秋~october~


 今年の四月――江那は中等部にあがり、理紗と寮で同室になった。

「理紗、いつものじゃないのか?」

 テラスで、ケーキを食べる理紗に、滝口が声をかけた。理紗はピスタチオではなく、フルーツのケーキを食べていた。向かいには相羽がいて、紅茶を飲んでいる。

「ええ」
「珍しいな」
「一生分、食べちゃったんだよな」
「そうなんです」

 相羽が、滝口を見ながら、理紗に言った。理紗も、滝口にそう返した。
 理紗は、江那が中等部に入ったのを契機に、すっぱりとピスタチオを断ったのだった。

「お姉さま、ケーキ食べてらっしゃるの?」

 向こうから、江那が歩いてきた。目線は理紗のまま、滝口と相羽に小さく礼をすると、こそこそと理紗のそばに寄る。

「いいな。私も食べたい」
「だったら週末、食べに行きましょう。安心なお店を知ってるから」
「もう。今、食べたいの!」

 江那が、甘えた声で抗議した。理紗は、「ごめんね」と微笑する。フォークを置いて、江那をなだめる。ふいに相羽が、笑い声をあげた。

「妹さんは、甘えん坊だな」
「相羽先輩」
「こんにちは。エナさん」

 江那は、理紗だけに放しているつもりだったらしい。突然入ってきた声に、顔を真っ赤にして俯いた。

「江那。紹介するわね。こちら、相羽亮丞さん」
「リサの先輩で恋人のな。リサから聞いてる?」

 江那は相羽の言葉に、目を見開いた。理紗の肩にぎゅっとしがみつくと、悔しそうに、相羽を睨んだ。相羽は笑みを浮かべたまま、鷹揚に言葉を続ける。

「俺はリサから聞いてるぜ。君がすごく可愛いって」
「先輩!」
「照れるなよ。本当のことだろ?」

 理紗が、頬を赤らめるのに、相羽は大笑した。滝口も理紗をやさしい目で見つめる。

「お姉さま、ほんと?」

 江那は、か細い、甘い声で問い返した。目はきらきらと、うかがうように姉を見つめていた。理紗は、はにかむと、頷いた。

「本当よ。先輩ったら……内緒だと思って、たくさん話したんですよ」
「うれしい」

 江那は、顔を真っ赤にして、理紗にくっついた。理紗もまた、妹の腕に手を添えた。相羽は、ほほえましげに、二人を――江那を見ていた。
 江那は、それから相羽に気を許したようだった。目線を合わせないながら、にこにこと、主に姉の話――姉から聞いた自分の話を知りたがった。
 理紗は、そんな二人に、ほんの少し嫉妬しないでもなかったが、相羽が自分の妹に好意的なことが嬉しかった。

「それから、少しした頃だった。相羽先輩に、別れを切り出されたのは」

 江那の瞳が、相羽のそれと合うようになっていって――相羽に、からかわれては、すねたり笑ったりするようになった頃のことだった。

「エナのことが好きになった。エナにも、リサにも、うそはつきたくない。別れてほしい」

 青天の霹靂、とは言い難かった。相羽の気持ちが、江那にむき出したことはわかっていた。理紗はそれくらいには、相羽のことを見ていたし、知っていたつもりだった。

「そうですか」
「本当にごめん」

 相羽は、真摯に理紗に謝った。いかに江那のことが本気か、姉である理紗を安心させるかのように、一生懸命語った。理紗はそれを悲しい気持ちで聞いた。同時に、それが嬉しくもあった。頼りにされているのが、わかったから。

「わかりました。お友達に戻りましょう」
「ありがとう」

 理紗は悲しい微笑を浮かべ、別れを承諾した。相羽はあたたかに笑い、礼を述べた。

「ただ、先輩。あの子、アレルギーがあるんです。ですから……」
「ああ」

 理紗の言葉に、相羽はジャケットのポケットに手を突っ込み、それを取り出して見せた。

「ピーナッツバーはやめた。江那に本気だから」
「そうですか」

 理紗は、目を伏せた。本当は、知っていた。江那と接近しだしてから、相羽がチョコレートバーに変えたことは。知った時はただ、その思いやりが純粋に嬉しかった。けれど、この時は、ひたすらに切なかった。

「頑張ってください」
「ああ、ありがとう」

 そう言って、二人は別れたのだった。
 江那は、相羽のアプローチに戸惑っていた。けれど、理紗は知っていた。江那もまた、相羽を憎からず思っていたことは。
 江那は、理紗との気持ちで板挟みになり、ふさぎこむことが多くなった。理紗は、ずっと浮かない顔をしている江那を見ると、かわいそうになった。

「江那、相羽先輩のことなんだけど」
「お姉さま、わ、私、あの人のこときらい! だから……」
「本当にきらいなの?」

 江那は黙り込んだ。たてた膝に顔を埋める。理紗は、江那の背をさすってやる。

「お姉さまは、一番うれしいことがあるのよ。何かわかる?」
「なに?」
「江那が幸せでいることよ」

 嘘はなかった。胸がどれほど痛くても、江那の不幸を望んだことはない。理紗は自分を鼓舞し、江那を励ました。

「お姉さま、ごめんなさい」

 江那が泣き出したのを、そっと抱きしめる。江那は、しゃくりあげながら、言葉をつむいだ。理紗は、江那の言葉を辛抱強く聞いた。

「謝らなくていいのよ」
「先輩、私の為に、ピーナッツバーやめてくれたの」
「うん」
「それで、私、止められなくなっちゃったの。私の為に、そんなことしてくれた人、初めてだったから」

 その言葉に、思わず理紗は目を見開いた。息を止め、江那を励ますことを一瞬、忘れた。理紗は、自分でも、自分のその反応がわからなかった。その時の気持ちは、怒りでも、悲しみでもない――ただ衝撃となり、理紗の心に穴をあけた。
 理紗は、江那に心から寄り添いながら、その心がしぼみ、倒れていくのをどこかで感じていた。

 ――はじめて。はじめて……。

「ショックだった。私も、相羽先輩のしているように、ずっとしてきたつもりだったから」

 自分にとって、当たり前のことが、江那にとって自分の恋人だった人を好きになる、決め手になりえたのだ。理紗は、江那がわからなくなった。正しくは――江那の中にいる、自分という存在がわからなくなったのだった。
 それから、答えのない問いが、ずっと理紗の心でこだまするようになった。
 ――私は、江那のなんなんだろう?

 やがて、江那は相羽とつきあい始めた。二人はそろって理紗にお礼を言いに来てくれた。

「おめでとう、ふたりとも」
「ありがとう、お姉さま」
「お前は最高の友達だよ、リサ」

 理紗は、祝福しながらも、足下から崩れ落ちそうだった。不安で、悲しくて、しかたなかった。
 くしくも、今年は誕生日に両親の予定があかず、家族で過ごせなくなったと聞いていた。江那は、相羽とふたりで誕生日を祝うらしい。理紗は、一人だった。
 二人は、二人の恋のキューピッドである理紗を信頼し、友人として関係は続いた。望んだはずのそれが、苦しくて仕方なく、そんな自分にも嫌悪していた。

「そんな時だったの。友人たちが、私の誕生日パーティーを開こうと言ってくれたのは」
 

26/30ページ
スキ