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同人再録

 隣の芝は
               

  1

 ありえない話ではないらしかった。いくら朱桜がアルファばかりの一族だとはいえ、外から迎える人間はそうとは限らない。本人がアルファでも、親族にオメガがいれば。
 母親はアルファで、母の両親のアルファだけれども、母の両親は本当の両親ではないらしい。実際はどうなのか、会ったことがないそうなので、わからないのだけど。



 たぶん、あれでも両親は気を遣ってくれていたのだと思う。
 自分を草葉の陰にでも隠してしまえば、朱桜はアルファの一族で在り続けることができたのだから。それでも、夢ノ咲学院に通わせてもらえて、なんだかんだこうして今も生きている。
 もちろん、男系の末端がいなくなってしまったら困るというのもあったのだろうけど。新しくつくるとしても、アルファ同士はできにくいらしいので。



「かさくんのつがい、桃くんだったんだ」
 瀬名先輩にそう言われたのは、瀬名先輩の卒業まであと数週間というときだった。
「私、知らない人だって言ったと思うんですけど」
「桃くんにきいたの」
「……桃李くんが、私のつがいだって言ったんですか」
「言ってたねぇ」
 からん、と解けた氷が崩れる音がした。
「信じられないって顔してるけど本当だからねぇ」
 桃李くんが、瀬名先輩に?
 瀬名先輩の圧に逆らえなかったのだろうか。いや桃李くんのことなので、十中八九そうなのだろうけど。
「……桃李くん、なにか言ってました?」
「そういうのは自分できくべきだよねぇ。……いくら解除しても死にはしないっていったって、何が起こるかわからないんだから。一生ものでしょ」
 そうはいっても。
 桃李くんは私がつがいがいることを公表していても、相手は誤魔化していることだって知っているだろうに。
 あのときつがいになったのは、勢いもあったけれど、これからも年に数回会えばいいほうの生活が続くと思っていたからで。年に数回どころか、私は朱桜の汚点として表にあまり出されなくなるだろうから、もっと会う機会が無くなって、丁度良いと思っていたからで。桃李くんになにも利点のない交渉で、でも、桃李くんはあれでも優しいから。クラスメイトのことも庶民だなんだと見下すような発言が多いけれど、きちんと手を貸すときは貸すのだ。話だってよく聞いているし。……とにかく、桃李くんに私がつがいだって明かす利点はないはずなのに。
 瀬名先輩の様子も、文句を言うために話しかけてきたというよりはただの確認といった感じで、つまり桃李くんが私に対する文句を言っていたわけでもないのだろう。
「私がきいて、桃李くんが正直に答えると思います?」
「かさくんのきき方次第でしょ」
 瀬名先輩が自分のぶんのコップを持って立ち上がる。
「俺にとってはかさくんも桃くんも可愛い後輩からさぁ。どっちにも、しあわせになってほしいわけ」
「私のほうから、解除を頼んだ方がいいという話でしょうか」
「なんでそうなるの」
 ほんと王さまに似てバカ、などと瀬名先輩は吐き捨ててガーデンテラスを出て行った。
 Leaderに似てだなんて失敬な。



  2

 桃李くんは自分でも発育が遅い方だから、と言うとおり、高校三年になってもフェロモンに気づくことはなかった。
 高校三年になってもというより十七歳になってもと言うほうが合っているのかもしれない。桃李くん、早生まれなので。ベッドに寝かされている桃李くんとベッドの柵に掴まって立っている自分の写真を見せられたことがあるような、ないような。一応学年が同じなので忘れがちだけど、その程度に本来差があるはずなのだ。時折つがいは成立していなかったのではなんて疑ってしまうけど、ヒートに陥っても誰も反応しないので一応成立してはいるのだろう。
 つまりは完全に油断をしていた。
 抑制剤にはたくさん種類がある。その中にアルファ側にフェロモンを遮断してもらうことでそのぶんの薬の成分を減らして副作用を少なくする、というものが存在していて、私はそれを常用していた。どうせフェロモンが発されたところでそれに気づく人間はいないのだから。……ついうっかり、それでフェロモンの存在を忘れかけていて。
 フェロモンに気づくようになった桃李くんに指摘されるまで、そんなことはすっかり忘れていたのだ。
 完全に遅かった。
 アルファはオメガのフェロモンで興奮するようにできている。
 急いで緊急用の抑制剤に手を出したけれど、すでにいつもの桃李くんからする匂いを煮詰めて何倍にも濃くしたような匂いが香ってくる。ああ、アルファにもフェロモンがあるのだっけ。完全に理性がなくならない程度に思考にもやがかかってくる。
 気が付いたら窓側の席に座っていた桃李くんは横に立っていて、腕を引っ張られて、床に押しつけられて。私に跨がって荒い息を吐く桃李くんの目は、そう、まるで、あのときの強姦犯のような。



 起きたらそこは保健室だった。
 厳密にはその横のオメガ用の隔離室。今までにも何度かお世話になったことがある。
 だいぶ時間が経ったようで、部屋はすっかり暗くなっていた。壁がけ時計が示す時間は……暗くて見えないけれど。
 枕元に畳んであったブレザーを羽織って、揃えておいてあった上靴に足を入れる。念のため、ドアの向こうに生徒がいないかどうか扉に耳を当て確認してからドアを開けた。
 やっと起きたか、と声をかけてきた佐賀美先生の手元にはプリントの山があった。生徒をを残して帰るわけにはいかないので、仕事を片付けながら待っていたのだろう。
「ちょっと面談な。そっちの椅子座れ」
 よいしょ、とプリントの山を除けて、かわりに朱桜司の名の入った記録票、というらしい紙を置く。すでに何かしら……他人に見られることは考慮していないのか、たいへん芸術的な字で書かれているので、桃李くんとは既に話しているのだろう。
「……お前のつがいは姫宮で間違いないんだな?」
「ええ」
「……毎年春に、そういうのはちゃんと申告しろって言わなかったか?」
「つがいがいることは、」
「相手が大事だろ。この場合、同じ学年どころか同じクラスじゃねえか、おまえら」
 こつん、とペン先で紙をつつく。
「まあいいや。姫宮に家の人に連絡するの止められたんだけど。この対応であってる?」
「……桃李くんが言ってたならその通りなのでは?」
「こういうときのアルファの言うことは基本的に信用しないことになってるの。人間、誰でも自分に都合のいいことを言うもんだろ。……家には連絡しないほうがいいんだな?」
「……連絡したら、桃李くんのほうがあぶないので」
「ああ、お坊ちゃんだもんなあ、おまえら。それだけが理由?」
「……朱桜はアルファだけの一族なんです。そこに生まれたオメガってだけで迷惑がられているのに、姫宮の家につがいがいるだなんて知られたら、……桃李くんも危ないですけど、私だって。……朱桜は、オメガを嫌っているので。つがいなんてオメガの象徴の最たるものでしょう。ヒートは家では隠していますけど、つがいの有無は」
「はあん……わかったわかった。家にはてきとうに練習中に倒れて~とかって連絡しておくから。あとで姫宮とちゃんと話し合えよ」
「佐賀美先生がちゃんと保健の先生をしてらっしゃる……」
「さっき姫宮にも言われたな」



「弟が生まれるんだって?」
「……天祥院のお兄さまですか」
「残念桃くんのほう」
「もしかして定期的に会ってます……?」
「もしかしなくてもかさくんに会う前だったり後だったりで会ってるねぇ」
「くっ……瀬名先輩、なにか楽しんでません?」
「そりゃぁ末っ子と後輩がうだうだやってるんだもん。面白いよねえ」
「くぁあっ、ひとごとだと思って……待ってください、桃李くんにあったってことは」
「桃くんに襲われた話?」
「っ! この、」
「まあそっちは天祥院から聞いたんだけど」
「天祥院のお兄さまのほうにまで流れてるんです!?」
 落ち着きなよぉ、と瀬名先輩。落ち着いていられるか、あの天祥院のお兄さまの耳に入ってしまっているというのに。
「……桃くんに聞いたのは最近荒れてるらしいじゃん、ってほう。大丈夫なの? ……いや、大丈夫じゃなさそうなのは桃くんに聞いた。……あのさあ、かさくんの場合はプライドとか、いままでの関係とかいろいろ邪魔しちゃうのかもしれないけど、抱きしめてもらうだけでも結構違うよ。……つがいの匂いって普段は安心できるようにできてるはずだから。……それに人肌に触れるのも大事だと思う。一人じゃなくってさぁ。もうつがいになってもらったんだから、これ以上頼ったって同じじゃん。桃くんも寄りかかりがいのあるサイズになったことだし」
「……口が回ってますけど体験談ですか? 瀬名先輩、つがいができたのですか」
 瀬名先輩は柔らかく……遊木先輩に見せるような溶けきったそれではなく、柔らかく微笑んで、肯定した。
 これが、つがいの在るべき姿なのだとしたら、やはり、私と桃李くんのそれは。
「……そうですか、お相手をお聞きしても? 私が知ってるかたですか?」
「うん、――」



  3

 学院を卒業しても、桃李くんにうちの娘を、だなんて話を聞くようになっても、桃李くんが解除の話を持ち掛けてくることはなかった。それどころか、家にいたくないならうちにいたら良いじゃない、だなんて言い出す始末である。
 まじめな桃李くんのことだから、私を抱いたことで責任を感じているのだろうか。桃李くんは桃李くんで幸せになってくれれば、それでいいのに。
 本能が求める〝安心〟を求めて桃李くんの部屋に入るようになっても、無意識に布団に入り込んでしまうようになっても、桃李くんは拒絶しなかった。
 それどころか、ぬいぐるみかなにかと勘違いしているようで、気が付いたら抱き枕にされている始末である。
 瀬名先輩に相談したら「オメガっていいにおいがするらしいよ」などと返された。「ぬいぐるみと間違える程度にかさくんに脂肪がついたって解釈でいい?」とも。全然よろしくない。確かに姫宮邸の食事は朱桜に比べると洋食が多いしなんだか甘やかされているしでちょっと摂取カロリーは増え気味かなあ、なんて思わなくもないけど。学院にいた頃より運動量も減ったし。
 ……いやいやそれでも桃李くんが抱き枕にする理由にはならない。
 寝床にひとを引きずり込むのが得意な凛月先輩にきくと「人肌って暖かいんだよお」とのこと。「ス~ちゃんも、あったかくて安心するってことがないわけではないんでしょう?」とも。
 私はそうなのだとしても。
 桃李くんがそうする理由は?



  4

「え、えっとお?」
 左手はいまだに瀬名先輩の手の中。薬指にある指輪が冷たい。
「どういうことですか」
「……桃くんからの誕生日プレゼント」
 私が入院させられたこの病棟はアルファの入室が禁じられているらしく、医者も患者も見舞客もすべてがオメガまたはベータらしい。
 よって桃李くんは見舞いに来ることができず、退院を待つといつになるのかわからないので、瀬名先輩に誕生日プレゼントを渡したと。
 桃くんからのプレゼントなんだけど、と紙袋を取り出したところまではよかった。
 ところがそこから出てきたのはよく指輪なんかが収められているような箱で、実際そこからはシルバーの指輪が出てきて。瀬名先輩が「かさくん、左手」というのを素直に聞いてしまったのがいけなかった。迷いなく指輪は薬指に通されてしまった。サイズはぴったりだった。
「けっこういいブランドのじゃん。桃くんにしてはやるなぁ……サイズもぴったりだし。よかったね、かさくん」
「なにがどうよかったねなのでしょうせなせんぱい……」
「もう同棲してるんだもんね。次は結婚だよね」
「どうせ……どっちかというと居候って感じですけど」
「う~ん、ほんとコミュニケーション不足だよね、おまえら。口開いたらあの無益な喧嘩って感じでしょ」
「瀬名せんぱ、」
「あの桃くんがさぁ。ここまでかさくんを隣に置き続けるのって相当だと思わない? 『なんで』じゃなくって事実を見な」



  5

 ぎしり、とベッドが軋む音で目が覚めた。
 桃李くんは、たしか飲み会だったような。
 いつの間にかお酒が飲める歳になっていた。
 つい最近まで、肩のあたりまでしか身長がなかった気がするけれど。たしかに、同い年なのだから誕生日を迎えれば、お酒が飲めるのである。
 そのままベッドにダイブして……というか私の体の上にダイブしてきて、ぐりぐりと肩に頭を押し付ける。
 身内での飲み会だったようで、服はスーツではなかったから、皺など気にしないでよさそうでよかった。
 へへ、つかさだあ、などともにゃもにゃ言いながら、顎を掴まれたかと思うと、次の瞬間には口を塞がれていた。
 桃李くんのなかにそういう概念あったんだなあ、と一周回って考えてしまうも、ぬるり、と舌を入れられた瞬間飛んだ。なんて?
 口内だから熱いのか、それともアルコールが入っているからか。熱いものが口の中で好き勝手動いていた。
 息継ぎの方法はよくわかっていないのか、一度ぷは、と口を離して、もう一度。
 さらにもう一度口を離したところで意識が途絶えたのか、がくんと力が抜けて、体が落ちてきた。
 いつの間に、こんなに重たくなって。
 次の日目を覚ました桃李くんは夜のことなどなにも覚えていなかった。そもそも帰ってきた記憶すらなかったようで、自室なのに起き上がってしばらく固まっていた。
 瀬名先輩に相談したところ、「いい加減認めな」と返された。
  6

 婚姻届。
 誕生日の朝、机の上に用意されていたのは三百六十度どこからどう見ても婚姻届だった。
「何を心配しているのか知らないけどさあ、司」
 桃李くんはもう一つの指輪を私の手に落として、左手を差し出しながら。
「ボクは司の健やかな成長と日々の安寧を願う程度には、司のことが好きなんだよ」
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