一章


 それは六月の終わりの頃のことだった。太田達は、少ない材料で多くの大道具を作れるように考えながら、材料集めに奔走していた。段ボールやベニヤ板をもらってきた。学校で譲ってもらえるものがあれば頼みに行っていた。しかし、材料がほしいのは太田達だけではない。同じく材料を求めている他のクラスと分け合うので、数が思うようにそろわなかった。
 そんな中、太田は去年の六年二組が劇をしたことを思いだした。去年作った大道具が残っていないか、残っているならもらえないか、考えたのだ。そのあたりについてはあたった。当時の六年二組の担任だった森は、嫌みで怒りっぽい教師として知られていた。皆それには構えたが、太田が頼みにいくことにした。

「だめよ」
「お願いします。どうしてもほしいんです」
「だめったら、だめ! 足りないくらい、自分たちで考えてやりなさい! 六年生なんだから。時間を無駄遣いしない!」

 しかし、森の答えはNOだった。たいていは廃棄になる中、大事に残してあるのだから当然といえば当然だった。しかし太田達もひけなかった。森の言い方がきつかったせいもあるかもしれない。太田達は、森への偏見をなくそうとした。太田は、デザインや必要な材料の目安を見せて、自分たちがいかに本気か、まっすぐに話した。

「誰かのことを思ってやるんでしょ。人のものをとってまでするというのは、違う! 大人になんなさい」

 しかし、森の気持ちは変わらなかった。

「何でだよ!」
「よっぽど大事なものなのかな」
「でも、俺たちだって一生懸命なんだぜ」
「そうだよ。それをあんな言い方して。やっぱ森バアなんだよ」
「駄目だよそんなこと言ったら」
「あさきも言われて見ろよ。むかつくぜ」

 森の言い方に、太田達は、腹を立てた。あさきは一連の話を聞いて、頭を悩ませた。よっぽど森にとって、大事なものなのだろう。しかし、太田達の気持ちも大事だったし、実際に材料も必要だった。あさきからもだめもとで森に頼んでみたが、いけなかった。

「しつこいっ! あなたもリーダーなら、私のとこにきてばかりいないで、柔軟になるように皆を説得しなさい!」

 確かにその通りだった。

「きっと大事なものなんだよ。次のあてを探そう」
「次なんてねえよ!」

 しかし太田達はおさまらなかった。もはや意地になっていたのだった。どうしたものか、ヒートアップする太田達の顔を見ていると、不意に静かな表情に行き当たった。
 碓井だった。碓井は怒らず、しかしじっと周りを見ていた。碓井と目が合うと、碓井はじっと見ていた。穏やかに澄んでいた。
 碓井が森と話しているのを見つけたのは、それからすぐのことだった。碓井も頼みにいったのだろうか。あの瞳が印象に残っていたあさきは碓井に尋ねた。碓井は、首を振って、

「先生のお話を聞いてるだけなの」

 と言った。そこで、はたとあさきは思い至った。自分達は森の話や気持ちを何も聞いていない。あさきは碓井について、森の話を聞きに行くことにした。森は、あさきの顔を見て、少し構えた顔をしたが、あさきのいつもと違う様子に気づいたのか、招いてくれた。
 碓井は森から、六年二組の話を聞いているようだった。森はお茶を飲み、マグカップを見下ろした。

「これは、皆からもらったものなの」
「はい」
「かわいい」
「私には、似合わないけど」

 あさきの感想に森が苦笑した。その優しい声に、あさきは驚いた。あさきの記憶の中で、森は今回のことだけでなく廊下や体育館でなど、いつも怒っていたからだ。碓井は、知っていたのか、ゆったりと話を聞いている。それから、森は色んな事を話してくれた。クラスの人間関係、文化祭のこと、そして、文化祭の後、引っ越していった生徒のこと。そうして森は、窓の外を見た。
 あさきが、森の気持ちに行き着いたとき、森があさきを見た。そうして立ち上がる。

「来なさい」

 あさきは碓井とついて行った。森は職員室の廊下の奥の倉庫へ向かう。鍵を開けると、中に入った。ほこりっぽいのを想像していたが、思いの外きれいだった。

「これよ」

 森が、倉庫の奥にそっと立てかけられてあるそれを持って、あさきに向けて見せた。あさきは息をのんだ。ものすごく緻密で立派な絵が描かれていた。これだけ塗るのに、どれほど時間がかかっただろう。

「クラスの皆が、一生懸命考えて、工夫して描いたものよ」

 それから、裏返す。あさきは口元に手をやった。そこには、たくさんの寄せ書きが書かれていた。引っ越していった生徒へのエールや、皆への感謝が『また皆でこの絵を見よう』と、引っ越した生徒の言葉を囲んでいる。

「これは、あの子達のものなの」
「はい」

 あさきは頷いた。自分が恥ずかしかった。森は、あさきにふっと笑いかけた。

「あなた達も、自分達だけのものを作りなさい。考えて考えて、頑張りなさい。あなた達なら、できる」
「はい!」

 あさきは、勢いよく返事した。声は少し湿っていた。碓井が、そっとあさきの背に手をやった。

「森先生、ありがとうございます」

 あさきは、お辞儀をした。気分はすっきりしていた。森は、あさきの現金さに少し苦笑していたが、「はいはい」と言った。

 クラスに戻り、あさきは太田達を説得した。

「大変だけど、私も今まで以上に集めるの、頑張るから」

 あさきが言う。太田達は、森の気持ちを聞いて少しきまずそうにしていた。

「私は、皆が頑張ってくれて本当にありがとうって思ってる。それって私たちの為だから」

 皆の目をしっかりと見つめた。

「だから、私たちも、負けないくらいの思い出を作ろう」

 あさきの真剣な目を、最初に見返したのは太田だった。太田は、腕組みを解いて、腰に手を当てた。

「おう」

 それがきっかけとなり、皆が思い思いに頷いた。あさきは安堵した。太田がにっと笑って、皆に声をかけた。

「皆、頑張ろう!」

 わっと気合いの声があがった。あさきも、拳を上げた。


「わかるよ。すごい頑張ったよね」

 思い出して、あさきは言う。あれから太田達は、本当に頑張ってくれた。よくここまで、たどり着いたと思う。

「すごいよ」
「だろ」

 何も言えなかった。あさきは、メモに、「大道具、材料手一杯」と書いた。去り際に、もう一度作業する皆を見る。碓井は、今日休みのようだった。

 皆が気合いを入れ直した後、あさきは碓井と二人になった。あさきは隣の碓井をちらりと見た。

「碓井さん、いつから行ってたの?」
「うん?」
「森先生のとこ」

 碓井は少し考える素振りをして、返した。

「最初に、断られた後あたりからかな」
「どうして?」
「森先生のこと、知りたいと思ったの」
「それでずっと? すごい」

 あさきの言葉に、碓井は小さく苦笑した。

「そんなことないの。福田先生に劇を見せてもらって、出来たらアドバイスも、もらえないかなとも思ってたの」
「そっか」

 あさきは碓井をじっと見つめ、はあと息をついた。

「すごいなあ」

 碓井が首を傾ける。あさきは自分の上履きを見ながら歩いた。

「私、自分のことしか考えてなかったよ。先生と先輩たちの気持ち、全然わかってなかった」

 情けない。頑張っているのは、自分だけじゃないのだ。あさきは肩を落とした。碓井は黙っていたが、そっと口を開いた。

「だからだよ」

 碓井の言葉に、あさきは怪訝な顔をした。

「城田さんが、いつも私たちのこと一生懸命考えてくれるから、だから私も、私にできること、探せたの。森先生だって、絵を見せてくれたのは、今日が初めて。太田君達がわかってくれたのも」

 碓井の声音は、静かで穏やかで、本当だと感じられた。あさきは、胸がいっぱいになった。碓井にぱっと抱きついた。

「ありがとう! もっと頑張る」
「う、うん」

 碓井は驚いて身を固くしたが、おずおずとあさきの肩にふれた。

「やめろよあさき」
「セクハラだセクハラー」

 いつの間にかやってきた島達があさきをからかった。早愛はじっとあさきを見ていた。
 
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