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daitai 1500moji ika no yume okiba.

記事一覧

  • オペラ(魔入間)

    20200314(土)05:12
    ▼あかしは獰猛にして甘美に


     うなじに押し当てられたのは若しや、牙、か。つぷり、と皮膚に食い込むそれの硬さに、身体が否応無しに強張る。真意尋ねたさに巌を動かすみたいにやっとこ首をめぐらせようとするも、後ろから喉頸を固定されていては徒労に終わるのみであった。
    「ン……ッ!」
     ぐ、と。補食行為の真似事でもあるかのように尖りを押し込まれると、掠れた声が鼻から抜けた。痛い。けれども出血を心配する程は痛くはない。甘噛みで済んでいる今の内に、打開策を求めて記憶を浚い、こんな事になった原因を精査する。
     今朝は起き抜けの時間から既に暑かったので、何時もよりも高い位置で髪を結い上げた。主を同じくするオペラさんは、「涼しげで良いですね。」と言ってくれた。本日のサリバン様と入間様の予定の確認も、雑事に関わる連絡事項の共有も終えたので、退出するべく席を立ち、扉を開けようとしたら、背後に気配を感じた。振り向く間も無く手首を扉に縫い止められて、喉を捕らえられ、斯うして首に噛み付かれた――のだが、つぶさに回顧しようとも現状に繋がらない。
     ぐるぐると目を回している間にも、かぷりかぷりとうなじが食まれている。痕がついているだろうな。血の集まってぼんやりとする頭が、噛み痕の隠れる髪型を幾つかピックアップしようとする。妨げたのは、慰撫するように吹き掛けられた吐息の擽ったさであった。口を引き結んで、身体の奥から漏れ出そうな甘い響きを塞き止める。
    「ッ、あの、オペラさん、もう、」
     絶え絶えで発した制止の言葉が完成するよりも前に、うなじが戯れから解放された。懇願が聞き入れられたのではなく、単にこのひとの潮時と重なっただけなのだろうと思われた。緊張から浅くなっていた息を整える。拘束は未だ解かれる様子が無い。振り返る事が適わないので、扉に映る、天頂にぴんと耳の立ったシルエットを代わりに睨み据える。
    「悪周期の前触れですか。」
    「正気でやっていますよ。」
     今の今迄ひとの首に無心で噛み付いていたとは思えない淡々とした返答に、見事に調子が崩されてしまった。「正気。」。「正気です。」。影が、こくり、と頷いて呼応した。正気ならば如何して、この手や頸に掛けられた枷を外してくれないのだろう。
     その答えは直ぐに知れる事となる。
     オペラさんの影がふた度、私に覆い被さった。所有を示すような痕のつけられたうなじに、今度は柔らかな質感が触れる。幾度も、幾度も。それこそ、逃げ出したくて堪らずにいる私の身体を懐柔する優しさを以て、幾度も。

     
  • 伏黒甚爾(呪廻)

    20200309(月)06:28
    ▼虚勢


     机に降り立つなり硬い声で挨拶をする小瓶は、退屈そうに眺める男の鋭いまなこを前に畏縮しているようだった。
     一つ、二つ、三つ。赤、ピンク、ベージュ。他にも様々な色彩が充填された小瓶を整列させてゆく。キャップの天辺を一つずつ爪先で叩きながら、目の前で生欠伸を漏らす彼に問う。
    「何色が好き?」
    「特にねぇな。」
    「じゃあ、私には何色が似合うと思う?」
    「赤。」
    「どっちの?」
    「その二つ、そんなに変わらねぇだろ。」
    「こっちの方は少しくすんでいるの。」
    「あっそ。だったらこっちの方がオマエらしい。」
     武骨な指先で軽く弾かれたのは、くすんでいないもう一方。ギラギラとして攻撃的な、鮮烈な赤色を誇るマニキュアであった。「らしい、ね。」。――知る気も無い癖に。
     毒吐く代わりにくるくるとキャップを回す。途端に溢れ出したシンナー臭は、やけに五感の発達している彼の嗅覚に余程深々と刺さったのだろう。見てみると、きつくきつく、その端正な顔立ちを顰めていた。良い気味だと北叟笑んで、引き上げた刷毛をふちにあて、マニキュア液を均す。始めに親指の爪に色を載せる。
     彼が臭気を厭うてベランダに出ようと腰を上げた。
    「私、そんなに強い女に見える?」
     赤いマニキュアには、ひと塗りで気丈な女になれる魔法が掛けられている筈ではないか。彼のつま先が玄関ではなくベランダに向いている事を確かめて尚、声は小さく震えて、魔法で誤魔化し切れない私の弱気を露わにした。一瞬の沈黙が、酷くおそろしかった。
    「少なくとも面倒な女には見えねぇな。」
    「それって牽制?」
    「その赤、よく似合ってる。」
     いやに優しい手付きで頭を撫でられる。ご機嫌取りとは殊勝な事だが、さっさとベランダに退避する彼の背中を見詰めていると、何だか全てを投げ出したくなった。手に握り込んだこの赤いマニキュアを、素知らぬ背中に叩き付けてやりたくて堪らない。
     だって、このひとが芯からいとおしく想っているひとは、きっと、こんな赤色なんて似合わないのだから。

     
  • オペラ(魔入間)

    20200211(火)02:23
    ▼セイシュンキョウソウキョク



    「私だってパンくらい買って来られます!」
     自棄っぱちな足取りで売店へと駆け出すカルエゴの背中を忌々しそうに振り返って、少女は威勢良く啖呵を切った。
     折り目正しくも天に向けてぴんと伸ばされた挙手を前にしたオペラが、細い頤に手を遣り、ふむと仰々しく熟考する素振りを見せる。
    「では、カルエゴくんと競争ですね。よーい、ドン。」
     言うが早いか、ぱちんと拍子を取る。背中を押されるようにして機敏に反転した少女が疾走を開始した。「カルエゴには絶対に負けませんからーッ!」と意気溢るる声の尾が引く。この分では先行したカルエゴにも直ぐに肉薄するだろう。あっと言う間に爪の先程となった直向きな少女の影に、オペラの唇の端が我知らず、微かに持ち上がる。
    「焚き付けますね。オペラ先輩。」
     これ迄静観していたバラムが、一歩、のっそりと進み出た。横から声を掛けれども、彼の視線もまた、売店に続く廊下の先に凝らされていた。
    「君も参加しますか。」
    「遠慮しておきます。」
     オペラは巨躯を横目で見上げたが、胸の前で丁重に構えられた両手の意思を受け止めると、「そうですか。」とあっさりと退いた。それから不図、少女の名前をぽつりと口にする。
    「可愛いですよね。一生懸命なところとか、特に。」
    「……いつもの、面白い、ではなく?」
     不意の出来事に言葉に詰まったバラムが一拍遅れで確認する。らしくない事を平然と口にするオペラの面差しは、その声音と同じく常と変わらぬ淡白なものに見えるが、付き合いの深いバラムの目は確かに差異をとらえた。何時だって好奇を好む赤暗色の眼差しが、柔らかな光を帯びているのを、とらえた。
    「可愛いと思います。」
     首を傾げた格好で固まる後輩に首肯を一つ返して、オペラはそう、はっきりと答える。
    「それは――」もしや、好意にほかならないのでは。続けられる筈だったバラムの問い掛けは、ぴくり。何かを受容したオペラの耳の動きによって、静かに遮られた。忙しない二人分の足音が、次第に廊下に反響し始める。
    「オペラ先輩ーッ! お待たせいたしましたーッ!」
    「叫ぶな、喧しい!」
     並走する影、二つ。遠くから聞こえて来る少女のにぎにぎしい声に合わせて、黒い毛並みの尻尾が揺れるのを、バラムは見逃さなかった。

     
  • バラム・シチロウ(魔入間)

    20200210(月)15:29
    ▼後頭部にだけ教えてあげる


     私の頬に戯れ付く髪の毛の先っぽだって好きだけれども、擽ったさを何時いつ迄も我慢出来るかと問われれば、答えは否だ。だから、「バラム先生。」と、「私に髪を結わせてください。」と彼の逞しい腕の中から声を上げたのだ。そうして私は今、バラム先生の長い髪に櫛を通していた。手入れには興味が無いのか、潤いが抜けたばさばさとした手触りであった。こうなると絡まり易いんだよなあ、と化粧っ気が無かった時分の記憶が思い出される。引っ掛けてしまわないように心を配って、ひと房ひと房と梳る。ふ、と息の漏れた気配が届いた。よもや、引っ張って痛くしてしまっただろうか。焦って回り損ねる口で尋ね掛けると、バラム先生は、「いや。何と言うか――」と言葉を探した。「撫でられるのも悪くないと思ったんだ。勿論、これは撫でている訳ではないとはわかっているけれど、それでも悪くないな。うん。はっきり言うと好ましい。」と肩を小さく震わせる。笑っているのだとは、忍び笑いのような控え目な吐息が知らせてくれた。そんな事を言われて意識しないでいられる恋する乙女が、果たしていようか。いや、いまい。櫛を握っていた手で、そうっと、髪を梳く。手櫛で梳く。撫でるように梳く。暫くの間、そうしていた。――好ましい。その言葉の魔術の強力さと言ったら、髪を結うと言う当初の目的を魔界の端っこへと素っ飛ばしてしまう程であった。