転生者だらけの異世界譚 リインカネーションワールド

此処は魔法や魔物、様々な種族がある世界

ある屋敷の一室の窓際で、ふわりと揺れる亜麻色の長い髪に、エメラルド色の瞳の伯爵令嬢と、パールホワイトの髪にブラッドオレンジ色の瞳を持つ令嬢の執事が深刻な表情を浮かべ向かい合っている。

何かに怯えた様子を見せる伯爵令嬢は小刻みに震える手をギュッと握った。
そして意を決して硬くつぐんでいた口をゆっくりと開けた。

「…私には誰にも言えない秘密があるの…」

伯爵令嬢は身体をブルブルと震わせ、その目には薄っすら涙を浮かべていた。
その伯爵令嬢の様子を真剣な眼差しで見つめる執事。

「それは…、私にも言えない事でしょうか?」
低く落ち着いた声色で問いかける執事。
涙で潤んだ瞳で伯爵令嬢は執事を見つめた。
その表情は恐怖と悲しみと不安に満ちていた。

「…っ、私…、私は未来が怖い…!自分でなんとかしなきゃって思ってるけど…
もうすぐ《その時》が近づいて来ている…、そう思うと怖くて…っ、誰か助けてって思ってしまうの!」
溢れ零れる涙を両手で乱暴に拭う。

「…でも誰かに助けを求めたら…、その人も危険なめに合わせてしまうかもしれない…
巻き込んでしまうかもしれない…
そう思うとやっぱり誰にも言えない…」
諦めたように俯く令嬢に執事は眉をひそめた。

「私のせいで…、シグルドが不幸になってしまったら…、そう思うと自分でなんとかしなきゃって…
私…、今までシグルドにはたくさん助けてもらった!ずっと傍にいてくれた!感謝してもしきれない…!
シグルドには幸せになってほしいの…!」
両手で顔を覆い、零れる涙を隠す。
シグルドと呼ばれたその執事は令嬢の手にそっと触れた。

「お嬢様…、私の幸せは、いつまでも貴女のお傍にいる事です
貴女に恐怖が迫って来ているのなら、私がそれを斬り捨てましょう
貴女に不安が押し寄せて来ているのなら、私はそれを薙ぎ払いましょう
貴女が悲しみに打ちひしがれるのでしたら、私がそのお心を癒しましょう
貴女の…、アリシナお嬢様の幸せが、私の幸せなのです…」
シグルドは自分自身の胸に手を添え、アリシナを熱い瞳で見つめた。

「お嬢様は…、私が必ずお護り致します」

..........................

時は6年前にさかのぼる。
1人の少年が街中の道の端で紳士の靴を磨いていた。
賑やかに人や馬車が行き交う中、少年は靴磨きに集中している。
その横で紳士は椅子に座り、本を読んで靴が磨き終わるのを待っている。
艶出しのクリームを塗り、ムラが出ないように綺麗に布で拭き取る。
最後にしっかり磨き終えているか目線の高さに靴を上げ、じっと目視する。

「終わったよ」
少年は問題なしと確認を終えると紳士の足元に靴を揃えて置いた。

「ああ、ありがとう」
紳士は本をパタンと閉じると靴を履いた。
靴を履くと頭を何度か傾けて靴の仕上がりを見る。

「うん、今日も綺麗に磨いてくれたね
今日はこれで終わりかい?」
「いや、まだここに居る。客あんた含めて4人しか来てないし…」
少年は不貞腐れたように言いながらクリームの蓋を閉めた。

「そうか、じゃあ今回は少し色をつけさせてもらおう」
紳士は少し笑みを浮かべて財布から硬貨を取り出すと少年の手の平にチャリっと音をたてて置いた。

「え、こんなに…」
いつもより多めに渡された金額に少年は目を見開く。

「いつも世話になってるからね、それに君のその腕ならそれくらいの金額でもおかしくはないよ?君の仕事は本当に丁寧だからね」
少年の様子に紳士はふふっと微笑む。
紳士は帽子を被り、立ち上がると少年の肩を軽く叩いた。

「また次も頼むよ。シグルド」
紳士はそう言うと被った帽子を軽く持ち上げ「じゃあね」と挨拶するとその場を去って行った。
シグルドと呼ばれた少年は手に握った硬貨に視線を落とした。
いつもより多めに渡された硬貨を見て荒んだ心が少し和らぐ。

(ありがたいけど…)
「ほとんどクソ親父に取られるんだよな…」
はぁ〜と深いため息をつく。白い息がシグルドの顔を半分隠す。

「さっむ…」
時期は冬。靴磨きで汚れた両手を見るとハーッと息を吹きかける。少しでも冷え切った手を温めようとするが、その熱は白い蒸気と共に消えていく。ゴシゴシと両手を擦り合わせるが、それでも冷えた手は温まらない。
寒さから指先や鼻の頭、耳が赤く染まっている。
冬の靴磨きは本当にキツい。仕事が来るとそれに集中すれば耐えられるが、こうして客を待っている何もしていない時が何よりも苦痛だ。
目の前を行き交う人々をボーッと眺める。

(あと1人くらい稼ぎたいんだよな…)
横に置いてある少しいびつな小さな正方形の缶に目を向ける。
数枚の銅貨と銀貨が不揃いに入っている。

(全部で5800シェンスか…
さっき多くくれたけど…、使えるのは800シェンスだけだな
5000シェンスは渡さないと…)
はぁ〜とまた長いため息をつく。今日は朝から何も食べていない。昨日は今日よりも稼げなかったからだ。

それから2時間ほど客を待ったが、その後の収入は無かった。
冬は特に客足が少ない。靴を磨くために靴を脱いで待ってもらう必要があるからだ。
寒空の下靴を脱いで数十分待つのは客としてもキツいだろう。今日だって靴が極端に汚れた客しか来なかった。

辺りは薄暗くなり、空は紺色と薄い青、紫とピンク色のグラデーションになっている。
もう少し粘りたかったが、ここから空は一気に暗くなる。
シグルドは渋々片付けを始めた。

麻布の袋に硬貨を入れ、800シェンスを手に握り締め、屋台がある方へ足を運んだ。
15分程歩くと色んな屋台が並んでいる。
半分ほどが店仕舞いに取り掛かっているが、夜これからという屋台も何軒かある。

(とりあえず今は温かいものが欲しいな…)
寒さと空腹で足取りが重い。フラフラと身体が揺れる。それでも前に足を運ぶ。するとコンソメのいい匂いが漂って来た。
シグルドは吸い込まれるかのようにその匂いを漂わせている店に向かう。

「スープとサンドイッチちょうだい」
「はいよっ、いらっ…しゃい…」
シグルドに声をかけられた女店主は最初笑顔を見せたが、シグルドを見るなり表情を険しくさせた。
店主はまじまじとシグルドを見るとフンッと鼻をつく。

「悪いけどね、お金がなきゃスープもパンもやれないよ!」
と、あっち行きな。というような言動をする店主。
店主から見たシグルドは手はもちろん、顔も服も汚れていて、いかにもスラム街にいる一文無しの迷惑な子供に見えたのだろう。

(…まぁ、スラム街に住んでるからな、店側からしたら関わりたくないだろうけど…)
「金ならあるよ」
シグルドは握り締めていた800シェンスの銅貨を店主に見せた。
金を持っている事を確認すると店主はわざとらしくため息を吐きながら器にスープをよそう。

「スープは80シェンス、サンドイッチは一つで150シェンスだよ」
「サンドイッチ2つで」
「じゃあ380シェンスだね」
素っ気ない接客を崩さない店主。シグルドから硬貨を受け取ると紙袋に入れたサンドイッチとスープを差し出した。

「スープの器はそこにちゃんと返しとくれよ」
返却する場所に指差し、次に来た客の接客をする店主。
「おや久しぶりじゃないか〜」と先程の自分との接客の差にシグルドは眉をひそめた。

テーブルにスープの器を置き、サンドイッチを袋から取り出すとガブリと頬張った。

(早く食って帰らなきゃ…、…帰りたくないな…)
金を取られると知っていて帰りたいとは思えない。
いっそこのまま父親を捨てて逃げようか、なんて思ったことは何度もあった。だが、その度に半年前に亡くなった母親を思い出す。

2年程前は普通の家庭で育っていたシグルド。
その家庭が崩れ始めたのは1年前。
シグルドの家は魔道具の買取、修理、販売をしていた。順調だった店は父親が騙された事により借金が重なり、あえなく廃業となった。

(俺なりに頑張ったんだけどな…)
シグルドには前世の記憶がある。それは店が廃業になりかかった時に、記憶を刺激する魔道具の手入れをしていた時だ。

その魔道具は使用したその日から数年程の期間、忘れ記憶が朧げな時に使用する物で、魔力で脳を刺激し、思い出しやすくさせるという代物だ。
前世の記憶を思い出させるような物ではないのだが、手入れの時に誤って落としてしまい、魔道具の魔力が暴発した。

その魔力を直に受けたシグルドは数秒気を失ったのち、目を覚ますといきなり前世の記憶が頭に流れ込んできたのだ。

大量の記憶の情報に目眩を起こし、嘔吐したが数分で症状は落ち着いた。

(…あの日以来、普通のなんの変哲もない子供だった俺は精神年齢が36歳の成人男性になった…)
中学時代に事故で両親を亡くし、親戚の家を転々としていた。
両親を亡くしてからの俺は愛想なんて振り撒くことなど出来ず、大人達からは穀潰しと 罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせられ、その家の子供らには嫌がらせを受けてきた。

学校ではイジメなどはないものの、心許せるような友人はいなかった。クラスメイトも近寄り難い奴。という感じだったろう。
誰も自分に気にかける事は無かった。

だから高校生時代、18歳で成人してからはひたすらバイトに明け暮れ、稼いだ金でスマホを買い、バイト以外の時間はスマホゲームや漫画に熱中していた。
唯一のストレス解消と生き甲斐だった。

高校卒業後、不景気もあってなかなか就職にもつけず、バイトを掛け持ちしながらの就活を33歳まで続け、やっと採用されたと喜んだものの、その会社はブラック企業だった。
睡眠時間は3時間あれば良い方で、上司が出勤してくれば何かにつけて誹謗中傷され、仕事は押し付けられ、それが3年続いた。

そして遂に身体が限界を超え、深夜2時頃パソコンに入力作業中に不整脈を起こしキーボードの上に倒れた。
意識が遠のいていく中、これまでの人生を振り返る。走馬灯というやつか。両親が亡くなってから居場所なんてなく、ただ孤独だった。

不器用な自分でも一生懸命頑張っていれば、いつかは自分を愛してくれる人が、傍に居てくれる人が現れて、結婚して、幸せになれる日が来るんじゃないかと頭の片隅に思っていた。だが、そんな日を迎える事はついになかった。

(…結局、誰からも愛されなかった…
クソみてぇな人生だったなぁ…、贅沢なんかしなくていい…、ただ…人並みの…本当に普通の幸せを手に入れられたら…、それだけで良かったのにな……)
呼吸が弱まり、一筋の涙を流して静かに息を引き取った。
前世の記憶はここまでだ。

スープを飲み、また深いため息をつく。
前世もそうだが今世、現在いまの生活の方が最悪だ。
前世は精神的な攻撃ばかりだったが、現在いまはそれプラス物理的暴力。
しかも実の父親から。
母親は最期までシグルドの事を気にかけてくれていた。
父親に金を渡すために娼婦になってまでシグルドを守っていた。
あんなに優しく、綺麗な妻にそんな事までさせてなんとも思わなかったのか。

母親に「シグルドは自由に…幸せになっていいんだからね…」と病気で弱っていたにも関わらず、シグルドの幸せを願っていた。
おそらく自分が死んだら父親の事は気にせず生きていい。という事を言いたかったんだろう。
だが、あんな最低に落ちぶれた旦那でも母親は最期まで父親を愛していた。

母親はとても愛情深い女性だった。旦那のためにも息子のためにも命を削ってまで守ろうとした女性だ。
スラム街に移り住み、挙句DVも受ける羽目になるとなれば普通旦那を見限ると思うが、母親は旦那がいつかまた立ち直って、前の生活に戻ってくれる事を期待していたんだろう。

そんな母親を知っているからシグルドはなかなか父親から離れる決心がつけられずにいた。

何故、前世でも今世でも自分を愛してくれる人はすぐ目の前から消えてしまうんだろう…とシグルドは嘆く。

(前世の記憶が強く脳に根づいたから精神年齢は大人になってしまった…
それがチャンスだと思ったんだけどな…
前世で培ってきた営業や商品の説明のポップとか、見えやすい配置だとか…
最初こそうまく行きそうな兆しはあったのに…
何故か親父はまた騙されて取り返しがつかないとこまで追いやられた…

今考えればなんで騙された?なんか妙だぞ…
普通ならもっと慎重になるだろ…)
騙してきた相手との父親の様子を思い出す。

(元々慎重に動くタイプだったのに…
話はちゃんと出来てはいたけど、どことなく心ここに在らず…という感じだった…
騙してきた奴らに何かされたのか…?)
うーん…と思考を巡らせるが、プルプルと頭を左右に振り、ため息をついた。

「今更考えたって意味ねぇよな…」
サンドイッチを食べ切り、スープをゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。

「…ごちそうさま」
女店主に向けて小さく挨拶しながら器を返却場所に戻してそこから立ち去る。
女店主はシグルドの声が聞こえてはいたが、複雑な表情を浮かべ無視を決め込んだ。

孤児が多いこの街で少しでも情けをかければキリがない。
無償で与えれば次々と求めてくるからだ。
それを知っているシグルドは別に女店主に対し腹は立てなかった。ただ支払ってるんだからもう少し優しくしてくれても…とは思う。

辺りはすっかり暗くなってしまった。
帰りたくないが帰らなければならない。急に足に重しでもついたのかというくらい足取りが重くなった。

(せめて魔力が戻れば…)
歩き続けながら自分の手の平を見つめる。
元々シグルドには魔力があった。だが、廃業に追いやられた辺りからドンドン魔力は薄れていき、母親が亡くなってから魔力は0に近い感じになった。
魔力がなければ魔道具は扱えない。また店をやるというのは無理だ。

ふと、鼻先に白くて冷たい物が降って来た。
「冷たっ、…雪だ」
空を見上げるとハラハラと雪が降って来た。
シグルドはボーッと降ってくる雪を眺めていると何かを思い出しハッとする。
(…明日、俺の誕生日だ……)

地面に視線を落とす。しばらく立ち止まっていたが、目の前に転がっていた小石を軽く蹴るとまた歩き出した。

「…祝ってくれる奴なんてもういないのに誕生日もクソもねぇよな…」
ほんの少しだけ父親が祝ってくれるのでは…と淡い期待を持ったが、それはねぇな。と期待を否定した。
雪が降り出してきたため、より一層寒さを感じてくる。
はぁーと両手を息で温めながら帰路に着いた。
次第にゴミが散乱している道に入って行く。木の板で簡易的に組み立てた家の前に着いた。
シグルドは一度深呼吸をしてから家に入る。

「ただいま…」
中に入ると、グビグビと酒を飲んでいる父親の姿がある。
シグルドが帰ってきた事に気づくと「んっ」と手を差し伸べて来た。

「金」
ただ一言そう言って。
シグルドは金の入った麻布の袋を父親に渡す。父親は受け取ると乱暴に金を取り出し数え始めた。

「…んだよ、これっぽっちしか稼いでこねぇのかよ」
ギロッとシグルドを睨む。シグルドはビクッと小さく震えた。

「…何度も言うけど、冬の時期は客取りにくいんだって…」
「うるせぇ!」
空になった酒瓶をシグルドのすぐ横に投げつけた。酒瓶はバリンっと勢いよく割れた。

ドクドクと心臓が強く脈打つ。もし、明日の食事に取ってある金の存在を知られたらと思うと冷や汗が吹き出る。

「俺をバカにすんじゃねぇぞ!今まで誰のおかげでここまでデカくなったと思ってんだぁ!?」
グビグビと酒を飲んで荒々しく口元を袖で拭った。
シグルドはグッと拳を作る。確かに破産するまでは衣食住満足に与えてくれた。だが、今はどうだろうか。
子供に稼がせて、その金で呑んだくれている。
すっかり変わってしまった父親に胸が苦しくなる。

「ごめんなさい…」
「…わかりゃあいいんだよ」
フンッと鼻を鳴らし、シグルドが稼いだ金を持って家から出て行った。
寒空の下で稼いできた金は酒とギャンブルに消えて行く。
それが今の日常だ。シグルドはグッと唇を噛み、ボロボロの毛布で体を包み、その場に横になった。

「…誕生日なんか思い出さなきゃ良かった」
少し目頭が熱くなる。精神年齢が大人になったとはいえ、大人でもこの仕打ちは酷すぎる。
それでもシグルドはギュッと目を瞑り、涙を堪えた。
壁で風は防げているとはいえ、気温は外とほぼ変わらない。
寒さに震えながら体を丸めて眠りに入る。

(…明日も凍死せず生きてますように)
そう天に願い、眠った。

そして朝、生きてはいたのだが、腹に強烈な痛みに襲われ目を覚ました。

「ぐぁっ…」
蹴られたのだ、父親に。ゲホッゴホッと腹を抱えて苦しむシグルドをよそに父親はキレていた。

「テメェ…、よくも俺を出し抜いていたなぁ
靴下なんかに金隠していやがって!」
金の存在がバレた。ブワッと冷や汗が溢れ出す。

「なーんか怪しいと思ったんだ。微かに食い物の匂いがしたからなぁ…
俺に隠れて勝手に金使って飯食ってたのか!」
胸倉を掴まれガッと顔を殴られた。こうなると止まらない。気が済むまで暴力に耐えるしかない。

(くそっ、まさか履いてた靴下を調べられるとは思わなかった…!今までバレなかったのに…)
何発も腹や背中を蹴られる。いつまでこんな生活が続くのだろうか…
シグルドはもうそろそろ楽になりたいとまで思うようになってしまっていた。

暴力は30分以上続いた。身体中痛くて立ち上がれない。ゲホッと何度も咳き込む。

(ああ…、なんでだろう…
前世では異世界転生ものの漫画で、前世で不幸な死を遂げた主人公はチートな力を手に入れて色々活躍するのが王道なのに…

前世を思い出しても主人公にはなれねぇってか…
チートな力手に入れるどころか魔力0になっちまうし…
俺は所詮モブ中のモブって事か…)
酒を搔っ食らう父親を横目に悲観に暮れる。

(たとえ貧しくても…、愛してくれるだけでいいのに…それだけで頑張れるのに…)
母親の笑顔を思い出し、恋しくなる。
どうしたら以前のような優しい父親に戻せるんだろう。と、これだけ虐待されているのに母親と同じ事を考えてしまう。

金をもっと稼げたら?魔力が復活して魔道具をまた扱えれば…店の復興…、いっそ違う商売を…
いや、住み込みで働ける場所があれば…

倒れたままいろんな思考を巡らせる。
そんなシグルドに父親は更に絶望を与えた。

「…もういいや、お前。奴隷市場に行って売るわ」
「…は?」
耳を疑った。売る?奴隷市場に?人身売買。
胸がザワザワと騒いだ。

「そうした方がまとまった金が手に入るものな
オラ、立て!最後くらい親孝行しやがれ!」
父親はシグルドの腕を掴むとそのまま引きずるように外に出た。

シグルドはショックのあまりなす術もなく、歩かされる。

(売る…?実の息子を…?なんで…、なんで…!あれだけ頑張ってきたのに!
酒とギャンブルに消えてくって分かっていても稼いできたのに!
また…元に戻ってくれるって…信じて…)
父親はシグルドの想いなど知る由もなく、どんどん街の中心へと足を進めて行った。

シグルドは奴隷がどんな事をさせられるか知っている。
まず逃亡しないよう身体に刻印を入れられる。
刻印を入れられるとその奴隷がもし逃げようとしたり主人に危害を加えようとした時、身体が弛緩し動けなくなったり、毒に侵されたり、最悪死ぬ。それが奴隷契約だ。
奴隷になったら最後、契約者が解かない限り自由はない。

優しい主人に買われれば良いだろうが、大抵奴隷を買う奴にろくな奴はいない。
飯抜きは当たり前、朝から晩まで働かされて、時には鬱憤晴らしに暴力を振るわれる事もある。

靴磨きの仕事の為に街に出る時に何度か見た事がある。
人前でも平気で暴力を振るっているのだ。自分よりも年下の子供が。
何度も「ごめんなさい!」と謝罪しても許される事はなく、主人の気が済むまで仕打ちは止まらない。

(なんで…どうして…
どうして俺は前世でも今世でも誰からも愛されないんだ…?)
腕を強く引っ張る父親の後ろ姿を見る。
異常に呼吸が早まる。奴隷を買取る場所へと近づいて行く。

周りを見るが、人々は虐待で怪我を負っているシグルドの姿が目に入っているようだが助けようとする者は誰もいなかった。 

一応子供の人身売買は禁止にはされているが、厳しく取り締まっていない。

前世の世界ならばこんな所を誰か1人でも見ていたらすぐに通報され、保護してくれただろう。
だが、この世界では厄介事に首を突っ込む者は少ない。
それに助けるには金がかかるからだ。

みんな自身の生活でいっぱいいっぱいだ。
シグルドを助ける余裕などありはしないのだ。

(…なんだよ、この世界は…どこまで腐ってんだ…
子供が売り飛ばされそうなんだぞ…
どいつもこいつも見て見ぬフリかよ!
どうして…どうして俺ばかり…!)
ふと「シグルドは自由に…幸せになっていいんだからね」と言う母親の言葉と笑顔を思い出す。

シグルドはギリッと歯を食いしばった。
(冗談じゃねぇよ…、前世でも悲惨な死に方してんだ…
せっかく前世の記憶が蘇ったんだ…
人生やり直しのチャンスじゃねぇか!)

シグルドは父親から逃れるため、自分の腕を掴んでいる父親の腕にガッと噛みついた。

「いっ!?」
噛みつかれるなど思いもしなかった父親は驚愕した。

(自分の人生は自分で決める!)
そのブラッドオレンジの瞳に強い意志を宿らせた。

...........................................................................

ガラガラガラと馬車の車輪の音と振動がお尻に伝わってくる。
席に座っていた1人の少女がふぁっと小さく欠伸をした。

「お嬢様、眠いですか?」
正面に座っていた侍女が心配そうに少女に話しかけた。

「ん、少しだけ…」
目を擦りながら罰が悪そうに苦笑する。

「最近のアリシナお嬢様は少々頑張りすぎではありませんか?
昨日も夜遅くまでお勉強を…」
「ううん!勉強じゃなくて本を読んでいたのよ!夢中になっちゃって夜更かししちゃっただけ!」
「…左様でございますか」
アリシナと呼ばれた少女は慌てて両手を振って取り繕う。
それでも侍女の表情は心配そうに曇っていた。

「心配かけちゃってごめんね、カトレア」
「滅相もございません、ただ…ご無理はなさらないで下さいね…」
カトレアと呼ばれた侍女は少女に優しい眼差しを向ける。アリシナは首をすくめて「ありがとう」と言った。

(いけない、いけない…、気を引き締めなきゃ…)
深呼吸をし、眠気覚ましに馬車の窓から街並みを眺める。

深夜まで読んでいたのは本は本でも魔法書だ。カトレアの言う通り、深夜まで魔法の勉強をしていたのだ。

(だいぶ進んだけど問題は魔力量なんだよね…
キャラ設定ではアリシナはこの年からかなりの魔力量のはずなんだけど…、今の…私の魔力はあまりないんだよなぁ…
魔力量だけ、は優れてるはずなんだけど…)
うーんと考え込むアリシナ。
アリシナも転生者だ。
《彼の魔法に魅せられて》というスマホの乙女ゲームに登場する『アリシナ・グランディア』という伯爵令嬢に転生した。

前世では色んなスマホゲームがあったが、特にこの乙女ゲームには夢中になって、攻略対象キャラは全て攻略済みだ。
何度もプレイした大好きなゲームだったが、当の本人は頭を抱えて悩んでいた。

理由は『アリシナ・グランディア』はヒロインではなく、ヒロインを陥れようとする悪役令嬢だからだ。

(…前世の記憶が蘇ってもうすぐ1年か……)
前世の記憶が蘇ったのは去年の誕生日。
その日、アリシナは自室で侍女のカトレアから誕生日プレゼントを貰ったのだが、そのプレゼントが気に食わなくて激怒した。

「なによ!これ!私の誕生日プレゼントが絵本ってバカにしてんの!?」
カトレアからのプレゼントは絵本だった。中身を見るなりアリシナはそれを床に叩きつけ怒鳴った。

「も、申し訳ございません!絵がキレイで物語も面白かったので是非お嬢様にも読んで頂きたいと思いまして…」
「私、もう子供じゃないのよ!?8歳よ!8歳!
今日で8歳になったの!こんな子供っぽい物に喜ぶ訳ないじゃない!」
(いや!まだまだ充分子供だよ!)と去年の自分にツッコミを入れるアリシナ。

悪役令嬢という役柄もあって幼い頃から性格が本当に悪かった。
少しでも気に入らない事があると 癇癪かんしゃくを起こす。
一度癇癪を起こすと機嫌がなかなか治らない。
これには屋敷の使用人達はもちろん、両親も手を焼いていた。

だが、アリシナがこんなにもワガママなのは両親の溺愛も原因の一つである。
アリシナは大人も見惚れるほどの美少女だ。
そのため両親だけではなく、親戚もその場で会う人々からも「可愛い」「愛らしい」と持てはやされてきた。
欲しい物は全て買い与えられてきた。
これに自分は特別な存在で何をしても許されると勘違いするようになった。

こうして傲慢で自己中心的な悪役令嬢、『アリシナ・グランディア』が誕生したのだ。

性格改善のため両親が注意などしようものなら逆ギレして物を壊したり、使用人に暴言を吐き散らすなど手をつけられなくなる。

だから侍女のカトレアは絵本をプレゼントに贈ったのだ。
絵本を読む事で感受性豊かに、自分以外の者に対し考えられるように。
自分自身で気づいてもらえたらと切実な思いでプレゼントを選んだのだが、プレゼントが本という時点でダメだった。

「私が欲しい物を用意しなさいよ!こんな子供っぽいものじゃなくて!アクセサリーとかドレスとか!」
「申し訳ございません…、ですがお嬢様?
こちらの絵本、巷では子供だけではなく大人にも大変人気でして…」
カトレアはなんとか絵本を読んでもらおうと食い下がるがアリシナにはカトレアの思いは届かなかった。

「だから!私はいらないって言ってるの!
もういい!アンタ見てると本当ムカつく!早く私の部屋から出て行って!」
「でも、お嬢様…!」
「出て行けって言ってるの!お父様に言ってクビにするわよ!」
物凄い剣幕で吐き捨てるアリシナにカトレアはビクッと肩を震わせた。

「……失礼します」
カトレアはこれ以上無理だと悟り、渋々部屋を退出した。
アリシナはカトレアがいなくなってもまだ怒りが治っていない様子だ。

「私は特別なのよ!特別な私には私が欲しいと思う物を贈るものでしょう!?
絵本だなんてふざけないでよ!」
キーッと顔を真っ赤にして怒り狂う。
はぁはぁと息まで切らして。
息を整えると床に落ちたままの絵本が視界に入った。
アリシナはそれを拾い、表紙を見るとまた眉間にシワを寄せた。

「何が大人にも人気よ、私は騙されないんだから!!」
そう叫ぶと絵本を思い切り後ろに投げたのだが、後ろに投げたはずの絵本は後ろではなく、真上に高く放られ、重力に従ってアリシナの頭にガンッと直撃した。角が頭に当たったため、かなり痛かった。

「いっ…たぁいぃ!」
あまりの痛みに両手で頭を押さえる。
すると絵本が直撃した痛みとは別の痛みが頭の奥から襲ってきた。

「い、痛い…、何これ…、お、母様、お父…様…!助けてっ」
激痛の中、ある映像がアリシナの頭に流れる。

知らない夫婦の笑顔が自分に向けられてる映像。
だが鏡に映っているのはアリシナではなく、黒髪の知らない女の子。
その女の子を中心に時が流れていく。
両親や友達と笑い合ったり、時にケンカし合ったり、反省して仲直りし合ったり。
物凄い速さで頭に流れ込んでくる。

アリシナは目眩を起こし、その場に倒れた。
意識はまだある。映像も頭の中にまだ流れている。
頭に流れる映像が終わるとアリシナはゆっくり体を起こした。

「…今の、何…、見た事ない世界…知らない人達……
うぅん、知ってる人達だった…、あれは前のお父様とお母様…、お婆様もお爺様もいて…
友達も…たくさんいて…
それから…それから……っ」
アリシナは混乱状態に陥る。頭を押さえて目をギュッと瞑った。
次の瞬間、パズルの最後のピースがパチっとハマったような感覚があり、『全て』を思い出した。

「…あ?…あぁああ?…うわあ〜!?
わ、私!生まれ変わって…!?え、しかもよりによってあの『 彼魅かれみせ』の悪役令嬢の『アリシナ・グランディア』になっちゃったのぉ!?」
ピシャーンと衝撃が走り、また違う意味で頭を抱えるアリシナ。
前世の記憶が蘇り顔面蒼白になった。

意識は完全に前世の方に引っ張られている。
アリシナもまたシグルドのように前世の記憶を思い出したがために精神年齢が成人してしまった。

「うっそでしょ…なんでアリシナなんかに…
ていうか…、やっぱり私、あの時死んじゃったんだ…」
最期に思い出したのは娘と元旦那だった。

「…そうだ、私、元旦那に殺されたんだ…」
結婚した当初からDVが酷かった。
自分だけなら良かったが、まだ幼い娘にまで手をあげようとした。
だからやっとの思いで離婚した。
離婚して半年は幸せだった。シングルマザーでも娘と一緒にいられて楽しかった。贅沢できなくても生活には満足していた。

それなのに、その幸せは元旦那によって壊された。
どこで知ったのか、家を特定され、突然復縁を要求され、それを拒んだら台所から包丁を取り出して来て脇腹を刺された。
凄く痛かった。だけど身体は動いた。
娘を守るために…

元旦那を突き飛ばし、その隙に娘を抱えて家を飛び出し、力の限り走って助けを呼んだ。
走り続け、叫び続けた。

だが、すぐに追いつかれ背中を刺された。
倒れても娘を強く抱きしめ己を盾にした。
何度も刺されたが、周りの人達が騒ぎを聞きつけ、元旦那を取り押さえてくれた。
身体が冷たくなっていく感覚があったがまだ少し意識があった。

「ママ!ママ!」と泣いて呼ぶ娘の頬を優しく撫でた。

「…ごめんねぇ……、ママの…分も、たくさん…幸せに…なってねぇ…」
そう伝えると意識が遠のいていった。
救急車のサイレンの音が少しだけ聞こえたが、そこで記憶は終わった。

アリシナの目からポロポロと涙が溢れる。

「あの子…あれ?なんで…名前だけ思い出せない…」
何故か娘の名前も両親の名前も自分の名前も思い出せなかった。

(あの子はあの後どうなった?ケガしてない?
あの男は取り押さえられてたから…大丈夫だよね?
幸せになれたかな…?きっと両親か、姉夫婦が引き取ってくれたよね?

離婚直後一緒に暮らそうって言ってくれたし…
迷惑かけちゃうから断ったけど…
断って正解だった…もし一緒に暮らしてたら両親もお姉ちゃん達も危ないめに合ってたかもしれない…)
「…私だけで済んで良かったぁ……」
1人しんみりすると、ハッとする。

「いやいやいや!良くない!《現在いま》が良くない!」
右手を何度も素早く左右に振り、日本人特有の否定のリアクションを取る。

「前世の…私の娘はきっと大丈夫、だと思う
家族みんな仲良かったし、きっと大事に育ててくれたと思う…

問題は私だよぉ…!」
頭をぐしゃぐしゃと掻きながら悶える。

「アリシナ・グランディア。16歳。『彼魅せ』の悪役令嬢!めちゃくちゃ性格悪くて周りの人達から嫌遠けんえんされるが、その美貌と魔力の多さを武器に第一王太子のアルベールと婚約しようとアルベールに言い寄る!
だがアルベールはヒロインのソフィアと恋に落ちる!それを良しとしないアリシナがソフィアを虐め、そして危害を加えようとしたがために国外追放を命じられるが、受け入れないアリシナはソフィアを魔法で殺害しようとし、アルベールに斬られ、その次に攻略対象キャラ達にも四方八方から串刺しにされ、処刑され…る………」
そこまで一気に声に出して確認するとしばらく黙り込んだ。

「…第二の人生。16歳で終了」
チーンと四つん這いになって途方に暮れる。

「なんでだよぉ…、前世も散々な人生だったのに、なんで今世でも悲惨な死に方をしなきゃならないんだよぉ…
私、前世の前世で何かしたぁ?前前前世ですんごい罪でも犯したかぁ?
前世のその前の記憶は全く思い出せないぞ〜…」
天を仰いでダバダバと涙を流す。

「つか、考えれば考えるほどツッコミが止まらないぞ…
これって悪役令嬢転生ものか?もしかして。

普通…ていうか、こういう転生ものって病気とか不慮の事故とか…こうなんか儚げな感じで人生終えた人が転生するもんじゃない?
じゃない?っていうか、王道転生ものはそうだというか、あと神様のミスとかお願いとか…

元既婚者で、子持ちで、元旦那からDVされた上に刺し殺されるとか……
設定重すぎ…!いや設定て、私の紛れもない人生だったけれど!」
ドンッと床を叩く。
そしてまたしばらく黙る。

「…今の時点で考えたってどうしようもないか……
とにかく《現在いま》の私のやるべき事は!
悪役令嬢アリシナの性格改善とシナリオ回避!
とにかく今はそれだけ考えよう!じゃないと私16歳で人生終了しちゃう!前世よりも短命!そんなのイヤだ!!」
バッと立ち上がると心を奮い立たせた。

「せっかく生まれ変わったんだもん…
前世の記憶も蘇って…、それって何かしら意味があるのかもしれないし…
アリシナの悲惨な最期を回避するためかもしれない…
うん、そう!絶対そう!そう思う事にする!

……でも、アルベールかっこいいんだよなぁ…
他の攻略対象キャラも……
いやいやいやいや!命!大事!大事!命!
命第一!アルベールもだけど他のキャラ達とも関わらないようにしなきゃ!!」
ちょっとイケメンキャラ達とお近づきになりたいという欲に駆られたが思い止まる。

「平和平穏ラブ&ピースを目指していこう!
…でもまずはどうしよう…、急に理由なく性格改善したら怪しまれるよね…
何か…何かきっかけを……」
キョロキョロと部屋を見渡す。床に落ちていた絵本を見つけ、拾い上げた。

「カトレアからのプレゼント…、さっきは酷い事言っちゃったなぁ…、私のために用意してくれたのに…」
反省しながら絵本のタイトルに注目した。

「《戦乙女のディアナ》…、女の子の騎士の話?」
なんとなく気になったので内容を読んでみた。

【あるところに1人の少女がおりました
彼女はディアナ。男の子にも負けないくらい強くて勇気のある女の子。

ディアナには特別な力がありました。
それは『浄化の炎』という、聖女が持つ浄化の力と魔法騎士が持つ火属性の魔法です。
ディアナはその特別な力で、人を襲う魔物や魔族を倒していきます。

ディアナに命を助けてもらった人達がディアナにお礼をしたいと言いました
ですが、ディアナはお礼はいらないと言いました

「私は私のために戦っている。だからお礼はいらないんだ」とディアナは言いました。

ディアナは人の笑顔が好きです。人の幸せそうな顔が好きです。楽しそうな街の雰囲気が好きです。自分も幸せな気持ちになるからです。

でも、人の悲しい顔は嫌いです。辛そうな顔が嫌いです。だから人の幸せを奪う魔物や魔族が嫌いです。自分の心も悲しく辛くなるからです。

ディアナが戦うのは自分のためですが、それが人々の幸せになります。
今日もディアナは戦います。
自分の幸せのために。人の笑顔のために。
そんなディアナを尊敬する仲間がいました。………】

「…なるほど、道徳的な物語ね。これよ!これをきっかけにアリシナの性格改善にできる!
…カトレアもこうなる事を望んでプレゼントにしたんだろうね…」
カトレアの心情を思うと切なく、申し訳なく思う。

「待っててカトレア!あとお父様、お母様!
今からアリシナは良い子になります!」
アリシナはそう言うと、両親がお茶をしているサロンへと駆け出した。
長い廊下を息を切らしながら走る。
サロンにはカトレアもいて両親のカップに紅茶を淹れていた。

「カトレア!」
「お、お嬢様?どうなされ…」
「ごめんね!」
アリシナの謝罪を聞いたカトレア、両親、その場に居た使用人達は驚き、目を見開いた。

「ア、アリシナが謝罪した!?」
と父親は信じられないというようにガタッと椅子の音を立てて立ち上がる。

「ど、どうしたの?アリシナ?」
この子は自分の娘のアリシナなの?とでも言うような困惑を見せる母親。

カトレアもアリシナから初めて謝罪され、驚きを隠せず「え?え?」とオロオロしている。

(そりゃそうよね、アリシナから生まれて初めて謝罪の言葉を聞いただろうから…
でもこのまま続けさせてもらうね!)
「あのね…、カトレアから貰ったこの絵本…ちょっと気になって読んでみたの…」
アリシナの手に持っていた《戦乙女ディアナ》の絵本に気づき、カトレアはハッとする。

「さっきは子供っぽいだなんて怒っちゃったけど…読んでみたらすっごく面白かったし、感動した!
ディアナってスゴいんだね!他の人達のために戦ってるけど、それが自分のためでもあって、みんなの幸せが好きだなんて、私そんな事考えた事もなかった!
でも私も楽しいのは好きだし、私も欲しい物や楽しい事、嬉しい事をみんなと分かち合いたいなって思ったの…
それにね、ディアナってすごく強くてかっこいいのに間違った事をしちゃったらちゃんと謝っていたの!
私はみんなのためにした事なんだから謝らなくてもいいのに!って思ったけど、その人にはその人の考え方やプライドがあるんだって…相手の事を思いやれるディアナがすごく素敵だなって!
強くて優しくてカッコよくて気高いディアナに私もなりたい!」
目をキラキラさせて興奮したように憧れの感想を述べるアリシナ。
そんなアリシナにカトレアは感激し口元を押さえ涙ぐむ。

「お、お嬢様…っ」
「カトレア、さっきは本当にごめんね、こんなに素敵なプレゼントを投げたりして…
私本当に最低だった…、全然大人になんてなれてなかった…
私、これからはディアナみたいにみんなに優しくできるようにする!もう今までみたいにひどい事言ったりしないから…許してくれる?」
目をウルウルさせてカトレアを見上げるアリシナ。
アリシナは美少女だ。美少女のアリシナの潤んだ目で見つめられながら謝罪されたカトレアはキュンとときめいた。

「も、もちろんでございます!」
「本当?私の事嫌いになってない?」
「嫌いだなんて!あり得ません!わたくしはアリシナお嬢様が大好きですわ!」
顔を赤く染め、アリシナの謝罪を受け入れてくれたカトレアにアリシナはホッとして笑顔を見せた。

「ありがとうカトレア!大好き!」
カトレアに抱きつき、ギュッと抱きしめるアリシナ。大好きと言われるのも抱きつかれるのも初めてだったカトレアはときめきすぎて「あぁっ…」と軽く目眩を起こした様子だった。

「…あのアリシナがここまで変わるだなんて…」
と呟く父親の言葉を聞き逃さなかったアリシナは絵本をバッと振り返って見せる。

「本当にディアナはカッコよくて素敵なの!
私絶対ディアナのようになるわ!だからこれからは勉強もお稽古も魔法の練習もたくさん頑張る!」
両手をグッと握りしめ、そう意気込むアリシナに父親と母親はもちろん、その場に居た使用人はブワッと涙を流して感動した。

「あのアリシナが…!誕生日の日にこんなに成長するなんて…!」
「カトレアありがとう!アリシナに絵本を贈ってくれて…!母親の私でもアリシナのプレゼント選びは本当に悩んで気が滅入ってしまうのに、よくあの絵本を選んでくれたわ!」
「いえ、いえ…っ、わたくしは少しでもお嬢様のためになればと…っ」
このみんなの感涙する様子にたらりと一筋の汗を流すアリシナ。
それほどこれまでのアリシナの素行そこうが悪かったのだろう。居た堪れない気持ちになる。
「まるで別人のようだ」と笑いながら言われた時は少しギクっとした。

(あれからもうすぐ1年…、淑女になるためにマナーはもちろん、ダンス、ピアノ、ヴァイオリン、フルート、フラワーアレンジメント、コーラス、手芸、乗馬、チェス、体術に魔法の勉強…
自分で言うのもなんだけど頑張ってきた
…でもまだまだ頑張らなきゃ……)
不安に駆られ俯く。上手くシナリオを回避できなければ殺されてしまう。
そんな未来が来るかもしれないと思うと恐怖で体が強張る。

ドクドクと鼓動が鳴り響く。
まだ此処がどんな世界なのか詳しく分からない。
もし、シナリオ通りに強制的に進んで行ったらと思うと身体が震えてくる。
アリシナ自身がソフィアに危害を加えなければ大丈夫だとは思うが、未来がどうなっていくのか、それを考えると不安に駆られる。

(…大丈夫、大丈夫よ。誠実にしていれば怖い事なんてない
もし強制的にシナリオに進んでしまっても防御さえできれば…、後は逃亡ルートを確保できればいい。国外に逃げる選択肢もある…
大丈夫…、きっとなんとかなる…)

先程まで順調に走っていた馬車がスピードを落とし、止まる。

「お嬢様、着きました」
馬車を走らせていた執事のガートンが声をかける。
カトレアがドアを開けると先に降り、アリシナに手を差し伸べた。

「お嬢様、どうぞ」
「ありがとう」
カトレアの手を借りて降りると周りを見渡した。
40分ほど馬車に揺られ座っていたので、お尻が少し痛い。

辺りを見渡すと色んな店が並んでいる商店街の風景が目に映る。
たくさんの人々が道を行き交う。

「賑わってるね!」
「ええ、この辺りは流行り物も沢山扱っていますから」
久しぶりの買い物にテンションが上がる。
2週間後にヴァイオリンの演奏会がある。その演奏会に身に付けるヘアアクセサリーなどを目的に商店街に来たのだ。

「お嬢様ずっと練習ばかりでしたし、良い気分転換になるといいですね」
「うん…」
カトレアが笑顔で話しかけるが、アリシナの表情は曇り、左手の甲をスリっと撫でた。

「お嬢様?」
「な、なんでもない!早く行こ…」
「いってぇ!放せ!クソが!」
大声で叫ぶ男性の声に驚き、声がした方に目を向ける。
そこには顔や腕に怪我を負った男の子が男性の腕に噛みついていた。

「な、なに?」
「お嬢様…危険です。あまり近づかれませんよう」
ガートンがアリシナの前に出る。カトレアも警戒してアリシナの肩を抱いた。

男の子は隙を見て逃げ出そうとしたが、すぐに男性に捕まり、ガンッと地面に頭を叩きつけられた。アリシナはその光景にショックを受け両手で口を覆う。
男の子の額から血が流れた。

腕を噛みつかれて腹を立てた男性…、シグルドの父親はシグルドの顔を何度も殴り、踏みつけた。

「正規の所に売りつけてやろうと思ったがやめだ、闇市に行ってお前を売ってやる。その方がもっと金が入るからな!
変態に買われるか、黒ミサ用に買われるか、
どっちだろうなぁ?」
とニヤリと笑いながら言う父親にゾッとする。

(ウソ…あの男の子、奴隷に売られるの!?こんな人前で…!
だ、誰か…!)
アリシナは周りを見渡すが、皆ただ眺めているだけでシグルドを助けようとする者はいなかった。

(そんな…、これがこの国の常態なの?)
アリシナはまたショックを受けた。子供が酷い目に遭っているのに、何もしない大人達に次第に怒りを覚える。

「ぐっ、うっ…」
シグルドは逃れるため暴れると鳩尾を蹴られ、頭を掴まれそのまま連れて行かれそうになった。
力では大人には敵わない。痛みで身体もまともに動かない。シグルドの瞳の光が鈍くなり、抵抗するのを諦めかけた。

「お待ち下さい!」
咄嗟にアリシナが駆け出し、シグルドの父親を制止した。

「お嬢様!?」
アリシナの予想外の行動にカトレアとガートンが驚く。
すぐに距離を取るよう促すが、アリシナは拒否した。

「なんだぁ?てめぇ…」
誰がどう見てもアリシナは貴族のご令嬢だと分かる筈だが、シグルドの父親はアリシナに対し全く畏まる様子を見せない。
少し怖気づくが、シグルドを助けたいアリシナは引かなかった。

「そのお方。奴隷に売られますの?」
ギッと見据えるアリシナ。

「だったらなんだよ」
悪びれる様子もない父親に更に怒りが込み上げる。
だが、冷静にならなければならない。こういう相手は正論を言っても通じない。
だからこそアリシナの取った行動は…

「…ではそのお方、わたくしが買わせていただきますわ!」
胸に手を添えて宣言した。
これにカトレアとガートンはもちろん、ぐったりしていたシグルドも「えっ」と目を見開いた。
シグルドの目に毅然とした凛々しい表情の美しい少女の姿が映る。

「ガートン、この方にお支払いを」
「…よろしいのですか?」
ガートンは否定するのではなくアリシナの意思を確認した。

「お父様には私からきちんと説明するわ」
「…畏まりました」
ガートンはアリシナの命令に従い、シグルドの父親に金を渡す。
カトレアだけが未だに動揺しオロオロしていた。

「へぇ、結構持ってんな、闇市よりいい金額だぜ」
ニヤニヤ笑いながら金を眺める父親。
シグルドは複雑な表情をして黙っている。

「お金は受け取りましたか?」
「ああ、この金額で文句はねぇぜ
良かったなぁ?貴族のご令嬢に買われてよ!テメェみたいな出来損ないが何の役に立てるか分から…」
「言葉を慎みなさい!」
父親の発言を遮るアリシナ。怒りのこもったアリシナの言葉に辺りがシンと静まる。

「彼は今をもってわたくしの従者です。無礼は許しません」
堂々としたアリシナに父親はたじろぎ、ケッとその場を去って行った。

未だ座り込んでいるシグルドに近づき、目線を合わせるために膝を折って座った。

「もう大丈夫よ」
「…!」
シグルドはアリシナの瞳を見つめる。吸い込まれそうなエメラルドの美しい瞳に息を呑んだ。

これが、シグルドとアリシナの出会いである。


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