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(CPなし)


見るものに畏怖を起こさせる歪ながら荘厳な城は今、昼の光の中にあった。その一室、建付けは立派ながら他と比べればどこかかわいらしい雰囲気の扉を、女性のほっそりした手がノックする。
「アルカード?」
室内からの返事を待つが何も聞こえず、入るわねと声をかけてから、彼女は我が子の部屋へ足を踏み入れた。
時間的に眠ってはいないはずで、幸い、日が昇っていても息子には関係がない。お土産を渡したりお話をしたりやりたいことはたくさんあるが、何よりもまず姿が見たかった。
しかし、子供に合わせて作られた机には姿がない。室内を見渡しても、ベッドにもクローゼットの辺りにもいない。
「おかしいわ…お勉強をしていると聞いたのに?」
リサ・ツェペシュは首を傾げながら、もう一度影も見えない息子の名を呼んだ。
アルカードは自分を探す母を見て、悪戯の成功に喉の奥で喜びの笑い声を上げる。
母さん、気づくかな?まだ気づかない?
キョロキョロと辺りを見回す母親に自分の居場所を知らせたくて、アルカードはわざと身体を揺らして物音を立てた。ぎしぎし、と梁が僅かに軋み、埃とも石とも判別付かない欠片がパラパラと床に落ちる。

「───キャッ!!」

間をおいて音に気がついたリサは、天井に蝙蝠のように逆さに貼り付く我が子に気づいた瞬間、思わず悲鳴をあげた。
その反応が嬉しくて、アルカードはキャハッと子供じみた笑い声をあげる。照明の点いていない天井の暗がりの中に、ペイントされた天文の星々と逆さ吊りの金髪がきらりと光る。
「もう…驚かせないでアルカード。さあ、降りていらっしゃい」
驚きで自分の胸を抑えていた両手を、母は愛しい息子に微笑みと共に向ける。
その胸に思い切り飛び込みたかったが、通常の人間女性に天井から落下する子供を受け止める力はないことを知っているアルカードは、その気持ちをぐっとこらえる。すぐには動かないアルカードに降りてくる気がないと解釈したリサは、何かを思案しながらニコニコと笑う息子に少しだけ苦笑する。
そこへ、入口から別の声がかかった。
「アルカードよ…そう母を困らせるものではない」
母のあとから現れた父の表情は普段より穏やかで、声は笑っていた。あまりないことなので、蝙蝠ごっこなど品がないと怒られるかと一瞬身構えたアルカードもより相好を崩す。
「降りてくるがよい」
そう言って、父は天井に居るアルカードに手を差し伸べる。鋭く長い爪はアルカードを引き裂くことも容易いが、見る間に爪は短く変形し丸みを帯びた。
父が、アルカードを受け止めてくれるというのだ。
普段は厳格な父さん。今日はご機嫌がとてもいい。母さんが久しぶりに城に来たからだろうか?僕も会いたかったもの、そうだよね。
アルカードはたまらなく嬉しくなって、天井の梁を手放し父の腕めがけて落下する。どす、と音がして大きな手に抱かれた。
父の体は大きく、鉄のように固く、いささかも揺るがず力強く、しかしアルカードが痛みを覚えないよう優しく受け止めてくれた。圧倒的な安心感にますます顔も綻ぶ。
「父さん、高いね」と言うと、父は唇の端を持ち上げてはっきりと笑ってくれた。天井から見下ろすより、同じ高さで目を合わせられることが嬉しくてアルカードはお行儀悪くぱたぱたと脚を振る。母も嬉しそうにその様子を見つめている。
「いささか重くなったか」
「背も随分伸びたわ。服を新調しなきゃかしら。それともほしい物がある?」
アルカードは、もうおもちゃで遊ぶより父の書物を読む方が好きだった。部屋に近付く母の気配を察知するまで、本当に勉強もしていたのだ。それを知っていたから父も怒らなかったのだろう。
「大丈夫、なにもいらないよ。母さんはいつ帰ってきたの?」
「ついさっきよ。いつも留守にしていてごめんなさいね、アルカード」
父の腕から降り、母に抱きつくと、愛しているわと頬にキスをくれる。

本当に何もいらなかった。
父がいて、母がいれば充分だった。
父の腕に抱えられ母に頬を撫でられ、その嬉しさが溢れて3人で笑っていた。たまらなく、幸せな時間だった。



───夢を見ていたように。過去の追想から覚める。
霞んだ目を開くと、目に映る全ては見知った廃墟の内側だ。
誰もいない。本当に誰もいない。この城にはアルカードひとりしかもういない。
何度泣いても涙が枯れても泣きたい衝動は訪れた。母が自分や父と違う寿命をもっていて、先にいなくなってしまうと理解したときと同じくらい泣いているかもしれない。
この悲しみに慣れる日は来るのだろうかと思いを馳せる余裕すら今のアルカードにはない。

ただ、あの頃に戻りたいと願うわけではない。過去をやり直したいなどそれこそ夢想にすがって正気を失うつもりはなかった。
アルカードがたったひとつ後悔しているのは、母を救えなかったこと。
父は旅に出ており、自分は母とともには暮らさなかった。父と同じ種族として生きることを母が望み、自分もそうあるべきと思ったから。
けれど、自分は父よりは母の近くにいたはずなのに。
どうして母の側にいなかった。どうして。
それが自分の罪だと思った。
母を救えなかった罪。父を殺した罪。最愛の両親の命を失わせた罪。
自分を、宝物と言って愛してくれた両親を。
──だって、アルカードの世界はほとんどそこにしかなかった。父の配下の同族達は一緒に暮らしていないし、たまに会うことがあるとどこかアルカードを侮るか冷めた目で見た。それは混血であるアルカードの“半分”への侮辱だったと気付いたとき、彼らとは必要を除く一切の交流を断った。
吸血鬼にとって餌かペットに過ぎない人間への侮り。
それは最愛の母と、母を愛する父への最大の侮辱だったから。

自分だけが、母の最期の叫びを聞き届けたことに意味はあったのだろうか。
母は最期までアルカードの名を呼ばなかった。異端審問で処刑される者が口にした名は、同じ迫害の対象となるに決まっているからだ。母は力に寄らないやり方で父もアルカードも守ろうとした。
その気高き母を、誇り高き父を汚すものは許すことはできない。
…だから父を殺したのだ。母の願い、そして父の名誉を守るために。
なんとちぐはぐで、バラバラなのだろう。
それでも、己のしたことを過ちとは思わない。


「──トレバー。トレバー・ベルモンド……、サイファ・ヴェルナンデス……」

アルカードが母以外で人となりを知った、初めてと言っていい人間。
特にトレバーは、12か13の頃に生家を焼き出され、家族を失ったという。その失意は如何ほどのものだっただろう。分かりあえるとは思わないが、トレバーはアルカードの苦悩に自分の継いだ物を託すことで寄り添おうとした。彼が取り戻した誇りは、立ち竦みそうなアルカードの背を押した。
サイファはトレバーやアルカードとの同行で、初めて家族や仲間と離れたという。それを不安だと口にしたが、彼女もまた自分の足で前に進む。家族には生きていればまた会えると。
それに、彼らは新たな家族となることもできる。
羨ましい、という表現では足りない。アルカードが失ったものを埋めるには、それだけでは地底の空洞に砂粒を撒くに等しい。
それでも、父母以外で思い浮かべるのは彼らのことだ。

生きていれば、また会えるかもしれない。
母は見送れなかったが、彼らは見送れた。
会話し、意地も張り、冗談半分でいがみ合うことは楽しかった。地底の広く深く凍てついた湖は、僅かながら照らされ満たされていたのだ。
今になってようやくはっきりとそれを思い、涙が出るときと同じように、ツンとしたものがアルカードの胸に込み上げた。
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