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中途半端

「……すみません、父からです。少し出てきます」
 そう言って、スーちゃんが部屋から出ていく。スーちゃんがこうしてレッスンの途中で抜けるのは一年生の頃はあまりなかったものの、最近は珍しいことではなかった。卒業後は大学に通いつつ、少しずつ朱桜家の人間として動き出すらしい。その下準備がいろいろあるのだ、と言っていた。これすらこなせない人間がアイドルと朱桜の両立なんて不可能だと言われているらしい。



 ……その程度で済むと思っていたのだ。俺たちは。
 ある日、スタジオに顔を出したスーちゃんは開口一番こう言い放った。

「結婚することになりました」

 一瞬でスタジオが静まり返る。セッちゃんはゆうくんのSNSを見ていた端末から顔を上げ、ナッちゃんは化粧の手を止め、王様は作曲の手を止めていた。そういう俺もさっきまで脳を支配していた眠気がすっかり吹き飛んでいた。
 ……なんて?
「……スオ〜、いま、なんて」
「結婚することに、なりました」
 そう、スーちゃんはさっきよりもはっきりと言う。
「結婚……ってアレよね、男女の……」
「それです。役所に届けを出して名字を揃えるアレです。間違っていませんよ」
 事実婚というわけでもなさそうだった。だから何というわけではないけれど。結婚。
 そうか、もうスーちゃんもそんな歳なのか。同世代でもそういう話をあまり聞かないのですっかり忘れていたけれど。
「……スオ〜付き合ってる人とかいたの?」
「まさか。いたら先輩方に勘付かれていますよ」
「お見合いとか許嫁とかそういうやつ……? かさくんの家、そういうのやりそうだもんねえ」
「……だったらまだ私も許せるのですけれど」
 スーちゃんの声のトーンがひとつ落ちた。
「……とりあえず座ったら?」
 長くなりそうなので入り口に立ったままのスーちゃんを中に招いた。

 スーちゃん曰く。
 ある日突然結婚相手を決められ、日程も決められ。抵抗しないことを条件にアイドル活動の許可を出されたらしい。
 実は許嫁がいました、でもなく、この中から選びなさいでもなかった。完全に上が決めたことだった。
「相手って聞いてもいいのかしら」
「すみません……結婚していることを世間に明かさないままデビューしようということになってまして。……先輩方にも、伏せておきたいのです。何かあったとき先輩方から漏れないように。決して先輩方の口が緩いと思っているわけではないのですが、話題にもし出たとき態度に出てしまう可能性もあるでしょうし。すみません、伏せさせてください。いつか話します。何年後になるかはわからないですが」


「……隠しきれるの、それ」
「天祥院のお兄さまが手伝ってくれると言ってくださいました。あとは朱桜の力で、」
 スーちゃんがなにかをつぶすように手をぎゅっと握る。さっすがぁお金持ち。
「天祥院は知ってるんだ」
「ええ。同業ですし……というか言ったでしょう、上が決めた結婚なのです。政略結婚なのですよ」
「……隠すってことは式も指輪も無いの?」
「家ではたぶんつけると思います。……式も、朱桜のやりかたでやるので……相手の方には申し訳ないのですが」
「結婚をするという報告だけ、皆さんにはしておきたかったのです」







「……というか司ちゃんのお相手、まだ教えてくれないの?」
 結婚します報告から二年。



「一部屋どころか部屋にベッドが一つしかないのですよ。もう一台、買ったのですが二人とも家にいない隙に撤去されてしまいまして」
「……ということは奥さんと毎日同じ布団に」
「そうなります。最初は抵抗しましたが……もう慣れですね、雑魚寝の一種だと割り切るようにしています」
 修学旅行のバスで、女子が隣で寝ている、ぐらいの感覚なのだという。
「たぶんさっさと子供を作れ、ということなのでしょうね。結婚の日も表向きは私の誕生日ですが違ったようですし。最初のことがあっても同じ部屋に男女を閉じ込めても何も起こらないのが気に入らないようでこの前はついに薬を仕込まれました」
 スーちゃんがやや遠い目をしていた。齢二十にしていろいろありすぎじゃないのかこの子。
「くすり」
「ご想像にお任せしますけど。わたしもあまり見ていて気分がいいものではなかったので書庫で一夜を過ごしました」
 家に帰ったら荒い息を吐き、膝を擦り合わせ何かに耐えている様子の奥さんがベッドの上にいたそうだ。
「……そこで手を出したりはしないのね」
 ナッちゃんが呟く。
「……向こうもそういう関係を望んでいるわけではないと思いますので。……初夜のこともありますし、あまり迷惑をかけたくないのです。一時の、気の迷いだとしても」

「ええと……言ったでしょう、私たち、上がうるさいからとりあえず籍を入れて一緒に暮らしているわけなのですけれど、最低限、従わなければいけないものがそれなりにありまして……というか桃李さんが言うように朱桜家は骨董品というかなんというか、古くさい諸々が未だに残っておりまして」
 一呼吸置いて。
「立会人が初夜に立ち会って花嫁が本当に処女であったのか、行為は本当に行われたのか確かめるというものが」
 スタジオが静まりかえった。
「……官能小説かなにかの話してる?」
「どちらかといえばその官能小説のモチーフになったものの話ですね」




 司は気がついたら隣にいた存在だ。
 それはもう、初対面は受精卵と胎児でしたとかそういうレベルの付き合いである。初対面は、というだけで実際に顔を突き合わせた、というかお互いの存在をを認識したのは小学校に上がってからだったけど。


 だから、夢ノ咲学院で机を並べる羽目になるとは思わなかったのだ。

 そして。

 こんなことになるとは、全く思っていなかったのだ。

 司が、いつもあんなにうざったい司が私に頭を下げた。
 いつも骨董品だと罵る名前を名乗らせることになって申し訳ない。
 そして、巻き込んでしまって、大切な結婚がこのような形になってしまって申し訳ない。
 そのようなことを、ずっと、私が他の人に呼ばれてその場を離れるまでずっと繰り返していた。
 思い描いていたロマンチックな結婚など存在しなかった。
 ドレスも、バージンロードもない。重い着物を着せられて、様々な儀式の後、清められて、立会人の前で司に抱かれた。痛かった。中に出された。処女膜が破れ、血が流れる様子を見られた。シーツに付いた血を、朱桜の親戚に見られた。
 好きでもない人間にファーストキスまで奪われるのは嫌でしょう、と司は唇には触れなかった。立会人が見ていない隙に、こっそり避妊薬を飲ませてくれた。そのあと、体調を崩したのを緊張のせいと誤魔化してくれた。ごめんなさい、とずっと繰り返していた。



「……あのさあ」
「なに、姫宮さん」
「なんで私?」
 なんでfineのこの私が。お嬢様のこの私が、遊木真と昼間に庶民御用達の(といっても庶民からするとちょっとお高めらしい)喫茶店でお茶をする羽目になっているのか。
「……鳴上くんは泉さんに近いし。衣更くんは実質凛月くんみたいなものだし。……距離が丁度いい、というか」


 遊木真と瀬名泉が付き合いだしたのは遊木真が卒業した、一昨年の春だった。
 ずっと遊木への感情を妹に対する親愛であると思い込んでいた瀬名が、親愛ではなく恋愛だと気付かされたのが瀬名が卒業した三年前の春。そこから告白、お付き合いに至るのに一年かかったのは遊木が首をなかなか縦に振らなかったからではなく、瀬名の方に問題があったらしい。何せゆうくん誕生日おめでとうから泉さんお誕生日おめでとうまで半年間、業務連絡以外でのやりとりがなかったというのだから。
 あの瀬名泉が? としか思えないのだけど、事実

「……でー?どうしたって?」
「うん、その……泉さんが、その、キス、してくれなくて」
「頻度の話?」
「……ファーストキスがまだって話」
 かあ、と顔を赤く染める遊木先輩。
 何も言えないでいるとうう、だのえっとだのを多発しつつ説明が加えられていく。
「ほっぺとかおでことか首とかそういうのはあるんだけど! 口、はまだ、いっかいも」
「……付き合って何週間だっけ……?」
「二年経ったよ!! 姫宮さんも知ってるでしょ!?」

「姫宮さんはそういうの、何かないの?」
「お嬢様の私にそんな自由があるとでも?」



「えっ」
「え?」
 瀬名先輩、司と一緒に活動してるよね? けっこう顔合わせてるよね? なんで知らないわけ?
「ああ、だから『伏せておきたい』だったわけね……」
 瀬名先輩は一人で納得してるし。


 す、とテーブルの上に免許証を置く。
 いくら周りには姫宮桃李で通していても免許証までは誤魔化せないので、氏名欄には朱桜桃李の文字が並んでいる。
「すおう、とうり……」
 籍を入れたのが十八歳。免許を取ったのが二十歳になってからだったから、姫宮の名で免許証を作ることは結局無かった。
「……もう桃くん免許取れる歳だっけ?」
「そこ!? 瀬名先輩は私をなんだと思ってるの?」
「桃くんちっさいから二十歳って気がしないんだよねえ……かさくんの家に養子にでも入ったの?」
「なんで! 私が!? っていうか結婚は十六でもできるってば!」
「朱桜桃李ってすごい字の並びが可愛いよね」
「遊木先輩は遊木先輩だし……」
「まあ確かに姫宮とは違う可愛らしさがあるよねぇ……」




「瀬名先輩も遊木先輩も高校時代の私と司の仲ぐらい知ってるでしょ……そこから急に籍入れて一線だけ超えて、仲は相変わらずなのに布団は一緒だし上からはやく子供産めって圧力かかるし」
 ずず、と少し残っていたジュースを啜ってテーブルに置く。
「……で? でもそれなりに平和にやってたんじゃないの?」
「……この前、Knightsで飲んだでしょ。……帰ってきた司が、その、」


「……酔ったかさくんに寝込みを襲われたって?」
「そこまでじゃないってば! ただちょっと、おでこにきす、されただけで」
「いままでそういうの全然無かったんだよ。ほんとただの同居って感じだったから、その、」


「瀬名先輩なんなのですか、資料は今日で無いとだめなのです、か……」
 部屋に入ってきたのは司だった。
「……なんでここに貴女が」
「遊木先輩に呼ばれたの」
「ああ、そういえば友人と会うと言っていましたね……?」
「かーさーくん?」
 司がびくり、と肩をふるわせて視線を瀬名先輩の方に向ける。
 ついでに自分も視線を向けると、遊木先輩は顔を真っ赤に染めていて、瀬名先輩はとても怒っている様子だった。差がすごい。
「俺な~んにも聞いてないんだけど。説明してもらえる?」

「司、Knightsの人たちに教えてなかったの……?」
「……桃李さんだってfineの方々に教えてないでしょう? 天祥院のお兄さまも伏見先輩も既に把握していたことですし、日々樹先輩にはどうせ天祥院のお兄さま経由でばれているでしょうし」
 遊木先輩が手を口元に当てながらとーりさん……つかさ……と呟いている。待って高校時代から呼び方変わってないんだよ、遊木先輩。気づいて。さらに言うと出会った頃から変わってないから。
「かさくん」
「あ、えっと、だってLeaderとか凛月先輩とかに教えたら、漏らしそうではないですか」
「……まあ、否定は出来ないねえ」
「瀬名先輩は桃李さんと面識がありますので、態度に出てしまったら困りますし……いえ、瀬名先輩がそういうことをしそうとかそういうわけではないのですよ。わずかな変化から邪推を産んだら、」
「わかってる。で、なるくんは?」
「絶対いじるでしょう、あの方。私を……というか誰か一人に話したら皆さんに話しますよ。瀬名先輩にバレてしまったので他の先輩方にも話さなくてはなりませんね」





「でも、私と結婚することでどこの馬の骨かもしれない人間と結婚することがなくなるならば、それで良いとも、思いました」
「あなたの辛そうな顔を見るのは嫌なのですよ」





「遊木先輩にはお世話になったので。ウエディングドレス、いくら値が張ったとしても朱桜がお手伝い致しますよ」
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