転生者だらけの異世界譚 リインカネーションワールド
グランディア伯爵家に来てから2日目。
シグルドはガートンに朝から使用人としての振る舞いや貴族社会の事を学んでいた。
「いいですか、常に姿勢は崩さない事。
必ず敬語で話す事。主人の行動一つ一つ見逃さない事。周りの警戒を怠らない事。些細な事で取り乱さない事。
これらは主人に仕える使用人として基本中の基本です。よろしいですか?」
「はい」
「では次は所作について…」
細かな事は手の平サイズの手帳にしっかりメモしていく。
シグルドは
本来ならもう数日は安静にすべきなのだが、早くアリシナに仕えたいと思うシグルドの強い熱望により今日から使用人としての作法を執事長のガートンから学んでいた。
真面目で集中力があり、教えた事はすぐに覚えるシグルドにガートンは感心した。
スマートに歩くためのウォーキングや、紅茶の淹れ方。物を運ぶ所作も学んでいく。
初めこそぎこちなく、失敗はするものの数をこなす度に
「…ふむ、よろしい。午前はここまでとしましょう
15時からまた再開します、それまで休憩と昼食を摂り、自由時間とします
時間になったらまた此処へ戻るように。」
懐から出した懐中時計の時間を確認しながらシグルドに告げるガートン。
「あの、俺まだやれます。休憩はいらないです」
「《私》」
すかさず一人称を指摘された。
「!…わ、わた…しは休憩いりません!続きをお願いします!」
早くアリシナに仕えたい気持ちが
そんなシグルドにガートンは小さくため息をついた。
「休憩は必要です。貴方は本来まだ体を休めていなければならないのですよ。無理は禁物です。
それに私には他に仕事があります。四六時中貴方に付きっきりでいる訳にはいきません」
「…!す、すみません…」
ガートンの都合を知り、自分よがりになっていた事に反省し俯く。
そんなシグルドを見てガートンは優しい笑みを浮かべ、シグルドの肩をポンと叩いた。
「お気持ちは分からなくもないですが、自己管理もまた基本中の基本。しっかり体を休めるように」
そう言ってガートンはシグルドの手を取ると、手の平に2つのキャンディーを乗せた。
「食後にでもどうぞ」
「あ、ありがとう…ございます」
ガートンは軽く会釈すると部屋を退出した。
『…子供扱いされてるなぁ。子供だけど…』
ポーカーフェイスであまり感情が見られないガートン。そんな彼にどう思われているか気になったりもしたが、意外と大事にされてるなとシグルドは思った。
キャンディーは後で食べようとポケットに仕まう。
「休憩…か…」
部屋に一人残されたシグルドは「うーむ…」と考え悩む。
体はいたって元気だ。そんなに疲れていない。
アリシナに拾われるまでは日頃虐待を受けたり、常に空腹で。寒空の下での仕事。外と変わらぬ寒さの部屋で寝ていた。
『怪我を治してもらって、普段食べれない様な豪華な食事を食べさせてもらった
しかも広くて暖かい部屋に、フカフカの良い香りがする布団が敷かれたベットを与えられた…
破産する前よりもいい生活だ…!その上過酷な環境にいたから体力なんて完全回復してるんだが!』
本来なら主人と使用人が一緒に食事など摂る事はないのだが、アリシナの希望で一緒に同じ食事を摂り、アリシナ自身に部屋を案内され与えられた。
そんな昨日の出来事を思い出すと胸がほわっと温かくなる。
楽しそうにシグルドに笑顔を向けて食事をするアリシナ。手を繋いで嬉しそうに部屋に案内するアリシナ。
部屋を与えられ、その綺麗な部屋を見渡して感動していると「改めてこれからよろしくね、シグルド」と朗らかな笑顔を見せるアリシナを思い出して胸がキュンとする。
『なんかまだ夢の中のようだな…、地獄から一気に天国に引き上げられたような…
まさか俺が貴族の使用人になるなんて…、しかもあのグランディア伯爵家の…』
しばらくボーッとする。前世の記憶も相まってまだ現実味が無いのだ。それ程にシグルドの今までの生活は過酷なものだった。
「…休憩って言っても暇だな、屋敷の中を散策しようか
たくさん部屋もあるし、どこに何があるか覚えるのも必須だよな」
そう思い立つと部屋から出た。
廊下を歩いて行くと何人かの使用人達とすれ違う。
その度に「おはようございます」と丁寧に挨拶した。
相手側は少々驚いた表情を浮かべた。
シグルドの事は昨日の時点で使用人全員に知れ渡っている。スラム街から来たという事もだ。
スラム街から来た子供という事もあり、礼儀作法はまだ未熟だと思い込んでいたのだろう。
だからシグルドのきちんとした挨拶に少々驚いた。
だがすぐに「おはよう」とちゃんと返事を返してくれた。
グランディア伯爵家の使用人達はシグルドに対し偏見はせず、快く受け入れている。
その為シグルドは少しも肩身が狭いような気にはならなかった。
『…お嬢様は今どこで何をしてるんだろう
今朝食事の時に軽く挨拶したくらいだからあれから見かけてないんだよな…』
今朝も昨日と変わらぬ笑顔で「おはよう」と挨拶し、「昨日は良く眠れた?体調は大丈夫?」と気にかけてくれた。
『女神だ…』
と、一人ジーンと感動する。
あれからアリシナと家の者達の様子を観察していたシグルド。
アリシナは両親はもちろん使用人の誰にでも優しく接していた。
メイドが料理を運ぶ際に皿がフォークに当たってしまい、弾みで床に落ちてしまった。慌てて謝罪するメイドに「大丈夫、気にしないで」と朗らかな笑顔を見せていた。
焦った様子を見せていたメイドもアリシナの笑顔に頬を染めときめいていた。
『女神だ…』
ほんのり頬を染めアリシナを崇拝するシグルド。
ふと、窓から外を見ると美しい庭園が目に入る。
来た時も見事な美しい花々に魅入ってしまったが、こうして屋敷の中から見ても素晴らしい庭園だ。
冬だというのに様々な花が咲き誇っている。
ついつい眺めていると向こうからエヴァンの姿が見えた。
今日も手入れをしているのだろう。梯子を担ぎながら乱れた所はないか真剣な眼差しで見て回っている。
するとシグルドの視線に気づいてこちらにニコッと笑い、手を振って来た。
シグルドは丁寧にお辞儀をする。
そんなシグルドにニシシッと笑うと見回りを再開し去って行った。
スラムにいた時は靴磨きの客以外の人間には全く相手にされなかったシグルド。
魔力無しと知られてもアリシナ達から嫌な顔をされなかった。
この世界では約7割が魔力持ちだ。その魔力量は様々ではあるが、魔力がないとなると出来る事が結構限られてくる。
まず魔石を使えない。魔石を使えないと私生活も少々不便だ。
馬車や部屋に備えてある暖房の魔道具も扱えない。
魔道具とは前世の世界で言うと電化製品のような物。それを使えないとなるとかなり不便だ。
ゆえに魔力無しと知られるとあまり良い顔はされない。
それこそ職に就くにも不利だ。
だが、アリシナ、伯爵や伯爵夫人、ガートン達も嫌な顔をせず、むしろ突然魔力を失ったシグルドを心配した。
魔力が枯渇するというのはそう滅多にない。
シグルドの身に何か起こってるのではともう一度フラメルに診てもらうか提案された。
だがその申し出をシグルドは断った。魔力が無くなってからだいぶ経つが体は特に問題はない。
それにこれ以上アリシナに迷惑をかけるのは気が引けた。
魔力無しと知っても態度を変えなかったアリシナ達。それだけで充分嬉しかった。
『魔力を使えない分、頭脳と武術を極めよう…
お嬢様を守るためには力がいる…
グランディア伯爵家は誰もが知る名家だ。その財力などを目的にお嬢様が狙われる可能性は高い。
財力目的以外にもアリシナお嬢様は大変美しい方だ。その美しさは貴族のみならず平民にも知れ渡っている。
その美貌に良からぬ事を考える輩が群がってくる危険性もある…
そんな変態どもからお嬢様を守るためにも強くならないと…!』
廊下を歩きながらメラメラとアリシナへの忠誠心に燃えるシグルド。
『確かグランディア伯爵家には専属の騎士隊があったはず…
よし、今から訓練の参加を申し出に…、イヤイヤ、ガートンさんから休憩はしっかり取るように言われてるんだ、申し出は昼食後にするべきだな
…早く訓練に参加したい、すぐにでも強くなりたい…
早くお嬢様の役にたちたい…、ああ、気持ちばかりが先走ってしまう…
こんな気持ちは生まれて初めて…いや、前世でも感じた事がない…
お嬢様を思うと愛おしくて胸が熱くなって締め付けられる…』
ここでシグルドは「ん?」とある事に気づき始めた。
『今、愛おしいって…思ったか…?
え、この感覚って…、まさか…【恋】!?』
ズガーン!と自身に衝撃が走る。
恋という思考が浮かぶとカァーッと全身が熱くなった。
『い、いやいやいやいや!これはアレだ!【吊り橋効果】というやつかもしれない!
誰からも優しくしてもらった事がないから、そんな風に勘違いを…!
いやでも…、それが恋の始まりというやつか…?
分からん…!何せ前世でも恋愛なんてした事なかった…!生きる事だけでいっぱいいっぱいで…
恋愛なんてマンガででしか知識ないし…、でも恋するとその相手しか考えられなくなるんだよな?恋は盲目…、え、俺今そういう状態なのか?
確かに昨日からずっとお嬢様の事しか考えてないけど…、いやでもそれは忠誠心からで…
そうだよ!忠誠心!忠誠心だ!ご主人様に対して恋愛感情抱くなんて…』
「…ダメだろ、そんなの…」
右手で頭を抱える。全身から発する熱にため息をついた。
「何がダメなの?」
「…っ!!」
背後からアリシナに話しかけられ、油断していたシグルドはビクッと体を震わせた。
バッと振り返ると怪訝な表情を浮かべているアリシナがいた。
「お、おじょ、お嬢様…!」
想い人がいきなり現れた事によりひどく動揺する。
「大丈夫?顔が赤いよ、熱でもあるの?」
アリシナは顔が真っ赤なシグルドを心配してシグルドの額に触れた。
それにシグルドはより一層動揺する。
「だ、大丈夫です!これはその!え、と…!先程ガートンさんから作法を習っていたんですが、盛大に失敗などしたので、その…思い出して恥ずかしくなってしまい…まして…」
「そうなの?頑張ってるんだね。くれぐれも無理はしちゃダメだよ?
本当ならまだ休んでなきゃいけないんだからね?」
「は、はい、…肝に銘じます」
恋を自覚してしまった事によりアリシナの姿がより一層キラキラと輝いて見える。
胸もドキドキと鼓動が早く、まともにアリシナを直視できない。
「お、お嬢様はこれからどちらに?」
「今からヴァイオリンのレッスンがあるの」
「確か演奏会があるんでしたよね?応援してます。頑張って下さい」
「ん…、ありがと…」
急にアリシナの笑顔が弱くなった。それにシグルドは疑問に思う。
「お嬢様?どうなされました?」
「なんでもないよ、じゃ、行ってきます」
ニコッと笑い、シグルドに手を振って歩き去るアリシナ。
シグルドはアリシナの曇った表情が無性に気になった。どこか怯えた様な気配も感じたからだ。
『…演奏会までに2週間切ったから緊張しているのか?でも…』
先程のアリシナを思い出す。表情が曇った際に手を撫でていた。
あの行動が妙に気になった。
『何かあるような気がするけど…、詮索するのは使用人としてマズいか?
けど、お嬢様に何かあったら…』
うーん…と考え込む。
『…バレない様にレッスンの様子を見てみるか』
そう思い立つと足早に音楽室へと向かう。
『部屋が…多すぎる…!』
追いかけたものの屋敷の部屋が多すぎるため、どこでヴァイオリンのレッスンを受けているのか分からない。
部屋の扉を一つ一つそーっと開けて確かめていく。
美術の作業場の部屋。手芸などの道具や材料を置いてある部屋。鏡張りの部屋はダンスホールだろうか、なかなかアリシナがいる場所へ辿り着けない。
『クソ…、魔力さえあればお嬢様の魔力を辿っていけるのに…』
こういう場面でも魔力無しは不便である。
『このフロアにはいないのか…?』
そう思い、2階へ向かおうと残りの部屋を確認せずに通り過ぎようとした。その瞬間。
「何度言ったら分かるんです!?」
「…!」
通り過ぎた部屋から女性の怒号が聞こえてきた。
シグルドはすぐさま戻り、その部屋の扉を静かに開けて隙間から覗いた。
「す、すみません…」
ヴァイオリンを持ち、怯えて謝るアリシナの姿がある。
講師であろう女性は凄い剣幕でアリシナに罵倒を浴びせた。
「謝れば上達するとでも思っているのですか!?
レッスンを始めてどれ程経っているとお分かりです!?3ヶ月程ですよ!?
本当に出来の悪い!順調であれば次の曲に移ってるはずなんですのよ!?
謝る暇があれば言われた事をちゃんとやりなさい!」
「…っ!なんだあのババァ…!」
講師の発言にギリッと歯軋りし怒りを覚えるシグルド。
今すぐにアリシナの元に駆け寄りたいが、これが貴族として当たり前の事なのかもしれないと、飛び出して行きそうな体を必死に止めている。
アリシナは震える手でヴァイオリンを構えると曲を奏で始めた。
だが、すぐに講師により止められる。
「そうじゃないと言っているでしょう!」
講師は怒鳴ると持っていた指揮棒でアリシナの手をバシッと叩いた。
「いっ!」
「!!」
指揮棒で手を叩かれた場面を見て驚愕する。
「何をしているの!早く構えなさい!」
「は、はい…」
アリシナは言う通りにヴァイオリンを構えるとまたすかさず指揮棒で手を叩かれた。
「違う!構えからもう違います!何度言ったら分かるんです!」
と、また手を叩く。
「全く…、これだけ教えても出来ないなんて…
甘やかされてきたからそうなんでしょうね!
ヴァイオリンは3歳の頃から触れていないといけないのに、今まで何をしてきたのです?
やればすぐ出来る天才だとでも思ったのですか?」
「そ、そんなつもりは…」
「口答えするんじゃありません!」
「っ…」
罵倒にビクッと怯えるアリシナ。目には涙が溜まっていた。
それでも我慢してヴァイオリンを手放さないでいる。
「演奏会までにちゃんと弾ける様にならないと
お嬢様は私を困らせたくてワザとやっているのですか!?」
「違います!」
「ならなんで弾けないの!ふざけてるようにしか見えませんわ!
容姿さえ良ければなんとでもなると思っているのでしょう!?
はぁ…、もうお辞めになったら?貴女でしたらヴァイオリンを習うよりも殿方に娼婦のように愛嬌を振る舞っていれば将来安泰でしょう?」
「…!」
もうこれは講師としての発言ではない。顔を見れば分かる。この講師はアリシナが反論しない事をいい事に見下しているのだ。
その表情は楽しそうに歪んだ笑みを浮かべている。なんとも醜悪だ。
「昔のお嬢様を私が知らないとでも?
今までご自身の可愛さで好き勝手過ごしてきたではないですか。今更改心しても遅いですわ
なんの才もない貴女は娼婦のように男にすり寄って意地汚く生きていくしかないんですのよ!」
この発言にシグルドはブチギレる。
アリシナを
我慢の限界を迎え、飛び出そうとした時。アリシナが大声で反論した。
「娼婦の方を侮辱しないでください!」
その言葉に講師はもちろんシグルドも驚いて体が固まった。
「アマンダ夫人が思っている以上に娼婦の方は誠実な方々です!
みんな好きで娼婦の仕事をしてるわけじゃないです!自分自身や家族のために辛い仕事を頑張っています!
その方々の事情も知らずそのように
アリシナの必死の訴えにシグルドは面食らった。お嬢様のアリシナが何故そのような事を知っているのか…。
実は昨夜、ガートンが密かにシグルドの素性を調べ、グランディア夫妻とアリシナに報告していたのだ。
その報告でシグルドの母親が娼婦になり、シグルドを守っていた事を知っていた。
だから講師、アマンダ夫人の発言には黙ってはいられなかった。
「お嬢様…」
何故、アリシナが娼婦の事情を知っているのか疑問だったが、母親の事を
「…は?なんでお嬢様がそのような事をご存知なのです?」
アマンダ夫人の地を這うようなその言葉に背筋が凍った。
「嫌ですわ…、そのお歳で娼婦の事を語られるなんて…
グランディア伯爵家はどのような教育をなさってるのです?はしたない…!」
「っ!」
軽蔑する眼で見下すアマンダ夫人に恐怖に駆られる。
「それは…」
「申し訳ございませんが、貴女のようなはしたないご令嬢とは関わりたくありませんわね…
これっきりで講師は辞めさせていただきますわ」
アマンダ夫人はそう言うと帰る支度をし出す。
「ま、待って下さい!すみません、これには色々と事情がありまして…!
講師を辞めないでください!演奏会までに弾ける様に頑張りますから!」
「なら!もっと真剣に取り組みなさい!お嬢様からはやる気を感じられません!
私に講師を続けて欲しいのであればちゃんと謝罪しなさい!!」
「…アマンダ夫人、…申し訳ございませんでした」
丁寧に頭を下げ、謝罪するアリシナ。
それを見て満足げに頬を染め、気色の悪い笑みを浮かべるアマンダ夫人。
『…こいつ!辞める気なんて少しも思ってない!ただお嬢様を虐げて楽しんでるだけだ!』
アマンダ夫人の思惑に気づいたシグルド。
そう、アマンダ夫人はアリシナを虐げ、謝罪させる事で自尊心を満たしているのだ。
その姿はなんとも醜い。
「謝罪の言葉が足りませんわねぇ〜、仕方ないですね、復唱しなさい
《アマンダ夫人に口答えして大変申し訳ございませんでした。もう二度と生意気な発言はいたしません。どうか許してください》
はい。」
言いなさいとばかりに手の平を見せて出してくるアマンダ夫人。
「…… アマンダ夫人に…口答えして大変申し訳ございませんでした。
もう二度と…生意気な発言はいたしません。
…どうか許してください」
「ふん、まあいいでしょう…、さ、早く構えなさい」
「…はい」
アリシナは再びヴァイオリンを構え弾き始めると、また指揮棒でアリシナの手を叩こうと振り上げた。
「だから!違うって言ってるでしょう!」
「!」
アリシナは叩かれる恐怖からギュッと目を瞑った。
「やめろ!!」
バンッと扉を開けてシグルドが飛び出した。
突然部屋に入って来たシグルドにアリシナとアマンダ夫人は驚く。
「シグルド!?」
「なっ、誰!?どうしてここまで…!魔石は反応してないのに…!」
バッとネックレスになっている半透明の魔石を見て確認する。
「それ…、魔力を感知する魔道具だな?」
「…!」
シグルドに言い当てられ焦る様子を見せるアマンダ夫人。
「俺は元魔道具屋の息子だから分かる。その魔石を中心に半径10mから20mくらいに足を踏み入れたらこの部屋に人が近づいて来るのが分かるんだろ
誰かが近づいて来たらお嬢様を痛めつけるのをやめ、治療してあたかも問題なく講師としてレッスンしていたように見せていたんだな?
そうやって犯行を隠して今までお嬢様に危害を加えていたんだろう!」
「くっ…、それは…っ、なんで…、なんで反応しなかったのよ!」
犯行を言い当てられ、動揺して魔石を見るアマンダ夫人。
「それは俺が魔力無しだからだ」
「魔力無しですって?」
「そうだ、それは人の魔力に反応して居場所が分かる代物なんだろう
魔力を持つ者には反応するが、魔力無しの俺には反応せず素通りできたって訳だ」
そう説明するシグルドに「くっ」と表情を歪ませるが、すぐにまた歪んだ笑みを浮かべた。
「はっ、そう、魔力無しね…。グランディア伯爵家はこんな能無しを雇わなきゃいけない程落ちぶれたのかしら?」
開き直ったアマンダ夫人にアリシナは恐怖し、シグルドはギロッとアマンダ夫人を睨んだ。
「出て行きなさい。ここは貴方みたいな能無しがいていい場所じゃないわ
今、お嬢様はレッスン中なのよ、邪魔をするなら伯爵様に言いつけるわよ」
シグルドは怯まずアリシナの前に立つとアマンダ夫人を見据えた。
「お嬢様が暴力を受けていると知って黙っているわけないだろ
言いつけるなら言いつければいい。こっちだって見たままの事を旦那様に報告させてもらう」
「シグルド…」
アリシナを守ろうと少しも下がらないシグルド。
アリシナは不安そうにシグルドを見つめた。
「はぁ?見たままのことを?いいわよ〜、貴方みたいな能無しの言う事と、子爵夫人である私の言う事、どちらを信じるかしらぁ?
私はヴァイオリンで今までに優秀な成績を残してきているのよ?貴族の中でも評判は良い方だしぃ?
貴方達がいくら言っても伯爵様は信じないわ
だってアリシナお嬢様は最近までとーってもワガママで素行が悪いと有名だったんだもの
そんなお嬢様が何を言ったっていつものワガママが再発したとしか思われないわ!
それでどうやって伯爵様を信じらせるつもり!?」
苦痛な表情を浮かべ俯くアリシナ。
アマンダ夫人の勝ち誇った様な態度にかなり苛立つ。だが、シグルドは冷静になってアマンダ夫人を見据えた。
『確かに、トラブル事には《証拠》が必要だ。
お嬢様に恩がある俺が必死に訴えた所でお嬢様のために有利になる嘘を言っていると思われる可能性が高い…
けど、旦那様に信じてもらえるのは俺達だ』
「《証拠》ならある…」
静かに告げるシグルドに怪訝な表情を浮かべるアマンダ夫人。
「は?どこによぉ?」
「《これ》だよ…!」
そう言うとシグルドは何度も指揮棒で叩かれ、血が滲んでいる痛々しいアリシナの手を掴んで見せた。
それを見てアマンダ夫人は目を見開いた。
『しまった!まだ治してなかった…!』
「お嬢様、手を、治しますので、手を出しなさい…!」
ビクッと怯えるアリシナ。シグルドがすかさず遮る。
「俺も早くこの怪我を治して差し上げたいが…
あんたの悪行を暴くためだ…
お嬢様…、痛むでしょうが…、今は我慢してください!」
シグルドはそう叫ぶとアリシナの手を引いて部屋から出ようと駆け出した。
「シ、シグルド…!」
「まっ、待ちなさい!!」
血相を変えて追いかけて来るアマンダ夫人。アリシナを捕まえようと手を伸ばした。
シグルドはすかさずポケットに手を突っ込み、先程ガートンから貰ったキャンディーをアマンダ夫人の顔に目掛けて思い切り投げつけた。
「ギャッ!」
バシッと顔面にキャンディーが当たると顔を押さえて怯んだ。
その隙にアリシナを連れて部屋から出た。
廊下を走るシグルドとアリシナ。アリシナは手の痛みで足がもつれてしまう。
それに気づいたシグルドは手を放し、アリシナを抱き抱えた。
「失礼します!」
「きゃっ、シ、シグルド…!」
『お、お姫様抱っこ…!』
いきなり抱き抱えられ、ドキッと意識してしまう。
後ろの方から「待ちなさい!」とアマンダ夫人の叫び声が聞こえてきた。
「私が教えなければ演奏会には出られませんわよ!それでもよろしいのですか!?」
「…!…シグルド、止まって…、私戻らなきゃ…」
『今、レッスンを辞めたら全部無駄になっちゃう…』
「お断りします」
「シグルド!?」
命令を拒否したシグルドに目を丸くする。
「俺はアリシナお嬢様のお傍にいたいから使用人になりました
お嬢様のご命令はなんでも聞くつもりです…、ですが、お嬢様のためにならない命令はお聞きできません
お嬢様、あの者の言う事に耳を傾けてはいけません。アレはお嬢様を洗脳しようとしてます
講師という立場を利用してお嬢様を痛みつけて楽しんでいます
そんなクソババァの所になんて絶対に戻りません!」
「ク、クソババァ…」
最後言葉が乱暴になったシグルドにたらりと汗を流す。
「大丈夫です。俺を受け入れてくださった旦那様です。ちゃんと話せば分かってくださります」
シグルドの強い意志に何を言っても言う事を聞いてくれないだろうと悟ったアリシナは諦めたかのようにシグルドの肩に頭を預けた。
途中何人かの使用人とすれ違い、驚いた使用人達は何があったのか呼び止めようとしたが、「一刻を争う事態なので止まれません!」と走り去って行く。
息を切らしながらなんとかアリシナの父親がいる執務室へと辿り着いた。
シグルドは無礼を承知で許可を得る前に思い切り扉を開け、部屋へ飛び込んだ。
「失礼します!」
「!シグルド!?それにアリシナ!?」
いきなり飛び込んで来たシグルド達にアリシナの父親ユリアスは驚いた。
「なんですか!シグルド!旦那様の許可を得ずに入室するなど…!使用人として有るまじき行為ですよ!」
とガートンに叱咤される。
「申し訳ございません…、お叱りは受けます
急ぎお伝えしたい事があります
お嬢様が講師から暴力を受けていたんです!」
「なっ…」
「なんですって…!?」
ユリアスとガートンはシグルドの言葉に驚きを隠せずアリシナに目を向けた。
シグルドはゆっくりアリシナを降ろすと怪我をしている手をユリアスに見せた。
「これは…!」
ユリアスは言葉を失う。
アリシナの手の甲は指揮棒で叩かれた跡がいくつもあり、腫れ上がって血も滲んでいた。
「アリシナ…、これは本当に…、アマンダ夫人にやられたのかい?」
アリシナの手をそっと包む様に触れ、アリシナの目を見る。
「っ…」
アリシナはなんと言っていいか分からず、恐怖と悲しみと情けなさから涙ぐんでしまった。
肩を震わせ静かに泣くアリシナを見て父親ユリアスは怒りが込み上げてきた。
それはガートンも同じである。
「あ、ああ!こんな所にいたのですね!お嬢様!」
追いついて来たアマンダ夫人が勝手に部屋に入って来た。
アリシナはアマンダ夫人を見るとビクッと震え、ユリアスに抱きついた。
「アマンダ夫人!これはどういう事だ!」
「ど、どうとは…?」
「アリシナの手だ!これは君がやったと聞いたぞ!何故このような事を…!」
怒りが収まらないユリアスにアマンダ夫人は必死に正当化しようとする。
「い、いやですわ!グランディア伯爵様!私がそのような事をする訳がないでしょう!?
私だってお嬢様の手を見て驚きましたわ!」
「だが、うちの使用人が君から暴力を受けていたと発言しているぞ」
「私はやっておりませんわ!伯爵様はそんな魔力無しの使用人が仰る事を信じるのですか!?」
「俺は嘘は言ってない!」
すかさずシグルドが口を挟むがアマンダ夫人がギッと睨みつけて来た。
「伯爵様、この者の仰る事を信じてはいけませんわ!
お嬢様ったらレッスンが嫌だからと言って、その者と一緒になって私を陥れようとしているのですわ!
その怪我だって自作自演なのではないの!?」
『くそっ、そこまで言うかよ…、怪我の跡だけじゃ証拠としてはまだ弱いか…?どうしたら…』
シグルドが思考を巡らせていると、黙っていたガートンがアマンダ夫人に近づき、持っていた指揮棒をスッと奪った。
「失礼」
「な、何を!」
ガートンはアマンダ夫人を無視し、ジーッと指揮棒を目視する。
「アマンダ夫人、こちらは貴女様の私有物ですね?」
「そ、そうよ、それが何か?」
「こちらの指揮棒ずっとご自身だけで使っていましたか?」
「私の指揮棒なんだから当たり前でしょう!?何が言いたいのよ!」
その言葉を聞くとガートンはユリアスの元に歩み寄り、指揮棒を見せた。
「旦那様、こちらを…、この部分に血痕らしきものがついております」
「え!?」
ギクッと震えるアマンダ夫人。
ユリアスは指揮棒を受け取ると、ほんの少しだが血痕があるのを確認した。
「アリシナ、ちょっといいかい」
アリシナの手の傷と指揮棒を重ねてみる。もちろん傷跡は指揮棒と一致していた。
「傷がこの指揮棒と合っているな、これでアリシナの手を叩いたという訳か!」
ギロッとアマンダ夫人を睨む。
アリシナ夫人は青ざめ、必死に言い訳を考える。
『くっ、もうシラを切るしかないわ!』
「私はやっておりません!先程も言いましたが、これはお嬢様達の自作自演ですわ!休憩中、私が目を放した隙にそこの魔力無しを使って指揮棒で叩いたに違いません!」
アマンダ夫人はシグルドを指差し、虚言を吐く。
「は!?俺がお嬢様を傷つける訳ねぇだろ!」
『こいつ!俺に濡れ衣着せるつもりか!』
どこまで醜態を晒すのか。もう誰もアマンダ夫人の発言など信じないというのに、まだ言い逃れようとする姿に苛立つ。
「シグルドはそんな事しない!」
「お嬢様…」
「シグルドは…私を助けてくれたの…!私を叩いたりなんてしてない…」
ユリアスにしがみつきながら涙を流して言うアリシナ。
「旦那様!夫人はお嬢様を事あるごとに痛めつけていました!
お嬢様は真剣にヴァイオリンを弾こうとしているのに構えただけで手を叩き、あまつさえ暴言まで吐いていました!
おそらくかなり前から犯行に及んでいます!
俺がお嬢様に演奏会の事でレッスンを応援した際にお嬢様は怯えた表情をされました!
それが気になって無礼を承知で2人でいる所を覗き見ました!
夫人は暴言を吐きながら何度も指揮棒でお嬢様の手を叩いていたんです!
犯行がバレない様に魔力感知の魔道具までつけて人が部屋の前を通らない時を狙ってやっていたんです!
俺は魔力無しなのでその魔道具に感知されず、気づかれずに部屋へ近づけました!
だからお嬢様が暴力を受けている場を目撃できたんです!
お嬢様にあんな仕打ちをする人物にお嬢様を任せられません!」
シグルドの気迫にアマンダ夫人が如何にアリシナに酷い仕打ちをしたのか理解した。
「伯爵様!その魔力無しの言う事を信じるのですか!?その子は手柄を取って魔力無しの汚点を少しでも薄めようとしているに違いありませんわ!」
「では、この傷はどう説明する?子供の力でこんな傷にはならないはずだ」
「それは…!とにかく!私はやっておりません!」
この期に及んでまだ罪を認めないアマンダ夫人。
「
「なっ、そこまでするなど…!私が無実だったらどうしてくれるんです!?実家はもちろん夫の家名にまで傷がつきますわ!
その際にどう責任を取ってくださるのです!?」
「無実にはならねぇよ…、俺はこの目でしっかり見たんだからな!」
「お黙り!魔力無しの無能が!!」
鬼気迫るアマンダ夫人にアリシナはビクッと震え怯える。
この状況を早くなんとかしなければと思った時。
「おやおや、これはこれは大きな声を出してどうなさったのです?」
陽気な声でニコニコと笑って執務室に入って来たのは魔術医療師のフラメルだった。
いきなり現れたフラメルにその場に居た者達は驚いた。
「フラメル先生…!」
「こんにちは、アリシナお嬢様、グランディア伯爵様もお久しぶりです」
「どうして此処に…」と呟くアリシナににっこり笑いかけるフラメル。
「シグルド君の体調が気になりましてね、お邪魔させていただきました
こんにちは、シグルド君。随分と小綺麗になりましたねぇ。体調はどうですか?」
「は、はい…、大丈夫、です…」
マイペースすぎるフラメルに呆気に取られる。
フラメルは満足げに「うんうん、それは良かった」と頭を上下に振った。
「ところで何かありました?言い争う声が聞こえてきたのですが…」
「アマンダ夫人がお嬢様に暴力を振るった容疑があるのです」
怒りに満ちてはいるが冷静に説明をしたガートン。
それにアマンダ夫人は反論する。
「だから!私はやっておりませんわ!」
「ふむ…、お嬢様、お手を診せていただけますか?」
「…ん」
グスッと鼻を啜りながらフラメルに手を見せる。
ジッと手を見つめると、フラメルは「ありがとうございます」とアリシナの肩を優しく叩いた。
フラメルはススーッとアマンダ夫人に歩み寄り、かなりの近距離でアマンダ夫人に話しかける。
「アマンダ夫人…、私は貴女がとてもそれはとーっても魅力的で素敵な女性だと思っております。
そんな方が幼いお嬢様に暴力をだなんて…、ああ信じ難い…、とても信じ難い!
本当にお嬢様に暴力を振るってないんですよね?」
と、何故か急に艶かしい声で囁く。フラメルの色気にアマンダ夫人は頬を染め、慌てふためく。
「え、ええ!そ、そう!そうなの!私濡れ衣を着せられて…、ひどいわ…」
と、自分に気があるのだと思ったのか急にフラメルに対しか弱い女性のフリをし出した。
その光景に皆「えぇ…」とドン引きしている。
「ああ、お可哀想に…、大丈夫です。私が真実を暴いてみせます。お疲れになられたでしょう?どうぞこちらを飲んで心を落ち着かせてください」
と、懐から綺麗な小瓶を取り出し、アマンダ夫人に渡した。
「ありがとう…、フラメル先生、とてもお優しいのね」
「医者ですから。さ、それを飲むとスッキリしますよ」
「ええ、いただくわ」
すっかりフラメルの色気にハマったアマンダ夫人はなんの警戒心も無しに小瓶の液体を飲んだ。
「ふぅ、変わった味ね、これ…」
「ええ、飲んだ事ないですよねぇ。それ自白剤ですから」
「え?」
自白剤という言葉に思考が停止する。
「じ、自白剤って…」
「はい!特別に配合した自白剤です!貴女が無実であればなんの問題もないでしょう?
さっ!洗いざらい吐いてスッキリしましょう!」
「スッキリってそういう意味かい!」
嵌められたと悟ったアマンダ夫人は吐き出そうとするが、時すでに遅し、自白剤が効いて来た。
「あ、う…」
「お嬢様に暴力を振いましたか?」
「は、い、指揮棒で手を叩き、ました」
すんなりと自白し始めたアマンダ夫人に一同驚く。
フラメルはそのまま尋問を続ける。
「何故その様な事をしたのですか?」
「ムカついた、から…、私は、夫に不倫…されて、悲しみの、中にいるのに…
幸せそうな、お嬢様がうらやま、しくて、…ぶっ壊し、てやりたい、…と思ったのよ!!
なんで!なんで私がこんな目に合わなきゃいけないのよ!私はこれまで血が滲むような努力をたくさん!たくさんしてきたのに!
可愛らしいってだけで持てはやされてきたこんな大した才もない顔だけ令嬢が幸せになるなんて許せないぃ!!」
自白剤がしっかり効いて来て流暢に自白し始めた。
「言いたいことはそれだけかしら?」
振り向くとそこにはアリシナの母ウェンディがアマンダ夫人を見据えていた。
ウェンディは右手を振りかざすとアマンダ夫人の頬を思い切り平手打ちした。
パァン!と鳴り響く音に相当な力が込めた事が分かる。アマンダ夫人は衝撃に負け、その場に崩れ落ちた。
「お母様…!」
「どのような理由があろうとウチの娘を痛めつけていい訳がないでしょう!
才が無いから何?魔力無しだから何!?
そんなのどうでもいいわよ!!
私はこの子達が元気に立派に育ってくれたらそれでいいの!
アリシナは今頑張ってできる事を探して努力してる。シグルドは魔力無しでもアリシナの使用人として傍で働ける様にと病み上がりにも関わらず頑張って学び励んでいる!
こんな良い子達の邪魔をするのは
鬼の様な形相で怒りを露わにするウェンディ。
普段のおっとりした彼女とは思えないと皆放心状態になった。
だが、ウェンディの言葉にアリシナとシグルドは嬉しさを感じたのだった。
平手打ちされ、赤くなった頬を抑えるとアマンダ夫人は子供の様に泣き出した。
「う、うわああぁあああぁああ!」
「泣きたいのはこっちよ!ライオット!」
「はっ」
ウェンディの後ろに控えていた騎士が返事をし、前に出てくる。
「アマンダ夫人をギルドに引き渡して来てちょうだい」
「承知いたしました、アマンダ夫人を
「「はっ」」
ライオットと呼ばれる騎士の後ろに控えていた騎士達にアマンダ夫人は捕えられ、連れて行かれた。
アマンダ夫人の姿が消え、アリシナは安心から脱力する。
「お嬢様!」
床に倒れそうになったアリシナをすかさずシグルドが支えた。
「ごめん…、気が抜けちゃって…」
弱々しく笑うアリシナに胸が苦しくなる。
「アリシナ…、すまない、お前が辛い思いをしているのを気づいてやれなくて…」
「ごめんね、アリシナ…!」
申し訳なさそうに謝罪するユリアスとウェンディ。
アリシナを抱きしめると涙を溢した。
「ううん…、私の方こそ、黙っててごめんなさい…!」
緊張が解けたアリシナは父と母の胸の中で年相応に泣き声を上げた。
その光景を見てシグルドは『良かった…』と安堵の笑みを浮かべた。
「お嬢様の異変に気づき、よく救出しましたね」
ふと見上げるとガートンが小さく微笑んでシグルドを見つめていた。
「護衛としては及第点です」
「ガートンさん…」
「ですが、いつなん時も敬語を忘れないように」
「は、はい!」
「あと一人称は」
「は、はい!《私》です!」
急に厳しくなったガートンにビシッと背筋を伸ばす。
そんな2人のやり取りを見て皆んな可笑しそうに笑った。
アリシナがシグルドを見てクスクス笑っている。
それを見てシグルドも困ったように小さく微笑んだ。
落ち着いたのち、アマンダ夫人がいつ頃から暴言や暴力を振るわれるようになったのか、アリシナに一つ一つ丁寧に気遣いながら聞いた。
アリシナは俯き加減でポツリポツリとされた事を話していく。
質問を終えるとユリアスとウェンディ、ガートンとフラメルはアマンダ夫人を告発するためギルドへと向かった。
アリシナとシグルドはアリシナの部屋で両親の帰りを待っていた。
椅子に座り、窓の外から木の枝に停まりピチピチと可愛らしく鳴く小鳥達をボーッと眺めるアリシナ。
すっかり疲れ切ったその姿にシグルドは胸を痛める。
『2ヶ月以上もあんな仕打ちを受けていただなんて…、アマンダは最初のひと月は普通だった、と…
恐らく途中で旦那の浮気に気づき、その鬱憤をお嬢様にぶつけていたんだな…
相当辛かったはずなのに…、どうしてここまで耐えていたんだろう…』
生気の無いアリシナの横顔。
もう一度あの朗らかな笑顔が見たい。
そのためにはアリシナの内に秘めている何かを聞き出さなければならないと思った。
シグルドはひと息小さく吐くとアリシナに問いかけた。
「お嬢様は何故そんなに焦っておられるんですか?」
「…え?」
アリシナはいきなり心情を見透かされて目を丸くする。
「お、…私にはお嬢様が何かに焦っているように見えるんです
初めは演奏会に対して緊張からなのかと思いましたが…
それとはまた別の何かに見えます」
「…シグルドは私の事、よく見てるね」
「…!すみません!不快に思われましたか!?」
「ううん、そんな事ないよ。私の使用人として頑張ってくれてるんだなって嬉しく思ってる」
にっこり笑うアリシナにホッと安堵するシグルド。
気持ち悪いと思われたりしたらしばらく立ち直れないかもしれない。
「…アマンダ夫人が言った事覚えてる?
私、去年まですごい自己中心的でワガママで…、少しでも気に食わない事があると誰にでも暴言を吐いていたの…
先程のアマンダ夫人みたいに…」
力なく自分の過去を語るアリシナ。その言葉にシグルドはにわかに信じられなかった。
『アマンダみたいな?こんな可憐で優しいお嬢様が?信じ難い…』
シグルドはすぐにでも否定したかったが、まだ話の途中だと、最後までアリシナの話を聞いた。
「たくさんの人に酷い事言ってきた…
お父様にもお母様にも、カトレアやガートン、エヴァンも…他のみんなにも、少しでも機嫌を損なえば暴言を吐いて、物に当たったりした…
今思えば、アマンダ夫人に似てるな…って思うくらいに…」
「全力で否定したいです」
「ふふ、ありがとう
…でも、本当だよ。前の私は本当に最低最悪だった…
両親に大切に可愛がられてる事をいい事に、調子に乗って…好き勝手して…、私のする事は全て許される…みたいな事を思っていたの…
本当、バカみたい…」
思い出して辛くなったのか両手で顔を隠すアリシナ。
それまでのアリシナは前世の記憶が蘇る前の悪役令嬢のアリシナだ。だが、記憶が蘇り、前世の性格の方が強く出ているとは言えアリシナには悪役令嬢のアリシナの記憶も感情も覚えている。
『皆に酷い事をしたのを鮮明に覚えてる…、周りにどう思われているかは記憶が蘇ってから自覚した…、だから…』
「私の…去年の誕生日に…、やっと私のしてる事は間違ってるって気づいたの
だから変わらなきゃって…、私の性格の悪さは貴族の間でも有名だから…
《ワガママ姫》と
お茶会で母ウェンディについて行った際にも、貴族が集まるパーティーでもそのワガママっぷりは発揮させていた。
周りの迷惑など気にせず好き放題し、癇癪を起こす。いつの間にか《ワガママ姫》と呼ばれるようになっていた悪役令嬢のアリシナ。
アリシナはフーッと深く息を吐く。
「私の、世間の印象は本当に最悪なの…
お父様にもお母様にもたくさん迷惑かけた…
だからその汚名を返上するためにも私はたくさん努力しないといけないの…、皆が認める淑女にならないといけないの…
そのためには人に対しての接し方はもちろん、習い事は完璧にできないと…」
「演奏会で完璧にヴァイオリンを披露して世間のお嬢様のイメージを変えたいと、そう思ってるんですね?
だからアマンダ夫人には逆らえず、一人耐えていたんですね…」
「………」
シグルドの言葉にアリシナは黙り込んでしまった。
「…ヴァイオリンだけで世間の目が変わるとは思ってない…、だけど一つも手を抜いちゃいけないの!私は!私は人の何倍も努力しないとダメなの!でないと…」
『私は…処刑されるかもしれない…』
《彼の魔法に魅せられて》のシナリオ。処刑される恐怖がアリシナを苦しめる。
変わらなければ待っているのは《死》だ。
恐怖から涙が零れ落ちる。
その涙をシグルドがハンカチでそっと優しく拭いた。
「シグルド…」
「大変、苦しんでいたんですね…、お一人で…」
シグルドは優しい眼差しでアリシナを見つめる。
「世間の目は確かに気になるでしょう。
焦る気持ちはわかりますが、だからと言ってお嬢様が苦しんでいるだけで何が変わるでしょうか?
過去を反省し、変わろうとするお嬢様はとても立派です
それだけで私は充分だと思っています」
「だけど…!」
「お嬢様。過去のご自身の非に気づけたのでしょう?
それは大変凄い事なんです。それは心が清らかな方でなければ気づけない事なんですよ」
シグルドは片膝をつき、アリシナの手を両手で優しく包み込むように握る。
「大丈夫です。お嬢様。私がお傍におります」
「え…?」
「もし、お嬢様が間違った事をしそうになったら私が止めます。私が指摘します。この身に変えてもお嬢様の為になる事を私が努めます」
「…どうしてそこまで…」
『こんな私のためにそこまで言えるの?』
疑問に思うアリシナを他所にシグルドは愛おしそうにアリシナを見上げる。
「お嬢様の幸せが、私の幸せだからです」
「!」
シグルドの優しくそれでいてどこか熱の籠った眼差しにドキッと胸が跳ね上がった。
顔が徐々に熱くなるのを感じる。
「私も早くお嬢様のお傍にお遣えしたく焦っていましたので、お気持ちは少しだけ分かります
だけど、焦りは禁物だと今気付かされました
お嬢様のお傍にいる為には少しの妥協も許されません
そのために焦らずしっかり学んでいきたいと思います
だからお嬢様…」
ギュッとアリシナの手を握る力を少し強める。
「一緒に頑張りましょう」
「一緒に…」
「はい、一人で頑張るより二人で頑張る方が心強いでしょう?
…魔力無しの私ですが、どんな事があろうとお嬢様は私が護ります」
「シグルド…」
「何があろうと、どんな事が起きようと必ず護ります
だから安心してお嬢様はお嬢様のすべき事をなさってください」
シグルドは魔力無しだ。魔力無しは私生活でさえも支障が出る程不便な事が多い。
そのため魔力無しと知れたら見下され、人として底辺だとも揶揄される。
だが、アリシナはそうは思わない。思わないどころか目の前にいる少年はとても頼もしく、安心を与えてくれている。
現にシグルドはアマンダ夫人から自分を護り、助けてくれた。
アリシナは嬉しさと安堵から涙をポロポロ流し、思わずシグルドの胸に抱きついた。
「!!お、お嬢様…!?」
いきなり抱きつかれ、動揺するシグルド。
アリシナは構わずシグルドの胸に頭と手を押し付ける。
「ありがとう…、シグルド…
私たくさん迷惑かけちゃうと思う…
だけど頑張るから…、一生懸命頑張るから…!
だから…、私の事助けてね…」
「…はい、必ず…、お護りいたします」
シグルドは微笑みそうアリシナに言うと、自身の胸に頭を預けているアリシナを優しく包み込むように抱きしめた。
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