秋~october~


「おかわり!」

 由岐治が、大きな声をあげた。キッチンで鍋の様子を見ていた赤城は振り返る。

「はやくしろ!」

 目が合うと、彼女の主は急かすように、茶碗をにゅっと差し出してきた。普段、おごそかに食事をとっている主だが、こういうときに、かつての習慣が出てきてしまうらしい。
 よいことだ。
 主の精神が小康状態に落ち着いたのを感じ、赤城はてくてくと茶碗を取りに向かった。

「遅い。さっさと来いよな」
「はい」
「ただでさえ、このところ不愉快なんだ。気分よく食事くらいさせろ」

 そう言う主の顔に、かげりは少ない。どこか、うきうきとした気風さえ感じる。
 よいことだ。赤城は繰り返す。
 浮き沈みの激しい主の情緒だが、ここ最近はずっとざわめいていた。今日は、それが凪いでいる、というより心の芯が、あまりぐらつかないようだ。主自身もそれが心地いいらしい。赤城を叱る声もはきはきと威勢よく、また、食欲も旺盛だった。それには、主自身の波もあるだろうが、外的なものもあるだろう。
 あれから――主が心配するほど、主の学園での評判は悪くならなかった。客観的な生徒の目には、主の言動は厳しくも正当であると判断されたのだろう。そのことは、主の心をいくばくか落ち着ける効果があった。

 それから――赤城は茶碗を手に、棚の引き出しに目をやった。そこに仕舞われたものの中で一番、新しいもの――この間届いたものだ――それの封は、いつも通り、慎重に閉じ直されていた。一度開き、中のものを改めた痕跡を、隠すように。

「おい、ぼさっとするな! 早くしろっての!」
「はい」

 主の二度目の叱責が飛ぶ。赤城は視線を戻し、炊飯器へと向かった。ふたを開けると、蒸気がふわりと立つ。甘い香りが、鼻をくすぐった。今日のご飯は、栗ご飯だった。金色の大ぶりの栗がたっぷり入った飯を、茶碗にたんとよそう。主は、赤城の一挙一動から、それがいつ自分のものになるか、はかっているらしい。背中越しにも、うずうずしているのがわかった。

「お好きですね、栗ご飯」
「別に。季節のものは食べておきたいだけだ」

 赤城の言葉に主は、つんと顔をそらす。しかし茶碗を受け取ると、さっそく箸を動かし、食べ始めた。赤城は主の対面に座ると、せっせとご飯をはむ主の様子を眺める。主は、それにうろんな表情を浮かべた。

「おい、誰が座っていいって言った」
「坊ちゃん」
「何だ」
「栗、美味しいですか?」

 赤城の問いに、「は?」と主は、頓狂な声を上げた。そして、大きく顔をしかめる。

「あげたものを、いちいち聞くなよ。いやらしいな」
「いちおう言質をとっておこうかと」
「はあ? お前、まさか僕を脅すつもりか?」
「いえ」

 赤城は、ふと薄く目を伏せた。その表情は、いつも通り動いていない。けれども、微笑しているように見える。彼女の主は、「なんだよ」となおのこと不可解な顔をする。

「とにかく立てよ。使用人が、主と一緒のテーブルにつくなんておこがましいぞ」
「はい」

 赤城は立ち上がると、主は「ふん」と鼻を鳴らし、不満をぶつぶつと呟きだした。

「本当に、お前は僕を軽んじてるな。言っておくけど、お前にとって、僕ほど上等な主はいないんだからな」
「はい」
「わかってないだろ、この能面女」

 赤城は話もそこそこに、鍋へと向かう。具だくさんの豚汁が、くつくつ音を立てていた。残ったらもらって帰ろう。出汁が煮詰まらないように、赤城は火を切った。

「――だいたい、品数が少ないんだよ。なんだよ二品ふたしなって」
「干し柿もありますよ」
「いらない! 今、僕はおかずの話をしてるんだよ! だいたい、素人の作ったものなんて信用できるか」
「美味しかったですよ」
「うるさい! ていうかお前、さっき火切ってなかったのか? 僕の部屋で、火事起こしたらただじゃ置かないからな!」
「すみません」
「話の途中でどこか行くし、減らず口は叩くし、本当にお前は、僕の使用人としての自覚が足りないようだな――おかわり!」
「はい」

 赤城は、ゆったりと主のもとへ向かう。主から茶碗を受け取ると、二杯目のおかわりをよそいに向かった。進みがいい。やはり、なじんだ味というものは、なにものにも代え難いものがあるのだろう。

「はやくしろ!」
「はい」
「このバカ使用人!」

 主の元気な声を背に、赤城は、茶碗に栗ご飯をてんとよそったのだった。


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