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アル・サウラの狼煙【執筆中】

 Ⅰ ナールの種


 その日カーヴェは結局一睡することも出来ずに朝を迎えた。
 アルハイゼンが帰ってこない。あの世界中のどこよりも自分の家が一番好きな男が、『砂漠に行く』という簡素な書き置き一枚だけを残して一晩も帰ってきていない。書き置きを確認したのは夕方頃。いつもしばらく帰ってこない時はその旨を伝える彼のことだから、夜には外で飯でも食ってから帰ってくるだろうと思っていた。思っていたのに。カーヴェはもはや時計を見ることすら怖くなっていた。
 明朝五時頃、何度も外に出て最愛の男を探しに行こうかと悩み、カウチから立っては座るを繰り返していたが、もう我慢の限界だった。我慢の限界、というよりはカーヴェの中の不安が膨らみすぎて、もう幾ばくかでけたたましい音を立てて破裂するところなのだ。
 カーヴェは立ち上がった。最愛の男に指輪を贈った日から、自分は変わると誓ったのだ。もっと賢い選択を――己の感情に任せず、周りを頼ることを覚えるのだと。
 何時でも出られるように握っていた鍵を握り直し、傍に置いていたメラックを引っ掴む。早朝の五時だが早くから職務を行っているマハマトラはいるだろうと、カーヴェは玄関の扉をしっかりと施錠して、隈の出来た顔のまま教令院へと向かった。


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 あの日は久しぶりに朝からくだらない喧嘩をした。
 その日、カーヴェは昼から仕事の関係でオルモス港へと向かう予定だった。クライアントとのディレクションでたった一泊二日家を離れるだけだが、先日アルハイゼンに指輪を渡したばかりである上に、指輪を渡してから初めての出張ということもあってカーヴェは少し寂しく感じていた。何せとてつもなく遠回りをして彼らはやっと自分たちを見つめ合えるようになったのだ。最も、ずっと目を逸らしていたのはカーヴェの方であったが、それも数ヶ月前に行われた学院祭を皮切りに、二人の関係は以前よりもさらに深まったと言えるだろう。カーヴェはかつて自身の罪悪の根源である父の死の真相を知ることが出来たし、何よりもその真相を知る前に、毅然とした思いで己の真意を貫き、父の仇とも取れる冠を自らの手で打ち砕いたのだから。そして彼の成長の始終をアルハイゼンはその両の眼で見届け、国の書記官として、カーヴェの功績を歴史に記録したのだ。
 あれから二人は以前よりも互いに歩み寄るようになった。わかりやすい変化で言えば、カーヴェはアルハイゼンに感情的になって言い返すより、素直に謝ったり感謝を述べることが多くなった。アルハイゼンもそんなカーヴェの変化に、初めこそ意地悪く何度も「もう一度」と言葉をせがんだりもしたが、今では柔軟に対応していき、以前の彼らを知る者たちから見れば劇的な程に二人の距離は縮まっていた。森のレンジャー長のティナリの言葉によると、「ナツメヤシキャンディもビックリなほどの甘ったるさで、もう見てるだけで胸焼けがしてくるよ…」との事だった。
 そしてカーヴェが寂しさを覚えている理由はもうひとつある。それは今日から出張だというのに、当のプロポーズしたアルハイゼンはカーヴェに構わず、マイペースに本を読んでいたからだった。名前を呼べば無視。数度呼べば、うるさいから黙れと言われる始末。かれこれもう五年共に生活しているからこそ、そんなことは彼の通常運転であることはわかっていたが、正直なところ、カーヴェはアルハイゼンを堪能したかった。大っぴらに言うと、アルハイゼンと共に時間の許す限り、寝台の上でにゃんにゃんしたいと思っていたのだ。たった一泊二日の主張とはいえ、丸一晩彼と離れることになる。それはここ最近、一年前であれば考えられないほどアルハイゼンとラブラブな関係になったカーヴェにとって、過度なアルハイゼン不足を催すもの以外の何でもなかった。カーヴェはただ彼の性格や性分が許さないだけで、余計なプライドや見栄さえ取っ払ってしまえば、子供も顔負けなほどの究極の寂しがり屋なのだ。故にアルハイゼンをたっぷりと補給して、万全の状態で現場に向かいたいと、そう思っていたというのに。
 結果、カーヴェは全く構ってくれないアルハイゼンに癇癪を起こし、そのまま要らぬ口論にまで発展し、気付けば時計は出る時刻を指していて、カーヴェは「君なんか知るか!」と言って荒々しく出てきてしまったのだ。
「ほんっっっとうに最悪だ…」
 カーヴェは今自分の行いを再三悔いていた。まさかあれからアルハイゼンが家に帰ってこない事態になるとは予想だにもしなかったが、たとえそんな予測が出来たとしても、あんな不毛な喧嘩はするんじゃなかった、と頭を抱えた。
 現在カーヴェは教令院に来ている。明朝、日が出たばかりの時刻の教令院には、課題に追われて朝から時間を捻出して何とか研究のレポートを纏めている学生か、その学生たちのために院内の部屋を解放する教令官やマハマトラくらいしかいない。そんな中、カーヴェは焦燥した表情でたまたまロビーフロアの噴水にいたアーラヴに声を掛けた。
『今日、書記官は出勤しない』
『アルハイゼンが砂漠に行くと書き置きを残したきり帰ってこないんだ』
 たった一晩。されど一晩。その経験はカーヴェの幼い頃のトラウマを刺激するには十分な条件であった。
 カーヴェの必死な形相に、アーラヴも何か嫌な予感を感じたのだろう。彼は真摯にカーヴェに向き合うと『すぐにセノ様を呼んでまいります』と言って、院内の奥へと姿を消した。
 そして今、カーヴェは閑散としたロビーの噴水に腰掛け、アーラヴがセノを連れて戻ってくるのを待っている。心臓が忙しなく脈打ち、自信を落ち着かせるために何度も深く息を吸ってはゆっくり吐くを繰り返している。どうにも嫌な予感が止まらない。もし、もし…アルハイゼンが何か事故に巻き込まれてしまっていたら…。
 カーヴェが再び不安の渦に取り込まれていると、それを遮るように裸足でぺたぺたと教令院の床を小走りに歩く音が耳に届いた。
「カーヴェ、待たせてすまない。アルハイゼンが帰ってきていないと聞いたが、どういうことだ?」
「セノ…こんな朝早くから押し掛けてすまない」
 カーヴェは顔を上げて立ち上がり、やってきたセノへと向き合う。そして事の事情を説明した。
「少し大袈裟なのは分かってる…。でもあいつはいつも帰ってくるつもりのない日は、必ずその旨を伝えるやつなんだ。それがあんな一言だけで一晩帰ってこないのはどうにもおかしい」
「なるほど。俺たちよりもずっと奴のことを知ってるお前が言うのだから間違いないのだろう。物事の異常さに気付いたら、即座に対処するのが一番だ。それに…」
 セノはそう言って顎に手をかけ、目を伏せる。
「最近砂漠で今頻繁に人が行方不明になるという話を聞いたんだ」
 カーヴェは息を飲んだ。まさかアルハイゼンも同じなのだろうかと。
「実は俺たちは今日その行方不明についての調査をしに、キャラバン宿駅に行こうと思ってたんだ。お前も来るか?」
 セノのその言葉にカーヴェは強く頷く。
「もちろんだ。むしろ一緒に行かせてくれ」
「わかった。なら直ぐに発とう。ヴィマラ村方面からパルディスディアイを通って行くぞ」
 そうして二人は教令院を後にする。アーラヴにはアルハイゼンの補佐を務めているパナーに、今日彼が出勤しないことを伝えるために残ってもらい、二人は早々にキャラバン宿駅へと向かった。



 強い日差しにからりと乾燥した砂塵混じりの風。雨林と同じ太陽があるはずなのに、キャラバン宿駅の気候は雨林の気候よりもずっと砂漠寄りだ。ひとたび砂漠に足を踏み入れれれば、雨林地方とは全く違う環境や危険が待ち構えている。故にこれから砂漠へ発つ商人や冒険者たち、ひいては学者や学生たちも、皆一度ここに立ち寄り各々に準備整えるのだ。
 そんなキャラバン宿駅にも、もちろん教令院の観察局がある。砂漠と雨林のちょうど真ん中に位置するこの街には様々な人間があらゆる目的で往来し、集まる。先程の例にも上げたような冒険者や商人、学者、他にも砂漠の民たち――主にアアル村の人々にとっては、ここが物資を調達する主な市場でもある。往々に人が行き交うこの街には当然治安の問題や運ばれる物資にも教令院は目を光らせており、砂漠から持ち込まれた物に対して、教令に反した者がいないか、それらが害を成すものではないかを確認し搬入の有無を取り締まっているのだ。
 その教令院の観察局である建物に、現在カーヴェとセノは訪れていた。最近砂漠で頻繁に怒っている行方不明事件、それにアルハイゼンの失踪も関係しているかもしれない。それらの情報を集めるためにひとまず事件の進捗と近況を聞こうと、観察局に配属されている学者のべナムに声を掛けた。するとべナムはまさか大マハマトラであるセノがここに訪れるとは思っていなかったのだろう、目を見開き盛大に驚いて見せた。
「セ、セノ様!? いったいどうしてここへ…」
「最近ここらで行方不明者が多発していると聞いてその調査で来たんだ。その件に関して詳しいものはいるか?」
「あ、ああ…たしかに最近よく聞きますね…。ここのマハマトラの方たちも一応調べてはいるみたいですけど…でもどうしてセノ様が?」
「それはまだ言えない。如何せん情報がまだ少ないんだ。ここで調べているマハマトラたちは今どこにいる?」
「恐らく今『金砂の旅』にいると思います。仲間の一人が数日前から見当たらないと報告しに来たエルマイト旅団の人がいたので…」
「そうか、ありがとう」
 短く要件だけを聞いてセノはその場を後にする。その背中をカーヴェも追った。仕事中のセノをカーヴェが見る機会はあまりないが、いつ見ても普段のカードマニア兼ダジャレ王な彼とのギャップが凄いものである。
 そして二人はしっかりと整備された石畳を歩いていき、この街唯一の宿屋『金砂の旅』へと到着した。セノはさっそく受付にいるオーナーの元へ足を運び、声を掛けた。
「すまない、俺は教令院のマハマトラだ。こちらで今行方不明者の事を尋ねている者がいると聞いたんだが」
「こんにちは。ええ、確かに来ていたわよ。ちょうど裏手のテーブルでお話してると思うわ。案内しましょうか?」
「いや、そこまでには及ばない。ありがとう」
 左側に広がるテーブル郡では宿泊客たちが食事をしながら団欒を楽しんでいる。その隣をセノとカーヴェは通り過ぎ、建物の影になり人気の少ない所へとやって来ると、目的の人物たちはちょうど話をしているところだった。
 一つの丸テーブルに飲み物を三つ。私服ではあるが、二人のマハマトラが茶色を基調とした衣服の女性に、メモを開きながなら事情を詳しく聞いている様子だった。
「聴取中にすまない。俺達にも詳しく聞かせてくれないか?」
 セノがそう声を掛けると三人は一斉にセノへと振り返り、うち二人のマハマトラは突然の上司の登場に思わず中途半端に立ち上がって驚いてみせた。
「セノ様! お久しぶりです。どうしてこちらへ? それに彼は…」
 二人のうち一人が慌ててこちらへ駆け寄ってくる。そしてセノの隣にいるカーヴェを見て、ハッとした表情を見せた。
「もしやあなたは建築デザイナーのカーヴェさんですか? 初めまして、私はハフィズと申します」
 ハフィズと名乗った男はカーヴェに右手を差し出す。短くパサパサとした黒い髪、健康的な小麦色の肌に深緑の色を携えた人懐こそうな男だった。カーヴェは差し出された手に自身の右手を差し出し、握手をして彼に答えた。
「ありがとうハフィズ。まさか僕を知ってくれているとは」
「当然です。あのアルカサルザライパレスは近年のスメールの中では一番の建物です、知らないはずがありません」
 そんな二人のやり取りを見てもう一人のマハマトラがハフィズに習い、セノとカーヴェの前へとやって来た。明るい茶髪にあまり日に焼けていないペール色の肌、そしてハフィズよりも明るい新緑が輝く瞳をした、ややカーヴェよりも背の低い男だ。
「あなたがあの有名なカーヴェさんだとは。初めまして、俺はイムランです。よろしくお願いします」
「ああ、イムラン。こちらこそよろしく」
 イムランとも握手を交し、その間にハフィズがセノとカーヴェの席を用意してくれた。そしてハフィズは「飲み物もフロントに行って貰ってきます」と言って受付の方へと走っていった。
「彼は随分気が利くんだな」
「ああ、それでいて頭の回転もいい。優秀な後輩だ」
「盛り上がっているところ失礼するけど、あなたたちは?」
 訝しげにそう尋ねたのは、一人テーブルに残されていたエルマイト旅団の女性だった。突然現れた二人に話の場を遮られたのだから当然の反応だろう。カーヴェとセノはその時、改めて初めて女性の容姿をしっかりと認識し、そしてその出で立ちに意表を突かれた。
 やや深めに被ったフード。そこから覗く長い髪は、色素の薄いザイトゥン桃のような色をしており、それを三つ編みに編んで肩から前へと流している。そして何よりも二人の目を引いたのは、彼女の目元を覆っている赤い布の存在だった。確かにエルマイト旅団のもの達は皆、赤いバンダナを身につけてはいるが、彼女のように視界を遮るような付け方をしているのはより砂漠の奥地で見かける者たちばかりで、この砂漠と雨林の間である街で見掛けたのは初めてだった。
「すみません。この方々は俺たちの先輩です。こちらは大マハマトラのセノ様、そしてこちらは建築デザイナーのカーヴェさんです」
 イムランは淡々とした様子で女性に二人を紹介する。二人はハフィズが用意してくれた席に座り、イムランもそれに習ったが、女性は紹介された二人の顔をそれぞれ値踏みするように見た。カーヴェは目に布を覆った状態で見えているのかと疑問が過ぎったが、不思議としっかりと彼女の視線を感じ、彼女が視えているのだとわかると同時に、その視線が自身の中まで覗かれているような気がして、居心地の悪さを感じた。セノはそんな視線に慣れているのか、堂々たる振る舞いですましたものだった。
「まさか教令院の大マハマトラ様まで出てくるなんて、驚きね。でも私としてはとてもありがたいことだわ」
 凛として芯の通った大人の女性の声だった。透き通るような白い肌に、唇には控えめに、それでいて目元の布に負けない紅を引いている。そのミステリアスな容姿で街を歩けば、さぞかし人の目を惹くであろうことは想像に容易かった。
「私はファラウラ。あなたたちも人を探してくれることに協力してくれる、ということでいいのよね?」
「ああ。実は教令院に所属しているの書記官も先日から行方がわからなくなっていてな、ただの事故である可能性は低いと見て調査をしに来たんだ」
「書記官様も行方不明になったんですか!?」
 そう声を上げたのは、先程飲み物を持ってくると言っていたハフィズだった。手には紅茶シャーイのグラスを二つと新たなポットを持っており、グラスをカーヴェとセノの前に置いて紅茶を注ぎ入れ、彼も着席した。
「ああ。カーヴェが『砂漠に行く』と書かれたアルハイゼンの書き置きを発見したんだ。その書き置きが残されてからまだ一晩しか経っていないから確証があるわけではないが、俺もカーヴェも彼の性格はよく知っている。あいつがたとえ自分の研究のために砂漠に行くことがあったとしても、翌日の仕事を無断で欠勤するような人間じゃない。だから帰ってこないのはおかしいと判断したんだ」
 セノは慎重にそう語る。そしてファラウラへと向き直り、改めて彼女の話を聞く体制に入った。
「ファラウラ。一度こいつらに話をしたかもしれないが、よければお前の話を詳しく聞かせてくれないか?」
 セノのその言葉にファラウラはしっかりと頷いた。
「ええ、もちろん。あなたたちがあの人を見つけてくれるなら、何度だって話すわ」
 ファラウラは紅茶の入ったグラスを手に持つと、口を湿らせる程度に飲み、再びテーブルに戻して語り始める。その所作はとても砂漠出身であるとは思えないほど、優美な仕草だった。
「私が探してほしい人は、カリールという名前の教令院の学者の男性よ。私はこの街の近くにあるアアル村の生まれではなくて、もっと遠く集落の生まれなのだけど、彼とはこの街で出会ったの。もう長い付き合いになるわ。彼は私の集落の壊れた建物や道具を直してくれるだけじゃなくて、自分で働いて稼いだお金で村の子供たちのために服を何着も買ってくれた。優しくて素敵な人よ」
 カーヴェとセノは、まさか行方不明者が教令院の学者であることに驚きを覚えた。しかし彼女の語りを遮ることはせず、最後まで聞く体勢を保つことに努めた。
「カリールはお金を稼ぐために度々雨林こちらの方に赴いて、暫くしたらまた私たちの集落に帰ってくるのを繰り返していた。彼が雨林で仕事をしている時も、度々私に手紙を届けてくれて、次に村に訪れる日をいつも教えてくれていたの。だけどそれが…」
 彼女はそこで一度、胸の苦しみを吐き出すように小さく深呼吸して、再び言葉を紡いだ。
「彼からもう二ヶ月も連絡が来ないの。今までこんなことは無かったし、連絡をサボるような人でもないわ」
 確固たる意思を滲ませてファラウラはそう言った。そして「これは信じなくても構わないのだけれども」と続ける。
「私には人の嘘を見抜く力があるの。……いえ、本質というものかしら…? 少なくとも私は、相手の悪意や邪推というものを視て感じることが出来る」
 だからカリールは悪意や権威のために私たちの集落に近付いた訳では無く、心の底から私を慕って私の村を助けてくれていたの、と彼女は言った。彼女の言った自身の能力については真偽の程は定かでは無いが、確かに、雨林で働いて得た金をわざわざ砂漠の奥地にまで行って子供たちの服にしたり、建物の修繕をしたりする人物が、二ヶ月音信不通というのは気になるところである。さらに、カーヴェとセノはファラウラの言ったカリールの仕事内容から、カリールは教令院の妙論派の学者ではないかと推測をしていた。彼女が教令院の制度についてどこまで詳しいのか定かではないが、建物の修繕や道具の修理などは主にクシャレワー学院を卒業した者が専門とする仕事である。同じくクシャレワー学院を栄誉学生として卒業したカーヴェが、そのような仕事で生活を立てているのだから間違いない。
「なるほど、事情は把握した。お前の言う能力はたしかにあまり聞かないものではあるが、俺の知り合いにも不思議な目を持つ奴がアアル村にいるからな。真偽も確かめていないのに、いきなり否定する主義は俺にはない」
 セノは勤めて冷静にそう答えた。やはりセノは大マハマトラという職をしているだけあって、交友範囲が広い。それとも砂漠と雨林の関係の歩み寄りにより、からの行動範囲がさらに拡大したということの表れであろうか。とにかくカーヴェは、泰然とした様子で話を進める彼の仕事ぶりに、素直に賞賛を胸の中で唱えた。
「もし能力の真偽の程を確かめたいのなら、すぐにでも証明してみせるけれど?」
 ファラウラは妖艶に微笑みながらそう提案した。しかしセノはそれに対してすぐに首を横に振った。
「お前がそう言うなら信じよう。それよりも、気になる点がいくつかある」
「ええ、なんでも聞いて。答えられることであれば答えるわ」
 彼女はそう答えた。そしてセノは慎重に物事を整理して、気になる点をひとつひとつ上げていった。
「まずカリールと最後に会った時、彼はなんと言っていたか覚えているか? 覚えてる範囲で答えてほしい」
 ファラウラは当時のことを思い出すような素振りで顎に手を掛け、ややテーブルに向かって俯き、ぽつりぽつりと語り始めた。
「カリールと最後に会ったのはもう二ヶ月以上前のことよ。彼はまた雨林へ稼ぎに出掛けると言って、私たちの集落を離れたわ。その後は手紙で『雨林に無事着いて今は仕事をしている。また一ヶ月後にはそっちに帰れると思うよ』と伝えてくれた。私の集落に寄っていく人間なんて、本当に物好きな冒険者がまたに来るだけだから人通りも少ないのだけど、たまにキャラバン宿駅こっちに来た時に手紙を受け取ったりするの。だから返事を送るのも一苦労よ」
 ファラウラは一度そこで言葉を区切り、再度口を開いた。
「私は彼の手紙にいつとも通り当て触りのない返事を書いて送ったわ。一ヶ月後にまた私の所へ帰ってくると信じて…だけど…」
「奴は帰ってこなかった、だな?」
 セノは鋭くそう指摘した。ファラウラはその指摘に、目隠しをしていても分かるほどの憂愁を小さな唇目で示してみせた。
「ええ。最初は仕事が長引いたのかと思った。けれど送った手紙にも返事が来ないの。それで心配になってこうして探してほしいとお願いしに来たというわけ」
 そこでファラウラはまた一口、目の前の紅茶を口に含んで喉を潤した。
「私はキャラバン宿駅での滞在は許されているけど、ここから先の雨林地方に行くことは許されていないの。だからもし雨林に彼がいたとしても、私は探しに行けないわ」
 はぁ…と彼女は小さく溜息を吐いた。そうするのも無理もないことであろう。何せ未だに砂漠と雨林との格差や人種的な差別は完全には埋まりきっていないのだ。むしろ今でこそ昔と比べてかなり緩和されたと言っても過言では無いが、砂漠と雨林との差は、まさに防砂壁がそれを象徴するように存在し続ける。それはおそらく今後も完全に消えていくことは無いだろう。
「ファラウラさん。そのカリールさん、という方は、妙論派の学者だとは本人から聞いたことがないですか?」
 今まで黙って話を聞いていたカーヴェが口を出す。ずっとその問いを彼女に投げたかったのだろう。この場にいるセノも彼の後輩のマハマトラ二人も同じことを聞こうと思っていたからだ。
「正直私は教令院の制度にはあまり詳しくはないのだけれど…、以前に彼は『僕は機械やギミックの研究もしていたんだ』なんてことも言っていたのは覚えているわ」
 ファラウラのその回答を得て、その場にいた四人ははっきりと確信した。カリールは間違いなく妙論派の学者――おそらくはカーヴェの先輩に当たる人間であると。
「ファラウラ、話してくれて感謝する。お前の探しているカリールは十中八九妙論派の人間だ。二ヶ月前まで雨林で他活動していたなら、おそらく彼の足跡も残っているだらう。捜査は俺たちに任せてくれ」
 セノは力強く、そして彼女を安心させるべくそう言葉を掛けた。それを聞いたファラウラは安心したのか、ホッと一息吐くと彼女のこれからの予定を大まかに話した。
「私は明後日の朝にはキャラバン宿駅ここを発って、集落『フェニキア』に帰るつもりよ。それまではここにいるから、何か分かったら知らせてちょうだい。もし時間がかかるようなら、少し手間は掛かるけど手紙で知らせてくれると助かるわ」
「わかった。こちらもなるべく早く情報を見つけこよう」
 対話の区切りが付いた時点で、今回の議事を記録していたイムランがノートを閉じる。アーカーシャシステムがあった当初は議事録など、音声の録音だけで済んだものであったが、アーカーシャの無い今は人が手書きで文字を取る事でしか記録を残せない。不便ではあるがイムラン自体はこういったいわゆる『アナログ』的なことに大した抵抗感を感じなかったため、今回の対話も黙々と記録し続けたのであった。
 セノが席を立つそれに続いてカーヴェとファラウラ、ハフィズも席をたち、セノはファラウラに向けて右手を差し出した。
「お前のところで握手こういったことが無礼に当たらないなら、交わしてくれないか」
 砂漠の民にも様々な習慣がある。それは左手は不浄だと言われるために日常的に使う機会が限られていたり、足の裏を見せることは相手に対する最大の侮辱だという習わしのある部族だってある。ファラウラの集落の習わしを知らないセノは握手が悪手にならないか、伺いを立てた。
 しかしファラウラは微笑み「そんな習わしはないわ」とセノから差し出された右手に自らの右手で返した。そしてそれをカーヴェにもハフィズにも行い、そして議事を取り終え一拍遅れて立ったイムランにも同様に接した。
「あなた達に会えてよかったわ。あなた達の探してる方とカリールの音信不通に、繋がりがあるかどうかは分からないけど、あなた達の探している人も無事に早く見つかることを祈っているわ」
 


一章 了
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