つい会社専用バスに乗ったせいで、一週間分の食材や、日用品を買いだめして帰ることになってしまった。
もちろん、食材だけでも結構な重みで、途中ふらつきながらも何とか家へ帰る。

「……あれ、今帰り？」

階段を背に、玄関の前で鍵を求めて鞄を漁っているとかけられた声。
その声は、私が今最も苦手とする人物。

「あ………お、おついちさんも、今帰りですか？」

恐怖心で震える体を、気のせいだと無理矢理抑え込み、顔だけは笑顔でおついちさんに返事をする。
しかし、そんな努力はおついちさんの表情を見て砕け散る。

「う～ん、どうしてかなぁ。僕のことやっぱり怖い？」

何かを隠し、張り付けたような笑顔でそう問うおついちさんはやっぱり怖くて、言葉にならない空気だけが、ヒューヒューと抜けていく。

「おかしいなぁ」

今日の朝のように、ゆっくりと近づくおついちさんから逃げるように後退りをする私。けれど、自分自身で置いた食材たちによって阻まれ、見事に転けてしまう。

そんな私を見て、張り付けた笑みは余裕の笑みに変わる。

「あちゃー、膝、擦りむいちゃったね」

血が滲む傷の周りを、おついちさんは優しく撫でる。

「僕と君が初めて会ったとき、言ったこと覚えてる？」
「……私が、この都心で潰れないか……心配だって言ったこと、ですよね？」

おついちさんの問いに答えようと、震える唇で必死に答えるが、その最中もおついちさんは傷の周りを撫でる手を止めない。
時々、傷に指が当たって声がひっくり返りそうになる。

「そうそう。それで名無しのさんは潰れるわけにはいかないって笑ってたよね？……あの時の顔、一週間と少したった今でも鮮明に思い出せちゃうのよ。なぜか」

挑戦的とも、優しい眼差しともとれるひどく曖昧な笑顔で、どうしてだと思う？と私の目を真っ直ぐ見つめ問いかけてくるおついちさん。

おついちさんが何を考えているのか、また何を求めているのかわからない私は、無言のまま涙でうっすら潤んだ瞳でおついちさんを見つめ返す。

「わからないよね。……よかった。ここで適当に答えられてたら僕名無しのさんのこと……いや、忘れて。それよりさ」

今度の土曜日、一緒に食事に行きませんか。

「……す、すみません。その日は……」
「名無しのさんに拒否権はないの。わかってるでしょう」

とびきりの笑顔にも負けず断ろうとした瞬間、間髪いれずに伝えられる絶望的言葉。

「いや、でも」
「大丈夫！別に、僕と二人っきりなんて言ってないでしょ。弟者くんと兄者もいるよ」

無意識の内に弟者さんたちがいるなら。と考えて視界が暗くなる。
鳥か何かが飛んでいるのかと、顔をあげると、月夜の明かりから私を隠すかのように顔を近づけたおついちさんに身を引く。

「っい！！」
「何で俺を見つけるの？」

至極不思議そうに、それでいて泣きそうな顔。声色はとても怯えている。

私が何を見つけた？
わからない。
わからないのにわかっているような気がする。

曖昧な感覚が、言葉にならず私たちを重い空気が包む。

「……気づいて、ない。気づいてないのに、俺をこんなにかき乱すの？」

なにそれ。そんなの、俺……いや、僕怖いよ。

そうして初めて頭を垂れるおついちさんを、無性に撫でたい気持ちになった。

「やめて。そういうの」
「すみません。何故かとても泣きそうに見えたので」

惜しげもなく足元に落とす滴を、私はわからないまま見下ろした。