転生者だらけの異世界譚 リインカネーションワールド
アリシナのおかげで父親から解放されたシグルド。
シグルドは立ちあがろうとするが、父親から受けた暴力により体を動かすと痛みで苦痛の表情を浮かべた。
「うっ…」
「あ、大丈夫?」
よく見ると本当に痛々しい。左頬と左瞼は腫れ上がっており、痛みを感じる左腕を押さえている。
『すごく痛そう…』
アリシナは怪我を負っているシグルドを見て胸が痛んだ。
「上手くできるか分からないけど…」
そう言うとアリシナはシグルドの両頬を両手で優しく触れた。
いきなり頬に触れられたシグルドはビックリして目を見開いた。
その瞬間、アリシナの手から温かな光が生じる。
「これは…」
『治癒魔法?』
ジワジワと温かさを感じる。痛みも少しずつ引いていくのが分かった。
『…あたたかい』
張り詰めていた体の力が抜けていく。
頬から伝わる優しい熱にシグルドは目を細めた。
目を瞑り眉間に皺を寄せ、治癒魔法に集中するアリシナだが徐々にその光は弱まっていった。
「っ、はぁっ、はぁっ…!も、もう限界…!」
息を切らし治癒魔法を中断。
汗が滝のように流れている。
「ごめんね、私あまり魔力量多くなくて…
治癒魔法もまだまだ練習中なの…
ちゃんと治してあげたいけど、あとはお医者様にお願いした方がいいね」
額の汗を拭いながら謝罪するアリシナに不思議そうな表情で見つめるシグルド。
自分は奴隷として買われた身だ。そんな自分に謝罪するアリシナに疑問に思う。
「ガートン、
「承知いたしました」
ガートンは胸元から黄色い鳥が入った小さな鳥籠を取り出すとそれに魔力を流す。
するとポンっと通常の大きさになった。鳥籠の扉を開けて指を鳥の腹辺りに寄せると鳥はガートンの指にピョンと乗った。
指に鳥を乗せて鳥籠から出すと鳥に語り始めた。
「魔術医療師フラメル様へ
フラメル様、こちらグランディア伯爵家の執事ガートンです
使用人が怪我をしているため治療をお願いしたく思います
グランディア邸までお越しくださいますようお願い申し上げます」
ガートンの言葉を聞き受けた黄色い小鳥はパタパタと空へ飛んで行った。
『あれは
そう簡単に入手できる鳥ではないため、グランディア家の裕福さが窺えた。
シグルドは飛んで行った
「立てる?」
アリシナがシグルドに手を差し伸べた。
シグルドは戸惑いながらもアリシナの手を取った。
自分より小さな手から感じる柔らかな温かさ。
自分の手はアリシナと違い汚れている。そんな手でアリシナに触れる事に申し訳なさを感じながらも立ちあがろうとしたが、体中に激痛が走る。
「いっ…!」
シグルドは激痛から
「あっ…」
痛がるシグルドにアリシナは慌てた。よく見ると破けたズボンから露わになっている足から血が滲んでいた。
『服で見えない所も怪我してるんだ…
それに手がすごく冷たかった…、当たり前だよ、こんなに薄着なんだもん』
アリシナは自分の首に巻いていた純白のマフラーをシグルドの首に巻いてあげた。
フワッと柔らかなマフラーを首に巻かれてシグルドは少し驚いた様子を見せた。
『…これ、すげぇ高いんじゃ…
…いい匂いがする……』
戸惑いながらマフラーに触れるシグルド。
「これだけじゃ寒いよね、馬車にブランケットもあるからちょっと我慢してね」
優しく微笑むアリシナに目頭が熱くなる。
アリシナの笑顔も声も自分に触れてくれる手の温もりもシグルドにとってとても優しく心地が良いものだった。
涙を堪える為にグッと唇に力を入れた。
「ガートン、彼を馬車まで運んでちょうだい」
アリシナに命令されたガートンは「承知いたしました」と返事をすると「失礼」と言い、シグルドを優しく抱き上げた。
シグルドはガートンに横抱きで運ばれる事に少々羞恥した。
この体勢は所謂お姫様抱っこという形だからだ。
シグルドは精神年齢は成人しているため、初老のガートンにこのように運ばれるのはとても複雑に思う。
『いい歳してお姫様抱っこで運ばれるなんて…
いや、今俺は怪我をしているから仕方がないんだけど…
めちゃくちゃ恥ずかしい…!』
理解はしているし、この世界では身体はまだ幼い年齢だ。だが、前世の記憶があるシグルドは精神年齢が成人しているため羞恥心に駆られる。
それに加えてガートンは初老特有の妙にダンディーな雰囲気を纏わせている。
周りの女性達はガートンを見て頬を染め、笑みを浮かべてヒソヒソと話していて注目の的だ。
恥ずかしさから逃れるため、アリシナのマフラーで顔を隠す。
馬車に乗せられると、アリシナとカトレアも続いて馬車に乗り込む。
その際にガートンはカトレアに小さな声で耳打ちした。
「カトレア、お嬢様を頼みます」
「はい…」
ガートンの言葉を受け、こくりと頷く。
怪我を負わされ、危うく奴隷として売られそうになった哀れな少年だが、変な気を起こしてアリシナに危害を加えるかもしれないという警戒心は持つようにしなければならない。
お嬢様に仕える使用人として当たり前の事だ。
そんな使用人2人をよそに、アリシナはシグルドの横にストンと座った。
これにカトレアは慌て、ガートンは少々呆れ顔になる。
「カトレア?何してるの、早く乗って」
モタモタしているように見えたカトレアに怪訝な表情を浮かべながら促すアリシナ。
カトレアは「は、はい…」と返事をして2人の向かい側に座った。
ガートンは小さくため息をつくと操縦席へ座り、「はっ」と馬を歩かせた。
アリシナは座席に置いてあったブランケットをシグルドの肩と膝にかけ、少しでも温まるようにシグルドの背中を優しく
天井に吊るしてあるランタンに向かってカトレアが指で魔力を撃った。
ランタンの中にある魔石が反応し、炎のような赤とオレンジの温かな光が灯り、次第に馬車の中が温まっていく。
「…!暖房の魔道具…」
ポツリと呟いたシグルドにアリシナはニコッと笑いかけた。
「自己紹介がまだだったね、私アリシナ・グランディア
あなたのお名前教えてくれる?」
真っ直ぐなアリシナの瞳に何故か直視できなくてシグルドは俯いた。
「…シグルド、シグルド・ブライレット…」
「シグルド…、これからよろしくね、シグルド」
「…はい」
俯いたまま返事をする。
「私の家までちょっと時間がかかるから、気にせず休んでてね
辛かったら横になっていいよ?膝貸してあげようか!」
自分の膝に頭を預けていいというようにジェスチャーするアリシナにシグルドはドギマギしながら断る。
「い、いえ、それは…、恐れ多いというか…
俺は奴隷なので…そこまで良くしてくださらなくても…」
シグルドの発言にアリシナはムッとした。
「シグルドを奴隷として買ったつもりないから!」
「え?」
アリシナは腕を組むとプンプンと怒りながら話し始めた。
「あの時はああしないとあの男の人、大人しくシグルドを渡してくれそうになかったから、仕方なくお金を支払ったけど、シグルドを奴隷として扱うつもりはいっさいないからね?」
『…無理に保護しようとすればあの男何するか分からないし…
酒に酔った男は本当ヤバいのよ!前世の元旦那も酒が入るとマジで手がつけられなくなってたし!
だからと言ってシグルドをほっとく訳にはいかない…
誰もシグルドを助けようとしなかった…
ガートンやカトレアは私の使用人だから私を守る事が第一だし…
狂暴な大人の男は本当に危険…、でも…』
ギュッと体に力が入る。
『誰も子供であるシグルドを助けないんだもの…
私が助けるしかないじゃない…!』
前世の自分の娘を思い出す。守り抜きたかった。
もっとずっと一緒にいたかった。
小学校に入学した姿も、中学校に入学した姿も、高校に入学した姿も、成人した姿も、花嫁姿も孫も見たかった。
幸せな姿を見たかった。だけどそれはもう叶わぬ夢だ。
だからこそちゃんと生きて。今世は守りたいものは守り抜きたい。後悔はしたくない。そのためならなりふりなんて構ってられない。
伯爵令嬢があんな公衆の面前で奴隷を買ったとなったらあっという間に世間に知れ渡るだろう。
父親にもなんと言われるか分からないが、アリシナはすでに覚悟は決めていた。
「シグルドには私の身の周りのお世話をお願いするつもりだよ
侍女のカトレアもいるけど、私の周りには歳の近い子っていないから話相手とかしてくれると助かるよ
ちゃんとお給金も出すから安心してね?」
両手を合わせてフフッと笑うアリシナ。
「…!は、はい…、あ、ありがとう、ございます…」
『…なんて優しい子だろう…
貴族のご令嬢は俺みたいなスラム出身の人間なんて忌み嫌うのが当たり前だと思ってたのに…
この子が特別優しいのかな…
俺なんかにこんなに良くしてくれるなんて…
まるで都合の良い夢を見てるみたいだ…』
胸がキュウッと締め付けられる。こんなに嬉しい気持ちになるのは久しぶりだ。
今でもアリシナはシグルドにピタッとくっついて体を支えている。
馬車の走る振動を少しでも和らげ、体にかかる負担を軽減するためだ。
「あのね、言いにくかったら無理に答えなくていいんだけど…
さっきの男の人って…」
「…父親です」
やはりそうか、とアリシナとカトレアは表情を曇らせた。
「教えてくれてありがとう
ごめんね、シグルドの事お父様にちゃんと説明しないといけないから…」
「いえ…、大丈夫です。答えられない事はありませんので…」
まだ子供であるアリシナがいきなり奴隷を買ってきたとなると親は当然驚くだろう。
もしかしたら受け入れられない可能性だってある。
もしグランディア家に受け入れられなくてもシグルドはそれでもいいと思っていた。
あの父親から解放された。これだけでもかなり有難い話だ。
それに加え、前世でも今世でも愛情に飢えていたシグルドにはアリシナのこの優しさがこれ以上ない救いなのだ。
『ああ…、こんなに穏やかな気持ちになるのはいつぶりだろう…』
シグルドは左側から伝わるアリシナの体温に心癒され、静かに目を瞑った。
馬車の走る振動が傷に響くが、アリシナの支えにより耐えられる。
できるならずっとこうしていたいとも思った。
「…シグルド、シグルド…」
肩をトントンと叩かれハッとする。
寝落ちた訳ではなかったが、全身を怪我していた上、ろくに食事も摂っていなかったので体力が限界を迎えようとしていた。
そのためか少しの間意識が飛んでいたようだ。
肩を叩かれ気がつくとアリシナがにっこり笑いかけてきた。
「もうすぐ着くよ、ほら、あれが私の家」
馬車の窓に指を刺すアリシナ。指差す方を見ると立派な屋敷が遠くに見えた。
まだ100mほど先だが、それほど離れていても大きな屋敷だと分かる。
既に敷地内に入っていたらしく周りを見渡すと手入れの行き届いた素晴らしい庭園が目に入る。
「はー…」と息が溢れた。
綺麗に咲き誇るバラを見ている内に屋敷の前に着いた。
ガートンが扉を開けて、先にカトレアが降りる。
アリシナはシグルドの腕を掴むとゆっくり立ち上がるように促す。
痛みを堪えながらシグルドは立ち上がり、ゆっくり足を少し引きずって馬車の入り口まで歩いた。
ガートンがまたシグルドを運ぶため、「こちらへ」と両手を広げて抱えようとする。
「あ、あの、歩けるので…」
またあの運び方をされるのは恥ずかしいので断ろうとした。
「あ、お嬢様!お帰りなさい!早かったですねぇ!」
男性の声に視線を向けるとスコップと
「ただいま、エヴァン」
エヴァンと呼ばれた青年はグランディア伯爵家の専属庭師だ。若い庭師だが腕は確かだ。
エヴァンはニコニコ笑いながら近寄って来た。
「あれ?その子…、ど、どうしたんですか!スゴい怪我!」
顔が腫れ上がり、額から流血しているシグルドの姿を見て驚く。
アリシナがハンカチで押さえていたがなかなか止血出来ないでいた。
エヴァンはすぐさまシグルドに駆け寄り、頭から足の先まで何度も往復して見た。
「うわうわうわ、めちゃくちゃ痛そう…!お嬢様、この子いったい…」
「えと、話せば長くなるんだけど…、とにかく今は彼の治療をしたいの
とりあえず客室に運びたいんだけど」
「分かりました、俺が運びます」
ただならぬ雰囲気を感じエヴァンは真剣な眼差しでシグルドを見ると慎重に抱き上げた。
ガートンとは違い、自身の片腕にシグルドの尻を乗せ、もう片方の腕を腰に回す、小さな子を抱き上げるスタイルだが、これもシグルドの羞恥心を掻き立てた。
「あ、あのっ、俺歩けます…!」
「ぁあ!?ダメだダメだ!そんな大怪我しといて何言ってんだ!」
「そうだよ、シグルド。無理しちゃダメ!」
と、エヴァンとアリシナに怒られた。
「こういう時は大人に甘えとくもんだぞ、坊主
ガマンするな、無理して大人にならんくていい!」
『いや、精神年齢成人してます…』と心の中で言い返す。
恥ずかしさはあるが不思議と嫌ではなかった。
むしろこんなにも自分を気にかけてくれる事に嬉しさが込み上げてくる。
シグルドは大人しくエヴァンに運ばれる事にした。
屋敷の中に入り、ガートンは出迎える使用人に目を向けた。
「フラメル先生はいらっしゃいましたか?」
「はい、待合室にてお待ちでございます」
「では、客室にご案内をお願いします」
「わかりました」
ガートンの命令に使用人はフラメルという魔術医療師の待つ待合室へ速やかに向かった。
それを見てシグルドは少し不安に駆られる。
『医療魔術って治療費高いはずだよな…』と、父親から助けて貰うためにも多額の金を払ってもらった手前、治療費まで支払ってもらうのは申し訳ない気持ちになる。
金は父親に全て取られ、一文無しだ。
金を返すにはなんとか
アリシナの父親に追い出される可能性があるが、なんとかアリシナの元で働かせてもらえるよう懇願するつもりだ。
色々考えてる内に客室に着き、エヴァンはシグルドを椅子に座らせた。
「今、先生が来るからね」
と、アリシナは安心させるためにシグルドの手に触れる。
優しく触れる手にまた心が安らぐ。
ノックする音が聞こえ、メイドであろう女性の「失礼いたします」という声と共にガチャっと部屋のドアが開かれた。
メイドに案内され、客室に入って来た人物を見る。
白衣を身に纏い、肩まで伸びた薄紫色の髪を束ね、丸メガネが特徴的な二十代半ばの男性がにっこりとアリシナに向かって微笑んだ。
「お久しぶりです、アリシナお嬢様」
胸に手を当て、紳士的に挨拶をする男性にアリシナはスカートを持ち上げ、貴族の淑女の挨拶を返す。
「お久しぶりです、フラメル先生
急なお呼び出し申し訳ございません
こちらの…彼の怪我の治療をお願いいたします」
視線をシグルドに向け、心配そうにフラメルに治療を頼むアリシナ。
フラメルはアリシナの申し出にシグルドに目を向けると「ふむ…」と顎に手を添え、頭から足の先までじっくり見た。
「ひどいですね…、魔法薬ではすぐ完治出来そうにないです」
「治癒魔法でお願いします!早く治してあげたいんです…」
胸元でキュッと両手を握るアリシナ。
父親から受けた怪我を少しでも早く治してあげたい気持ちでいっぱいだった。
「では、怪我の詳細を診るために《スキャン》しますね」
フラメルはそう言うとメガネに魔力を流した。
するとメガネのレンズから緑色のレーザー光線のような光が放出した。
それをシグルドの頭から足の先までゆっくり当てていくと、フラメルの目の前にフォンッと緑色の光を放つタブレットのような物が現れる。
それを「ふむふむ…」と小さく頷きながら見た。
そのタブレットのような物にはシグルドの身体の状態を事細やかに表示されているようで、一通り見終わるとフラメルはにーっこりと笑った。
「いや〜、これはこれは…、結論から申しますと彼、命に関わる重症ですね!」
「命に関わる重症!?」
にこやかに笑って診断されるはずのない結果にアリシナ含め、その場にいた者達は身を乗り出して驚く。
「い、いぃ命って…!せ、先生!どういう…!」
シグルドは今もしっかり意識があり、会話も成り立っている状態だ。
それなのに〈命に関わる重症〉とはどういう事なのか。アリシナは訳が分からずパニックになる。
診断された本人も驚きを通り越して放心状態になっていた。
「いやぁ、僕もビックリしてますよ〜
こんな重症なのに椅子に1人でしっかり座ってるんですもの
かなり我慢しているんじゃないですか?」
と、横目でシグルドを見るフラメル。
シグルドは「うっ…」と気まずそうに斜め下に視線を逸らした。
「診断の結果を教えていただけますか?」
と、ガートンが冷静にフラメルに尋ねる。
フラメルは笑顔を崩さず魔力で作られたタブレットに視線を向けた。
「えっとですねぇ、まず肋骨が右側3本、左が2本折れてます
左腕も2カ所折れてますねぇ、あと左足の脛辺りにヒビが入ってます
それから顔左側と背中全体、腹部、両腕、両腿、両脚に複数の打撲…、これだけでも黙って座っていられるなんて驚きですよ〜
大の大人でも激痛でのたうち回ります
君、すっごい忍耐力あるんだねぇ〜」
ズイッと顔を近づけて来てニコニコ笑うフラメルに「はあ…」と曖昧な返事を返すシグルド。
「もしかしてアドレナリン大量分泌して痛みの感覚が鈍ってるのかな?
あれ、データには出てないな、じゃあ単純に我慢してるんだね!まだ子供なのにスゴいねぇ〜」
「ス、スゴいねぇって…!先生!」
「そんな楽観的な…」と狼狽えるアリシナ。
「まあこれだけでも充分重症なんだけど、〈命に関わってる〉のは《
と、シグルドの額に指を刺した。
そこは先程、シグルドの父親が地面に頭を叩きつけた時にできた怪我だ。
「脳出血起こしてます」
と、にこやかに発言するフラメル。
その診断を聞いたその場にいた者達は一瞬ポカンとすると、すぐに発狂した。
「の、のののっ脳出血!?」
「はい、脳出血です」
慌てふためくアリシナに対しにっこり返答するフラメル。
「アリシナお嬢様、脳出血ご存知のようですね
スゴいですねぇ、確かまだ9歳でしたよね?」
「こ、今年9歳です!そ、それより早く治療してください!!シグルドが死んじゃいます!!」
顔面蒼白になり、目にたっぷり涙を浮かべ早く治療するように促すアリシナに何故かクスクス笑うフラメル。
「大丈夫ですよ〜。一時的に出血は止まってるみたいなので」
と、言いながらフラメルはシグルドの額に触れた。
「…かすかにアリシナお嬢様の魔力を感じますが、治癒魔法使いましたね?
それのおかげでこの子一命を取り留めてます」
「へっ?」
自分の治癒魔法は不十分なはずなのだが、何故それが一命を取り留めたのか疑問に思った。
「かなり強く打ちつけたようで、頭蓋骨にヒビが入ってます。これは治癒魔法を施したからこうなってるんでしょうが、本来2㎝ほど砕けて穴が空いていたかと思います
アリシナお嬢様が応急処置していなかったらおそらく手遅れでしたね」
「!!!!」
フラメルの発言に声にならない叫びをあげる。
「シ、シシシシシっ、シグルドっ…!!」
シグルドを見つめダバダバと大量の涙を流す。
抱きしめたいが重症を負っているシグルドを抱きしめることができず、もどかしい気持ちになる。
シグルドは痛みや診断のショックやらで少々青ざめている。
「怪我の度合いによりますが、脳出血を起こして5、6時間程で言語障害や手の痺れといった症状が現れます
今はアリシナお嬢様の応急処置で出血が一時的に止まってますが、このままにしておくとまた出血して脳を圧迫し、死に至ります」
「わかりました!分かりましたから早く治療してください!!
さっきから怖い診断ばかりですぅ!それなのになんでそんなニコニコしてるんですか!!」
涙を勢い良く流しながらヘラフラしているフラメルに物申す。
「あはは、すみません。しっかり容態を診ないと見落としがあればそれこそ命の危険がありますから」
「それにしてもどうしたらこんな大怪我…」
エヴァンは何故こんな怪我をしているのかと知りたそうにアリシナに視線を送る。
「私も気になりますね、人にやられたでしょう?誰にやられたか分かりますか?」
「あ、えっと…」
シグルドの心情を考えると答えづらく、俯いてしまう。
「…父親です。父親にやられました」
アリシナの気持ちを汲み取り、話すのも辛い状態だが、シグルドはしっかり答えた。
父親に暴力を振るわれたと知ったエヴァンはショックを受け、シグルドに抱きついた。
「そ、そんなっ!ここまでするかよ!父親が!
酷すぎだろー!!坊主が何したってんだぁ!!」
「うわぁ〜!」と号泣しながらシグルドを強く抱きしめる。
当然シグルドの身体に激痛が走る。
「ゔっ!ぐあぁああぁあ!!」
「エヴァン!!シグルドを放して!!死んじゃう!!」
激痛から断末魔のような叫び声を上げるシグルドにアリシナは必死にエヴァンを引き離そうとする。
気を失いかけそうになっているシグルドにエヴァンは「しまった!」と慌て、パニックになりシグルドの肩をゆさゆさと揺らす。
「悪ぃ!坊主!しっかりしろ!死ぬなぁ!!」
「いいから放して!エヴァン!!本当に死んじゃうぅ!!」
「はーい、マジで死んじゃうから放してくださいね〜。治療始めまーす」
ヤバい状況にも関わらず慌てないフラメル。
パニックにより正常な判断ができなくなったエヴァンをガートンが力づくで引き離す。
解放されたシグルドをフラメルが抱き抱え、椅子の後ろにあるベットにそっと寝かせた。
《スキャン》したデータとシグルドの身体を見比べながら治癒魔法の術を発動させた。
『…この怪我の他にも骨折した跡がある…
ほとんど治ってはいるけど…、頻繁に暴力を受けていたんだろうな…』
「…〈いつの世〉も〈どの世界〉でもこういうのはあるものか…」
ボソッと呟いたフラメルのその言葉は誰の耳にも聞き取れず、皆怪訝な顔をした。
「? 先生?今なんて…?」
「いやいや、なんでもないですよ
シグルドくんと言いましたっけ?彼
治癒魔法でも完治には時間がかかりますので、ここは僕に任せてください
終わりましたらお呼びいたしますので」
「…わかりました、よろしくお願いします」
ずっと付き添っていたかったが、父親にシグルドの説明をしなければならないので、父親を迎える準備をしなければならない。
アリシナは名残り惜しく思いながらもベットに横たわっているシグルドの手に自分の手を重ねる。
「シグルド、私席を外すけど…、フラメル先生は凄腕の魔術医療師の先生だから、大丈夫だからね…」
「…はい」
シグルドは小さく頷いた。励ましているが明らかに心配しているアリシナに胸の奥がキュッとなる。
部屋を退出する際にもチラチラと後ろを振り返り、シグルドを気にしていた。
執事のガートンに促され、部屋を後にするアリシナ。
完治するまでシグルドの傍に居たかったのだろう。
その様子はシグルドも気づいていて、それが可愛らしく思えた。
アリシナ、カトレアが退出し、部屋にはフラメルと付き添いでガートンとエヴァンが残った。
「…アリシナお嬢様、お優しいですよね」
「…!」
治癒魔法を施しながら話しかけてきたフラメルに目線を向けると優しい眼差しでシグルドを見つめていた。
「お嬢様の曽祖父はこの国の英雄と呼ばれたお方で、Aランクの凶悪な魔物をお一人で討伐なされた事で伯爵を爵命されたんですよ
普通は平民から伯爵の爵命を賜わるなんて非常に稀らしいのですが、その魔物が街を襲った時、お嬢様の曽祖父《ユーリ様》は誰一人死者を出さずに守り抜いたんだそうです
伯爵になられても身分など気にせず分け隔てなく慈悲のお心で接しておられたとか」
「きっとお嬢様はユーリ様の意思を受け継いでいらっしゃるのですね」と話すフラメルにエヴァンとガートンは何か苦い物でも食べたかのような表情を浮かべ、小さく咳払いした。
去年までのアリシナを知らないフラメルやシグルドは二人の様子に怪訝な表情を浮かべる。
『…昔に聞いたことがある、そのAランクの魔物だけじゃなく多くの魔物から人々を守り抜いてきたって…
そっか…、アリシナお嬢様はあの英雄ユーリ・グランディアのひ孫なのか…』
納得したように目を細める。
15分くらいは経っただろうか、だいぶ身体の痛みが引いたように思える。
試しに左手をグッパーと握ったり開いたりしてみた。
そのシグルドの行動にフラメルは驚いた様子を見せる。
「すごいですね、治癒を
シグルドくんは騎士などに向いてそうですね」
「騎士?」
「はい、あれ程の重傷を負っていながら泣き言を一つも言わなかったですし」
「それどころか一人で歩こうとしていましたよ」
と、横からガートンが呆れた表情を浮かべ話に入って来た。
「へぇ!それはスゴい!異常ですね!」
「はあ…」
反応に困る台詞だ。
「はい!治療終わり〜。どう?」
治癒魔法の緑色の光がスーッと消えていく。
「どう?」と聞かれ、シグルドはゆっくり身体を起こした。
痛みは完全に消えている。両手を見つめグッと握ってみる。力もしっかり入る。完治したようだ。
「…問題ないです。ありがとうございます」
「ん!まあしばらくは激しい運動とかは避けてね、治癒魔法は疲労回復まではできないから、しっかり食べてしっかり寝る事!」
「わかりました」と素直に返事するシグルドにフラメルはニコッと笑った。
「フラメル先生治療してくださりありがとうございました」
ガートンもフラメルに礼を言い頭を下げる。
「はい、では私はこれで。シグルドくん、しっかり休んでくださいね」
「はい、ありがとうございました」
ペコっと会釈をするシグルド。
フラメルはシグルドに手を振りながら「失礼します」と部屋を後にした。
『…ちょっと変わった人だったな』
そう思いながら軽く身体を動かしてみる。全く痛みを感じない。
「本当にもう大丈夫か?」
エヴァンが心配そうに話しかける。
「はい、もう全く痛みはありません」
「そっか、さっきはごめんな!悪気はなかったんだ…」
感情的になり思い切りシグルドを抱きしめて痛い思いをさせてしまった事を気にしているエヴァン。
「いえ、気にしないでください」
「では、次は入浴していただきます
その身なりでお嬢様はもちろん旦那様の前に出させる訳にはいきませんから」
確かに。今のシグルドは自分の血と砂や泥などで全身汚れている。よくこんな状態の自分にアリシナはくっついていたなと小さく苦笑した。
ガートンが隣の部屋に向かう。
ドアを開けるとすぐ白いバスタブが目に入った。
バスタブに設置されている水属性の魔石と火属性の魔石に魔力を流す。すると水属性の水色の魔石から勢いよく水が流れてきて、数秒でバスタブいっぱいになった。次に火属性の赤い魔石がその水を温めてあっという間にお湯になった。
かなり高価な魔石だ。こんなに早くたくさんの水が出て、一瞬でお湯になったのだ。かなり高いと見受けられる。
「さっ、こちらに」
ガートンに促され、バスタブまでスタスタと歩いて行くシグルド。その後ろをまだ心配そうにしているエヴァンが「そんないきなり早く歩いて大丈夫か?」とついて行く。
「服を脱いでください。そちらは処分します
新しい使用人用の服がありますので、体を洗った後そちらに着替えていただきます」
「分かりました…。あの、自分で洗えますので…」
出ていってほしいなぁという雰囲気を出すがガートンにその思いを
「見た所、何ヶ月も体を洗っていないでしょう?自分では気づかない汚れもあります
旦那様の前で粗相は許されません。今日は私とエヴァンで洗わせていただきます」
男二人がかりで洗われるのはイヤだなと苦い顔をするシグルドとは裏腹にエヴァンはニッコリと石鹸とスポンジを持っていた。
「いや、ちゃんと気をつけますから…」
「つべこべ言わずさっさと入りなさい」
ガートンがシグルドの首根っこ辺りの服を掴むと強引にバスタブに投げ入れた。
ドボン!と勢いよくお湯が飛び散る。
「ぶはっ!ちょ、いきなり…!」
「エヴァン、シグルドの頭を洗ってください」
「了解ッス!」
背後に回り、シグルドの頭に勢いよく大量のシャンプーをかけ、わしゃわしゃと洗い始めた。
「まっ、まって!自分で…!」
「往生際が悪いですよ」
そう言うとガートンはハサミでシグルドのボロボロになった服をシャキッシャキッと切って脱がしていく。
「うおぉおお!あぶねっ!ハサミ!」
「また怪我したくなければ暴れないでください
男同士なんだから恥ずかしがらなくてもいいでしょう」
淡々と服を切っていくガートン。
「大人しく洗われとけ〜シグルド。ほら汚れ凄すぎてシャンプー泡だたねぇぞ
こりゃ何回も洗わないとなぁ」
とエヴァンはザバッと豪快にシグルドの頭にお湯をかける。
「ぶっ、あ、目が!」
目にシャンプーが入ったのか痛みを感じゴシゴシこする。
「暴れるからだぞ〜」
と無慈悲にもう一回シャンプーを大量にかけてわしゃわしゃ洗う。
「シグルド、お嬢様の傍にお仕えしたいと思うのであれば、身なりをしっかりなさい
貴方が良くても恥をかくのはアリシナお嬢様ですよ」
「!」
ガートンの
「身なりだけではありません、貴族に対しての知識や振る舞いによる品性も使用人には求められます
少しのミスも主人にとって痛手となります
アリシナお嬢様にお仕えしたいのであれば学びなさい」
内容によるがそのミスや失敗が弱みになる場合がある。
一見華やかで穏やかな印象の貴族社会も腹の内は分からない。揚げ足取りを常に狙う者もいる。
貴族自身もだが、使用人もその品性を問われる。
貴族のまた伯爵家の使用人になるというのはそう簡単なものではないのだ。
それを瞬時に悟ったシグルドは大人しく洗われる事にした。
「よろしい」
シグルドがちゃんと理解したと確信したガートンは遠慮なく服を切って脱がしていく。
覚悟を決めた様子のシグルドにエヴァンはフッと笑い、わしゃわしゃと洗っては流し、洗っては流しを五回ほど繰り返した。
「へぇ!お前綺麗なパールホワイトの髪だったんだな!
汚れが凄すぎて最初分からなかったわ!」
やっと汚れが落ちた髪はキラキラと光沢のある白髪だった。
ドライヤーに似た家電で髪を乾かしながら色んな角度からシグルドの髪を物珍しそうに見るエヴァン。
「髪が長いですね、束ねるにはまた長さが足りませんし…
エヴァン、そのまま髪を切ってください」
「え!?」
ギクッと反応するエヴァン。途端にしどろもどろになり、焦りを見せる。
「いやっ、俺、髪はちょっと…」
「貴方常日頃からハサミを使ってるでしょう」
「いやいやいや!植物と人の髪は別物ですって!」
妙に拒否するエヴァンに疑問に思う。
額から汗を垂れ流している。
「前髪が目にかかっていますし、後ろもかなり不揃いです
このままでは使用人として働かせる事はできません」
ガートンの言葉に反応するシグルド。
切ってもらわないと困るとシグルドもエヴァンを見る。
「いや…、でも…」
「貴方の庭師としての技術は繊細でトップレベルです
その技術は散髪にも活かせるでしょう」
半ば強引にハサミを渡されるエヴァン。
ハサミとシグルドの髪を見てブワッと汗が吹き出てきた。
カタカタと手が震える。
ある光景が脳裏にフラッシュバックする。
ブシュッと飛び散る血。泣き叫ぶ女性。罵倒する上司らしき男。それを見てニヤッと笑う若い男。
散髪用のハサミを持つとそんな断片的な映像の記憶が頭に流れる。
『…やっぱり無理だ……俺はもう…』
「エヴァンさん」
シグルドの呼びかけにハッと顔を上げる。
「俺を清潔感がある見た目にしてください
命の恩人のお嬢様に恥をかかせたくないです
スラム出身だけどお嬢様の役に立てるように頑張るから…お願いします」
「…っ!」
シグルドの思いに先程とは別の記憶がエヴァンの脳裏に蘇る。
《どうしてもあの
《可愛くなりたくて…》
《綺麗にできますか?》
《自分じゃどうしようもなくてぇ》
《他のとこだと満足できなくて…》
《カッコよくできますか!?》
《自分を…変えたくて来ました!》
たくさんの人達の期待と不安に満ちた声が聞こえてきた。
鼻の奥にツンッと痛みが走る。
気づけば汗と手の震えは止まっていた。
「…わかったシグルド」
グッとシグルドの肩を掴むとニッと笑って見せた。
「俺がお前を最っ高にカッコよくしてやる!」
そう意気込むとシグルドの肩に布をかける。
そしてハサミとクシを手にした。
『大丈夫だ…、きっと今の俺なら…』
一呼吸し、シグルドの髪にクシを通し、シャキッと髪を切った。
その瞬間身体が熱くなるのを感じた。
『ああ…この感じ。これだ…本当の俺は…!』
泣きたくなるのを堪え、シグルドの髪を素早く切っていく。髪一本一本に全神経を集中させる。
人が変わったかのようなエヴァンに傍で見ていたガートンは少々驚いていた。
エヴァンは庭師だ。だが目の前にいる彼は誰が見てもプロの美容師にしか見えなかった。
最後毛先を調節して散髪は無事終わった。
「…よし!完璧だ!」
「とてもいいですね、これなら問題ないでしょう」
「ありがとうございます」
シグルドはエヴァンにペコっと頭を下げた。
とても頭が軽く感じる。目や顔にかかっていた髪が無くなり開放感もあって清々しい気持ちになった。
エヴァンは満足そうに腕を組んでうんうんと頭を上下に振り、シグルドを眺めた。
「…ていうか、お前そんな顔してたんだな
顔腫れてたし、髪が邪魔でよく見えなかったけど…」
予想外だ。と驚く様子を見せるエヴァンとガートン。
「まあ、お嬢様に仕えるのですから印象としてはとても良いでしょう」
二人の様子にシグルドは怪訝な表情を浮かべたが、問題ないのであれば良かったと思った。
用意してもらったスーツに腕を通す。
「うん!似合ってるぜ!スラム出身とは思えねぇな!」
「サイズは大丈夫ですか?」
「はい、ピッタリです」
「では、旦那様の元へ向かいましょう
この時間だとすでにお帰りになりお嬢様と一緒に談話室にいらっしゃるかと思います」
胸元から懐中時計を取り出し時間を確認するガートン。
一気に緊張が走る。自分の振る舞い一つで追い出されるかもしれない。
シグルドは深呼吸をし、気合いを入れた。
「では行きましょう」
「はい」
意を決してガートンとエヴァンと一緒に部屋を出て談話室へと向かった。
少し時間を遡る。
着替えを終えたアリシナは緊張した様子で鏡に映る自分を見つめた。
『大丈夫、大丈夫よ。大丈夫…
私に甘々なお父様だもの、きっとシグルドを受け入れてくれるはず…』
「……だけどなぁ〜!」
うわぁーと頭を抱えるアリシナ。
流石に今回の件は拒否されるかもしれない。
貴族は印象が大事だ。その上偉大な曽祖父の事もある。
もしかしたら曽祖父の顔にも泥を塗る行動だったかもしれないとアリシナは悩んだ。
『いやいやいや!例えそうだとしてもシグルドを見捨てるなんて事は絶対しないけどね!
ただ、人目のある所でってのが不味かったかも…
いやでも早く助けなきゃシグルドの命の危険があったし!
…人として間違った事はしてない……
だけど貴族だからなぁ〜!もう!貴族めんどくさい!!
ああ、胃が痛くなってきた…』
キリキリと痛む胃に前屈みになるアリシナ。
「…お嬢様、すごい百面相してますよ」
とカトレアが呆れた表情を浮かべていた。
「カトレアァ…、ギュッてして…」
両手を広げて甘えてくるアリシナにカトレアはキュン!と胸に衝撃を受けながらもアリシナを抱きしめた。
「…もう、いつからこんな小心者になったんです?」
「…私は今悩める乙女なの」
「ふふっ、そうですか」
よしよしと頭を撫でるカトレア。
「大丈夫ですよ、旦那様ならちゃんとお嬢様のお気持ちを汲んでくださいますから」
「…うん」
そこに他のメイドがやって来た。
「失礼いたします。お嬢様、旦那様がお帰りになられました」
「…わかった」
ゆっくりカトレアから離れ、深呼吸する。
「よし、いざ決戦の場へ!」
『戦乙女のディアナのマネかしら…』
とカトレアはクスリと笑った。
談話室へ向かうとある程度状況を知っただろうアリシナの父。《ユリアス》がソファーに座っていた。その隣に母の《ウェンディ》が座っている。
二人ともアリシナを真剣な眼差しで迎えた。
「お父様、お母様、お帰りなさい
今日は、その…お願いがあるのですが…」
歯切れ悪く話し出すアリシナ。
その様子を見て、フーッと父ユリアスが息を吐いた。
「お願いというのは、奴隷を買ったことかな?」
「っはい…」
確信をついてきた父に小さく震える。
「勝手な事してごめんなさい!でもどうしても助けたかったの!助けなきゃシグルドは…、あの子は闇市場に連れて行かれていたから!
だから…、だからどうか!使用人として雇う事を許して下さい!!」
「いいよ」
「そこをどうかお願いしまっ!え、…ええ!?今なんて!?」
アリシナの熱弁とは裏腹に軽く許可を出した父に耳を疑った。
「ははっ、アリシナ、お父様が猛反対すると思っていたね?」
おかしそうに笑う父に呆気に取られるアリシナ。
隣で母もクスクスと笑っている。
「は、はい、だって奴隷を飼っている貴族は印象に悪いし…」
「確かにそうだけど、アリシナはその少年が酷い目に合っていたから助けたんだろう?
助ける事は悪い事ではないんだよ、例えお金を払って買った奴隷だとしてもね」
ニコッと笑って話す父だが、まだ納得できず困惑するアリシナ。
「ガートンから《
街中にも関わらず父親から暴力振るわれてたんでしょう?」
可哀想に…と表情を曇らせる母ウェンディ。
「アリシナ、お前はグランディア家にとって恥ではなく栄誉ある事をしたんだよ
その場には人がたくさんいたのだろう?誰かがウチに難癖つけようにも目撃者が大勢いたのなら逆に難癖つける方が立場が悪くなるものだよ」
「そ、そうなんだ…」
全身の力が抜ける。よろけた体をカトレアが支えた。
「アリシナ。ガートンやカトレアが居たとはいえ凶悪な大人に立ち向かうのにはかなり勇気がいったでしょう?」
母は立ち上がり、アリシナの元に歩み寄ると優しく抱きしめた。
「よく頑張ったわね、さすが私とお父様の子、そしてひいお爺様のひ孫だわ」
よしよしと頭を撫でられ、張り詰めていた気持ちが解けたアリシナは母の優しい抱擁により涙腺が崩壊した。
「お、おがあざまぁ…」
母の胸に顔を埋め静かに泣くアリシナ。
その場に優しく尊い空気が流れる。
その時、コンコンとノックの音が談話室に響き渡った。
父が「どうぞ」と声をかけると「失礼いたします」とガートンがドアを開けて入って来た。
「お帰りなさいませ、旦那様、奥様
例の子供を連れて参りました」
「うん、通してくれ」
「はい。入りなさい」
ガートンが振り返り、促すとシグルドが談話室に入って来た。
そのシグルドの姿に談話室にいたアリシナ、父、母、使用人達は目を見開いた。
怪我を治し、身を清め、髪を切り整えたシグルドの姿は最初に合った少年の面影など全く見当たらないほど、美少年だったからだ。
「え、ええ!?シ、シグルド!?シグルドなの!?」
「はい、シグルドです」
動揺するアリシナに淡々と答えるシグルド。
アリシナは未だ驚きを隠せず困惑した。
『こ、こんな整った顔をしていただなんて…!
まるで他の乙女ゲームの展開みたいだな!』
と、決してその場では口に出せないツッコミを入れるアリシナ。
「君がアリシナが連れて来た少年だね?」
「はい、シグルド・ブライレットといいます」
アリシナの父に声かけられ、胸に手を当て頭を下げて名乗る。
「話は聞いたが、君随分と…」
「あの!俺!一生懸命働きます!お嬢様が俺の為に支払ったお金も頑張って必ず返します!
絶対に役に立ってみせますのでどうかここに置いてください!!」
「うん、いいよ」
「っ恩を仇で返す真似は絶対にしな…、…え?今…?」
先程とデジャヴな展開にシグルド、ガートン、エヴァン以外の者達はププッと笑いを堪え、アリシナは気まずそうに頬を染めていた。
「シグルド、旦那様のお話を遮るんじゃありません
最後まで聞きなさい」
「す、すみません…」
ガートンに注意され反省し俯く。
「あっはっはっは!君、アリシナに似てるね」
「お、お父様!」
恥ずかしさからムッと父を睨むアリシナ。
シグルドは訳分からずアリシナと父親を交互に見た。
「アリシナから話を聞いてるよ、君を正式に使用人として雇うから安心しなさい」
「!あ、ありがとうございます!」
「とはいえ、使用人としての最低限の知識、振る舞いが出来なければ表には出せません
私が教育しますので励みなさい」
と、ガートンが隣に来て言った。
「はい!」
はっきりと返事をし意気込みを見せるシグルド。
そんなシグルドにみんな笑みを浮かべる。
「シグルドは歳はいくつなんだい?」
「はい、11歳…あ、すみません、間違えました
今日で12歳になります」
「「「「…え?」」」」
シグルドの言い直した言葉にその場は凍りついた。
「今日で12歳?」
「はい」
「じゃあ今日が誕生日って事?」
「はい、そうです」
みんな愕然とした。
アリシナは信じられない。とブルブル震え出した。
あの父親は実の子の誕生日に奴隷として売り出したのだ。
その事実にポーカーフェイスのガートンさえも酷く困惑した。
「ひ、ひどい…」
と泣き崩れるアリシナ。
「お、お嬢様…?」
両手で顔を隠し涙するアリシナにシグルドは膝をつき、目線を合わせようとする。
「どうして…そんな事できるの…、誕生日の日に…、あんまりよ…」
『お嬢様…』
キュッと胸が締め付けられる。アリシナは今自分を哀れみ泣いてくれている。
スラムやあの街中では誰もそんな風に思う者はいない。
「アリシナお嬢様」
シグルドの呼びかけにアリシナは顔を上げる。
シグルドは泣きじゃくるアリシナの顔を見て困ったように笑みを浮かべ、アリシナの右手を両手で掴んだ。
「俺の為に泣いてくださってありがとうございます
ですが、もう泣かれないでください
父の事はもういいんです。俺も…あの時父を捨てるつもりで逃げようとしました
力に敵わず自力で逃げる事は出来ませんでしたが…
そんな時、貴女様に救っていただきました
このご恩は一生かけても返し切れるものとは思っていません
だから、この命尽きるその日まで、俺はお嬢様を護ると此処に誓います」
シグルドはそう言うとアリシナの手の甲に唇を落とした。
予想外の事にアリシナはボッと顔を真っ赤に染めた。
周りの大人たちは「あらあらまぁまぁ」とニヤニヤ笑っている。
『び、美少年に手の甲にキ、キスされてしまった!!』
「い、命尽きる日までって!そんな大袈裟な!
いいんだよ!そんな、私なんて気にせずシグルド自身の幸せを考えて…!」
「アリシナお嬢様の幸せが俺の幸せです」
『なんて殺し文句ー!!美少年が気軽に言っていい言葉じゃないぞー!!』
鼻血が出て来そうなくらい顔面が熱い。
「今はまだ使用人見習いで表立ってお嬢様にお仕えできませんが、すぐにお傍に立てるよう精進しますので、どうかよろしくお願いいたします」
改めてシグルドの表情を見ると先程までの絶望に満ちた顔や、正気がない顔はなく、希望に満ちた生き生きとした表情をしている。
『ああ、もう本当に大丈夫なんだ…』と思うとホッとしてアリシナも笑みが溢れる。
「うん!私の方こそよろしくね!」
満面の笑みでシグルドの手をアリシナも両手で握り返す。
「はい…!」
『良かった…、正式にグランディア家の使用人見習いとしてお傍にいられて…
お嬢様…、信じられないかと思いますが、俺は前世の記憶があり、その時も碌な人生ではありませんでした
貴女に出会うまでは生きる喜びを見出せなかった…
けど、貴女に出会い、俺の人生は変わりました
貴女の存在が俺の生きる糧となったんです
俺は貴女の為に生き、貴女の為に死ぬ事も
この命…、いや、この魂に誓い、貴女をどんな苦難からもお護りいたします』
シグルドの深い忠誠心を知ってか知らずか、アリシナやその場に居た者達も穏やかに微笑みを交わすのだった。
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