テスデイ短編
デイビットはポカリと目を開けた。
眠れない。体内時計では、まだ夜が明けるまでに数時間あるはずなのに。そして、更新も。
いくら寝返りをうち、目をつぶろうとも逃げた睡魔は帰ってこない。
「眠れない」
ドクドクと心臓が動く音が、やけに大きく聞こえて、眠りを妨げる。普段は気にならない、呼吸音さえも耳をざわめかせる。
真っ暗な室内。
己が生み出す音以外は無な場所で、ゆっくりと大きく息を吸い込み吐き出す。深呼吸を繰り返せば、いつしか眠りにつく。どこかで知った知識を引っ張り出し、それを実行する。
吸って、吐いて。吸い込み、吐き出し。
それでも……。
「……眠れない」
体はだるく重い。休息を求めているのに、意識は落ちようとしない。しまいには目を閉じているのにも関わらず、チカチカとした極彩色が踊り始めた。目を擦っても消えないのでため息を吐き出す。どうやら、気持ちの問題のようだ。
いっそ体を動かすかと、寝台から降りる。靴には足を突っ込むだけにして、外へと向かう。
「風が……強いな」
一歩外に出るなり、水の匂いを含んだ風がデイビットを取り巻く。黙ってそれをうけつつ、深呼吸をしてみた。
それを境にあんなにうるさかった心音が静かになる。反射的に胸へと手を当てれば、鼓動がつたわってきて、チカチカとした何かも消えた。
「涼しい……」
夜風の心地よさにゆるく息を吐きながら、空を見上げる。何を思ったわけでもなく、ただ頭を傾けた。
「あ」
黒く塗りつぶされた空よりも前に、美しい金の流れるさまが視界に入り込んだ。その美しさに声が漏れる。数秒それに見とれてからゆっくりと瞬き一つ。揺れた気持ちを落ち着けるのにかけた時間はそれだけだ。
「テスカトリポカ」
金糸の持ち主である神が目の前に立っていた。影によってどんな顔をしているかはわからないが、視線が注がれているのを感じる。
「よう、デイビット。今日は早く休むとか言ってなかったか。昨日、休息が遅かったからとかいって」
沈黙を破ったのはテスカトリポカの方からだった。夜だからか、サングラスは取り払われており、宝石のような目がよく見えた。視線の強さも普段より感じ取れ、そっと不自然にならない程度にそらす。
「…………誰のせいだったろうな、昨晩は」
残した五分の記録には、テスカトリポカに捕まり、無駄話をさせられたというのが残っている。内容を残していないので、大した話はしていないのだろう。
「さて、誰だろうな」
飄々と取り合わない相手にため息をつく。ここで指摘したとしても、まともに取り合われないのは理解している。今はそんな気力もない。
「そういうお前こそどうしたんだ。今日の容量はもうないぞ」
暗に要件があるなら、明日にしてくれと告げてみる。
「ハッ」
小さな笑声ともに流れてくる煙。反射的にそれを吸い込むと、少し肩から力が抜けた気がした。
一歩テスカトリポカが近づいてくる。近くなった距離に、何故か後退してしまった。気まずくてさらに視線をそらす。
「デイビット」
テスカトリポカはそのことに対してはなにも言わず、かわりに手を伸ばしてきた。
「ひどい顔をしている」
「え」
頬を撫でる手のひらの温かさと、ポツリつぶやかれた内容に、デイビットは目を見開く。
まるで労るように優しく頬を撫で、輪郭をなぞりながら、頭の天辺へと移動させる。そのまま髪をすくように撫でられた。
何かが溢れ出しそうになり、手を振り払おうとしたが、体が動かない。
「音が」
「うん?」
「今日はやけに自分の音がうるさくて、色がグルグルして、眠れないんだ」
こらえきれなかったものがつたない言葉として、溢れ出した。テスカトリポカはなにもいわず、黙って首を傾げる。
探るような真っ直ぐの視線から逃れたくて、視線をあちこちに飛ばす。建物の色、黒い空、金の髪、灯る炎。
「また、いろが」
チカチカと踊りだす。鼓動がドクドクと走り出してうるさい。冷や汗が滲み始めた瞬間。
「余計なものを見るな、デイビット」
視界が真っ黒になる。急に、視界情報が遮断されたことへ息を呑む。
目元に触れるものはテスカトリポカの手で、それがデイビットの目を覆っていることに、数秒立ってから気づく。乱れた呼吸が落着いた瞬間を見計らい、神は告げる。
「感覚はすべて俺に集中しろ」
低く艶のある声が耳をくすぐり、うるさかった音が遠ざかる。フッと、鼻をくすぐるのは煙草と夜の匂い。
片手で目を塞がれるだけで、様々な感覚が鋭敏になる。 拾うものはテスカトリポカのことだけ。
「今日は何があった、考えろ」
クルクルリと踊っていた思考が、おちついていく。が、思考がなぜかまとまらない
「わかったか?」
問われても、わからないと首を振りつつ、一つ思い当たる可能性について、口に出してみた。
「いや、今日は情報過多だったせいか?」
フィールドワークや、メヒコシティでの出来事。これからの算段。様々なことを今日は記録し考えた。だが、これはほほ普段どおりと言ってもいいのに。なぜ、今日に限って。
「やれやれ」
ため息を吐く音と濃くなったタバコの匂い。音もなく離れていくテスカトリポカの手。
感触や温もりがなくなることが残念に思えて。反射的につかもうとした瞬間、勢いよく風がデイビットの全身を叩いた。ゴォッと、獣が吠えるような勢いの音が、耳を撫でる。
色が戻った視界には、きらめく金の髪が舞い踊り、鮮やかなブルーの眼が射すくめてくる。
神から視線が外せないままでいると、テスカトリポカは形の良い唇をゆがめて、言葉を紡ぐ。
「そもそも、今日は朝から顔色が悪かったくせに、神の忠告を無視して、色んな所に行っただろう。調子が悪い癖にアレコレと動いた反動が来たんだろうよ」
思わぬ指摘に目を瞬かせる。
「調子が悪いとは思わなかったんだが」
「なお、悪い」
軽く額を指弾されてのけぞる。ジワリとした痛みが、体の感覚を呼び起こし、ジワジワと体が重くなっていくのを感じた。
「それとなく様子を見ていたからな、オマエがなにをしていたかはオレが覚えてる。必要なことは、聞けば答えてやるから。今日はそれだけ記憶しろ。あとは夜風の音でも子守唄にしてとっと休め、デイビット」
脳に染み込んでくる声に抗うすべはなく、でも、いまはそれが心地よかった。指摘されたことによって、意識がようやく自覚をしたらしい。
「夜の風……ある意味オマエの声だな」
デイビットの呼び声に応えた神には『夜の風』という別名もある。ある意味、テスカトリポカが紡ぐ子守唄といってもいいだろう。
それをポロリとこぼせば、クシャリとデイビットの頭を撫でて笑う。
「そうだっていってんだろうよ」
また、夜の匂いを含む風がふきつける。
「戦士とて調子が悪い時があるさ。ずっと走り続けていれば、なおさらな」
だから、とテスカトリポカは穏やかな声で告げる。
「時々でいいなら休むことを許す」
ま、すぐに走り出してもらうがなと付け加えるテスカトリポカに、苦笑する。
「できるかな」
「一人でできないってのなら、手を貸してやる。今、みたいにな」
煙混じりの夜風。慣れ親しむことになった匂いに、ゆっくりと体の力が抜けていく。デイビットはあくびをした。眠気がゆっくりと戻ってくる。
「残念だ」
もうすぐ更新の時間がやってくる。テスカトリポカが覚えていてくれるとはいえ、必要最低限は己で残す。その中に神の慈悲、甘やかしを残すことができない。
「オマエが、望むのならばしてやるさ」
そんな気持ちを見抜いたのか、あっさりと神はいう。
「望めるかな」
残せないのに。忘れてしまうのに。
「……今宵の様に」
無自覚なねだりもこの神は掬い上げてくれるらしい。それに安堵する。もう立っていられず、フラフラと体が揺れる。
「こいつはサービスだ」
テスカトリポカがデイビットを抱き上げた。寝台へ運んでくれるのだろう。もたれかかり、目を閉じる。
「おやすみ、テスカトリポカ」
「あぁ、また明日な」
優しい声が身体中に響いた瞬間、デイビットの意識は暗転した。
パチリ、と目を覚ます。
昨日握りしめた五分を確認し、今日の予定をたてる。
「計画に支障はない」
まずは身支度からと体を起こした瞬間、フワリと微かな香りが漂う。が、五分に残せていなかったため、デイビットはそのことに気づくことはなかった。
眠れない。体内時計では、まだ夜が明けるまでに数時間あるはずなのに。そして、更新も。
いくら寝返りをうち、目をつぶろうとも逃げた睡魔は帰ってこない。
「眠れない」
ドクドクと心臓が動く音が、やけに大きく聞こえて、眠りを妨げる。普段は気にならない、呼吸音さえも耳をざわめかせる。
真っ暗な室内。
己が生み出す音以外は無な場所で、ゆっくりと大きく息を吸い込み吐き出す。深呼吸を繰り返せば、いつしか眠りにつく。どこかで知った知識を引っ張り出し、それを実行する。
吸って、吐いて。吸い込み、吐き出し。
それでも……。
「……眠れない」
体はだるく重い。休息を求めているのに、意識は落ちようとしない。しまいには目を閉じているのにも関わらず、チカチカとした極彩色が踊り始めた。目を擦っても消えないのでため息を吐き出す。どうやら、気持ちの問題のようだ。
いっそ体を動かすかと、寝台から降りる。靴には足を突っ込むだけにして、外へと向かう。
「風が……強いな」
一歩外に出るなり、水の匂いを含んだ風がデイビットを取り巻く。黙ってそれをうけつつ、深呼吸をしてみた。
それを境にあんなにうるさかった心音が静かになる。反射的に胸へと手を当てれば、鼓動がつたわってきて、チカチカとした何かも消えた。
「涼しい……」
夜風の心地よさにゆるく息を吐きながら、空を見上げる。何を思ったわけでもなく、ただ頭を傾けた。
「あ」
黒く塗りつぶされた空よりも前に、美しい金の流れるさまが視界に入り込んだ。その美しさに声が漏れる。数秒それに見とれてからゆっくりと瞬き一つ。揺れた気持ちを落ち着けるのにかけた時間はそれだけだ。
「テスカトリポカ」
金糸の持ち主である神が目の前に立っていた。影によってどんな顔をしているかはわからないが、視線が注がれているのを感じる。
「よう、デイビット。今日は早く休むとか言ってなかったか。昨日、休息が遅かったからとかいって」
沈黙を破ったのはテスカトリポカの方からだった。夜だからか、サングラスは取り払われており、宝石のような目がよく見えた。視線の強さも普段より感じ取れ、そっと不自然にならない程度にそらす。
「…………誰のせいだったろうな、昨晩は」
残した五分の記録には、テスカトリポカに捕まり、無駄話をさせられたというのが残っている。内容を残していないので、大した話はしていないのだろう。
「さて、誰だろうな」
飄々と取り合わない相手にため息をつく。ここで指摘したとしても、まともに取り合われないのは理解している。今はそんな気力もない。
「そういうお前こそどうしたんだ。今日の容量はもうないぞ」
暗に要件があるなら、明日にしてくれと告げてみる。
「ハッ」
小さな笑声ともに流れてくる煙。反射的にそれを吸い込むと、少し肩から力が抜けた気がした。
一歩テスカトリポカが近づいてくる。近くなった距離に、何故か後退してしまった。気まずくてさらに視線をそらす。
「デイビット」
テスカトリポカはそのことに対してはなにも言わず、かわりに手を伸ばしてきた。
「ひどい顔をしている」
「え」
頬を撫でる手のひらの温かさと、ポツリつぶやかれた内容に、デイビットは目を見開く。
まるで労るように優しく頬を撫で、輪郭をなぞりながら、頭の天辺へと移動させる。そのまま髪をすくように撫でられた。
何かが溢れ出しそうになり、手を振り払おうとしたが、体が動かない。
「音が」
「うん?」
「今日はやけに自分の音がうるさくて、色がグルグルして、眠れないんだ」
こらえきれなかったものがつたない言葉として、溢れ出した。テスカトリポカはなにもいわず、黙って首を傾げる。
探るような真っ直ぐの視線から逃れたくて、視線をあちこちに飛ばす。建物の色、黒い空、金の髪、灯る炎。
「また、いろが」
チカチカと踊りだす。鼓動がドクドクと走り出してうるさい。冷や汗が滲み始めた瞬間。
「余計なものを見るな、デイビット」
視界が真っ黒になる。急に、視界情報が遮断されたことへ息を呑む。
目元に触れるものはテスカトリポカの手で、それがデイビットの目を覆っていることに、数秒立ってから気づく。乱れた呼吸が落着いた瞬間を見計らい、神は告げる。
「感覚はすべて俺に集中しろ」
低く艶のある声が耳をくすぐり、うるさかった音が遠ざかる。フッと、鼻をくすぐるのは煙草と夜の匂い。
片手で目を塞がれるだけで、様々な感覚が鋭敏になる。 拾うものはテスカトリポカのことだけ。
「今日は何があった、考えろ」
クルクルリと踊っていた思考が、おちついていく。が、思考がなぜかまとまらない
「わかったか?」
問われても、わからないと首を振りつつ、一つ思い当たる可能性について、口に出してみた。
「いや、今日は情報過多だったせいか?」
フィールドワークや、メヒコシティでの出来事。これからの算段。様々なことを今日は記録し考えた。だが、これはほほ普段どおりと言ってもいいのに。なぜ、今日に限って。
「やれやれ」
ため息を吐く音と濃くなったタバコの匂い。音もなく離れていくテスカトリポカの手。
感触や温もりがなくなることが残念に思えて。反射的につかもうとした瞬間、勢いよく風がデイビットの全身を叩いた。ゴォッと、獣が吠えるような勢いの音が、耳を撫でる。
色が戻った視界には、きらめく金の髪が舞い踊り、鮮やかなブルーの眼が射すくめてくる。
神から視線が外せないままでいると、テスカトリポカは形の良い唇をゆがめて、言葉を紡ぐ。
「そもそも、今日は朝から顔色が悪かったくせに、神の忠告を無視して、色んな所に行っただろう。調子が悪い癖にアレコレと動いた反動が来たんだろうよ」
思わぬ指摘に目を瞬かせる。
「調子が悪いとは思わなかったんだが」
「なお、悪い」
軽く額を指弾されてのけぞる。ジワリとした痛みが、体の感覚を呼び起こし、ジワジワと体が重くなっていくのを感じた。
「それとなく様子を見ていたからな、オマエがなにをしていたかはオレが覚えてる。必要なことは、聞けば答えてやるから。今日はそれだけ記憶しろ。あとは夜風の音でも子守唄にしてとっと休め、デイビット」
脳に染み込んでくる声に抗うすべはなく、でも、いまはそれが心地よかった。指摘されたことによって、意識がようやく自覚をしたらしい。
「夜の風……ある意味オマエの声だな」
デイビットの呼び声に応えた神には『夜の風』という別名もある。ある意味、テスカトリポカが紡ぐ子守唄といってもいいだろう。
それをポロリとこぼせば、クシャリとデイビットの頭を撫でて笑う。
「そうだっていってんだろうよ」
また、夜の匂いを含む風がふきつける。
「戦士とて調子が悪い時があるさ。ずっと走り続けていれば、なおさらな」
だから、とテスカトリポカは穏やかな声で告げる。
「時々でいいなら休むことを許す」
ま、すぐに走り出してもらうがなと付け加えるテスカトリポカに、苦笑する。
「できるかな」
「一人でできないってのなら、手を貸してやる。今、みたいにな」
煙混じりの夜風。慣れ親しむことになった匂いに、ゆっくりと体の力が抜けていく。デイビットはあくびをした。眠気がゆっくりと戻ってくる。
「残念だ」
もうすぐ更新の時間がやってくる。テスカトリポカが覚えていてくれるとはいえ、必要最低限は己で残す。その中に神の慈悲、甘やかしを残すことができない。
「オマエが、望むのならばしてやるさ」
そんな気持ちを見抜いたのか、あっさりと神はいう。
「望めるかな」
残せないのに。忘れてしまうのに。
「……今宵の様に」
無自覚なねだりもこの神は掬い上げてくれるらしい。それに安堵する。もう立っていられず、フラフラと体が揺れる。
「こいつはサービスだ」
テスカトリポカがデイビットを抱き上げた。寝台へ運んでくれるのだろう。もたれかかり、目を閉じる。
「おやすみ、テスカトリポカ」
「あぁ、また明日な」
優しい声が身体中に響いた瞬間、デイビットの意識は暗転した。
パチリ、と目を覚ます。
昨日握りしめた五分を確認し、今日の予定をたてる。
「計画に支障はない」
まずは身支度からと体を起こした瞬間、フワリと微かな香りが漂う。が、五分に残せていなかったため、デイビットはそのことに気づくことはなかった。
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