秋~october~


「なんだこれ」

 食事を終え、優雅な一人部屋に戻ると、テーブルの上にのせられたものに、由岐治は目を丸くした。青みの残った三角の柿が、籠にたっぷり積まれている。主のうろんな目に、赤城は鷹揚に返した。

「柿です」
「見りゃわかるそんなの。どこでどうしたかって聞いてるんだ」
「梅園さんにいただきました」
「捨てておけ」

 吐き捨てると、由岐治はソファに座りこんだ。赤城は、てくてくと近づくと、ほどいたネクタイを受け取る。由岐治は組んだ足をいらいらと上下させた。

「もったいないですよ」
「なら受け取るな」
「美味しそうでしょう」
「うるさい! そもそも渋柿だろ! どう食えってんだ!」

 赤城が柿を指すので、由岐治は叫んだ。余りに声が大きかったので、しんとした室内に反響した。由岐治は、いささか決まり悪そうに指先をかむ。

「あのジジイ、何でも押しつけやがって。こっちはボランティアじゃないんだぞ」
「木になってるものですから、安全ですよ」
「人からもらったものなんて、信用できるか」

 息をつくと、ぶつぶつと呪いの言葉を吐き出している由岐治に、赤城は首をわずかに傾けると、ソファの隣にとんと腰掛けた。

「おい。誰が座っていいって言った」
「坊ちゃん」
「聞け。いいか、床に座れ」
「どうなすったんです」

 両手を自身の膝の上にのせ、赤城は由岐治の顔を見つめた。常に伏し目である彼女の目つきには、由岐治の顔は映らない。しかしそれが、人への気後れや無礼からくるものではないということは、彼女の目が伏せられながらもまっすぐ人を見ていることからわかった。
 この目だ、と赤城の目を見て人は言う。この目に見られると、人は何故かふわふわとして、開け放たれた心地になるのだ。
 それは彼女の主である由岐治も例外ではない。しかしながら、彼には強みがあった。彼女への慣れと、恐ろしき利かん気である。

「別に」

 由岐治は心の扉をわずかに開け、そしてそっぽを向いた。すなわちわずかに甘い声で、顔をそらしたのである。

「そうですか」
「聞けよ!」

 由岐治はぐるんと振り返った。足を組んだまま返ったので、バランスを崩して赤城の方へ倒れ込む。赤城は由岐治の腕をつかんで、体を支えた。

「おっと」
「うわっ、離せ! バカ!」
「ありがとう、でしょう」

 由岐治の体を定位置に戻してあげながら、赤城はのんびりと返す。由岐治は膝を抱えようとして、まだ制服であることに気づきやめた。

「なんです、坊ちゃん」
「なんでもないって言ってるだろ!」
「そうですか」
「だから聞けっていってんだろ!」

 らちのあかない押し問答に、息が切れるのは主の由岐治ばかりであった。赤城は平素のまま、由岐治の背をさする。由岐治も疲れたのか、したいままにさせている。

「坊ちゃん、お茶飲みますか」
「なんだよお前……」

 否定のないのは、肯定の意だ。赤城は立ち上がると、お茶の準備をしだした。由岐治はソファで膝をかかえて座っていた。

 ◇◇

「犬みたいな奴は、生きている価値がないと思う」

 お茶を飲みながら、ふいに由岐治が怒りだした。開いた扉の隙間から、なにか引きずりだしてもいい気がすると思ったのだろう。演説の体で語り出した言葉に、赤城は静かに耳を傾けた。

 ――つまりな、人間に生まれたくせに、人にへつらって顔色ばっかりうかがっているやつのことだ。あいつらはいったい何をしてるんだ? すすめられた菓子をひっきりなしに食べてさ。あんなことをして喜ぶ奴なんて自分を人間扱いしていない証なのに、友達になれたとか好かれてるだとかなんだか言って、自分を切り売りすることを楽しんでやがるんだ。
 もっと最悪なのは、自分でやっておいて、自分は「犬にされた」と恨みに思う奴だ。なんだってそんなに自分優先でものを考えられるんだ。本当に吐き気がする。――

「結局あいつらは自分がかわいいだけの偽善者だ。皆死んじまえばいい」
「そうですか」
「返事するな。お前に話してない」

 今日は――いや今日はいつにもまして饒舌だった。よっぽど疲れているな、と赤城ははやくに茶を引き上げることを考えた。由岐治は、カップを干すと、ソーサーの上に置き、息をついた。
 由岐治が情緒乱れているのはそう珍しいことではない。ただ常と違って、ずうんと重い何かを感じる。赤城の観察をよそに、由岐治はふうと息をつく。

「言われる前に、つげよ。気が利かないな」
「はい」
「それでその飼い主だ。そいつだって――」

 由岐治の演説は、赤城の寮の点呼まで続いた。

 ◇◇

「ひばなちゃん。干し柿かい」
「はい」

 赤城が一階からベランダを見上げていると、向こうの庭から、汗をふきふき梅園がやってきた。涼しくなったとはいえ、肉体労働にならした体は代謝がいい。ちなみに、ひばなとは赤城の名前である。
 赤城の頭上には、大量の干し柿がつるされていた。

「たくさん干したなあ。場所、よくとれたもんだ」
「できたらお渡しする約束をしたんです」
「そりゃいいね。本当に、美味しいと思うから、楽しみにしておいでよ」
「はい。あなたにも持ってきますよ」
「ありがとうね。いやあ、大事にしてもらうと、嬉しいね」

 梅園は、顔を真っ赤にして笑った。赤城はその顔をまっすぐ見つめると、「梅園さん」と問いかけた。

「ものをあげると嬉しいですか」
「うん? そうだねえ」

 梅園は、幼さを懐かしむような、ちょっとまばゆい目をしていた。首にかけていたタオルで額をふくと、「うん」と言葉を探した。

「俺は好きだな。だって、ものをあげるのは気持ちだから。だから、もらうのも嬉しい」
「そうですか」
「ひばなちゃんもそうだろ? だからこうして干し柿にしてくれたんだ」

 梅園はつるされたオレンジ色の果物が揺れるのを、愛しげに見つめた。

「ものあげると、無碍にされることもあるよ。ひばなちゃんの時には、まだつらいかもなあ。でも、たくさん生きてると、それでもいいかと思えるようになる」

 梅園は、ぽんと赤城の肩をたたいた。赤城は「はい」とうなずいた。梅園も「うん」と励ますようにうなずいた。

「ひばなちゃん、いくつだっけ」
「十四です」
「そうか。それで坊ちゃんにお仕えするのは、大変なときもあるよなあ」

 干し柿が揺れる。赤城は梅園の顔を見あげる。梅園は、干し柿を見上げていた。意識的に、そうしていた。

「うん、大人から見ると、大丈夫だと思うけど。まあ、疲れたら休みなさい」

 ははは……梅園が大きな照れ笑いをするのを、赤城はじっと見ていた。
 風が、ゆったりと吹き抜けていった。
 チャイムが鳴る。赤城は校舎の中へ向かった。今どっぷり暗いところにいる、彼女の主のもとへ。

 小さな――しかし確かに大きな事件が起こったのは、週末だった。

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