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中途半端

最初は、いや最初なんて概念、もともと存在しなかったのかもしれないけれど、それでも最初という言葉を使うのだとしたらそれに当てはまるのは、泉さんの首筋、のぞき込まないと見えないようなところに付けられていたキスマークだった。

僕が学院を卒業してから、僕と泉さんは同居を始めた。同棲になるかもしれない、とかそういうのもなく、純粋な同居。ルームシェアとか言ったほうがいいかもしれない。いや、本当に、照れ隠しでもなんでもなく。純粋にただ一緒に住んでるだけ。
誰かを構っていなければ死んでしまう泉さんが、誰かを構えるように。誰かといなければ自分を雑に扱ってしまう僕が、自分を雑に扱うことのないように。そして、当時はKnightsのことでいっぱいいっぱいだった泉さんが、ほかのことを考えられるように。
僕たちは同じ家に住んで、互いの世話をしあっていたのだ。

このことを全く知らなかったといえば嘘になる。先に言ったように、泉さんについたキスマークを見てしまったこともあるし、泉さんはたまに違う匂いを纏っていることがあったから。
最初に気づいてしまったとき、複雑な気分にならなかったわけではない。でもそれは僕が泉さんに対して多少そういう気持ちがあるからとかではなく、担任の先生の結婚報告を聞いたときのような複雑さで。泉さんにもそういう感情があるんだなあ、というか、このひとも人間だったんだなあ、みたいな。うまく言葉にはできないのだけど。
泉さんが相手の人と電話をしているときの表情を見てしまったら、何も言えなくなってしまったのだ。あのお兄ちゃんが……格好つけようとしていたり、しようとしても台無しになっているようなお兄ちゃんが、ファンサービスでも見せないような顔をしていたのだ。
僕はあんな顔をさせられない、させようとも思わない。

まあでも、それとこれとは別だよね。
今日は一週間の地方ロケを終えて久しぶりに家に帰る予定だった。今日帰るってことはちゃんと泉さんに言っていたし、カレンダーにも書いてきたし、なんなら泉さんにお土産何がいい? ってメッセージも送った。だから今日が僕が帰ってくる日だってわかってるはずなんだけど。
玄関に、僕と泉さんのものではない靴。そこまでは許せる。泉さんにも友達を家に入れたくなる日だってあるでしょ。
でも、ぎっ、ぎっと規則的な何かが軋む音。せな、せなという切羽詰まった声。いつも聞かないような高さの、おそらく泉さんのものであろう声。
これを聞いてなんだか賑やかにやってるなあと思えるほど僕は幼稚ではないのであった。
完全にナニかされていらっしゃる。愛を育む的なそういうアレを。
僕が帰ってきても気づかないあたり、完全にそれに集中していて周りの音が聞こえていないのだろう。
キスぐらいなら見過ごせたけど、これは、さすがに。
ううん、と三秒ほど考えて、荷物だけ置いて逃げることにした。僕の部屋は玄関に近いので、出入りしても泉さんも彼も気づかないはず。さっきよりも盛り上がってらっしゃるしね。


「……というわけなんだけど」
「へえ。……さすがにそれは気まずいか」
「べつに僕はいいんだけどね……泉さんが死にそうで」
多少解消されたとはいえ、未だに泉さんは僕のお兄ちゃんでいようとするのだ。僕は泉さんのお兄ちゃんらしくないところなんて山ほど見てきたし、恋人さんとのあれやこれやに遭遇してしまっているので今更何を、って感じなんだけど。
だから僕が泉さんと恋人さんとの逢瀬のとき隣にいました、なんて知られてしまったら泉さんが何をするのかわからない。僕の足と泉さんの足を繋いで身投げする、ぐらいのことも、ありえないとは言い切れない。
「うんうんわかったわかった。今度セッちゃんに訊かれても今日ゆうくんが帰らなかったのは俺がゆうくんを誘拐したから、とかにしておくねえ」
長い付き合いでそれをなんとなく察しているのか、凛月くんも隠す方向で動いてくれるようだった。ありがとう凛月くん。
「凛月くんは何してるの? 衣更くんは?」
「今日はま~くん外泊みたいだからねえ……ってことを帰ってきてから知ったうえに冷蔵庫が空だったから食糧調達しようと思って」
「衣更くん、今日凛月くんのところじゃないんだ……確か明日衣更くん一日休みだった気がするしどっかでゆっくり、」
「じゃないほうかなあ……たぶん」
凛月くんはすこし複雑そうな顔をしていた。
「明日になったらたぶん線香臭くなって帰ってくるよ」
凛月くんは、僕と泉さんのように衣更くんと同居している。高校時代から、いまでも異常に仲の良い二人なので同居していると発表したときはすぐに同棲なのではないかと騒がれたし、未だに同居ではなく同棲であると一部のファンが主張し続けているらしいけれど、間違いなく本人たちの自覚は同居、あるいはルームシェア、または下宿、お手伝い付き宿……とかその類で、同棲では決してない。
二十一世紀を生きるのに絶望的に向いていない朔間凛月くんが芸能界で生きていくためには衣更くんが必要だった。ずっと凛月くんを見て育った衣更くんは、凛月君を手放せなかった。当時Trickstarでいっぱいいっぱいだった衣更くんに、Trickstar以外の人間が必要だった。
「……今日俺、ストレスで食料を買いすぎる予定なんだけど……あるいはいつも通りの量を買っちゃう予定なんだけど。消費に付き合ってくれない?」
「……僕、お肉がいい」






「……セッちゃんみたいな味がする」
「料理、泉さんに教わったもん……お母さん、料理しないひとだったから家庭の味とかもよくわからないし」
凛月くんが複雑そうな顔をする。
「気を遣わなくていいよ、慣れてるし。……だから一番食べ慣れた味って泉さんの味だし……泉さんも、僕が一人なのわかっててお兄ちゃんぶろうとするし」





「でも、泉さんは僕に見せるような表情、絶対月永さんには見せないでしょ」
だから満足、
「泉さんの『弟』は一生、絶対僕だけだもん、そのくらい望んでも良いよね」

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