秋~october~


「疲れた」
「お疲れさまです、坊ちゃん」

 ランチキ騒ぎといえど、上級生がほとんどのパーティーだ。あまり無碍にもできず、あっちへこっちへと挨拶に回り、由岐治は始まる前からへとへとになっていた。

「飲み物どうぞ」
「いらん」

 いつの間にか、サーバーからとってきたらしい――赤城がにゅっと由岐治にジュースを差し出した。由岐治は小声で断る。

「そうですか」
「おい、飲むな」

 くいと赤城がジュースを飲みだしたので、由岐治はあわてて小声で制す。

「うかつだろ」
「大丈夫。美味しいですよ」
「おまえ、鈍いからわかんないだろ」
「坊ちゃんの分も、取ってきてあげます」
「おい――」

 くるりと振り返った赤城と、後ろからやってきた人が派手にぶつかった。まだなみなみとつがれていたジュースが揺れ、相手にかかる。

「あっ」
「馬鹿! なにしてるんだ!」

 由岐治が声を上げる。ぶつかったのは相羽だった。ジャケットの左胸から腕にかけて、紫の染みが広がっていた。由岐治はさあっと血の気が引いた。

「申し訳ありません、先輩!」

 突風のように赤城の前に出て、由岐治は赤城の頭をつかみ、自分のそれと諸共下げた。

「誠に申し訳ありません」

 赤城も謝った。粛々としているのは、自分の手の下で彼女の頭がかしこまっている気配でわかった。
 一瞬間の沈黙。由岐治は先の喧噪が懐かしかった。

「はははっ」

 頭上から明るい笑い声が降ってきた。怪訝に思うまもなく、由岐治の肩に手が乗せられる。

「そう固くなるなよ、ジュースくらいで」
「えっ?」
「顔あげな、ふたりとも」

 ぽんぽんと促され顔を上げると、相羽が鷹揚に笑みを浮かべていた。
 二人と目が合うと、ぱちりと目配せをした。

「今日はパーティーなんだから。楽しもうぜ」

 そう言って、ばさりとジャケットを脱ぐと、肩におもむろに掛けて見せる。「おお」と誰かが息をのんだのがわかった。

「せ、先輩あの……」
「細かいことはいいっこなしだ。俺の顔をたてろよ」
「先輩、ありがとうございます」
「こら!」

 食い下がろうとする由岐治を制する相羽に、早々に赤城が礼を返す。ぎょっとして叱ると、相羽は「ははは」とまた、笑い声をあげる。

「赤城さんの方が肝が据わってるな」

 由岐治はその言葉に少し消沈する。相羽は、じっと赤城を見つめた。

「なんならバケツでもう一杯かけてもいいよ」

 周囲の人間が、どっと笑ったのと、赤城が頭を下げたのは同時だった。由岐治は魂が抜けたような心地ながら、もう一度頭を下げた。

「リョウ君!」

 甘い声が、甲高く飛んできたと思えば――まもなく追いつくように、その主が相羽の腕に飛び込んだ。

「エナ!」
「なにしてるの? ずっと待ってたのに」
「ごめんごめん」

 エナと呼ばれた少女は、すねた声で、相羽の腕にしがみついた。明るい色の巻き毛のボブがくるくると揺れる。こちらに背を向けているが、愛らしいドレスを身にまとっている。
 こいつ知ってる。そう由岐治は思った。同じ一年生だ。

 少女が振り返り、それは確信になった。愛らしい小動物のようなこの顔立ちと、由岐治は何度か廊下ですれ違った。彼女は、赤城に警戒のまなざしを向けていた。

「怒るなよ。碓井君、赤城さん、紹介するよ。今日のホストの矢絣の妹で、俺のパートナー」

 頭が痛くなるような甘い声でそう言うと、相羽は、彼女の怒らせた肩を抱き、「ほら」と促した。

矢絣江那やがすりえなです。リョウ君がお世話になってます」
「えらい」
「もう、すぐに馬鹿にするんだから」

 由岐治は、「はい」とうなずいた。うなずいてから「この場合は『こちらこそ』だっけ?」と考えた。むせかえるような空気に、頭が間抜けになっていた。

「初めまして、碓井由岐治です」
「赤城ひばなです」
「知ってる! あなたたちを知らない人いないもの」

 江那は、すねたように言うと、しがみついた相羽の腕から、由岐治と赤城をうかがった。何だこいつ、何で怒ってんだ? 由岐治は、うろんな目を笑みにすることで隠した。

「ごめんな。こいつ照れ屋なんだよ」
「仲がいいんですね」

 赤城の言葉に、江那は目を見開き、それからぱっと顔を輝かせた。

「そう見える?」
「はい」
「そうなの、仲良しなの」

 江那は、顔を真っ赤にしてうなずいた。相羽の腕から離れると、にこにこと赤城に近づいてきた。

「赤城さんて、いい人。怒ってごめんなさい」
「いえ」
「な。可愛いだろ」
「そうですね……」

 得意そうに相羽が言うのに、由岐治は脱力気味に答えた。早くこの場から立ち去りたい。由岐治の頭は、ジャケットへの粗相を一瞬忘却した。江那は、一生懸命赤城に何か話している。この女が照れ屋なのは確かなのだろう、由岐治は思った。人懐っこく離しているわりに、目線がずっと合っていない。

「じゃ、あとでな」
「またね」

 二人は互いの肩と腰に背を回し、ようようと去っていく。ついで通りがかりの椅子に、ジャケットをスマートにたたみかけていくのも忘れずに。
 由岐治は、それを見届けると、ゆっくりと踵を返した。トイレに行く装いで扉を抜けると、ずんずんと歩調を速める。

「坊ちゃん」
「この馬鹿!」

 人気がなくなったと見るや、由岐治は赤城に怒鳴りつけた。赤城は動じた様子はなかったが、ぺこりと頭を下げる。

「すみませんでした」
「謝ってすむか! 今回は、運が良かっただけだぞ。いや、わからない。先輩ににらまれたかもしれない」
「坊ちゃん」
「困るのはこの僕! 無責任なこと言うな! どうしてくれるんだ!」
「すみません」

 気持ちがげんなりと萎えていた。来たくもないパーティーに来て、不興を買って帰るだなんて、そんな馬鹿なことがあっていいものか。赤城に怒鳴りつけるものの、由岐治の気持ちは全く晴れなかった。もうどうしようもないとわかっているからだ。

「この愚図、能なし。お前のせいだ」
「大丈夫ですよ」
「は?」
「相羽先輩は許すと言ってくれました」

 あまりの言いように、ぽかんと口を開けた。
 この女。由岐治は、わなわなと身を震わせた。いつもこいつはこうだ、拳を振り上げたいのを耐えた。赤城は、ものごとを単純にしか考えず、由岐治に迷惑ばかりをかける。何故? 由岐治は心の中で何度も自問し――それから激しく脱力した。

「もういい。もう帰る」

 肩を落とすと、ふらふらと玄関に向かった。赤城は歩調を速めて、隣に並んだ。

「いいんですか」
「もうどうでもいい。僕は疲れた。どうせ評価も地に落ちたしな」

 そう言いながらも、由岐治の足取りは頼りないものだった。しかし、どうにもパーティー会場へ戻る気になれない。だから由岐治は斜めに歩いたり、歩調をゆるめたりしているのだが、由岐治としては、自分は疲れているからだと判断していた。

「坊ちゃん、やけにならないでください」
「うるさい。疲れた。とにかく疲れた。お前のせいで」

 赤城がのんびりとついてくるせいで、由岐治はもう玄関を出てきてしまった。門まで来ると、もう本当に帰るしかなくなってきた。
 待てよ。由岐治は思う。
 ここで帰っては、赤城を反省させられない、もう少し困らせなければ――という使命感が燃えた。なので、庭をうろつくことにした。

「坊ちゃん」
「うるさいな、お前止める気あるのか」
「止めてほしいんですか?」
「誰が! 帰るんだ僕は」
「そうですね」
「は?」
「帰りましょう」

 赤城が、あっさりと返すので、由岐治は瞠目し、それから躊躇しだした。

「そういうわけにいかないだろ」
「何故です?」
「だって、その、迷惑になるだろ」
「後で謝ればいいじゃないですか」
「そんなもんじゃないんだよ! この無責任!」
「なら戻りましょう」
「だからいやだって言ってるだろ!」

 由岐治は悲憤した。何故だ。何故、自分が困らされているのだ。赤城の穏やかに伏された目に、由岐治は振り上げるものがなくなっていくのを感じた。

「何で、僕が我慢するんだよ! 何でお前が、平然としてるんだよ! お前のせいでいやな目にあってるのに!」

 叫ぶと、由岐治はうつむいた。そうだ、自分は赤城のせいで傷ついているのだ。なのに何故、赤城はいっこうにそれを理解しないのか。この女はいつもそうだ。由岐治は悲しい怒りのままに、歩調を強めた。
 ところで記述が遅れたが、由岐治と赤城は、先のやりとりを、庭を練り歩きながらしていた。なので当然見えてくる景色も変わっていく。
 だから、ある意味必然だったのだ。
 迷路のように曲がりくねった樹の迷路を過ぎ、開けたところに出たとき――相羽と江那がキスしているのを見たのは。
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