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完成

 そもそも土地が悪いというのもあるし、設立当初からいろいろと、敷地内に慰霊碑が建てられる程度に何かがあった夢ノ咲学院なので、その手の噂は絶えない。
 落下する人の影を見たのに窓の外を見ても誰も何も落ちていなかった、とか。自分たち以外が泊っていないはずなのに別のユニットが練習している声が聞こえた、だとか。ベタなものだと目が動く写真、勝手に鳴るピアノ、永遠に辿り着けない屋上、存在するはずのないレッスン室。などまあたぶん全校生徒に聞いたら全員から違うその手の話しが聞けるんじゃないかという勢いである。
 それでも今回のは聞いたことがないなあ、と思った。


 気が付いたら見覚えのない部屋にいた。
 テニス部部室より少し広く、教室より少し狭いここは、床も壁も天井も傷一つなく真っ白い。室温は寒くも暑くもなく、ほどよい温度で保たれていた。光源は天井に円形の蛍光灯がひとつ。部屋には窓も時計もなく、電気のスイッチもなければドアもない。時間も場所も完全にわからない。
 自分と蛍光灯以外にこの部屋に存在するものといえば、同じクラスの女子生徒、朱桜司のみだった。
 自分と同じく夢ノ咲学院の夏服を着用している。最後に見た朱桜司と同じく、右手人差し指の第一関節に絆創膏が巻かれているあたり、己の知る朱桜司ではあるのだろう。この場は少しおかしいけれど、少なくともこの朱桜司はよく知った朱桜司だ。たぶん。
 断定できないのは、まだこの朱桜司(仮)は床で体を丸めて寝転がったまま、目覚めていないからである。


 それにしてもこの部屋、何もない。水も食料も……トイレも布団も。床と、光源と、温度のみだ。
 そんな感じの実験があったなあ、と現実逃避する。発芽条件の実験だっけ、成長条件だっけ。バーミキュライト。
「……桃李、くん?」
 もそり、と司が起き上がったようだった。
「おはよ」
「おはよう……ございます。ここは、」
 そう言いつつぐるり、と見まわして、顔をこわばらせる。
「誘拐……? にしては妙ですね、いろいろと」
「……司の最後の記憶は? ボクは二〇××年△月*日、十七時ごろの見回りなんだけど」
「私も××年△月*日、十七時ごろのユニット練習の休憩ですね。さすがに十七時なら生徒もまだたくさんいたでしょうし、不審者が紛れ込んだのだとしても誘拐を成功させるのは不可能でしょう。内部犯の可能性もありえなくもないですが……」
「それはないよ。……ボク、弓弦と一緒に動いてたもん。何かあったら絶対に弓弦がなんとかしてる、こんなことになってない」
「だとしたら……平和な案だとしたら、抗争時代に作られた隠し部屋に入ってしまった、だとかその類でしょうか」
「それもないでしょ。どこにこんなスペースがあるの」
 さすがに、地図にこんな教室一個分の空きがあったら気づく。それとも、最初から夢ノ咲学院に存在していた? 
 ……まさか、ありえない。そもそもこんな真っ白な部屋が存在する必要なんて。
 そもそも、司がいたであろうスタジオと自分がいたところは階が違うどころか棟すら違う。
「あの、桃李くん」
 なんて考えていると、物色していた司が声をあげた。こころなしか、声が震えている。
「これ、どう思いますか」
 かさり、と音が聞こえる。
「えっこの部屋紙なんてあった……?」
「いえ、その……ブラウスのポケットに、入っていたのですけれど、」
 折りなおした状態で手のひらに乗せられたそれを開く。乗せるとすぐ司は目を逸らしてしまった。
 開くと葉書くらいの大きさであったそれの中心には、一行だけ文字が印刷されていた。
『胸を触らないと出られない部屋』
 むねを、さわらないと、でられないへや。
「っはあ!?」
 一度読んだだけでは理解できず、何度か文字を辿り直す。何度読み返してもそこにあるのは「胸を触らないと出られない部屋」の文字だった。
「……どういう意味だと思う?」
 幻覚の類じゃないだろうな、と思いつつ、司にきいてみる。
「……今自分で触ってみたのですが何も起こらなかったので触るのは相手の胸なのだと思います」
「なにしてんの!?」
 幻覚じゃなかった! そりゃそうだ。
 無意識に視線が司の胸に向かってしまう。こいつ、意外に胸が大……じゃない、そうじゃなく。今日の下着は白か、じゃなくて!!
「ごめんつかさ一回殴って……」
 どん、と頭のてっぺんにチョップが入った。司が手をさすりつつ。
「桃李くん、そういうことには興味ないと思っていました」
「いくら弓弦でもクラスメイトの口までは規制できないでしょ……」
 というか最近は専らサ……衣更先輩である。
「……司、責任とれとかお嫁に行けないとか言いださない……?」
「そんなことを言っている場合ではないでしょう。出られなければお嫁に行くどころではないですし……」
 あと桃李くんと結婚なんて死んでも嫌、と続けられた。そこまで言わなくても良くない? ボクも司がお嫁さんとかあまり考えたくないけど!
「もう、ほら、よくわからないtensionのうちにさっさと済ませてくださいよ桃李くん。Knightsのliveが近いのです、はやくlessonに戻らなくては。胸なんてただの脂肪の塊です、肥えたおじさまがたのお腹と一緒です」
 ほら、と司が自分の胸を持ち上げている。こういう時にまで妙な行動力を発揮しなくていいのに。……持ち上げられるほどあるんだ、そりゃあ、あの大きさだもんなあ、というかやめて、本当に。
「うっ……しつれいします……」
「どうぞ」
 右手を司の左胸に押し付ける。暖かい。手に伝わるのは殆ど下着のごわごわ感だけど、その奥に何かあるという圧がすごい。直接触っているわけでもないのに柔らかさがこれでもか、というほど伝わってくる。それが司の呼吸に合わせて、心臓の拍動に合わせて動いている。
「……ませんね」
「へ!?」
「何も起こりませんね。接触が足りないのでしょうか……こう、もっとしっかりと触ってみてはどうでしょう?」
 司がボクの手首を掴んで、さらにぐっと胸に押し付ける。
 既に手のひら全体に胸が当たっていたのに、ぐいっと……そうか、柔らかいからまだ沈む余地が? よくわかんない! 指先が当たっているのは下着じゃなくて肌なのではとか考えたくない!!
「うむ……ダメみたいですね、まさか直接……」
 そう言いつつボタンに手をかけられたので流石に止める。
「嫁入り前の女子がそれはどうかとおもう……」
「ええ、でもやはり直接……」
「せめてブラウスの隙間からとか……」
 ううむ、と司は首を傾けると、ボタンを外そうとしていた手を背中に回した。ぷち、と何かが外れる音。それから、袖から手を入れ、ブラジャーの肩紐……? を裾の隙間から引っ張り出して、腕を抜く。それを反対側もやって、ブラウスの胸元に手を入れたかと思うと、ずるりとブラジャーが出てきた。
 ……何が起こったの? 
 ブラジャーって上になにか着たままでも脱げるものなの? 
 ……よくわからない。でもたぶんあれを習得しても使う機会はない。
 それから司はブラウスの裾をスカートから引っ張り出して、お腹のあたりまでのボタンを外した。お腹も十二分に目に悪い。私服はもちろん、Knightsの衣装もかちっとしているので、朱桜司がお腹を出しているところなんて見たことがない。瀬名先輩にお菓子の食べ過ぎを注意されているわりには細、いやそうじゃなくて。たぶんそのぶんはお腹じゃなくてもっと上の、いや、だから!!
 まって触るの? あれに? 服の上からでも十分すごかったのに? 
「……桃李くんの表情、今まで見たことないくらいころっころ変わって面白いですね」
「なんで司はそんなに落ち着いてるの!?」
「桃李くんがこれでもかってくらい動揺してるので……?」
「それだけでそんな!? 朱桜っていろいろ堅っ苦しいんだと思ってたんだけど」
「……娘に色仕掛けを仕込もうとするような家ですよ、あそこは。……一応、父が反対したので、まだ未遂なのですが、避け続けられるかは」
 ぐ、と距離を詰め、ボクの手を取る。
「よく知らないおじさまがたに触られるくらいなら、桃李くんが初めての方が何倍もましだと思いました」
 司の手は冷たくて、すこし震えていた。
「……司もこんなよくわからないところに急に突っ込まれて、こんなことになって……怖いよね、ごめん」
 ごめん、ともう一回呟いて、そっとお腹のところから手を差し込む。手が冷たかったのか、ん、と司が小さく声をあげた。そのまま体の横を上に辿ると、骨の感触から急に柔らかい、さっき指先に感じたあの感触が。
 一気に心拍数が上がったのがわかった。何これやっばい! この位置、本体、って言っていいのかわからないけど、本体に触れているわけではないのに、いや厳密には本体の根っこなのかもしれないけど、なにこれ、すごい。さっきからすごいやばいしか言ってないけど、本当にすごいしやばいんだってば。
 このまま、手のひらを付ければ胸を触ることになる。
 いいの、と確認したらさっさと済ませてくださいと返された。もう無理、しばらく司の顔見れない。いや見たいわけじゃないけど、というか見たくないけど。
 覚悟を決めて手のひらを司の肌につけると、それはもうやばかった。
 さっき布二枚、うち一枚はかなり厚地の……を挟んでも伝わってきたあの柔らかさ暖かさが、ダイレクトに伝わってくる。何これ、指が沈む。形が変わる。持ち上げられる。何これ、何これ!
「……う、っ、あのう……桃李、くん。……解放、されませんね」
「えっ」
 手を止めて、見まわす。相変わらず、出口っぽいものはどこにも見当たらない。
 一度手を離そうと浮かすと、手のひらの中心を何か硬いものが掠った。
「ひっ」
 どん、と胸元に衝撃があった。


「……坊ちゃま?」
「ひっ、違うの弓弦、これには深ぁい訳があって……って弓弦?」
 気がつくとそこは廊下で、側にいるのは弓弦になっていた。あれ、司は? さっきまでのは夢だった? 
 いやいやまさか。手に残る感触がこれでもかってくらい生々しい。これが夢だったら何なの? 
「深ぁい……? 夜更かしでもされていたのですか? それとも体調がよろしくないのでしょうか、ですが顔色はいつも通りですし……」
 弓弦がべたべたと顔やら手やらを触ってくる。それらを引きはがしつつ。
「……え、あ、ごめん、ちょっと意識が飛んでたみたい……何が起こってたの?」
「坊ちゃまの返事がないと思ったらずっとぼうっと一点を見て立っておりまして……話しかけても目の前に手をかざしても反応しませんし。何事かと思ったら急に。……いちど保健室で休まれますか? それとも今日はもう、」
「大丈夫、そこまでじゃないから……生徒会室に戻って机作業してるね。あとはおねが、」
 そう、生徒会室のほうに引き返そうとすると。
「……あの。桃李くん、少し借りてよろしいですか……? 終わったら家に送りますので」
 弓弦を挟んで向こう側から、さっきまで聞いていた声が聞こえてきた。さっきまで見ていたのとはちがって、しっかりと裾がスカートの中に入れられ、ボタンも、第一ボタンまで全てきっちりと閉じられている。
「これはこれは、司さま。……坊ちゃま。大丈夫そうですか」
「話すくらい、大丈夫だから……じゃあごめん、弓弦、生徒会のぶんもあとは任せた」


 ぐいぐい袖を引っ張られて、廊下を移動させられる。
 ぽつぽつと、司は自分が戻ったときの話をしてくれた。ボク側の話はたぶん、さっき聞いていたのだろう。
 司は休憩でお手洗いに行くところだったのだという。スタジオを出てしばらくたっても帰ってこないのを不審に思った瀬名先輩に、水飲み場のところで蹲っていたのを発見されたそうだ。服は元に戻っていたので不審に思われることはなかった。でも体調不良と判断され、帰されたのだという。
 連れて行かれたのは一年B組の教室だった。
 司が自分の席に腰掛けて、ぼくはその右隣の席をてきとうに拝借する。
 なんて切り出せば良いのかわからなくて、お互い黙ったままだった。スピーカーから導入の音が聞こえて、三年A組守沢くん、至急職員室斉藤まで。守沢……流星レッドの人だっけ。すごい頻度で呼び出されてるよなあ。
 ……じゃなくて。
 深呼吸をして、話を切り出す。
「……もう二度と口を利きたくないとか言われるかと思ってた……ごめん」
 司が視線をあげて……ボクの目からは少しずらして、返してくれた。
「不可能でしょう、そんなの……あれは不可抗力でしたし。仕方ありません。あの部屋、ほんとうに何もなかったですし、あのまま何もしないでいたら餓死していたでしょう。私の脂肪ていどでどうにかなるのなら、」
「……普通に、倫理的にアウトでしょ。文通から始めなくても、そういうことは余程の事故でない限り、ちゃんと段階を踏んで……」
「ですからあれは余程の事故でしょう、という話をしておりますのに。過ぎたことをどうこう言っても何にもなりませんよ」
「序盤の段階で気づいてれば変わった訳じゃん」
 胸を触らないと出られない部屋。
 胸を揉まないと出られない部屋ではないのだ。つまり、あれで出られなかったのは、条件が満たされていなかったということで。
「ですから。……だいたい、私のブラウスの胸ポケットに入れられていて、『胸』という単語だけでしたらそりゃあその『胸』が桃李くんのものも指しているとは思わないでしょう。私も思いませんでした。だから桃李くんがすることは戻ってこられたことを喜ぶこととその手に残る感触を忘れることだけです」
 司の表情も声色も、だいぶ普段の調子に戻ってきた。これで、完全に、とまではいかなくても、いつも通りになるといい。
 ……て、ん? 
「なんでわかんの!?」
「いや、さっきから桃李くん視線と手の動きが妙ですし……? 柔らかいのはわからなくもないですけど、桃李くんの二の腕なんかもおなじようなものでは?」
「『わからなくもない』……」
「そりゃあ自分でも触りますし」
「触るの!?」
「触らないでどうやって体を洗ったり着替えたりするのですか……って、いや、忘れてください、って話です、とっとと忘れてください、今すぐ」
 なにを無茶な。あの感触でも生々しかったのに、着替えとか体を洗うとか、刺激が強すぎる。いままで諸々遠ざけられていたせいなんじゃないかな、弓弦。でもサ……衣更先輩とか見ていたらそうでもなさそう。
 忘れたいのに、どうしてそう、追い打ちをかけてくるの司は。
「もう、こうなったら朱桜に伝わる方法で記憶を……ほら、帰りましょう桃李くん。私を送ったついでに座敷牢にでも閉じ込められてみてはどうでしょう。内容はともかく三食は約束します」
 がたり、と立ち上がって、荷物を持つ。
「絶対その食事になにか仕込んでるよね?」
 でもそうでもしないと忘れられなさそう。
 と、教室の外へ一歩踏み出したときだった。


 さっきと同じような真っ白な部屋。相変わらず壁に扉は見当たらず、六面全てが真っ白い。光源が蛍光灯のみなのも変わらない。ただふたつ、さっきと違うところがあった。
 まずひとつ。真ん中に置かれている、家で使っているのと同じような大きさのベッド。
 そしてふたつめは、壁に並ぶ文字。
 隣で、どさりと崩れる音がした。
 そこに書かれている文字は、何度読み返しても、瞬きを繰り返しても変わることはない。



『セックスをしないと出られない部屋』

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