秋~october~


 沈黙が落ちる。
 氷にひびが入るような、何かを堪えるような沈黙だった。

「後悔してるの」

 理紗は呟いた。芯が凍えたように、寂しい声だった。

「あの子が苦しむ姿を見て、われに返った。私は、なんてことをしたんだろうって」

 理紗の伏せた目から、涙が落ちる。下を向いているので、頬に伝わずに地面に落ちた。

「江那さんは、ピスタチオのアレルギーはないんでしょう」
「わからない。でも、同じことよ。私は止めなかったんだもの」

 赤城の言葉に、理紗は首を振る。赤城の言葉は慰めではなく、確認だった。だから、それ以上は言わなかった。

「私は、あの時、あの子を見捨てたんだわ」

 理紗は、唇を歪めた。それは、微笑の努力だった。赤城はただ、理紗の姿をその目に映しだしていた。

「いいえ。最初から、陥れる気だったのかも」

 理紗は、額に手をやって、首を振った。すがるように赤城を見つめる。

「だって、そもそも、おかしかった。どうして私は、ケーキを持って行ったの? ゲームが始まるのに」

 理紗は矢継ぎ早に、言葉を吐き出した。ずっと堪えていたものが、あふれ出したようだった。

「それに、いつもの私なら、なにがあったって、止めたはずなのよ! 『これは食べては駄目』って、江那が隣に来た時点で言うはずだわ。だってそうでしょう。江那と私はいつも、一緒に誕生日をしてきたんだもの! 何気なく、江那がプレートを食べたっておかしくないのに!」

 赤城は沈黙し、ひたすらにそれを受け止めていた。理紗の心の激流が、流れ去るまで。

「わからない。あの子を、私が裏切ったんだわ。なのに、なのに」

 理紗は、顔を両手で覆った。

「江那、私を責めなかった。目が覚めるなり、私に『ごめんなさい、せっかくのパーティだったのに』って言ったの……」

 悲痛な泣き声が、理紗の喉から漏れた。赤城は静かに、ただ静かに彼女の言葉を受け入れていた。そして、うんとしばらくしてから、口を開いた。

「理紗さん」

 静かで――あたたかな声だった。理紗は思わず、顔を上げた。赤城の目は、秋の光を受け、理紗を照らし出すように輝いていた。

「自分の心を、あとから勘ぐってはなりませんよ」

 理紗は、赤城の言葉をはかりかねた。怪訝そうに、眉を下げる。赤城は、穏やかに続ける。

「あなたは、さっき『悲しくて、ずっとぼうっとしていた』と。江那さんを止められなかった理由を、そう言っていましたよ」
「――いいえ、きっとそれは保身で……!」
「確かに、あなたの気持ちは私にはわかりません」

 理紗は、赤城の言葉に痛みを覚え、とっさに顔を歪めた。しかし、赤城から目を離せないでいた。涙に濡れた目で、赤城を見つめた。赤城はいっさい動じなかった。だから、理紗をその瞳に違いなく映し出していた。

「私はあなたではありませんから」
「はい」
「ですから、私の感じたとおり話します」

 西日が射し込み、赤城の目に光が宿る。色素の明るい瞳は、すすき色の髪に似て、黄金のように輝いて見えた。その不思議な瞳を理紗は見つめる。

「パーティの時、あなたはずっと、江那さんを大切になさっていましたよ」

 理紗が息をのむ。赤城の表情は変わらない。だが、理紗には彼女が微笑しているように見えたのだ。

「あなたはあの時、江那さんを止められなかったのでしょう」
「赤城さん、」
「そのことを、省みるのはよいでしょう。ですが、痛みや後悔で、自分の心を歪めてはなりませんよ」

 理紗は息を吸い、それから、行き場がないように留める。しばらくして、肩をふるわせ吐き出すと、目を閉じた。痛みからではない、あふれた感情を閉じこめるような動きだった。理紗は、息をついで、口を開いた。

「ずっと、苦しかったの」

 理紗は、途切れ途切れに、言葉を紡ぐ。息つぎのように、言葉をついだ。

「自分のあやまちも、汚い気持ちも見るのが怖くて」

 涙のあふれる目元を、指先で押さえた。

「でも、それでも――私はずっと私なのね」

 そう言って、彼女は苦しげに、けれどはっきりとそう言った。背筋を伸ばすと、ハンカチで涙をおさえた。
 赤城は、理紗を見つめ「はい」と頷いた。いつの間にか、彼女の目はいつも通り伏せられていた。理紗は不思議になる。そういえば、彼女はいつ目を閉じたのだろう? すると先まで見ていたのは、幻だったかに思えた。

「理紗さん」

 赤城が不思議そうに、理紗を呼ぶ。理紗は、はっとなり、赤城を見返した。今度こそ、夢から覚めたように。

「私、あの時の気持ちに、全て名前はつけないわ。ただ、覚えていることにする――向こうが私を呼んでくれるまで」
「はい」

 窓枠が、またカタカタ揺れる。先より、小気味よく響いた。理紗と赤城は、窓を眺めた。赤城のその全く変わらない様子に、理紗はかすかに微笑した。

「あなたは不思議ね」
「そうですか」
「私、ずっとこんがらがっていたの。なのに、今は自分の気持ちを、ここに抱えてる」

 理紗はそっと胸の前で手を広げ、何かを包む仕草をした。

「江那に謝るわ」

 理紗は、はっきりと言った。

「はい」

 赤城は答える。
 理紗は、窓越しに、空を見上げる。秋の空は淡く、穏やかに朱が混じりだしている。理紗の肌や髪に、朱の陰がさした。

「赤城さん」
「はい」
「ありがとう」

 理紗は、赤城を見て、微笑んだ。

「私の罪を見つけてくれて」

 赤城は理紗を見つめ返す。

「私、きっとこれを待っていたの」

 風が吹く。カタカタと窓枠を揺らしている。理紗の瞳に、西日が点る。

「勝手ね。でも、私が打ち明ける前に、誰かにあばいてほしかった」

 理紗は、目を、やわらかに――せつなげに細めた。

「だってこれは、私の心なんだもの」

 そう言って、理紗は去っていった。赤城は静かに、その背を見送る。
 それは、十月。秋の風に、冷たさが混じり始める頃のことだった――。

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