秋~october~


 滝口は、吠えるように言葉を吐きだした。

「全部、お前が招いたことだろ! 被害者ぶって、ヒロイックに叫ぶんじゃねえよ!」

 声音に満ちた感情は、怒りと言うには、生やさしい。憎悪――まさしくそんな色をしていた。その恐ろしい響きに、皆、息をのんだ。しんと静まりかえる。滝口は、言葉を続けた。周囲など、もう見えていないようだった。

「理紗がありながら、理紗の妹に惚れて、あっさり乗り換えて! 『リサの友達までやめたつもりはない』って、理紗の前で平然とべたべたして……! ちょっとでも、理紗の気持ち、考えたことあんのかよ!?」
「リサは――」
「『リサはそんな奴じゃない』って? はは、こんなことになっても、またお決まりの言葉かよ。お前、どんだけ自分に甘いんだよ!」

 すさまじい侮蔑の声だった。聞いている方も、「こんな声が出せるのか」と、呆然とするような――そんな嫌悪が滲んでいた。向けられている対象なら尚のことだろう、相羽はひたすら困惑していた。

「本当に、お前は見苦しいやつだな! 人の気持ちなんて、何も考えない……お前にとって、他人なんて、自分が気持ちよくなるための、都合のいい装置なんだろ! いい加減、うんざりなんだよ!」
「違う!」
「何が違う!? 少しでも人のこと思ってれば、人の痛みがわかれば、お前みたいに振る舞わないはずなんだ! お前が好きなのは自分だけだろ! だから、ピーナッツバーをやめたくらいで、とくとくとアプローチできるんだ!」

 滝口の言葉は、一言一言、刺すような響きを持っていた。相羽は、ひたすらにそれを受けていた。表情は、痛みと困惑に満ちている。滝口の怒りは、いっこうにおさまる気配がなかった。彼らの友人も、あまりの迫力に、ただ呆然と成り行きを見守るしかなかった。

「理紗は、あれだけ好きだったピスタチオを、誰のせいにもせずに、すぐやめたのに! お前は、未練がましくチョコレートバーなんてかじって……お前の気持ちなんてその程度だ!」
「違う! 俺は本気でエナを――」
「なら、お前の本気は、そもそも軽いんだな! 情けない……だから、今回みたいなことを引き起こしたんだよ!」

 相羽は、「え、」と言葉を止めた。滝口は止まらず、かぶせるように言葉をはきつける。

「お前がチョコレートバーをやめてさえいれば、今回のことはなかったんだ!」

 滝口は、チョコレートバーを、相羽の顔に投げつけた。不意をつかれた相羽の顔に、チョコレートバーが当たる。あまりのことに、滝口の友人のひとりが、滝口に声をかける。

「た、滝口。その辺に」
「おまえたちだって、言ってただろ!? これは、こいつのためにも必要なんだ! こいつは人を傷つけて、何とも思わないやつなんだから!」
「滝口」
「何度、俺たちが忠告したと思う? なのにこいつは『俺とエナとリサ、三人の間のことだ』の一点張りで……!」

 明らかに及び腰だった彼は、滝口の言葉に、はっとする。その時の痛みを思い出したかのように、引き下がった。そして相羽から目をそらす。

「知ってるか? 今回の誕生日パーティーはな、そもそも理紗がお前と江那ちゃんを忘れるためのものだったんだよ!」
「え……」
 
 相羽が息をのんだ。滝口はそれを鼻で笑う。

「ささやかに親しい身内だけで、祝う予定だったんだ! 理紗の好きなピスタチオとフランボワーズのケーキでな」
「滝口先輩……」

 このとき、滝口の声音に深い悲しみが混じった。理紗の友人たちはそれを聞いて、滝口の気持ちを察し、また自分たちのそれと重ねたように、涙を浮かべる。そして、互いを庇うようにして泣き出した。

「なのに、お前がぶち壊しにした! あえて誘われなかったことも気づかずに、江那ちゃん連れて入り込んできて、こんな大所帯のパーティーにした! おかげで理紗はずっと準備にかかりきりで、大嫌いなお前たちのことを、考え続けなきゃいけなくなったんだ!」

 沈黙。滝口の叫びの余韻と、理紗の友人たちのすすり泣きだけが、あたりに響いていた。

「それは……でも、何でエナを! 俺にムカついたなら……」
「まだそんなこと言うのか! 江那ちゃんのアナフィラキシーショックは、お前のせいだろ!」
「なっ……」
「キスなんかするからだ! だからショックを起こした! ちょっと人間としての気遣いがあれば、理紗の目の前でそんなことしないんだよ! わかるか? お前が全部招いたんだよ! 被害者面しやがって――いま本当に泣きたいのが、誰かわかってるのか!?」

 滝口の叫びは、聞くものがはっとするような悲しみ、怒りがこもっていた。周囲の者たちの胸まで、しめつけられるような響きで――皆、無意識に滝口に共感の目を向け始めた。
 
「それに今回のことがなくても、いずれ江那ちゃん――あの女を殺してたさ! 今回のことはいい薬だよ! お前にも、あの女にもな!」
「タキ!」

 そこで、相羽ははじかれるように立ち上がった。そして、滝口の胸ぐらをつかむ。

「それだけは許さない! エナを苦しめて、悪く言うのだけは……!」
「苦しめたのはお前だろ!? それに、何か間違ったことを言ったか?」
「タキ!」
「やめろ!」

 相羽が拳を振り上げたのを、友人たちが、懸命に抑えた。相羽は悔しげに、「離せ!」と叫んだ。

「何で止めるんだ! タキは、エナを、エナを傷つけたんだぞ……!」
「わかってる! でも……」
「離してくれよ……! 何でだよ!」

 数人がかりで抑えられ、相羽は悲痛の声をあげた。滝口は、そんな相羽を冷笑した。

「それが、お前のしたことの結果だよ。お前の言葉なんて、誰も聞かないさ。だってそうだろ? お前が俺たちの言葉を聞かなかったんだから!」

 相羽は「何でだよ!」とずっと叫んでいた。滝口は、侮蔑と嘲笑でもってそれを見ると、床に落ちたピーナッツバーを踏みつける。

「こんなふうに、人を踏みつけにしてきたツケだよ。お前も、あの女もな。つくづくお似合いのカップルだよ」
「やめろ!」
「だってそうだろ!? あれだけ大切に思ってくれる姉から、恋人を略奪するんだからな! とんでもない腐りようだよ。姉を踏みつけにして、目の前であんなことするからだ! 自業自得だ!」
「やめてくれ! それ以上エナを悪く言うな! 俺が――俺が悪いんだろ!?」
「今度は居直りかよ。どんだけ自分がかわいいんだよ? ちゃんと反省もできなくてさ――お前、本当に人間として終わってるよ!」
「違う、やめてくれ!」
「確かにすり替えたのは俺だ――でも、やったのはお前だ! お前のせいだ! あの女のせいだ! 今回のことを、引き起こしたのは、お前たちの腐った心だ! お前たちが、自分で自分の首を絞めたんだよ!」

 相羽は叫んだ。言葉としては形をなさない――しかし、絶望と、悲憤の叫びだった。がくりと膝をくずおれさせる。彼から、友人たちの拘束がとかれた。

「これにこりたら、少しは人の気持ちを考えろ」

 それを最後に、滝口は沈黙した。細い――細い息を吐く。悲しく、疲れた表情だった。友人たちは、相羽と滝口、二人の間でさ迷い、滝口の方へ向かった。滝口の肩を、気まずげにたたく。

「たしかに、今回のことは、滝口がいけなかったよ」
「でも、相羽先輩……あなたも省みてください。少しでも……」

 滝口と相羽の友人、そして理紗の友人――彼らは、沈痛な面もちで相羽に言った。誰も、こんなことは言いたくない、こんな現実は求めていない。そんな表情だった。

「理紗は、本当につらかったんです」
「もちろん滝口先輩が、理紗を悲しませたことも許せません。けど……」
「わかってる。俺は許されないことをした」
「先輩……」

 滝口の痛みをともなった言葉に、皆、悲しげにうつむいた。そして、痛ましい静寂がやってくる。どうしてこんなことになったんだろう。そう言いたいのが、目に見えていた。
 周囲も、どうしていいかわからないようだった。確かに、滝口が悪いことをした。けれど、相羽もまた、理紗にひどいことをしたのだ。江那とともに――なら、この事件は誰が悪いんだろう? 皆、すっかり滝口に心を寄せてしまっていた。決死の絶叫が、人間味として、皆の心を掴んだのだ。
 すっきりしない、やりきれない気持ちが、あたりに渦巻いていた。
 相羽の慟哭はむなしく響いていた。滝口たちは、彼に背を向けた。

「ふざけんなよ」

 その時だった。甘さの残る澄んだ声が、むなしい静寂を裂いた。

 由岐治が相羽の隣に立ち、滝口たちを睨みつけていた。赤城がその反対側で、相羽の隣にひざまずいた。そして相羽の背に、そっと手を添える。
 由岐治は拳を白くなるほど握りしめていた。怒りでとがった声の切っ先を、容赦なく突きつける。

「ふざけんなよ! この偽善者!」
 

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