第29話 スイカの甘さは
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
……暑い。
セミのジリジリとした声がさらに気温を上昇させるようだ。自然に囲まれた杭瀬村のお家でも、夏は変わらず暑い。
朝方は涼しくて気持ちよく過ごせるのに。早朝から畑仕事をしたせいで、お昼過ぎにはごろごろしてしまう。
雅之助さんは何してるんだろう……?
居間に横たえた体を少しだけ起こし、開け放された戸口の方へほふく前進する。湿気ってベタつく床が着物を引っ張るけれど気にしない。
寝転がりながら首を伸ばして戸口をのぞくと、遠くの方に畑が見える。ちょうど、男の人と雅之助さんが何か話しているようだ。
二人とも笑った後、何かを受け取って……。
……あの、みどり色の丸いものは!
もしかして、もしかするかもしれない。
バッと勢いよく起き上がると正座してよれた衿の合わせを正す。あの甘くて、水分がたっぷりの……。
へりに腰をかけると草鞋を引っかけ戸口で待つ。贈答用で、食べちゃダメと言われたらどうしよう。
雅之助さんが緑の丸いものを抱えて戸口にやってくると、期待に胸がふくらむ。
「お帰りなさいっ」
「どうした? そんなに嬉しそうな顔をして」
「えーっと、あの……、スイカが見えて」
「ああ、めざといな! 豊作で分けてもらったんだ」
「そうなんですね、おいしそう……!」
まずい。完全に食べる前提の顔になっている。慌てて手で口元を隠して照れ笑いをすると、仕方がないやつだなあなんて笑われてしまった。
「お前は甘いものが好きだからな。さっそく、冷やして食べるか」
「いいんですか! ……じゃあ、近くの川に行きません?」
「よーし。しっかり歩くんだぞ!」
川で冷やしたスイカは格別だろうな……なんて想像したらニヤニヤしてしまう。この暑さで溶けてしまいそうだった体が、一気に蘇った気がした。
――ザッ、ザッ、ザ
容赦ない日差しが照りつけるなか、二人で森を抜けて川へと歩いていく。
途中、複雑に絡まった木の根や、生い茂った背の高い草をかき分ける。瑞々しい葉っぱに腕を擦られ、少し痛い。痛みに気を取られていると、つま先が何かに引っかかった。
「きゃっ……!」
足がもつれて転びそうになると、スイカを抱えているのにも関わらずしっかり支えてくれる。ぐいっと抱き寄せられ、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
「……ご、ごめんなさいっ!」
「足元をよく見ろ。怪我したら大変だろうが」
「気をつけます……!」
いつもちゃんと見ていてくれて、必ず助けてくれる。言葉はぶっきらぼうでも、そのがっしりとした腕に優しさが込められドキドキが止まらない。暑さも相まって、ぼんやりした頭のまま雅之助さんについていく。
「さあ、着いたぞ」
「わあ……、とってもきれいですね!」
木々を抜けると、一面に広がる大きな水流に目が釘付けになった。ザーッという水が流れていく音と、冷んやりした風がすーっと通り抜けていく。火照った体には、それだけで充分に気持ちが良かった。
「さっそく冷やすか!」
「私も手伝いますっ」
濡れないように裾をめくって二人でじゃぶじゃぶと川に入っていく。ふくらはぎくらいの深さなのに、水の温度は想像以上に冷たく体に染み入ってくるようだった。
端っこに少し大きな石を集めて、スイカが流されないようにしっかりと置く。水流が逆らって、ピチャピチャと渦を巻いていた。
「冷やしているあいだ、川で遊んでます!」
「気をつけるんだぞ」
「分かってますって!」
ニカっと笑うと、水面を蹴り上げる。
足の甲に掬われた水が弧を描いて降り注ぎ、日差しに照らされキラキラと輝いた。少しの水飛沫がかかり、その冷たさも心を弾ませる。
雅之助さんは河原に座って、そんな私の様子をのんびり眺めていた。
時折り手を振って呼びかけてみる。
親の注意を引きたがる子どもみたいだ。笑いながら応えてくれるのが嬉しくて、ついつい雅之助さんを探してしまう。
「雅之助さーん、みてみてっ!」
「ああ、見てるぞー!」
名前が少女のように呼びかけてくる。
彼女は川の水と戯れるように涼しさを楽しんでいた。弾け飛ぶ水しぶきが煌めいて、なぜだか神々しく見える。その楽しそうな、まるで踊っているような姿に目を奪われた。
たまに、こちらに向かってにこにこと手を振る様子がなんとも可愛らしい。にやける口元を隠すのに必死だ。
少し離れた河原では、一年生くらいの子どもたちがはしゃいていた。名前だって、子どもがいてもおかしくない年の頃だと、ふと考えてしまう。
元いた場所で、彼女はどう過ごしていたのだろうか。大切な家族がいて、想い人がいて。忍びなんかではなく、ごく普通の真っ当な人達と過ごしていたのではないか。
ここに引き止めるなど、名前のためにはならないと分かっているのに。いざ、そうなったらだいぶ引きずりそうだ。
女など、この世にたくさんいるのに……彼女にひどく心を揺さぶられる。最初に保護したからなんて建前は、いつまで保ち続けられるだろうか。
「どーしたんですかっ?」
雅之助さんは難しい顔で水面を見つめている。そばに駆け寄り、その首元に冷たくなった両手を押し付けた。
「うわあ! なんだ?!」
「冷たさのお裾分けですっ」
「いきなりやめてくれ」
「だって、ぼーっとしてるんですもの」
遠くを見つめて考え込む雅之助さんが珍しくて、気になってイタズラを仕掛けてみた。私も隣に座ってゆったりと流れる川を一緒に眺める。近くでは、子どもたちがキャッキャと騒いで楽しそうだ。
雅之助さんがおもむろに立ち上がり、足元の小石を拾い上げた。川へ近づくと、水面に向かってシュッと勢いよく放つ。
投げられた小石はぴょんぴょんと跳ねて、対岸へと消えていった。その身のこなしは無駄がなくて、伸ばされた指先まで見入ってしまう。
「どうやったのー?!」
「すごーい!」
「ぼくにも教えてー!」
何度か繰り返していると、近くで水遊びをしていた子ども達が見ていたようだ。興味津々で雅之助さんの元へ集まってきた。
「いいぞー!」なんて嬉しそうに言って、子ども達にやり方を教えている。
先生をしていただけあって、子どもが好きなのだろうか。その姿がしっくりきて、なんとなく目で追っていた。
雅之助さんは、なんで一人なんだろう。
奥さんだって、子どもだっていていいはずなのに。
……怖くて聞けないし、聞きたくないと思ってしまう自分がいる。前にちらっと触れて気まずい思いをしたのが蘇った。
私がいると……もしかしたら、雅之助さんの邪魔をしているのかもしれない。
戯れる様子を眺めながら考え込んでいると、こちらを振り返ってわははと笑っている姿が見える。何ともないように目いっぱいの笑顔を作って、おーいと手をふり返した。
*
しばらくして、スイカがいい具合に冷えてきた頃。
「よーし、お前たち。一緒に食べるか?」
「「「わーい!やったあ!」」」
「じゃあ、スイカ割りだ!」
スイカを川から引き上げ、河原に風呂敷を広げるとその上に転がらないよう置く。雅之助さんは、川辺に落ちている太く長い木の枝を拾い上げると子ども達に手渡した。
一人の子が手ぬぐいで目隠しをして、くるりと体を回される。木の棒を持ちながら、よろよろとスイカへ向かって歩いていった。
「あ、そっちじゃないよー!」
「もっと右だよー!」
「……えいっ!!」
……コツンッ
周りの声を頼りに棒を振り下ろしたけれど、スイカに当てることはできず……。棒を握った子が目隠しを取ると、わーわーと残念がっている。
「あー! 外れちゃった」
「残念だったな。ちゃんと周りの声を聞いて、気配を感じ取るんだ!」
「「「けはいー?」」」
忍たまに教えるように、ビシッと指導する雅之助さんがおかしい。
他の子たちも次々と挑戦して、かすったり惜しいところまで近づくが、なかなかスイカを割ることはできなかった。
「名前もやってみるか?」
「はーいっ、がんばります!」
手ぬぐいで目隠しをされて、体をくるりと回される。それだけで、今どこにいるのか分からなくなってしまう。
――ぎゅっと木の棒を握りしめる。
子ども達が、おねーさん頑張って!と応援する声を背に、砂利につまづかないようゆっくりと歩みを進めていった。
気配かぁ。……けはいって?
本で読んだことはあるけれど、どうやって感じ取ればいいんだろう……。
「みんなー! どっち??」
「ちょっと左!」
「ちがうよ、右だよ!」
「あー!そのままだって!」
「そのままじゃダメだよ!」
……みんなの言うことに振り回されて混乱してくる。ここはお姉さんとしてイイところを見せて、雅之助さんに褒めてもらいたい……!
神経を集中させて……
「そうそう!」
「もうちょっとさがって!」
「もっと左ー!」
ひ、ひだりっ!?
よーし、いくぞー!
「えいっ!!」
「「「あーあ……」」」
振り下ろした瞬間。
木の棒は空を切って、スイカに当たった感覚はない。棒をぐいっと前方に引き込まれ、たまらず握った物を手放した。その力の方へと、体が落ちていく。
突然のことで声が出ない。
倒れそうになるも、あたたかさと、がっしりとした体に包まれて……。少しの汗と、土っぽいラッキョの匂いを感じる。
これは……!
とんでもないものを叩こうとしてしまったと、冷や汗がタラりと背中を伝う。目隠しをずらしてチラリと上を覗くと、そこには雅之助さんがいた。木の棒はしっかり握られ、真っ直ぐ見下ろされる。
「ご、ごめんなさいっ!」
「わしを狙うなんていい度胸だな?」
「お姉さん、一番下手だね!」
「「ねー!」」
子ども達が指をさして、お腹を抱えて笑っている。年上なのに酷い有り様でタジタジだ。
雅之助さんにニヤリと笑われると、恥ずかしくて体がかあっと熱くなる。そっと解放されると、今度は手本を見せてくれるようだ。
「お前たち。よく見ておくんだぞ!」
目隠しをしてどこか分からなくしてから、はいっと棒切れを手渡す。本当に割れるのかな……?私まで緊張してきた。
腰を落とし、そろりと進む足。それに、スッと伸ばされた木の棒が、スイカ割りとは思えないほどの真剣さだ。まるで剣術の最中みたいな姿に、空気がピンと張り詰め、息をするのも忘れてしまう。
子ども達の声を聞きながら、それに惑わされず五感を研ぎ澄ませて気配を感じ取っている。鉢巻きや緩く結んだ髪が風に靡いて、もう釘づけだった。
「……よーし、ここだな!」
くるっと体を翻すと、ズバッと迷いなく棒を振り下ろしていった。
「どこんじょー!」
「「「すごーい!」」」
「さすがですっ!!」
見事に命中して、スイカはぐしゃりと叩き割られていた。風呂敷に赤い果汁がぽたぽたこぼれていく。
「まあ、こんなところだ」
「……格好良かったです!」
雅之助さんは目隠しを外して、満足そうに腰に手を当てた。その笑顔が頼もしくて、またドキンと苦しくなる。
それから、雅之助さんがこそっと胸元から苦無を取り出し、みんなに見えないように切り分けていく。意外と器用なんだ……!なんて言ってしまわないよう口を結ぶ。
子ども達にスイカを分けてあげると、私たちも河原に座って瑞々しい赤い三角をほおばった。
「んー! 甘くて美味しいですー!」
「うまいなあ!」
名前が無邪気にかぶりつくのを見ながら、自身もひと口かじる。ひんやりとした甘い果汁が口内に広がって、思わず笑みがこぼれた。
こいつは相変わらず、幸せそうな顔で食べるなあなんて眺めていたら……。
桃色の唇の端から、つーっと果汁が伝っていく。その姿が妙に色っぽく見えて、一段と心臓がはねる。彼女が口元を拭うよりも先に手を伸ばし、親指でそっと果汁を掬って口に含んだ。
スイカの甘さなのに、まるで名前自身が甘いかのような錯覚に陥る。
「えへへ、こぼれちゃいましたっ」
「……あ、ああ」
恥ずかしそうな名前を前に、熱くなる顔がバレないようスイカをかじる。
「……雅之助さん。子ども達に教えてる姿が、すごく似合っていました。いいお父さんになりそうですね」
「お前だって、いい母ちゃんに見えるぞ」
「ど、どういう意味です……!?」
「元気な子どもを産みそうだしな!」
「ちょ、ちょっと! 変なこと考えましたね!? ……もう、じろじろ見ないでくださいっ」
「おい、何でそうなる!」
名前は顔を赤くしてこちらを睨んでくる。そんな意味で言った訳ではないのに、変に誤解され慌てて否定する。
――以前ちらっと見えてしまった体に。
イタズラで触ってしまった柔らかい感触に、酒に酔って上気した頬や潤んだ瞳に……想像が止まらない。
……いかんいかん。
「……でも、スイカをバシッと叩き割ったところ、格好良かったな。なんだかんだ言っても、一流なんですよね。先生っ?」
「褒めても何も出てこないぞ」
「えー。何か出してくださいよー!」
くすくす笑いながらじゃれてくる名前を、もうすぐ土井先生の家に向かわせなければならない。まったく、何でそんな約束をしてしまったんだ。
人がいいというか、何というか……。
酒は絶対に飲ませないように、念を押さなければならん。
ため息を封じ込め、スイカの甘さと軽口を楽しむのだった。
セミのジリジリとした声がさらに気温を上昇させるようだ。自然に囲まれた杭瀬村のお家でも、夏は変わらず暑い。
朝方は涼しくて気持ちよく過ごせるのに。早朝から畑仕事をしたせいで、お昼過ぎにはごろごろしてしまう。
雅之助さんは何してるんだろう……?
居間に横たえた体を少しだけ起こし、開け放された戸口の方へほふく前進する。湿気ってベタつく床が着物を引っ張るけれど気にしない。
寝転がりながら首を伸ばして戸口をのぞくと、遠くの方に畑が見える。ちょうど、男の人と雅之助さんが何か話しているようだ。
二人とも笑った後、何かを受け取って……。
……あの、みどり色の丸いものは!
もしかして、もしかするかもしれない。
バッと勢いよく起き上がると正座してよれた衿の合わせを正す。あの甘くて、水分がたっぷりの……。
へりに腰をかけると草鞋を引っかけ戸口で待つ。贈答用で、食べちゃダメと言われたらどうしよう。
雅之助さんが緑の丸いものを抱えて戸口にやってくると、期待に胸がふくらむ。
「お帰りなさいっ」
「どうした? そんなに嬉しそうな顔をして」
「えーっと、あの……、スイカが見えて」
「ああ、めざといな! 豊作で分けてもらったんだ」
「そうなんですね、おいしそう……!」
まずい。完全に食べる前提の顔になっている。慌てて手で口元を隠して照れ笑いをすると、仕方がないやつだなあなんて笑われてしまった。
「お前は甘いものが好きだからな。さっそく、冷やして食べるか」
「いいんですか! ……じゃあ、近くの川に行きません?」
「よーし。しっかり歩くんだぞ!」
川で冷やしたスイカは格別だろうな……なんて想像したらニヤニヤしてしまう。この暑さで溶けてしまいそうだった体が、一気に蘇った気がした。
――ザッ、ザッ、ザ
容赦ない日差しが照りつけるなか、二人で森を抜けて川へと歩いていく。
途中、複雑に絡まった木の根や、生い茂った背の高い草をかき分ける。瑞々しい葉っぱに腕を擦られ、少し痛い。痛みに気を取られていると、つま先が何かに引っかかった。
「きゃっ……!」
足がもつれて転びそうになると、スイカを抱えているのにも関わらずしっかり支えてくれる。ぐいっと抱き寄せられ、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
「……ご、ごめんなさいっ!」
「足元をよく見ろ。怪我したら大変だろうが」
「気をつけます……!」
いつもちゃんと見ていてくれて、必ず助けてくれる。言葉はぶっきらぼうでも、そのがっしりとした腕に優しさが込められドキドキが止まらない。暑さも相まって、ぼんやりした頭のまま雅之助さんについていく。
「さあ、着いたぞ」
「わあ……、とってもきれいですね!」
木々を抜けると、一面に広がる大きな水流に目が釘付けになった。ザーッという水が流れていく音と、冷んやりした風がすーっと通り抜けていく。火照った体には、それだけで充分に気持ちが良かった。
「さっそく冷やすか!」
「私も手伝いますっ」
濡れないように裾をめくって二人でじゃぶじゃぶと川に入っていく。ふくらはぎくらいの深さなのに、水の温度は想像以上に冷たく体に染み入ってくるようだった。
端っこに少し大きな石を集めて、スイカが流されないようにしっかりと置く。水流が逆らって、ピチャピチャと渦を巻いていた。
「冷やしているあいだ、川で遊んでます!」
「気をつけるんだぞ」
「分かってますって!」
ニカっと笑うと、水面を蹴り上げる。
足の甲に掬われた水が弧を描いて降り注ぎ、日差しに照らされキラキラと輝いた。少しの水飛沫がかかり、その冷たさも心を弾ませる。
雅之助さんは河原に座って、そんな私の様子をのんびり眺めていた。
時折り手を振って呼びかけてみる。
親の注意を引きたがる子どもみたいだ。笑いながら応えてくれるのが嬉しくて、ついつい雅之助さんを探してしまう。
「雅之助さーん、みてみてっ!」
「ああ、見てるぞー!」
名前が少女のように呼びかけてくる。
彼女は川の水と戯れるように涼しさを楽しんでいた。弾け飛ぶ水しぶきが煌めいて、なぜだか神々しく見える。その楽しそうな、まるで踊っているような姿に目を奪われた。
たまに、こちらに向かってにこにこと手を振る様子がなんとも可愛らしい。にやける口元を隠すのに必死だ。
少し離れた河原では、一年生くらいの子どもたちがはしゃいていた。名前だって、子どもがいてもおかしくない年の頃だと、ふと考えてしまう。
元いた場所で、彼女はどう過ごしていたのだろうか。大切な家族がいて、想い人がいて。忍びなんかではなく、ごく普通の真っ当な人達と過ごしていたのではないか。
ここに引き止めるなど、名前のためにはならないと分かっているのに。いざ、そうなったらだいぶ引きずりそうだ。
女など、この世にたくさんいるのに……彼女にひどく心を揺さぶられる。最初に保護したからなんて建前は、いつまで保ち続けられるだろうか。
「どーしたんですかっ?」
雅之助さんは難しい顔で水面を見つめている。そばに駆け寄り、その首元に冷たくなった両手を押し付けた。
「うわあ! なんだ?!」
「冷たさのお裾分けですっ」
「いきなりやめてくれ」
「だって、ぼーっとしてるんですもの」
遠くを見つめて考え込む雅之助さんが珍しくて、気になってイタズラを仕掛けてみた。私も隣に座ってゆったりと流れる川を一緒に眺める。近くでは、子どもたちがキャッキャと騒いで楽しそうだ。
雅之助さんがおもむろに立ち上がり、足元の小石を拾い上げた。川へ近づくと、水面に向かってシュッと勢いよく放つ。
投げられた小石はぴょんぴょんと跳ねて、対岸へと消えていった。その身のこなしは無駄がなくて、伸ばされた指先まで見入ってしまう。
「どうやったのー?!」
「すごーい!」
「ぼくにも教えてー!」
何度か繰り返していると、近くで水遊びをしていた子ども達が見ていたようだ。興味津々で雅之助さんの元へ集まってきた。
「いいぞー!」なんて嬉しそうに言って、子ども達にやり方を教えている。
先生をしていただけあって、子どもが好きなのだろうか。その姿がしっくりきて、なんとなく目で追っていた。
雅之助さんは、なんで一人なんだろう。
奥さんだって、子どもだっていていいはずなのに。
……怖くて聞けないし、聞きたくないと思ってしまう自分がいる。前にちらっと触れて気まずい思いをしたのが蘇った。
私がいると……もしかしたら、雅之助さんの邪魔をしているのかもしれない。
戯れる様子を眺めながら考え込んでいると、こちらを振り返ってわははと笑っている姿が見える。何ともないように目いっぱいの笑顔を作って、おーいと手をふり返した。
*
しばらくして、スイカがいい具合に冷えてきた頃。
「よーし、お前たち。一緒に食べるか?」
「「「わーい!やったあ!」」」
「じゃあ、スイカ割りだ!」
スイカを川から引き上げ、河原に風呂敷を広げるとその上に転がらないよう置く。雅之助さんは、川辺に落ちている太く長い木の枝を拾い上げると子ども達に手渡した。
一人の子が手ぬぐいで目隠しをして、くるりと体を回される。木の棒を持ちながら、よろよろとスイカへ向かって歩いていった。
「あ、そっちじゃないよー!」
「もっと右だよー!」
「……えいっ!!」
……コツンッ
周りの声を頼りに棒を振り下ろしたけれど、スイカに当てることはできず……。棒を握った子が目隠しを取ると、わーわーと残念がっている。
「あー! 外れちゃった」
「残念だったな。ちゃんと周りの声を聞いて、気配を感じ取るんだ!」
「「「けはいー?」」」
忍たまに教えるように、ビシッと指導する雅之助さんがおかしい。
他の子たちも次々と挑戦して、かすったり惜しいところまで近づくが、なかなかスイカを割ることはできなかった。
「名前もやってみるか?」
「はーいっ、がんばります!」
手ぬぐいで目隠しをされて、体をくるりと回される。それだけで、今どこにいるのか分からなくなってしまう。
――ぎゅっと木の棒を握りしめる。
子ども達が、おねーさん頑張って!と応援する声を背に、砂利につまづかないようゆっくりと歩みを進めていった。
気配かぁ。……けはいって?
本で読んだことはあるけれど、どうやって感じ取ればいいんだろう……。
「みんなー! どっち??」
「ちょっと左!」
「ちがうよ、右だよ!」
「あー!そのままだって!」
「そのままじゃダメだよ!」
……みんなの言うことに振り回されて混乱してくる。ここはお姉さんとしてイイところを見せて、雅之助さんに褒めてもらいたい……!
神経を集中させて……
「そうそう!」
「もうちょっとさがって!」
「もっと左ー!」
ひ、ひだりっ!?
よーし、いくぞー!
「えいっ!!」
「「「あーあ……」」」
振り下ろした瞬間。
木の棒は空を切って、スイカに当たった感覚はない。棒をぐいっと前方に引き込まれ、たまらず握った物を手放した。その力の方へと、体が落ちていく。
突然のことで声が出ない。
倒れそうになるも、あたたかさと、がっしりとした体に包まれて……。少しの汗と、土っぽいラッキョの匂いを感じる。
これは……!
とんでもないものを叩こうとしてしまったと、冷や汗がタラりと背中を伝う。目隠しをずらしてチラリと上を覗くと、そこには雅之助さんがいた。木の棒はしっかり握られ、真っ直ぐ見下ろされる。
「ご、ごめんなさいっ!」
「わしを狙うなんていい度胸だな?」
「お姉さん、一番下手だね!」
「「ねー!」」
子ども達が指をさして、お腹を抱えて笑っている。年上なのに酷い有り様でタジタジだ。
雅之助さんにニヤリと笑われると、恥ずかしくて体がかあっと熱くなる。そっと解放されると、今度は手本を見せてくれるようだ。
「お前たち。よく見ておくんだぞ!」
目隠しをしてどこか分からなくしてから、はいっと棒切れを手渡す。本当に割れるのかな……?私まで緊張してきた。
腰を落とし、そろりと進む足。それに、スッと伸ばされた木の棒が、スイカ割りとは思えないほどの真剣さだ。まるで剣術の最中みたいな姿に、空気がピンと張り詰め、息をするのも忘れてしまう。
子ども達の声を聞きながら、それに惑わされず五感を研ぎ澄ませて気配を感じ取っている。鉢巻きや緩く結んだ髪が風に靡いて、もう釘づけだった。
「……よーし、ここだな!」
くるっと体を翻すと、ズバッと迷いなく棒を振り下ろしていった。
「どこんじょー!」
「「「すごーい!」」」
「さすがですっ!!」
見事に命中して、スイカはぐしゃりと叩き割られていた。風呂敷に赤い果汁がぽたぽたこぼれていく。
「まあ、こんなところだ」
「……格好良かったです!」
雅之助さんは目隠しを外して、満足そうに腰に手を当てた。その笑顔が頼もしくて、またドキンと苦しくなる。
それから、雅之助さんがこそっと胸元から苦無を取り出し、みんなに見えないように切り分けていく。意外と器用なんだ……!なんて言ってしまわないよう口を結ぶ。
子ども達にスイカを分けてあげると、私たちも河原に座って瑞々しい赤い三角をほおばった。
「んー! 甘くて美味しいですー!」
「うまいなあ!」
名前が無邪気にかぶりつくのを見ながら、自身もひと口かじる。ひんやりとした甘い果汁が口内に広がって、思わず笑みがこぼれた。
こいつは相変わらず、幸せそうな顔で食べるなあなんて眺めていたら……。
桃色の唇の端から、つーっと果汁が伝っていく。その姿が妙に色っぽく見えて、一段と心臓がはねる。彼女が口元を拭うよりも先に手を伸ばし、親指でそっと果汁を掬って口に含んだ。
スイカの甘さなのに、まるで名前自身が甘いかのような錯覚に陥る。
「えへへ、こぼれちゃいましたっ」
「……あ、ああ」
恥ずかしそうな名前を前に、熱くなる顔がバレないようスイカをかじる。
「……雅之助さん。子ども達に教えてる姿が、すごく似合っていました。いいお父さんになりそうですね」
「お前だって、いい母ちゃんに見えるぞ」
「ど、どういう意味です……!?」
「元気な子どもを産みそうだしな!」
「ちょ、ちょっと! 変なこと考えましたね!? ……もう、じろじろ見ないでくださいっ」
「おい、何でそうなる!」
名前は顔を赤くしてこちらを睨んでくる。そんな意味で言った訳ではないのに、変に誤解され慌てて否定する。
――以前ちらっと見えてしまった体に。
イタズラで触ってしまった柔らかい感触に、酒に酔って上気した頬や潤んだ瞳に……想像が止まらない。
……いかんいかん。
「……でも、スイカをバシッと叩き割ったところ、格好良かったな。なんだかんだ言っても、一流なんですよね。先生っ?」
「褒めても何も出てこないぞ」
「えー。何か出してくださいよー!」
くすくす笑いながらじゃれてくる名前を、もうすぐ土井先生の家に向かわせなければならない。まったく、何でそんな約束をしてしまったんだ。
人がいいというか、何というか……。
酒は絶対に飲ませないように、念を押さなければならん。
ため息を封じ込め、スイカの甘さと軽口を楽しむのだった。