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細作りの手の平で指し示された一客のティーカップとソーサーを持ち上げるオペラの所作は、念子の歩みにも似て物静かであった。
「成程。」
切れ長のまなこが瞠目する。ティーセットに掛けられた、感嘆を禁じ得ぬ調子の一言は、オペラの意思の無いところで自然とこぼれたものだ。
白磁のティーカップとソーサーのふちに巻き付いているのは、きっちりとした小さな黒い三角形。乱雑な印象を与えない絶妙な加減で配置されているその意匠は、茨のようにも牙のようにも見える。目線の高さ迄ティーカップを持って来ると、オペラは矯めつ眇めつ、照明に当てて色味を確かめた。光を受けようともひと息に吸い込んでしまう奥深い黒色は、上質な染料を用いたのだと察せられる。潔癖の白亜も、茶の水色を美しく際立たせてくれると期待出来る。次に、ティーカップを下げては上げてとやってみる。ソーサーにしてもそうだが、華奢な拵えのハンドルを支点にして感じられるティーカップの重量は、少しだけ軽さを感じさせた。茶が満ちれば手によく馴染む重みとなるように計算されているのだろう。
要望を二つ三つ伝えただけで客が満足のゆく品を見つけ出す、見事な手腕。矢張りここを頼って正解だった、とオペラは内心で独り言ちた。
マジカルストリートに軒を連ねるこの雑貨屋は、オペラの贔屓にしている店の一つであった。取り扱う品物の幅こそ広くはないが、品の有る調度品を取り揃えており、事実、サリバン邸の食器棚に在って屋敷の格調を落とす事をどの陶磁器もしなかった。品質は勿論の事だが、何より、ひとりで店を切り盛りする女悪魔のものを見る目が大層良い。客の言う事に耳を傾けて、時間を掛けず、望むものを過不足無く提供する。洗練されたその仕事振りをオペラは気に入っていた。
ちら、と赤銅色の瞳が横目で盗み見た理由を彼女が如何受け取ったのかは、言う迄もない。買い物の邪魔とならぬようにひっそりと佇みながら、しかし客の動向の一切を見逃さない。接客業の鑑らしい女悪魔の視線が、沈黙を守る手元から棚に飾られているティーセットの幾つかへと素早く走る。
「もう少し軽いものがお好みでしたら右手のものを、重いものがお好みでしたら上段のものを、是非お確かめください。」
「いえ。こちらを頂きます。」
「お買い上げ、有り難う御座います。」
手を腹の前で組んで折り目正しくこうべを下げる女悪魔に、オペラが、「こちらこそ。」と言い添える。
「貴女の見立てに間違いはありませんね。この間の大皿も、主人から好評でした。」
「そう仰有って頂けますと、お手伝いさせて頂いた甲斐が有ります。」
控え目に笑む頬が誉れで僅かに赤らんでゆく。何時かに見た薄紅の花を思い出すと、奇麗だ、なんて感想がうっかりと口から飛び出てしまいかねなかった。ティーセットからカチカチとした揶揄を受けぬ程度にささやかな咳払いをして気を落ち着けると、オペラは硝子板の張られた棚へとディスプレイ用のそれ等を戻した。
「そちらの席で少々お待ちくださいませ。」と金銭の授受を執り行う為に設えられた一画を指すと、女悪魔は一度、バックヤードへと姿を消した。勧められるが儘に落ち着いた風合いの黒のスツールに腰掛けると、ポケットががさがさとする。ア、とオペラの唇が音を漏らした。如何切り出したものかと、何の気無しに目の前のローテーブルの、黒く染められた木材の木目などを眺めて考えをめぐらせてみる。が。
「お待たせいたしました。」。深く悩み込む間も無く、先に選んでおいた陶磁器の納められた箱と共に、女悪魔が戻って来た。そのきびきびとした動作は客を待たせぬ心遣い故であろうが、オペラとしてはもう少しだけ時間が欲しいところであった。
紙箱や木箱の数々を机上に並べるや否や、女悪魔が手ずから一つ一つ開封してゆく。中身に相違は無いか、品物に瑕疵等の異常は無いかの確認作業に移る為である。オペラと女悪魔の四つの目でひと通り確かめ終えると、彼女はてきぱきと全てを箱に仕舞い直した。
「どれもご自宅用でよろしかったですか。」
ポケットの中のそれがかさりと鳴る。呼応したように思えて、オペラは切っ掛けを手に入れるべく言葉を選んだ。
「――ええ。先日、厨房が爆発した際に食器の幾つかが割れてしまったので、買い付けに来たものですから。」
「爆発って、ドッカーンとなる、あの爆発ですか。」
「はい。その爆発です。」
まあ、と目を丸くして驚く女悪魔に、オペラは力無い首肯で応じた。主人の孫となった少年と彼と懇意にしている少女の、危なげしかない調理の様子が鮮明に蘇る。爆発音と心労迄もがオペラの身心に寸分違わずに蘇って来た。
心が煤けそうになるところを何とか歯止めを利かせて、ポケットに手を差し込み、今か今かと出番を待ち詫びていたそれを取り出だす。
「そしてこちらが、厨房を爆発させたレシピで作ったクッキーです。」
「当店は爆発物の持ち込みはご遠慮頂いております。」
「これは爆発しません。当然の事ですが、クッキー作りで厨房が爆発する事は基本的にありません。」
眼前の女悪魔を通り抜けてやや遠くを見るオペラが、己に言い聞かせるようにして断言する。それから証拠たる手作りのクッキーを注視する。
テーブルにちょこなんと座る、セロファンの包装。口に結ばれた艶やかな黒いリボンは、オペラが熟考して選んだものだ。彩りはそれだけであり、実にシンプルなラッピングとなったが、女悪魔の飾らない笑顔に相応しいと思って為した渾身の一作だった。透かし見るクッキーは、焼き色も形も菓子店で売っているものと遜色無く、見た目から絶品であると謳っている。そもそもはサリバンや入間に供するお茶請けとして作ったものであるのだから当然の事ではあろうが、彼女の喜ぶ顔を思い浮かべて取って置いたこの余分は、正に取って置きと言えた。
皿と皿の間を縫って、女悪魔のもとへと押し出す。
「よろしければ召し上がってください。代金とは別に、いつもお世話になっているお礼です。」
バニラの香りが封じ込められた透明な包みを見詰めて、暫く。女悪魔はおずおずと手を伸ばすと、宝ものでも持つかのように両の手でそうっと包み込んだ。
「それでは、有り難く頂戴いたします。」
「甘いものはお好きでしたか。」
「順序が逆ではありませんか。」
気になって尋ね掛けたものだが、間を外したようだ。フフ、と可笑しそうにする女悪魔に、尤もだと言わんばかりにオペラの目蓋がまばたきよりも長い間隔で閉じられる。
オペラが世話をするふたりには、基本的に食の好き嫌いが無い。だからこそ失念していたと言えよう。何時も通りの分量だったが、彼女には砂糖が多かったかも知れない。気になって工程を思い返そうとする彼を引きとめるように、「オペラさん。」と女悪魔が呼び掛ける。密談でもするみたいに声が潜められた。
「実は私、食べて爆発しても悔いは無いくらいには、甘いものが好きなんです。」
照れ臭そうにはにかむ顔は、薄紅の花そこのけの可憐さを湛えていた。
女悪魔の新たな一面を目の当たりにして、オペラの怜悧な思考はひと度、回転を鈍らせた。「……爆発はしません。」。ゆっくりと念押しをすると、クッキーに混ぜ込んだ砂糖よりも、香料よりも甘い声でくすくすと笑われた。こころよい音色に意識を浸らせて、オペラは財布を手にする。次は何を差し入れしようか、と獣の耳の揺れる頭の中に有るレシピを探りながら。
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