ラルアル
曰く、流水を渡ることができない
曰く、招かれねば家に入れない
曰く、日光と銀に弱い
曰く、山査子の杭で心臓を貫くまで死ぬことはない…
…等々、それらは後世に出来上がった吸血鬼の俗説で、今はアルカードもラルフも知る由はない。
知らずとも一羽の蝙蝠は木々を抜けせせらぎを飛び越えて家を訪う。招かずともかの家の窓は夜毎開かれているし、変身を解いたアルカードの手に煌めく銀のクロスは彼自身に何の害も与えていない。
そして、心臓ではなくその身体を欲のままに貫かれる。
それは望み望まれてのことだ。夢幻ではない体は確かにラルフの腕の中で夜を共に過ごす。そう、言葉通りに。
「──……、む…」
アルカードを抱え込んだラルフが身動ぎすると、薄手の生地が縒れて肌が顕になる。戯れの続きかと思えば、アルカードの耳には変わらず落ち着いた寝息が聞こえている。ラルフに抱き枕よろしく抱えられて眠るのもよくあることだ。いつも意識を失うまでアルカードを離そうとしないから。
…しかし夜は人が眠り、魔物が活動する時間。気怠さに任せてうたた寝をすることはあっても深い眠りを共有することはない。
ラルフの眠りを確認すると、アルカードはそろりと腕から抜け出そうとする。…分け合った体温が夜気に散らされるのが少しだけ惜しい。
ラルフとは、悪魔城でたまたま出会い共に戦っただけの人間…ではもちろんない。友以上に仲間以上に、愛おしいと思わなければこのような関係を結んだりはしない。
だが終始そばに居座るつもりは毛頭なかった。人と人でないもの、こうして夜に許されたひと時を過ごせれば満足なのだ──
「ぐ、ぇっ」
起き上がろうと寝台の端に手を掛けた瞬間、脱力していた筈の腕が強くアルカードを引き寄せた。そのまま元のように抱き抱えられ、思わず蛙のような声が出る。
(起きていたか、寝惚けたか……?)
表情は見えないが、抱き寄せる力の緩む様子がないことから前者だと判断した。すり、とラルフの鼻頭がアルカードの耳に擦り寄せられ、甘くはっきりとした言葉が注がれる。
「……行くなよ」
ラルフの意思と声を感じて挫けそうになる意気を叱咤しつつアルカードは答える。
「………眠っていろ」
「お前がこのまま大人しく寝るならな」
「できない相談だ」
「なら俺もだ。…毎回、空っぽのベッドで目覚める俺の気持ちがわかるか?」
押し問答についで恨み言を言われてしまい、アルカードは一旦言葉を切った。
ラルフ曰く、夜を共にしても明け方には消えているのが物足りない。アルカードの訪いは頻繁ではなく、だからこそこの時を長く過ごしたいのだと。
夜明けが惜しいと思っていたのは自分だけではないことに歓びを覚えるも圧し殺す。
(…さて何と説得したものか。)
寝具の衣擦れとともにラルフの腕の中で体を反転させると、眩しいと錯覚するほどに見つめられている。好きな表情だ、と浮かぶ惚気を頭から追いやりながら口を開いた。
「吸血鬼が人の隣で朝を迎えるのはおかしな話だろう」
「誰が決めたんだよそんなこと。第一、お前は違うだろ」
「半分はな。もう半分は確かに闇の生き物だ」
「……」
むす 、と不満げに眉を潜めるラルフをアルカードは丁寧になだめる。
「拗ねることか?折角上がったベルモンドの名が地に落ちるぞ」
「元から俺は野卑な田舎者だ。礼儀だの形式だの作法だの…知ったことかよ」
「──クッ」
ついに耐えきれずアルカードは笑った。何がおかしかったのか分からないが、己の態度を笑われたのだと思うとラルフは面白くない。
「人の悩みを笑う口はこれか?あ?」
「く、ふっ。いや、押し付けられる振舞いは窮屈だろうと私も想像できる。だがそうか、作法…、作法か」
独り言のように繰り返すと、アルカードは再びラルフの瞳を見据える。綺麗な眼だ、とラルフが見惚れていることなど気付きもせず。
「…そこに生きる以上は守るべき振舞いを作法と言うなら、私は、吸血鬼の作法に従う。……やはり人と時を同じくはできないんだ」
人を糧とし命を脅かす魔物。背負った業も命の長さも、どう足掻いてもアルカードはラルフと同じものではない。だから同じ陽の光の下では過ごせないよう宿命付けられているのだと。
( …私とて、お前のそばで暮らせたらどれだけいいか)
望みを素直に口にすれば論点がずれる。アルカードは感情を抑えて理知的に説明したつもりかもしれないが、そんな言い方をすればラルフの反発心を煽るだけであることにはやはり気付いていない。
「言いたいことはわかった 」
台詞が終わるとすぐに抱え込まれ、アルカードはラルフの胸板に抗議するしかなくなる。
「………おい」
「お前の言葉に乗ってやる。お前があくまで自分を吸血鬼だと言い張るなら…俺は狩人の作法に則ればいいんだろう」
「 ──?」
抱き締める力が意図的に緩み、顔を上げたアルカードにラルフは獰猛に微笑みかける。
「…狩ると決めた獲物は逃さない、ってことだ」
至近距離で見つめられたあと、言葉通りの口付けが降ってきた。
「 っん、…ふ…ぅ……、」
どろりと融け出すような熱が再び体を巡り始める。きっともうすぐ夜明けが来るというのに、体は寝台に縫い留められたまま抗うことができないでいた。
──招かれた家に入れば、許されるまで出られない。
裏の世界では、そんな吸血鬼の俗説もあるものかもしれない。
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