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月下の夜想曲後 リヒアル


人間が呪われた城と呼び、事実、人間を憎悪し獲物とする主を戴く魔の城は、その血族により再び封印された。
彼らは言葉を交わす。謝罪を。結末を。人間の在り方を。人の世と別れを。そして、自らの心を。





「アルカード!!」

木々の間に木霊した声に、呼ばれた青年は訝しげに振り返った。貴族然とした黒の外套がはためき、薄い黄金の髪が遅れて空に靡く。

「ベルモンド…」

先程別れた人間の男。いや、人の中で最強に属す吸血鬼ハンター。己とは対極に当たる存在。
「リヒターだ。覚えてくれ」
アルカードの独白のような呟きに、リヒターは力の籠もった声で答える。薄く霧がかる空気を切り裂く眼差しに射抜かれ、居心地が悪いかのように、アルカードは淡麗な顔を僅かに顰める。
「…何の用だ?リヒター」
姓ではなく名を呼んでほしいらしい態度に何の気なく応えると、ベルモンドは、いやリヒターは得たりと微笑んだようだ。

「もう二度と会うこともないと言った筈だ」

アルカードにすれば追ってこられた理由がわからないと当然の疑問を口にしただけなのだが、それは拒否の意を表していた。リヒターは互いに表情の見える位置まで近づき、歩を止める。5年の間にすっかり伸びた茶髪が揺れ、その間から覗く同じ色の瞳が、人ならざる瞳を真正面から捉える。

「そうもいかない。俺はおまえと共にゆく」
「何を言っている?」
「おまえが再び人の世を離れるというならば、俺も共に居させてほしい」
リヒターの答えもアルカードの疑問も簡潔で、揺るぎない自己の意志を含んでいる。
半吸血鬼と狩人。住む世界は近しくとも限りなく違う存在が口にすることとしてはおかしい。理解できない。
いや、闇に属す身でありながら人に力を貸してきた自分の方がおかしいのかもしれない。ことにあの父の血族としては。だが、それに感謝や親近感を抱かれても困る。アルカードの行動は人のためではない、あくまで自分のためで完結していた。
「……俺と父のこと、責任を感じているならば、不要だと改めて言っておく」
「それも違う。今回のことは己が不甲斐なさ故で、責任を取れるなどと傲慢なことは思っていない」

アルカードの疑問に、リヒターは次の言葉を紡ぐ。

「…おまえには、すでに『あの時』言っただろう?この時代の俺の役目は終わった」
「それは、悪魔神官に…」
「違う。あれは俺の…本心だ」

リヒターは一度俯き、噛みしめた唇から言葉を絞り出す。心の膿を吐き出すように。

「狩られるものなき時代に、狩るものである俺の居場所はない……マリアには決して言うつもりはないが、そう思わずにいられない。おまえに救われたが、あのまま死ねばよかったと思ってしまう…」

魔に支配され、宿敵の復活に手を貸した。心の奥底の渇望は、もはや魔物と呼ぶべきものなのかもしれない。
暗く沈むリヒターの脳裏に、つい先程、最後にマリアと交わした会話が浮かぶ。
『彼をひとりにしておきたくない?』
自らの落とし前をつけ、去っていくアルカードを見送るリヒターの横顔から全てを察したようだった。
『…違う。俺は、……』
呑み込みきれず溢れたリヒターの言葉に、マリアは聖母のように微笑んで別れを告げたのだ。
『元気でね、リヒター』


奴を救えるなど思ってはいない。
救われたのは俺だ。
俺が求めているのだ。
アルカードの側に居ることを。



「…悔いる心がある限り、人間が自滅の道を歩むのはまだまだ先だろう。
おまえは人間だ。魔から離れたいならそうして生きるがいい」

自己嫌悪を吐き出すリヒターに、アルカードの掛ける言葉は淡々として、突き放すように優しい。
闇に生き人を害するものはこれまで幾多も葬ってきたが、とても同じとは思えない。それはもう、リヒターの目には光に見えた。だからこそ追わずにいられない。
「俺は狩人として生きてきた。もう、魔から離れては生きられない。魔を呼び込んだ罪も消えまい。ならば、おまえとともに贖罪の時を歩ませてほしい」
「それはおまえの身勝手だ」
「承知の上だ」
「…おまえの勝手な贖罪とやらに、俺を付き合わせると?」
「ああ。百年にも満たない時だ。付き合ってくれてもいいだろう?」
リヒターが一歩足を進めると、アルカードの雰囲気はぴりりと張り詰めた。

「世迷い言も程々にしろ…人間であり聖であるおまえと呪われた存在の俺が共にいられると?」
「やらねばわからない。俺は、魔を求めているのかもしれないが、おまえを…アルカードという存在をより強く求めている」
「…!」
はっきりと想いを告げると、さすがにアルカードの顔色が変わる。
理屈を並べ、御為ごかしを言ったところで、リヒターの願いはもっと直情的な人間の欲望に過ぎないのだ。誤魔化す意味はないし、引くつもりも毛頭ない。
「贖罪がだめなら、お試し期間ということでどうだ?期間は一生の予定だがな」
「軽々しい…」
「これでも大真面目だ。自暴自棄と思うかもしれないが、軽々に人生は差し出さん。俺はおまえに決めたんだ。そして、一度決めたらテコでも曲げないとはマリアに散々言われた」

少しも逸らされない強い瞳だった。ベルモンドの者ではなく、リヒターとしての瞳を、アルカードは初めて見つめ返す。
感情に燃える瞳だった。
感情は苦しみだ。
父は母を愛し、母は父と自分を愛した。父は人間を憎み、母は人間を憎まなかった。憎しみを抱くことからアルカードを救った。だからアルカードは、人間を憎んでいるかもしれない己を遠ざけたかった。
自分を守ってくれた母のために、父と同じように人間を憎む道は選びたくなかった。だからといって人間が好きなどと思ったことはない。母を殺された事実は消えないのだから。
そうした相反する感情が、闇にも人の世にも居場所がない境遇へアルカードを追いやった。
そこへこんな風に踏み込まれたのは初めてで、有り体に言うなら、アルカードは途方に暮れていた。

「…俺の知ったことではない。気が済んだらいつでも去るがいい」
長い長い沈黙を置いて、出たのはその一言だった。
「心得た。」
アルカードの答えを聞き、リヒターは嬉しそうに笑った。嬉しそう、その気持ちがまるでアルカードには理解できない。それが自分に向けられることがだ。

説得は諦め、踵を返したアルカードの肩を、傍らに歩み寄ったリヒターがぐいっと掴む。
振り向かせようとする強い力に半分従うと、身を乗り出していたリヒターと瞬間だけ目が合う。
交差した光はちかちかと瞼に焼き付き、押し当てられた唇の熱と合わさって炎のように感じられた。
「!!」
ちゅ、と音を立てて唇同士が離れる。
「『お試し』と言っただろう?嫌だったらすまない。またの機会にする」
突然の無礼に固まりきったアルカードに、リヒターは謝罪を口にした。だがその口調は、悪いなどと欠片も思ってないのが明らかだ。

「おまえは自らを呪われた存在と言ったな、アルカード。安心しろという意味ではないが、俺となら血は残せないぞ?」

リヒターの『お勧め』の意味を理解した時、アルカードは殺意に近い強い感情を抱く。それを何と呼ぶのか、人と交わる経験の乏しい身には未だ分からなかった。
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