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カンカンカンカンッ! 激しい擦半鐘が夜を貫く。一打目で背に負った暗幕代わりの掛け布団を跳ね上げた新門さんは、素早くも既に装いを整えていた。影が退いて、世に露となった私の胸もとを一瞥する、と。
「先、寝てろ。」
丸まっていじけたようになっていた掛け布団を広げて、この身を秘する。私が礼を伝える間も無く、新門さんは私室の襖を開いて火事場へと向かって行った。
熱を帯びようとしていた身体だ。布団の中は直ぐに体温でぬくもり、夜更けの意識の融点をあっと言う間に迎えてしまう。真綿にくるまれて、私ははだけた襟を合わせるのであった。
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すらりと開けられた襖に音は伴わない。眠りの時を打ち壊してしまわぬように、との気遣いの挙措に相違なかった。破壊王が優しいものである。否。新門紅丸と言う男を語るのであれば、優しくとも然して驚きに値しない。
敷居を越えるなり寄せられた眉からは、火の灯った儘の行灯への訝りが窺えた。冷えぬようにと彼が打ち掛けて行った布団から、身なりを整えた身体を起こして出迎える。
「おかえりなさい。」
「……おう。」
新門さんのまなこが意外そうに見張られた。転た寝、不貞寝、何にせよ寝てしまわなかったのか、と雄弁に問い掛ける赤色の視線に、曖昧に笑って返す。ひと仕事終えて帰って来た男に忖度したとでも思われてしまっただろうか。無理を強いたと思ってしまっただろうか。新門さんのむっつりとした唇に、顰めるように力が入る。その顔をした儘で襖を閉ざし、帯を解き、一歩歩んで法被を肩から落とした。新門さんがどかりと布団の脇に胡座を組んで、暫くは二人、黙りとなって見詰め合っていた。
「寝煙草の小火だった。」
「大事にならなくて良かったです。」
「その内、大事になっちまいそうだがな。あのジジィ、去年もやってんだ。言っても聞きやしねェ。」
「お布団にくるまる心地よさと言ったらありませんからねえ。気が抜けてしまうのもわからなくはありませんが、煙草を吹かしていてそれでは困りものですね。」
大した花を咲かせずに世間話が散る。またも寄せるしじまに、部屋の隅の行灯の火も気を利かせて自ずから消えてしまいそう。掛け布団の端を弄る私の手持ち無沙汰らしい手付きを見遣ると、新門さんは言った。
「寝るか。」
「現場から帰って来たばかりだと言うのに、元気ですねえ。」
「――ん?」
「え?」
片膝立てになって腰を上げかけた新門さんの動きがぴたりと止まる。何時もは目蓋の落ち勝ちな真紅の瞳は今や真ん丸く見開かれて、私のまごころを凝視によって透かそうとしているかのよう。繰り返されるまばたきが、もしかしなくとも、噛み合わない会話を、寝るって、噛み砕いて、言葉通りに眠りに就く方の、彼と私に飲み下させた。
態とらしい苦笑を宿して見せていた口の端が、飛んでもない勘違いに気が付いて引き攣る。「ええと、」、「その、」、「あの、」。如何やら益体の無い言葉以外、皆んな遠くに避難してしまったらしい。頭をぐらぐらと煮え立たせる恐るべき羞恥の火は、瞬く間に身体全てに延べてゆき、手の付けられようがない。けれどもそれをも繰ってしまうと言うのか。新門さんは、火のよく通って強張ったこの唇に接吻を一つ。
「――寝るか。」
今度の声色は、言葉通りではないと示唆していた。思わず掛け布団を肩迄引き上げて身に鎧う。当然の事ではあるが、呆れ果てた、とじっとりと睨めて来る半眼に文句を言われる。
「誘っておいてそれはねェ。」
「だって、お疲れでしょうに、こんな、ふしだらな女みたいじゃあないですか。」
「こちとら火消しの男だ。これくらいでへばるように出来ちゃいねェよ。気が済むまで面倒見てやるから安心しな。」
伸びて来た手によって真綿の鎧が剥がされて、無防備な身体は容易く押し倒される。尚も往生際悪く逃げ道を探る目の行方を遮ったのは、片頬に添えられた手の平だ。それは纒を持ち続けて出来た胼胝によって皮が厚く、皮膚を撫でられると甘く引っ掻かれる心地を覚える。新門さんに触れられているのだと、そう感じられるこの愛撫が好きだ。呆気無くもとろりと蕩けそうになる眦で、つ、と。目合いを為す。唇が合わさる。彼の頬にさらりと掛かった髪から、煤を払ったように焦げ臭さが落ちて来る。このひとのにおいはいずこにあるだろう。見付け出したくて、筋骨のしっかりとした首に両の腕を回し、もっと深くとねだる。息を継ぐ間に、欲深い事だと小さく笑われた。幾度も重なり、擦り合わせ、食み。弛く弧を描くその唇の形を、触れて、知る。
何方共なく吐息をこぼした事によって、唇の睦み合いは終わりを見た。すいと離れた黒冠のかんばせは、行灯に照らされて上気している。――嗚呼、違う。真実、興奮を表す頬なのだ。眼窩に嵌まった紅色の瞳が、燃えて、盛っている。ぶわり、と。私のなかの埋め火が熾った。
「――もう、欲しいです。」
「まだ慣らしてねェだろ。」
「それは、大丈夫かと。」
真剣な顔付きで諭してくれる新門さんの心配りを他所に、覆い被さる彼の首筋から鎖骨、鎖骨から胸板、胸板から腹と、火消し装束越しに指先でなぞってゆく。逞しい肩が、予感に、少し震えた。
「ふしだらな女に付き合ってくれるのでしょう。」
腹を過ぎた先で、布地に押し込められながらも膨れ上がる、欲の塊に指を絡める。誘い文句は思うより甘ったるい声で出せたけれども、このひとは甘いものが嫌いだから、突っぱねられてしまうやも知れない。期待と不安とで綯った眼差しで以て、新門さんを仰ぐ。溜め息を奥歯で噛み潰した声が降って来た。
「啖呵切っておいて音を上げるなよ。」
新門さんの上体が起こされる。私の下肢に跨がった儘、前が張った防火ズボンのベルトに手を掛けて、先頃の交接の焼き直しが今――
カンカンカンカンッ!
今宵、二度目の警鐘が夜の浅草を劈いた。
「火事だ!」「小火だとよ!」「また寝煙草だって!?」「何奴も此奴も懲りねェな!」火消し達の慌ただしい遣り取りが第七特殊消防詰所内を行き交い、此所迄届いた。私の上に御座します第七特殊消防隊大隊長は、信じられない、と言う顔をしていた。大勝ちしていた博打で最後の最後に大きなへまをやらかしたような顔だ。けれどもそれも一瞬だけ。本当に一瞬だけの事で、外しかけていたベルトの金具を取り付け直すと、立ちどころに火消しの凛々しい顔となる。これもまたふた度、掛け布団で私の身体を覆ってしまう、と。
「行ってくる。」
「行ってらっしゃい。」
「直ぐ戻るから、少し待ってな。」
言い置いて、新門さんは颯爽と部屋を後にした。直ぐさまに忙しない足音を数多引き連れて、火事場へと飛んでゆく。詰所に満ちていた喧騒は潮が引くように遠退き、火の見櫓の半鐘の音だけが鮮明に響き渡る。
何事もなければ良いのだけれど。穏やかな夜が続く事を願いながら、目蓋を閉じる。老いも若きも草木だって眠る時刻なのだから、長くそうしていると、あたたかな布団の庇護もあってとっぷりと眠りに沈んでしまいそうであった。仮令この儘眠ってしまおうとも、帰って来た彼はきっと、起こす様子も拗ねる素振りも見せやしない。残念がってくれそうではあるが。そうっと私の身体を腕に抱いて、まあこんな日もあるだろう、と共寝の安らぎを甘んじて受け入れるに決まっている。在るように、在るが儘に、を許してくれる優しいひとなのだから。
いとおしさで点った種火は熱く熱く、身心の火照りは一度たりとも下がりそうにはなかった。冴えるばかりの意識が拾い上げるは、遠く向こうからの破壊音。
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