます!」
誰だろう?なんて思っていると、大きな足音と共に聞き覚えのある声が響き渡る。
「おお、名前! 元気にしてたか?」
「大木先生ーっ!?」
雅之助さんが勝手口から調理場に入ってきた。久しぶりに顔を合わせたからか、少し照れ臭い。
いつも通りの豪快な笑顔で、頭をわしわし荒っぽく撫でられる。少しずれてしまった頭巾を直すと、夏休み振りに会えて自然と笑みがこぼれた。
食堂のテーブルに着いた雅之助さんは、おばちゃんに差し出されたお茶を美味しそうに啜っている。
「はい、おばちゃん! ラッキョ漬け」
「あらぁ、いつもありがと」
「大木先生、ありがとうございますっ」
「名前もいっぱい食べるんだぞ」
カウンターからチラリと顔を覗かせてお礼をする。
コトコトお粥を作っていた鍋をうつわに移し、梅干しやいただいたラッキョ漬けを小皿にのせていった。手は動かしながら二人の話し声が所々耳に入る。
「ほお……優秀な忍者の土井先生が……」
「そうなのよ……」
「誰が授業の代わりを……」
おばちゃんと雅之助さんは、土井先生のことを話しているのだろうか。今日はあいにく山田先生が出張だから、授業の代理は……
「なにぃッ!? ……野村雄三ーっ!?」
ブーっとお茶を吹き出す音と、盛大な叫び声が聞こえてくる。慌ててカウンターから身を乗り出して、思わず二人の会話に突っ込んでしまった。
「おばちゃんっ、それ言っちゃダメです!」
「いやだわ、私ったら!」
「じゃ、じゃあ、私は土井先生にお粥を運んできますね」
「おい、待て名前っ!」
「待ちませーん! 野村先生とケンカしたらダメですからねっ」
お盆を手に、そそくさと食堂を後にする。今日は土井先生の代わりに、野村先生が授業をしてくれているようだ。
これは大変な騒ぎになりそう。
は組の子たち、大丈夫かな……? あとで、ボロボロになった野村先生と雅之助さんを医務室に連れて行くのは必至だ。
ぼんやり廊下を進むと、土井先生の部屋にたどり着いた。
「名前です。……お粥を持ってきました」
「ありがとう」
障子越しにやり取りをしてから、そっと戸を開けて中へ失礼する。
部屋には、寝巻き姿の土井先生が布団に横たわっていた。ほほは少し上気して、結った髪はいつにも増してボサボサに見える。きっと、熱のせいかもしれない。先生はゆっくり上体を起こすと力なく口元を緩めた。
「だ、大丈夫ですか?」
「心配かけてすまない」
「そんなこと……!」
慌ててお盆を床に置き、布団のそばに正座する。
おでこに触れると、手のひらから先生の熱が伝わってくる。気持ちよさそうに目を閉じる姿をみて、水仕事で冷えた手のひらには感謝だ。
「お粥、食べられますか……?」
「食べさせてくれるかい?」
「……もう、先生ったら」
甘えるように頼られ、困ってしまう気持ちと嬉しい気持ちが混じりあう。先生らしくない先生に、とても弱いのだ。
ひと口さじに掬ってふうふう冷ましてから口元まで運んでいく。何度も繰り返すうち、むぐむぐと食べる姿が動物みたいでくすっと笑ってしまった。
「先生、なんだか可愛いです」
「……あまり嬉しくないな」
「あ、ラッキョもありますよ。あーん」
差し出すとぱくりと食べてくれる。弱った姿に心が痛むけれど、気を許してくれているようで少し得意になった。
「ラッキョ……? 大木先生が来たのかい?」
「そうなんです。代理の野村先生とケンカして、は組の授業が中断しないといいのですが……」
「うぅ……。また授業が遅れてしまう……!」
「あっ、変なこと言ってごめんなさい!」
傷口に塩を塗るようなことを言ってしまった。大丈夫ですから! なんて取り繕いながら、先生の背中をよしよしとさすっている。
「先生、また様子を見に来ますね」
「名前さん……」
「ゆっくり休んでください」
ごろんと横になった先生のまぶたを閉じさせるように手を滑らせていく。手のひらを掠める熱い呼吸やかさついた唇の感触に、ドキリと心臓がはねた。
最後に、ぎゅっと手を握ると先生も握り返してくれる。
早く良くなりますように……。そんな気持ちを込めて、お盆を手に部屋を失礼した。
――トントントン
小気味良く小鉢の菜っぱを刻んでいる。食堂で仕込みをしているけれど、やっぱりあの先生二人と一年は組のことが心配だ。
「名前ちゃん、大木先生達が気になるんでしょ?」
「すみません。……なんだか、嫌な予感がして」
「大木先生ったら、あれから一年は組の教室に飛んで行っちゃったからねえ」
「えぇっ!? ……まったくもう」
「こっちは大丈夫だから、見に行ってきたら?」
「……そうします!」
割烹着を脱いでおばちゃんに渡すと、困った人達ねえ……なんて一緒に苦笑を漏らした。
*
一年は組の教室に向かうべく、早足で廊下を歩いている。雅之助さんったら、絶対に授業の邪魔をしているハズだ……!
中庭に出たところで、何やら浅葱色の塊とひゅんひゅん飛び交う赤と黒の人影が見える。足を止め、その姿に目を凝らした。
「とりゃーっ!」
「なんのなんのッ!」
大きな叫び声が辺りに響き渡り、確信する。
……大木先生と野村先生、ここでケンカしているんだ。「やめてください!」と駆け出した瞬間、小松田くんの大声が聞こえてきた。
「各教室からうるさいとの苦情が出ています! ケンカは他でやってください!」
すると、野村先生と雅之助さんはサッと飛ぶ様にどこかへ消えてしまった。
一緒に着いて行こうとしているは組の子達の後を慌てて追いかける。最後尾にいる、からくり好きの兵太夫くんに力を振り絞って呼びかけた。
「兵太夫くーん! みんな、どこへ行くの?!」
「名前さん、裏山です! 本当は、野菜をスケッチする授業だったんですけど……大木先生が乱入して、急にケンカが題材になっちゃって」
「ええっ?! そうなんだ……! 裏山、私も行く!」
そうこうしているうちに、小松田くんがすぐ近くに来て怒っている。
「ちょっとみなさーん、出門票にサインしてくださーい!」
「小松田くん、はいっ! 私書きます!」
「名前さん、一体何事ですかぁ?!」
「ごめんね……! 授業の一環なんだって」
「……は、はあ」
は組と先生二人と私と……出門票に名前を殴り書きすると、小松田くんに押し付ける様に手渡した。
みんなに遅れてしまった。木々をかき分けなんとか裏山まで走っていく。かすかに声が聞こえるけれど、どこにいるのかさっぱり分からない。
「おーい、名前さーんっ!」
「兵太夫くんっ!」
「待っていてくれたの!? ありがとう!」
「はい、ぼくたちだけだと収集がつかないので……」
「た、たしかに……!」
途中で兵太夫くんが待っていてくれて、一緒にケンカの場所まで向かって行った。私もうまく収められる自信はないんだけど……なんてことはグッと飲み込む。
「どこんじょー!」
「これでどうだッ!」
ひときわ騒がしい所に辿り着く。あたりは背の高い木が生い茂って、隠れながら戦うのにちょうど良さそうだ。
は組のみんなは列になって座り、一所懸命にケンカの様子をスケッチしている。兵太夫くんも急いでそこに加わって、私もこそっと見学させてもらう。
野村先生が懐から手裏剣を取り出し、高い木の上に飛び上がりながら雅之助さんへ勢いよく打ちつける。
雅之助さんはその攻撃をさらりと交わすと、幹に刺さった手裏剣を抜き取り、すかさず野村先生めがけて打っていく。
さらに野村先生が頭上から手裏剣を放つと、雅之助さんは大きな石を盾にして距離を詰め、ついには盾自体を投げてしまった。
……キィィン
「まだまだじゃー!」
「何をッ!?」
風を切るような速さで駆け抜けていく。その素早い身のこなしに、ケンカという言葉で片付けられない凄さをまざまざと見せつけられる。
……こんな危険なこと、実際に潜り抜けてきたのだろうか。二人とも、先生になる前はどんな風に過ごしていたんだろう。
雅之助さんなんて、いつもは呑気に「わはは!」と笑っているくせに。ちょっとでも間違えば命に関わりそうなこの戦いが、ケンカだなんて。どれだけ過酷なことを経験してきたのだろう。そう思うと、胸が苦しくなる。
「……先生たち、すごいね」
「大木先生は手裏剣の名人っすからね! 前に、手裏剣一枚で忍たま五人やっつけたんすよ!」
「そうなんだ……!」
スケッチをしているきり丸くんに話しかけつつ、やっぱり格好良いなあ……なんて高い木々を見上げその姿を探す。
木の枝に逆さまにぶら下がる雅之助さんの足裏を、野村先生がくすぐっているのが見える。
「あーはっはっは! やめろー! 野村ぁ!」
「こちょこちょこちょ……」
せっかく凄いなぁって見直したところなのに。ボロボロになりながら、二人して何をやってるんだろう。気が合わないんだか、合い過ぎているのか……。みんなで苦笑いする。
――カーン
「「「ありがとうございましたー!」」」
授業の終わりを告げる鐘の音が響き渡る。忍たまたちは先生に構わず、ぞろぞろと学園へ戻っていった。
「大木先生、野村先生ー!そろそろ、戻りませんかー?」
いまだ火花を散らして対峙している二人に、大声で呼びかける。両者とも顔は擦り傷だらけで、頭にはいくつもたんこぶができている。
「まだ勝負がついとらん!」
「かかってこい! 雅之助っ!」
「……そうですか。じゃあ、もう知りませんからね!」
「おい!待て!」
「名前さんっ!」
「もうその辺にして……食堂で、ご飯たべましょ?」
まったくもう。ため息をつきながら困った顔で先生達を見つめると、つい吹き出してしまった。背の高い二人の間に挟まって腕をぎゅっと絡め、引きずるように学園へと戻っていく。
大の大人なのに、子どもみたいに戦って。
永遠のライバルって言っていたけれど、敵ではないし、嫌いあってもない。私には分からない強い絆があるみたいで……。そんな関係が少し羨ましい気もする。
「じゃ、私は土井先生の様子を見てきますので」
食堂に着くと、ニッと笑って二人の背中をトンっと叩いて中へと押し込んだ。
「お前が作ってくれるんじゃないのか!?」
「名前さんの手料理が食べられると……!」
「野村には食わせん!」
「何だとっ!?」
「お二人とも。食べ終わったら、医務室に来てくださいねっ」
*
医務室は相変わらず薬草の匂いが漂い独特な空間だ。新野先生を前に、隣の野村雄三と睨み合って座っている。
今日はラッキョを届けに……。
というのも本当だが、名前の様子を見に来たのだ。学園長先生と彼女についての話もあった。なんせ夏休み以来会っていないのだから。
だが、何で一年は組の授業を野村雄三が教えているんだ!? 忍たま達に野菜なんかスケッチさせて呑気なものだ。あいつから教わることなど一つもないと言うのに。まあ、わしらのケンカが良い題材になってよかったが……。
「おい、もっとあっちの端っこに行け」
「どこんじょー馬鹿の方こそ……!」
「先生方、ここでケンカしないでくださいよ」
「新野先生、その心配は……」
「「必要ありません!」」
「雅之助ッ! 私のセリフを取るな!」
――カタン
「あっ、もう医務室にいらしてたのですね」
「名前! 遅いじゃないか」
「貴女を待っていましたよ」
少し息を切らしながら名前が室内へ入ってきた。
たしか、土井先生の部屋に行ってたんだよな……? しかも山田先生は出張でいない。二人きりで何をやってたんだ……? 途端にジリジリとどうしようもない気持ちに襲われる。
「お二人とも、名前さんに診てもらうんだってきかなくてねえ」
「新野先生に治してもらった方がいいのに……。すみません」
「薬は作っておきましたよ。では吉野先生のところへ行ってきますね」
新野先生はこちらに会釈をすると医務室を後にした。名前はその姿を見送ると、くるっと振り返りわしらに向けて口を尖らせている。
「もう。大木先生も野村先生もわがまま言って」
「お前こそ、今まで何してたんだ?」
「確かに、遅かったですね?」
「な、何でもないですっ! さっ、野村先生からお薬つけますからね」
名前は慌てた様子で胸元を押さえていた。……何でもないようには見えん。
それにしても、なんで野村からなんだ。腕組みしながら隣に目をやると、名前に包帯を巻いてもらいながら勝ち誇ったような顔で眼鏡をいじっている。
責めるような視線で名前を見ると、少し首を傾げ困ったようにニコリとほほ笑まれた。……そんな顔をされたら、何も言えなくなってしまうと言うのに。
「名前さん、ありがとうございました。お手を煩わせて申し訳ない」
「野村先生も無茶しないでくださいね」
「そうだぞー。名前に迷惑かけるんじゃない」
「お前もだろうがッ!」
「もう、静かになさってください……!」
「では、名前さん。まだ貴女といたいのですが、暇な雅之助と違って私は仕事が残っていますので……」
「なんじゃ! その言い草は……!」
名前にジロリと睨まれ口をつぐむ。野村が医務室から出ていくと、久しぶりに二人きりだ。日が暮れるのも早くなり、室内が少しずつ薄暗くなっていく。
「お前の部屋で、手当てしてもらってもいいんだぞ?」
「ダメですっ。はい、腕出してください」
ぴしゃりと否定されて、すぐ近くに正座される。仕方なく、肩のあたりが見えるように袖を捲り上げた。そっと手を添えられると、触れた指先の温度が伝わる。薬草を潰したものを傷口に乗せられ、するすると包帯が巻かれていった。
「こんな傷、大したことないんだがな」
「……大したこと、ありますよ」
「おい。そんな顔しおって」
「雅之助さん。こんなに危険なこと……経験されてきたんですか」
「まあ、色々あった」
「……これからも?」
「そう心配するな」
「だって……!」
珍しく、不安そうに揺れる瞳で見つめてくる。
忍器を使った野村とのケンカを見たのは初めてだったからか。名前なりに思うところがあったのだろう。何をしてきたかを伝えて、その心配を取り除いてやりたいが、もっと不安にさせるだけかもしれない。
言葉にできない気持ちをグッと抑え込み、大丈夫だと伝わるように小さな身体を引き寄せた。胸元にうずくまって擦り寄る姿に、心臓の音が伝わってしまいそうだ。
「……お前こそ、夏休み危険な目にあったんだろう?」
「……っ!」
「学園長先生から聞いたぞ。わしのいないところで、まったく……」
「ごめんなさい」
「頑張ったな」
「雅之助さん……」
「だが、もうあんな事するんじゃないぞ」
「……はい」
「お前に何かあったら、後悔してもしきれん」
胸元の布を握りしめ、ぴったりとくっ付いてくる温もりを離したくなくて、腕に力を込めた。
「お、これは何だ?」
懐からチラリと白い紙がのぞいている。先ほど隠すような仕草をしていたから気になっていたのだ。
「あっ! だ、だめです! これは……!」
「ふふーん。あやしいな」
「ひゃぁっ……!」
胸元に忍ばせている紙の端っこを摘み、するりと抜き取る。名前が腕を伸ばして取り戻そうとしてくるが、高いところでひらひらさせる。どうしたって取れない様子に笑いが堪えきれない。
「か、返してくださいっ!」
「何じゃー? 見られたくないものか?」
赤い顔で胸をパシパシ叩いてくる名前をニヤリと見つめ、掴んだ紙をパサリと広げる。
「これはなんだ?」
「……今日のスケッチです」
「何でお前が持ってる?」
「さっき、土井先生のお部屋に行ったとき……乱太郎くんたちが授業の報告をしていて。その時にもらったんです」
わしと野村が手裏剣を打ち合っている姿が描かれている。ずいぶんと上手にスケッチできているから感心してしまった。
「別に隠すことはないだろう?」
「そうですけど……」
ほれ、と紙を返してやるとうっとりした顔で眺めたあと、大事そうに懐へしまっていた。
「野村のところ、塗りつぶしてやろうか?」
「なんてこと言うんですか!」
「冗談だ」
――カタン
「失礼しますよ」
二人寄り添うような格好で座り込んでいると、用事を終えた新野先生が戻ってきた。慌てた様子でパッと離れる名前を横目で見つつ、何ともないように咳払いをする。
「あれ、お邪魔だったかな?」
「いえっ! そ、そんなことないですから!」
「ええ、気にせんでください」
新野先生に苦笑されながら、ほほを染めた名前と目配せするのだった。
(おまけ)
雅之助さんを見送って、自室に続く廊下を歩いている。
今日は雅之助さんも、野村先生も格好良かった。真剣な表情で戦う姿はどうしても見惚れてしまう。土井先生は微妙な顔をしていたけれど、スケッチがもらえてラッキーだ。
それにしても、雅之助さんに夏休みのこともスケッチのこともバレてたなんて……。やっぱり忍者の先生には敵わない。
「……あれ。これは何だろう?」
部屋の前につくと、障子の隙間にぺらりと紙が挟まっていた。
すっと抜き取り見てみると……
乱太郎くんからだ。
「あ、土井先生がチョーク投げてる……! これも素敵だなぁっ」
にこにこと見つめていると、隣の部屋から大きなくしゃみが聞こえてくるのだった。