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(CPなし)

悪魔の力に同調する結晶を体に埋め込まれ、その力を使う者をシャードリンカーと呼ぶ。
その実は、人間の体を悪魔の力を得るための苗床にするという人の道理を踏み越えた禁忌の技術だ。当人の意思とは関係なく施されたそれには適性の差があり、単なる培養地として命を落としたものもいる。そうでなくとも、シャードリンカーの行く末は等しく寿命によらない死だ。
さらにそれはかつて錬金術師たちの手で大々的に行われた。結晶の浸食を促進して悪魔召喚の材料とする──つまるところ、シャードリンカーとは生贄だった。錬金術ギルドが手を染めた最大の過ちだ。
そうして召喚された悪魔は召喚者の思惑を離れ暴走した。その場の殆どの者が死に行く中、ヨハネスとジーベルは生き残った。
悪魔召喚のことなどつゆも知らずその場に居合せなかったヨハネスは、騒ぎの渦中から遅れてギルドに駆けつけ、ジーベルを見つけることができたのだ。
跋扈する悪魔から結晶の力で身を守りながら、残る錬金術師たちを尽くその手に掛けていく、変わり果てた姿のジーベルを──




器具を定位置に戻すと、金属の触れ合う音がカチンと鳴る。乱暴に扱わないように気をつけてはいるが、焦燥に似た感情がこの時ばかりは平静を許さない。
「…やはり僕の術式では、君の心臓を守るので精一杯だ…すまない」
ジーベルが無言で寛げていた衣服を直す。結晶が擦れて服がだめになるからと、彼は袖や胸元を大きく除いた衣装を好んで身に纏っている。震えるような寒さも茹だるような暑さも彼の体には何の支障も与えないらしい。
意図的に顔の一部が隠れるよう伸ばされた髪の下はやはり人の肌とは異なっている。右の眼球が血を閉じ込めた色の硝子球に置き換わっているので、光を反射しすぎることを嫌っているのかもしれない。

…10年前の出来事、そしてこの10年でほぼ全身を結晶に浸食されたジーベルは、悪魔化と言っても過言ではない状態になってしまった。悪魔の使う魔法を自在に行使し、別の生物に変身することすらできる。特に蝙蝠と相性がいいらしく、結晶体の一部を変身させたり、自ら蝙蝠と化して飛翔したり。限りある食料をほとんどヨハネスに与えてしまうのは、おそらく彼自身がもはや食事をあまり必要としていないから。色素の薄い髪と相まって、伝説の吸血鬼のようだと思わずにいられない。

ヨハネスが先程まで診察していた胸部を撫で、ジーベルは呟いた。
「心臓と頭さえ無事ならいい。そこさえまともなうちは、俺でいられる」
ヨハネスは思わず唇を噛む。これは同情とは違う悔しさだ。錬金術師としての自負か、自らの信じた組織が彼にしたことへの負い目か。
どの程度まで浸食が進むと‘おしまい’なのかの知識すらヨハネスは持たなかったため、ジーベル自身の言葉に縋るしかない。ようやく浸食の進行を阻む術式を編み出した頃には、ジーベルが人のままで生きることをぎりぎりの淵で支えるだけとなっていた。

「この身体を厭うどころか…人間扱いするのは、おまえだけだな」
ふと、自嘲するようにジーベルが笑う言葉にヨハネスはどきりとする。ジーベルが皮肉や嫌味で言っている訳でないことはわかっているが、彼の人である部分を守ろうと必死に力を尽くしてきたつもりで結果はどうだろう。
無力感に歯噛みせずにはいられず、ヨハネスはいつも掛ける言葉に迷う。そして、自分のエゴを押し付けるように答える。
「前にも言ったけれど…僕は、君の体で実験しているだけだ。君をそんな体にしたギルドと、やっていることは同じだ…」
「それがどうした?お陰で俺はこうしてまだ生きていられる。…おまえは俺を恨んでも、怯えてもおかしくないというのに」
「おかしいさ。むしろ君が僕を恨む方が筋が通っている」
「錬金術師どもの考える筋など道理に反してばかりだろう。その結果がこれなのだから」
10年前のあの日、ジーベルの体を染めた血は悪魔のものと人のもの両方だ。錬金術師への憎しみによる報復に怯えなかったといえば嘘になる。自分が知る友の面影が残った化け物──そう思うことがなかったのは、ヨハネスを認識したジーベルが彼だけは守ったからだ。
だからジーベルと共に行くことを決めた。
そこにあったのは、互いに若さゆえの情であったに違いない。
「……」
何度も繰り返された問答。癒えていない傷を抉り合うような不毛なやりとり。
ヨハネスは同じ錬金術師として、ギルドのやっていたことを知らなかったでは済まされない。この10年の行いはジーベルへの償いであり、錬金術師としての探求をやめなかった功と罪でもあり、自らの望みそのものだ。
望みとは難しいものではない。
「ジーベル、僕は…昔も今も、君と友人でいたい」
「いたければいればいいさ──親愛なるヨハネス」
ジーベルが返す言葉にはどこか棘があり、それでいて表情は和らいでいる。ヨハネスへの憤りではないのはわかっていたが、彼の抱えるものを理解できると思うほど傲慢にはなれない。

きっとジーベルはヨハネスのことは許しており、錬金術師のことは決して許していない。
だからこの話をするかどうか迷っていた。
しかし、彼から決める権利まで奪うことはそれこそ裏切りだ。
「……ジーベル、聞いてくれ。師匠が生きていたんだ。知らせが来た」
ヨハネスの言葉にジーベルの眉がピクリと跳ねる。反射的に漏れた殺意にヨハネスの身は竦む…ヨハネスに向けたものではなくとも。
だが大切なのはこの先だ。


「──ミリアムが目覚めた」


ジーベルの隻眼が見開かれた。
言葉を挟まれる前に説明をまくし立てる。
「残念だが、師匠にも彼女の居場所はわからなかったそうだ。ただ、10年前に施した、彼女の眠りを保つ術式が完全に解けるのが今…それだけを僕に伝えてきた」
ミリアムが目覚めないまま起きた10年前の殺戮劇。その後手を尽くしてもミリアムを見つけることはできなかった…死体は見つからなかったという意味だが、師の手引きなら今さら彼女の命を損なう真似はしないはずだ。
彼女に眠りを施し、命が永らえるよう取り計らったのは師なのだから。
そこまで調べるので精一杯だったが、分かったことは包み隠さずジーベルに伝えてあった。

ミリアムの名を聞き、鋭さを増したジーベルの瞳がヨハネスを射抜く。
「いつ知った?──なぜ黙っていた」
「僕は君に嘘はつかない。だが、伝えるタイミングくらい考えるさ」
言いながら、ヨハネスは師の話を聞いた時を思い出しギリッと手を握る。机に叩きつけたい気持ちを堪えるためだ。
今回の話が本当なら、師の術式はミリアムの時を10年もの間留めることに成功している。
その片鱗でも知っていれば──ジーベルの浸食をこれほど手のつけられない状態にはせずに済んだかもしれない。元はといえば師の編み出した技術、己の力量の至らなさを棚に上げての勝手な憤りだ。
「……それで?」
本題を急かしてジーベルがヨハネスを見据えている。身勝手な懊悩に囚われるより、その要求に応えるのが先だ。

「…そしてこれが、教会からの依頼だ」

蝋の外れた封書をジーベルへ手渡し、中身を追うのを待たずヨハネスは説明する。
「『悪魔の城』が召喚された…もとギルドのあった場所に。このタイミング……偶然だと思うかい?」
ミリアムが生きている可能性はあった。
だがもし眠ったままの彼女が無事であるとしたら、ずっと何者かの手にあったということだ。そして、それはこの世で唯一彼女を知りながら彼女を利用する意思を持たない者──ジーベル、ヨハネスの元ではなかった。
ミリアムが目覚め、城にいるのなら──彼女はもう‘彼女’ではない可能性の方が高いのだ。
ヨハネスの苦虫を噛み潰したような顔に、ジーベルは涼しいままの表情で返答する。
「……行けばわかるのだろう?」
「いいのか?」
「なぜ良くないと思う」
「………」
「ミリアムが悪魔を喚んだ……それが本当なら、なおさら俺が行かない『道理』がない。…その目で見て判断しろ…か。言われずとも…」
くしゃ、と手の中の紙を握りつぶしながらジーベルは独りごちる。燃やされなかっただけ御の字か。

ジーベルとミリアムはかつて約束していた。
結晶が心身に及ぼす苦痛に耐えながら、ギルドの正体を知らぬまま、自分たちの未来を信じていた頃。力の使い方を誤ったならお互いを止めようと。
ミリアムがどんな形でも生きているのなら、その約束も生きている。

「そうだとしたら…君はどうするんだ?」
「約束を果たすだけだ」
いいのか、とヨハネスはまた聞いてしまう。良くないと答えてほしいからだ。ジーベルとミリアムは、ヨハネスは、良き友人だった。身寄りのない境遇で得た兄妹のような仲だったのだ。
「…俺が今さら人を殺めることに怖じ気づくと思うのか。結果がそうなれば、それがミリアムへの救いだ」
「…………っ」
ミリアムを止めるということの意味をジーベルは最悪の場合まで理解している。何でもないように言葉にしてみせる。
それがどうしようもなく痛々しい。
「出立に船を寄越す、か。お陰であまり時間がないな。急いで準備をしよう」
フックにかかった黒い外套を手に取り、ジーベルはヨハネスの研究室を後にする。失意に項垂れてすぐには動けない自分と違い一切の迷いがない。ヨハネスにはそう見える。これ以上、待ってくれと留める資格が自分にはない。



去り際、ジーベルの影が振り向いて言った。

「──……ヨハネス、俺はおまえにも、救われてほしいと思っている」

遠ざかる足音が聞こえなくなってもヨハネスは顔を上げられなかった。
ぼとぼとと床板に涙が落ちる。
届けられない声がどうしようもなく震える。

「……そんなのは、駄目だ…ジーベル」

ヨハネスは気付いていた。ミリアムとジーベル自身への救いは同じもの、そして、ジーベルの言うヨハネスへの救いは全く違うものだと。
(…そうやって君はいつでも、消えることを考えて動く。自らの存在は誤りだと言わんばかりに)
ジーベルは、シャードリンカーという存在をヨハネスの人生から消してやりたいと思っている。
自己犠牲でもなく同情でもない、死すべきものと生きてゆくべきものという冷徹な線引きで、友を祝福しようとしているかのように。


──そんなことを僕は望んでいない。
君は重荷でも枷でもない。僕の、かけがえのない友なんだ。
ただ、失いたくないだけなんだ──


優しさの棘は消えない傷。いつまでも痛みを纏い血を滲ませる。
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