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(CPなし)

──視界の横で、魔導アーマーが弾け飛び四散する。
大丈夫、あれはもはや搭乗するハチの体そのもの。ハチを復活させる際に共に補修される。不思議だがそういうもので、錬金術の功罪を思う。
それでも落ちていく破片を踏みつけ、残骸を見捨てて横を走り抜けることに身を斬られるような罪悪感を覚え、誰もがその苦痛と共に足を動かす。ただ純粋に斬月を慕い、仲間を追ったハチの姿を思い浮かべながら、遠く、まだ見えない先へ──



月から飛来する悪魔の軍勢、その大元が鎮座する封魔神殿。
そこへ斬月は皆を待たず一人で向かった。
アルフレッドが次々と集まる仲間達にそれを告げたとき、憤る者、焦る者、悲しむ者と様々に揺らぎはしたが、皆すぐに後を追うことを決めた。
斬月は犠牲になりに行ったのではない。露払いをかって出ただけなのだと信じて。
月へ飛ぶ船のパーツは残った仲間達が集めたもので概ね足り、二隻目を作るのはそう難しくなかったらしい。飛来する悪魔と対峙する武器だけは斬月の乗った一隻目に搭載されていたため心もと無かったが、まさに露払い後、道行きにほとんど驚異となる悪魔は残っていなかった。
全てが度しがたいことのようでいて、空に浮かぶ月などという未知の場所だって、信じる者のためであればどこへでも行ける。



──視界の先を黒い影が飛んでゆく。
蝙蝠の群れは、人の足より優れた飛翔速度のまま奔流となって悪魔の口に突っ込んでいった。赤い影に届きかけていたであろう悪魔の牙は押し返され、その隙に斬月は障害を乗り越え頂きに向かう。
そして突進以外に攻撃手段を持たない蝙蝠は、末期の蛇のようにのたうち回る悪魔に噛み潰されながら散っていった。千切られた翅が風花のごとく舞い落ち、赤い宝石のごとく煌めく。
それを感じながら、共に走るミリアムの喉笛がヒュウウと甲高い苦鳴を奏でるのを聞く。足も視線もそちらには一切向けることはないが、どれほど覚悟をしていたところで完全に割り切れる者などいない──



月は地上から見ればあれほど明るい姿をしていたのに、いざ来てみれば岩と砂しかなかったのには驚いた。雲一つない真っ黒な空から差す煌々とした光が、悪魔の本拠地たる禍々しい地下の道を照らす。
月とは、本来なら、海の中と同じように人が生身で降り立つことなどできない場所らしい。だが神殿の中は何らかの力で地上のような環境が保たれていた。これも悪魔の地上侵攻の一策なのかもしれない。それは攻め込むこちらとしても甚だ好都合だ。
絶対におまえたちを地上になど行かせない。
少し地を蹴るとふわりと浮いてしまう感覚に慣れるのには少し手間取った。道行きに散らばる悪魔の残骸を憎しみに任せて踏みつけたい気持ちをこらえて進む。



──どんな体勢からでも標的を撃ち抜くことができる軽業師のごとき彼の身のこなしは、そんな月の特性を得て十二分に発揮された。離れた場所へ空を飛ぶように跳び上がり、構えた二丁拳銃から放たれる猛火が悪魔の牙を弾く。ここから見えはしないが、冷静に悪魔を射抜く色素の薄い瞳は銃火の赤に染まっていることだろう。
月に着いたあと、仲間の誰もが暗黙の了解としていることをあえて言葉にしたのはロバートだった。
「ドミニク、おまえが最後まで残れ」と。
ドミニクが一度だけ使える蘇生の秘術…無慈悲な力を前にした人のか細い希望を、ロバートはチャンスだと皆の前で言ったのだ。
「おまえが俺たちの唯一のチャンスだ」と。
だから神殿に入ってから、皆ドミニクを護る隊形を崩さなかった。理屈は分かっているけれど、それがこんなにも辛いことだなんて。
ドミニクは思うたび唇を噛む。
メフィストと共に斬られてみせようと意気込んでそれを成せなかったからこそ、今度こそ信じる仲間の犠牲を飲み込んででも前に進もう。
槍を握り、決して反らすことなく見開いた視界の先で。
やがて全ての弾丸を撃ち尽くし、悪魔の捨て身の体当たりで吹き飛ばされる射撃手の姿を見送った──



月の内部に作られた地上のような空間、とはいえ、地上とはまるで違う。神殿の中には草木の一本もなく、作り物の火、異様な造築物、澱むような空気。それら全てが人のいるべき場所ではないと本能に訴えてくる。
ハチやジーベルが足場を作り、全員が安全を確保しながら順番に障害を乗り越え進む。気のせいといえば気のせいではあるが、足を踏み外した先にある奈落はどこまでも救いの届かない闇に思えて込み上げる恐怖を抑えきれない。
斬月はここをたった一人で進んだのか。
仰ぐような気持ちを抱くとともに、一人だからこそ集団移動のロスに煩わされないことにも思い至り、その卓越した戦況見極め能力に改めて驚嘆する。
誰もがはじめは孤独だったかもしれない。
だがいまは全員、仲間のために恐怖を乗り越える力を得た。一人でも一人ではなくても、力を合わせて成すべきことを成せるのだ。
斬月の姿を、行動を見て感じることを、いままた思う。



──斬月が戦う位置は、階数で言えば二階ほど上の辺りにまで近付いてきた。もう少し、でもまだ届かない。
その時、必要のないことは滅多に口を開かない老人が息切れの合間に発した言葉は、やはり必要なことだけだった。
「…ミリアム、転移は問題ない。先に進め」
ミリアムはこくりと頷き返す間だけアルフレッドに顔を向け、ドミニクと共に走り続けた。
アルフレッドの身体能力は並の老人ではないものの、戦う者としては高くない。だが彼には卓越した知識と魔術がある。そして仲間を労り力を尽くそうという確固たる意志が。
アルフレッドが杖を掲げ魔術を発動させると、光にかき消えた姿は斬月と同じフロアに転移していた。纏った炎は力場となって、人が到底太刀打ちできない悪魔の質量をその場に押し留める。
アルフレッドがミリアムにかけた言葉は、転移と炎の力場、二つの魔術を行使するだけの魔力は残っているという意味だった。場合によってはミリアムがアルフレッドを連れて悪魔に突進する算段だったからそれは必要ないと。
そう、転移したあとに行使できる魔術はひとつきり。悪魔を抑え、斬月がより高く飛ぶための炎が燃え上がる様は、まさに蝋燭が燃え尽きる時のそれだ。つい見上げたドミニクの眼鏡に炎の色が反射している。
悪魔を巻き添えに大きく弾け飛び、花火のように消えていった──



壁という壁にいびつに蠢く悪魔の骨、おぞましいとしか形容できない肉体、それらを戒めようとも千切れかけた鎖が散りばめられている。
はるか上空には巨大な翼を生やした人の影が見える。悪魔が天使の姿をしていることに驚きなどないが、その姿を戒める鎖は一体なんだ?封魔神殿という名、かつてここに悪魔を封じ込めたものとはなんだったのだろう?
目前にあるのは人にとっての恐怖。
闇から、そして月から襲い来るもの。
理解できずともいい、怯えることもない、ただ打ち克つために自分たちはここにいる。



──ドミニクは槍を握りしめた。
ミリアムが飛ぶための準備をしている。恐怖のもとへ斬月の刃を届かせるために。目指す場所は目と鼻の先に見えて、走るだけではやはり間に合わないとミリアムの跳躍を槍で補助しようと思ったのだ。
だが、ミリアムが手を振るだけで止めた。その手が鞭を握っていないことにもようやく気付く。
…ああいつだって、私は気付くのが遅いのだ。自分の本当の望みにも、より効率的な手段にも、仲間の覚悟と力にも。
ミリアムは真っ直ぐに斬月を見て飛んだ。軽やかで流星のように速く、しかし何の武力も持たない跳躍。
だが彼女には特殊な力があった。普段はあまり行使しなかった、ジーベルの自在なそれに隠れて見えにくかった力。
シャードとして取り込んだ力を彼女の結晶が解放すると、体よりはるかに巨大な両刃の斧が現れて彼女の体を地に引きずり落とす。その落下エネルギーと共に振り下ろされた渾身の一撃は、さしもの悪魔も悶絶させた。
「──斬月、お願い!!」
ミリアムの叫びを受け取り、そして踏み越え、斬月はついに恐怖の足元に辿り着いた。
その後ろで飛び散って煌めく薔薇のような硝子のような命の破片は、青く赤く乱反射して二人を見送っていた──



泣きたい気持ちなどとうにない。
一人になったドミニクは走り続けた。あと数歩、あと一歩。仲間を置いて、仲間との約束を抱いて同じ場所へ。
堕天使が行使する破壊の力がわずか離れたドミニクの体まで翻弄する。数度鳴り響いた爆音のあとに斬月は一人立っていた。見上げれば奈落を刻んだ顔が矮小な人間を見下ろしている。
憎い、それ以上に、悔しく、怒りが湧き上がる。負けるものか。

「斬月!こちらへ!」

ドミニクの声に反応し、攻めあぐねていた斬月は駆けた。彼の決断と動きはドミニクが知る人間の中で最も速い。
槍を蹴って跳躍し、くそったれな恐怖の喉元に刃を叩き込む斬月を見届ける。
だが、さすがに一撃では終わらない。
「ご、ぁっ!!」
着地してすぐ、巨大な赤い月の奔流と鋭い三日月のような刃にドミニクの体は打ちのめされた。ヒーリングプラントの種は斬月に渡したもので最後だ。床にへたり込みしばらくは動くこともできない。
だが、命はある。
まだ"チャンス"はある。
私に課せられたのは共に死ぬことではなく、生き残ることなのだから。
「はぁぁぁぁ!!!」
斬月が自分をかばって刃を斬り、傷を受けるのを見た。…不甲斐ない、馬鹿なことをしないで、ありがとう。錯綜する感情の中で何を言うべきだろうか。
届くかわからないか細さで声を絞り出す。

「──大丈夫。何度だって跳んでみせますわ」

胸元に握りしめた唯一のチャンスを守りながら、動かない手足を叱咤し、苦痛を堪え槍を握る。
皆を待たせているのだから。
だから斬月、そんなもの、早く斬って捨てて。

恐怖などに私達は負けないと。
俺達の力で勝てない道理はないのだと、もう一度その声で聞かせてほしい。
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