第27話 きらきら光る
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杭瀬村に帰ってきて数日経ったころ。
久しぶりの二人きりの生活は少し照れ臭かったけれど、それもだんだん慣れてきた。
畑のお手伝いをしたり、ラビちゃん達と遊んだり、お家で読書しつつゴロゴロしたり……。のどかな村での暮らしは飽きることなんかなくて。
まだ涼しい朝のうちに畑仕事を済ませて、暑い午後はゆっくり過ごしていた。
「やっぱり雅之助さんの手料理、美味しいです!」
私が食べたいって言ったから、今日はお昼を雅之助さんが作ってくれたのだ。
大根と菜っぱを煮たものと、ご飯に自家製の漬物。質素だけどホッとする。おばちゃんの味とは一味違う、男の人の料理って感じだ。少し大きめの切り方も、濃い味付けも全部が心に染みる。
大根を口に放り込むと、むぐむぐと味わう。
じゅわりと旨みが溢れ出してゴクリと飲み込むのがもったいない。
「美味いか?そんなにニコニコして」
「はいっ。幸せです……!」
「そうかそうか、それは良かった!」
雅之助さんは顔を綻ばせて人懐っこい笑みを浮かべる。彼の手料理がいただけるのはなんだか特別な気がして、嬉くなってしまうのだ。
*
昼下がりは木陰で本でも読もうかな……。
だいぶこちらの文字にも慣れて、読み書き出来るようになっていた。食堂のメニュー表も私の仕事になって、土井先生に褒められるくらいだ。
「雅之助さんっ。わたし、あの木陰で読書してますね」
井戸で器を洗い昼食の片付けを終えると、ガサゴソと部屋の隅に置いた風呂敷から本を取り出し声をかける。
「読書か。せっかくだから、いい場所を教えてやろう!」
「……? どこです?」
「この間見つけたんだ。森の中なんだが、お前を連れて行きたくてな」
……も、森の中かあ。
ここに来たことを考えると、尻込みしてしまう。もし、踏み入れて元の世界に戻ってしまったら。みんなに、さようならも言えずに行ってしまったら……。
それは……嫌だ。まだ一緒にいたい。
「どうした? 急に変な顔をして」
「あっ、いえ!何でもないですっ。ぜひ連れていってください」
少年みたいに目を輝かせる雅之助さんに、暗い話はしたくなかった。なぜだか分からないけれど……何か起こっても、ここに引き留めてくれるような気がしてくるのだ。
読みたかった本を胸に抱えて、雅之助さんに手を引かれるまま着いていく。
畑の向こうにある茂みに一歩足を踏み入れると、木の葉で日差しが遮られているせいか、冷んやりして気持ちが落ち着いてくる。
足元には張り出した樹の根が絡み合ってなかなか歩きにくい。転ばないように、繋いだ手に力を込める。落ちている小枝を避けるように誘導してくれて、葉っぱにさわさわと身体を擦られながら奥へと進んでいった。
しばらく歩くと、木漏れ日に照らされたぽっかりと芝生が広がる場所にたどり着いた。
背の高い木々に囲まれた空間は、そこだけおとぎ話のような、何かに守られたような雰囲気だ。その光り輝く神秘的な景色に、思わず息を呑む。
「ここだ。ケロちゃんが見つけたんだが」
「うわぁ。とっても素敵です……!」
先ほどの不安はその光景にかき消され、思わず雅之助さんと顔を見合わせてほほ笑んだ。
陽の光を浴びてキラキラきらめく芝生に、二人してごろんと大の字に寝転ぶ。ふかふかで、まるでお布団みたいでうっとりしてしまう。
広げた手は、少し動かせば大きな身体に触れてしまいそうなほど近い。
高く伸びた木々の隙間から青空が見える。
時折り、さーっと吹き抜ける風が二人を掠めていった。
「気持ちいいですね」
「そうだろう!」
「本当は、森の中に行くのが怖かったんです。……元の世界に戻っちゃったらどうしようって」
「前も言っていたが……戻りたくないのか?」
「私はここにいるべき存在じゃないと、思っています。でもまだ、もう少し……みんなといたいのです」
忍術学園のみんなと、ケロちゃんラビちゃんと、それから……。
入道雲の浮かぶ空を見ながらポツリと言葉を紡ぐ。
すべて投げ捨ててこの世界に残る覚悟があるのか……。きっと、そんなしっかりした考えじゃない。柔らかい覚悟なんかで、周りを振り回せない。
……でも、ここにいたい気持ちは本物だった。
「好きなだけ、いればいいだろう?」
「……でも、そんなのわがままです」
急に来て、帰りたいと言って、今は留まりたいと思う。少なからず、この世界の人たちに影響を与えてしまって……なんと迷惑な存在だろうか。
「じゃあ、わしもわがままだな。名前が何と言おうと帰さねばならんのに。……そうしたくない」
指先に温かいものが触れる。
その感触にどきりとして、手を引っ込めそうになるのに体が言うことを聞かない。
そのうちに、太くてごつごつした指が優しく絡み、ぎゅっと握られる。まるで繋ぎ留めるかのような動きに、少しだけ弱音を吐いてしまいそうだ。汗ばんだ大きな手に包まれると、ドキドキする鼓動と安心する気持ちとが混じり合っていく。
雅之助さんも、そう思ってくれて嬉しい。
言葉に表せない気持ちを込めて、きゅっと手を握り返した。
「……まだ、手裏剣打ち教えてもらってないですし。帰れませんっ」
「わしの指導は厳しいぞ」
「お手柔らかにお願いします」
顔を合わせてくすくす笑う。
恥ずかしくなってつい冗談を言ってしまったけれど、そんなやりとりも幸せだった。
「そうだ。雅之助さんに借りた着物、ずっと返してないですね」
「別に構わんが……。新しく仕立ててやろうか?」
「いえ、そんなっ」
申し訳なくて、思わず隣を見つめる。
「……お前がわしの着物を着ているのも、なかなか良いものだけどなあ」
「また、そんなこと言って……!」
手は繋ぎあったままで。
ニヤリとからかうように笑って言われると、顔が熱くなってしまう。
「さっ、私は読書しますよーっ」
その雰囲気を断ち切るように宣言すると、
繋がれた手をパッと離す。
こちらから離したのに、手のひらのぬくもりが消え去ってさみしいと思う。
……なんてあまのじゃくなんだろう。
よいしょと起き上がって、膝を抱えながら本を広げる。雅之助さんも胡座をかいて伸びをしている。……懐から本を取り出して、何を読むのだろうか。
横目でチラリと覗くと、懐から細長くて先に丸いものがついた……何かから筆を取り出して、本にさらさらと書き始めた。
「それ、何です?」
「矢立だ。しらんのか?」
「初めて見ました!……不思議なかたちですね」
「携帯用の筆というところだな」
「へぇ……って、何を書いているんですか?」
「これか? ……これはな、わしの人生を綴った、"ど根性人生" だ!」
「じ、自伝、ですか?」
「そうだ! 忍術学園に寄贈しようと思ってな」
私は気になるけど、読む人いるのかな……?
だって、雅之助さんってば過去のこと全然教えてくれないし……。
「ちょっと見せてくださいっ」
「いいぞー。ほれ、読んでみなさい」
雅之助さんの隣に近寄って、顔を肩に寄せつつ覗き込む。
……ふんふん。
……?
「……これ、自伝じゃなくて、自慢話じゃないですか?」
「すごいだろう! そうか、わしに惚れなおしたか!」
「っ、惚れなおしたですって!?」
「ははは、こりゃ参ったなあ」
「って、ひとの話聞いてます?! ……もう、私は自分の本を読みますからねー」
「おいおい!」
そんなやり取りに二人で吹き出して笑い合うと、思い思いに過ごした。
茹だるような暑さはその勢いをひそめて、ときどき吹く風がなんとも清々しい。さわさわと草木が揺れる音に、ついまぶたがゆるりと閉じそうになる。
どれだけそうしていただろう。
ふと気になって、隣に座る雅之助さんをチラリと窺う。少し下を向いているせいか、茶色の髪が顔にかかって風になびいている。
真剣な表情で筆を走らせる姿が新鮮で。
いつもと違うその横顔に、釘付けになる。
……雅之助さんに、私の視線なんてバレバレだろうか。気付かないふりをしてくれているのは分かっている。そんな事を考えると恥ずかしくなって、慌てて持ってきた本に視線を落とした。
――本を読み終え、日差しがだいぶ落ち着いてきた頃。
「……そろそろ、夕飯の支度しなきゃ」
「もうそんな時間か」
「また、一緒に……ここでのんびりしたいです」
「そうだな。そうしよう!」
雅之助さんは本と矢立を懐にしまうと、垂れ目を細めてぽんと優しく頭を撫でてくれた。
*
森から家の前に戻ると、採れたての野菜を大きなたらいに入れる。
井戸まで運びたっぷりの水を汲んでじゃぶじゃぶと洗うと、弾け飛ぶ水しぶきが気持ち良い。
「わしも手伝うぞ!」
「ありがとうございますっ」
隣にしゃがんだ雅之助さんに、少しからかってみたくなって……。
「……スキあり!」
たらいの水を両手で掬い上げ、雅之助さん目がけてパシャリとかけてみる。
「お前、やったな?!」
「えへへ……びっくりしました?」
驚く姿が可愛くて、珍しくて……ニヤリとしてしまう。
雅之助さんは、顔にかかった水を荒々しく腕で拭うと、どこんじょー!と叫びながらやり返してきた。
大きな手からバシャっと水が降り注ぎ、顔や髪の毛や……少し着物を濡らしていく。井戸水の冷んやりした温度が、火照った身体に心地よい。
「ひゃぁっ!……まだまだ負けませんよっ」
「お、やるのか?!」
二人とも立ち上がってたらいの水を掛け合う。
髪から水滴が滴るのも構わず、子どもみたいにはしゃぎあって。足元は飛び散った水と土が混じり合ってびしゃびしゃになっている。
濡れていく着物が肌にぴたりと張りつき、風が吹くたび冷たさがより感じられる。
空中に弾け飛ぶ水しぶきが、陽の光を浴びてキラキラと輝く。
お互いに攻撃しあっていると、たらいの水が底をついて掬えなくなってきた。
「いったん休戦です……!」
「いいだろう!」
井戸につるべを落として、よいしょと水を汲み上げていく。
チラッと雅之助さんを横目で見ると、ふぅ……と一息ついて濡れそぼった茶色の髪をかき上げている。その姿がより男らしくみえて……ちょっと悔しい。
つるべに並々入った井戸水を、野菜の入っているたらいにざあっと入れる。
……とみせかけて、そのままバシャリと雅之助さんにかけてみた。
「ははは、危ないところだった!」
「さ、さすが先生っ……!」
さらりと身をかわし、にんまりしてこちらを自慢げに見つめてくる。
放った水が盛大に足元へとこぼれ落ちて、大きな水溜りを作っていった。不意打ち作戦失敗だ。
やっぱり忍びの先生には敵わない。
……まずい。これは、反撃されるかも!
「……お前、覚悟はできてるんだろうな?」
「いえ、もう降参ですっ!」
好戦的な顔つきに、目いっぱい身体を縮こませる。容赦なくずぶ濡れにされそうだ……!
身の危険を感じて慌ててその場から逃げようとした、瞬間。
――ずるっ、
ぬかるんだ土に足を取られてバランスを崩してしまった。
「きゃっ……!」
地面に尻もちをつきそうになる寸前、強く腕を引かれてぎゅっと抱き締められた。
「……おっと、大丈夫か?」
はだけて露わになった、たくまし胸元に顔が押しつけられる。濡れて冷んやりした素肌に密着したせいで、雅之助さんの鼓動が直に伝わってくる。
がっしりとした男性の身体に包まれて安心するのと、恥ずかしいのと……もうどうして良いか分からなくなる。この気温のせいなのか、触れ合った部分が熱くて熱くてたまらない。
至近距離から見上げる。
茶色の髪の先を水滴が伝い、わたしの頬にぽたぽた落ちて……その度にドキドキしてしまう。
「……ご、ごめんなさい」
「まったく、危なっかしいヤツだ!」
人懐っこい笑顔でそんなこと言うのはずるい。
私のいたずらも、ヘマも、何もかも全部包み込んでくれるみたいな顔をして。
……甘えたくなっちゃうじゃないか。
ほほが熱くなるのを知られたくなくて、顔にかかった水滴を拭うふりをする。
「……夕食の支度、しましょうか」
今度は二人で、真面目に野菜を洗っていくのだった。
(おまけ)
――空が赤く染まって、日が暮れていく。
夕食も出来上がって、二人であつあつのご飯とおかずをつまんでいる。
「なんで裸なんです? !何か羽織ってくださいっ!」
「名前が水を掛けたからだろうが」
「それは、そうですけど……」
こればかりは私が悪いから何も言えない。
でも、目のやり場に困るというか……。
もちろん袴は履いてるけれど……。
無駄に鍛え上げられた身体を前にすると恥ずかしくなってしまう。
「お前も脱がないと風邪をひくぞ?」
「……!? これ以上脱げません!分かってるくせに」
着物だけ乾かして肌小袖だけの格好なのに。分かっていてそんなこと言って……!
「風邪をひいて、土井先生の家に行けなくなるっていのも良いかもな?……わしがしっかり看病してやるぞ!」
「……もうっ」
どっちにしても困ってしまう。
赤い顔でどぎまぎする様子を、くつくつと笑われるのだった。
久しぶりの二人きりの生活は少し照れ臭かったけれど、それもだんだん慣れてきた。
畑のお手伝いをしたり、ラビちゃん達と遊んだり、お家で読書しつつゴロゴロしたり……。のどかな村での暮らしは飽きることなんかなくて。
まだ涼しい朝のうちに畑仕事を済ませて、暑い午後はゆっくり過ごしていた。
「やっぱり雅之助さんの手料理、美味しいです!」
私が食べたいって言ったから、今日はお昼を雅之助さんが作ってくれたのだ。
大根と菜っぱを煮たものと、ご飯に自家製の漬物。質素だけどホッとする。おばちゃんの味とは一味違う、男の人の料理って感じだ。少し大きめの切り方も、濃い味付けも全部が心に染みる。
大根を口に放り込むと、むぐむぐと味わう。
じゅわりと旨みが溢れ出してゴクリと飲み込むのがもったいない。
「美味いか?そんなにニコニコして」
「はいっ。幸せです……!」
「そうかそうか、それは良かった!」
雅之助さんは顔を綻ばせて人懐っこい笑みを浮かべる。彼の手料理がいただけるのはなんだか特別な気がして、嬉くなってしまうのだ。
*
昼下がりは木陰で本でも読もうかな……。
だいぶこちらの文字にも慣れて、読み書き出来るようになっていた。食堂のメニュー表も私の仕事になって、土井先生に褒められるくらいだ。
「雅之助さんっ。わたし、あの木陰で読書してますね」
井戸で器を洗い昼食の片付けを終えると、ガサゴソと部屋の隅に置いた風呂敷から本を取り出し声をかける。
「読書か。せっかくだから、いい場所を教えてやろう!」
「……? どこです?」
「この間見つけたんだ。森の中なんだが、お前を連れて行きたくてな」
……も、森の中かあ。
ここに来たことを考えると、尻込みしてしまう。もし、踏み入れて元の世界に戻ってしまったら。みんなに、さようならも言えずに行ってしまったら……。
それは……嫌だ。まだ一緒にいたい。
「どうした? 急に変な顔をして」
「あっ、いえ!何でもないですっ。ぜひ連れていってください」
少年みたいに目を輝かせる雅之助さんに、暗い話はしたくなかった。なぜだか分からないけれど……何か起こっても、ここに引き留めてくれるような気がしてくるのだ。
読みたかった本を胸に抱えて、雅之助さんに手を引かれるまま着いていく。
畑の向こうにある茂みに一歩足を踏み入れると、木の葉で日差しが遮られているせいか、冷んやりして気持ちが落ち着いてくる。
足元には張り出した樹の根が絡み合ってなかなか歩きにくい。転ばないように、繋いだ手に力を込める。落ちている小枝を避けるように誘導してくれて、葉っぱにさわさわと身体を擦られながら奥へと進んでいった。
しばらく歩くと、木漏れ日に照らされたぽっかりと芝生が広がる場所にたどり着いた。
背の高い木々に囲まれた空間は、そこだけおとぎ話のような、何かに守られたような雰囲気だ。その光り輝く神秘的な景色に、思わず息を呑む。
「ここだ。ケロちゃんが見つけたんだが」
「うわぁ。とっても素敵です……!」
先ほどの不安はその光景にかき消され、思わず雅之助さんと顔を見合わせてほほ笑んだ。
陽の光を浴びてキラキラきらめく芝生に、二人してごろんと大の字に寝転ぶ。ふかふかで、まるでお布団みたいでうっとりしてしまう。
広げた手は、少し動かせば大きな身体に触れてしまいそうなほど近い。
高く伸びた木々の隙間から青空が見える。
時折り、さーっと吹き抜ける風が二人を掠めていった。
「気持ちいいですね」
「そうだろう!」
「本当は、森の中に行くのが怖かったんです。……元の世界に戻っちゃったらどうしようって」
「前も言っていたが……戻りたくないのか?」
「私はここにいるべき存在じゃないと、思っています。でもまだ、もう少し……みんなといたいのです」
忍術学園のみんなと、ケロちゃんラビちゃんと、それから……。
入道雲の浮かぶ空を見ながらポツリと言葉を紡ぐ。
すべて投げ捨ててこの世界に残る覚悟があるのか……。きっと、そんなしっかりした考えじゃない。柔らかい覚悟なんかで、周りを振り回せない。
……でも、ここにいたい気持ちは本物だった。
「好きなだけ、いればいいだろう?」
「……でも、そんなのわがままです」
急に来て、帰りたいと言って、今は留まりたいと思う。少なからず、この世界の人たちに影響を与えてしまって……なんと迷惑な存在だろうか。
「じゃあ、わしもわがままだな。名前が何と言おうと帰さねばならんのに。……そうしたくない」
指先に温かいものが触れる。
その感触にどきりとして、手を引っ込めそうになるのに体が言うことを聞かない。
そのうちに、太くてごつごつした指が優しく絡み、ぎゅっと握られる。まるで繋ぎ留めるかのような動きに、少しだけ弱音を吐いてしまいそうだ。汗ばんだ大きな手に包まれると、ドキドキする鼓動と安心する気持ちとが混じり合っていく。
雅之助さんも、そう思ってくれて嬉しい。
言葉に表せない気持ちを込めて、きゅっと手を握り返した。
「……まだ、手裏剣打ち教えてもらってないですし。帰れませんっ」
「わしの指導は厳しいぞ」
「お手柔らかにお願いします」
顔を合わせてくすくす笑う。
恥ずかしくなってつい冗談を言ってしまったけれど、そんなやりとりも幸せだった。
「そうだ。雅之助さんに借りた着物、ずっと返してないですね」
「別に構わんが……。新しく仕立ててやろうか?」
「いえ、そんなっ」
申し訳なくて、思わず隣を見つめる。
「……お前がわしの着物を着ているのも、なかなか良いものだけどなあ」
「また、そんなこと言って……!」
手は繋ぎあったままで。
ニヤリとからかうように笑って言われると、顔が熱くなってしまう。
「さっ、私は読書しますよーっ」
その雰囲気を断ち切るように宣言すると、
繋がれた手をパッと離す。
こちらから離したのに、手のひらのぬくもりが消え去ってさみしいと思う。
……なんてあまのじゃくなんだろう。
よいしょと起き上がって、膝を抱えながら本を広げる。雅之助さんも胡座をかいて伸びをしている。……懐から本を取り出して、何を読むのだろうか。
横目でチラリと覗くと、懐から細長くて先に丸いものがついた……何かから筆を取り出して、本にさらさらと書き始めた。
「それ、何です?」
「矢立だ。しらんのか?」
「初めて見ました!……不思議なかたちですね」
「携帯用の筆というところだな」
「へぇ……って、何を書いているんですか?」
「これか? ……これはな、わしの人生を綴った、"ど根性人生" だ!」
「じ、自伝、ですか?」
「そうだ! 忍術学園に寄贈しようと思ってな」
私は気になるけど、読む人いるのかな……?
だって、雅之助さんってば過去のこと全然教えてくれないし……。
「ちょっと見せてくださいっ」
「いいぞー。ほれ、読んでみなさい」
雅之助さんの隣に近寄って、顔を肩に寄せつつ覗き込む。
……ふんふん。
……?
「……これ、自伝じゃなくて、自慢話じゃないですか?」
「すごいだろう! そうか、わしに惚れなおしたか!」
「っ、惚れなおしたですって!?」
「ははは、こりゃ参ったなあ」
「って、ひとの話聞いてます?! ……もう、私は自分の本を読みますからねー」
「おいおい!」
そんなやり取りに二人で吹き出して笑い合うと、思い思いに過ごした。
茹だるような暑さはその勢いをひそめて、ときどき吹く風がなんとも清々しい。さわさわと草木が揺れる音に、ついまぶたがゆるりと閉じそうになる。
どれだけそうしていただろう。
ふと気になって、隣に座る雅之助さんをチラリと窺う。少し下を向いているせいか、茶色の髪が顔にかかって風になびいている。
真剣な表情で筆を走らせる姿が新鮮で。
いつもと違うその横顔に、釘付けになる。
……雅之助さんに、私の視線なんてバレバレだろうか。気付かないふりをしてくれているのは分かっている。そんな事を考えると恥ずかしくなって、慌てて持ってきた本に視線を落とした。
――本を読み終え、日差しがだいぶ落ち着いてきた頃。
「……そろそろ、夕飯の支度しなきゃ」
「もうそんな時間か」
「また、一緒に……ここでのんびりしたいです」
「そうだな。そうしよう!」
雅之助さんは本と矢立を懐にしまうと、垂れ目を細めてぽんと優しく頭を撫でてくれた。
*
森から家の前に戻ると、採れたての野菜を大きなたらいに入れる。
井戸まで運びたっぷりの水を汲んでじゃぶじゃぶと洗うと、弾け飛ぶ水しぶきが気持ち良い。
「わしも手伝うぞ!」
「ありがとうございますっ」
隣にしゃがんだ雅之助さんに、少しからかってみたくなって……。
「……スキあり!」
たらいの水を両手で掬い上げ、雅之助さん目がけてパシャリとかけてみる。
「お前、やったな?!」
「えへへ……びっくりしました?」
驚く姿が可愛くて、珍しくて……ニヤリとしてしまう。
雅之助さんは、顔にかかった水を荒々しく腕で拭うと、どこんじょー!と叫びながらやり返してきた。
大きな手からバシャっと水が降り注ぎ、顔や髪の毛や……少し着物を濡らしていく。井戸水の冷んやりした温度が、火照った身体に心地よい。
「ひゃぁっ!……まだまだ負けませんよっ」
「お、やるのか?!」
二人とも立ち上がってたらいの水を掛け合う。
髪から水滴が滴るのも構わず、子どもみたいにはしゃぎあって。足元は飛び散った水と土が混じり合ってびしゃびしゃになっている。
濡れていく着物が肌にぴたりと張りつき、風が吹くたび冷たさがより感じられる。
空中に弾け飛ぶ水しぶきが、陽の光を浴びてキラキラと輝く。
お互いに攻撃しあっていると、たらいの水が底をついて掬えなくなってきた。
「いったん休戦です……!」
「いいだろう!」
井戸につるべを落として、よいしょと水を汲み上げていく。
チラッと雅之助さんを横目で見ると、ふぅ……と一息ついて濡れそぼった茶色の髪をかき上げている。その姿がより男らしくみえて……ちょっと悔しい。
つるべに並々入った井戸水を、野菜の入っているたらいにざあっと入れる。
……とみせかけて、そのままバシャリと雅之助さんにかけてみた。
「ははは、危ないところだった!」
「さ、さすが先生っ……!」
さらりと身をかわし、にんまりしてこちらを自慢げに見つめてくる。
放った水が盛大に足元へとこぼれ落ちて、大きな水溜りを作っていった。不意打ち作戦失敗だ。
やっぱり忍びの先生には敵わない。
……まずい。これは、反撃されるかも!
「……お前、覚悟はできてるんだろうな?」
「いえ、もう降参ですっ!」
好戦的な顔つきに、目いっぱい身体を縮こませる。容赦なくずぶ濡れにされそうだ……!
身の危険を感じて慌ててその場から逃げようとした、瞬間。
――ずるっ、
ぬかるんだ土に足を取られてバランスを崩してしまった。
「きゃっ……!」
地面に尻もちをつきそうになる寸前、強く腕を引かれてぎゅっと抱き締められた。
「……おっと、大丈夫か?」
はだけて露わになった、たくまし胸元に顔が押しつけられる。濡れて冷んやりした素肌に密着したせいで、雅之助さんの鼓動が直に伝わってくる。
がっしりとした男性の身体に包まれて安心するのと、恥ずかしいのと……もうどうして良いか分からなくなる。この気温のせいなのか、触れ合った部分が熱くて熱くてたまらない。
至近距離から見上げる。
茶色の髪の先を水滴が伝い、わたしの頬にぽたぽた落ちて……その度にドキドキしてしまう。
「……ご、ごめんなさい」
「まったく、危なっかしいヤツだ!」
人懐っこい笑顔でそんなこと言うのはずるい。
私のいたずらも、ヘマも、何もかも全部包み込んでくれるみたいな顔をして。
……甘えたくなっちゃうじゃないか。
ほほが熱くなるのを知られたくなくて、顔にかかった水滴を拭うふりをする。
「……夕食の支度、しましょうか」
今度は二人で、真面目に野菜を洗っていくのだった。
(おまけ)
――空が赤く染まって、日が暮れていく。
夕食も出来上がって、二人であつあつのご飯とおかずをつまんでいる。
「なんで裸なんです? !何か羽織ってくださいっ!」
「名前が水を掛けたからだろうが」
「それは、そうですけど……」
こればかりは私が悪いから何も言えない。
でも、目のやり場に困るというか……。
もちろん袴は履いてるけれど……。
無駄に鍛え上げられた身体を前にすると恥ずかしくなってしまう。
「お前も脱がないと風邪をひくぞ?」
「……!? これ以上脱げません!分かってるくせに」
着物だけ乾かして肌小袖だけの格好なのに。分かっていてそんなこと言って……!
「風邪をひいて、土井先生の家に行けなくなるっていのも良いかもな?……わしがしっかり看病してやるぞ!」
「……もうっ」
どっちにしても困ってしまう。
赤い顔でどぎまぎする様子を、くつくつと笑われるのだった。