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背丈が大きいこと。男性的で素敵じゃあないの。
博打をやらないこと。身持ちを崩されるのは御免だわ。
子どもの世話をしてくれること。夫婦の間に生まれた子だと言うのに女一人に任せきりにするのは不義理よ。
食事の好みが合うこと。永らく食卓を共に囲むのだから大事な事でしょう。
気前が良いこと。吝嗇も過ぎれば病よ。
他にも列ねるべき事柄は有り余るが、それ等はどれも、より良い結婚生活を送る為に必須の条件だ。だのに、「お前は理想が高くて参る。」だなんて!
アイスクリームの雪の解けたのが寒天の山に染み込み、黒蜜の湖沼に流れ込む。白と黒のマーブル模様が描かれた水面を木製匙でひと掬い。大好物のクリーム餡蜜が椀の中で生み出す一等の甘露を口に含むと、かっかとした脳味噌にようく効く。ふた口目を啜りながら、如何思われますか、と相席相手に視線で問い掛けてみる。向かいの席に座る紺炉さんは、ふむ、と顎を引いてもの思わしげに間を置いた。まるで自らが注文した餡蜜と対話をしているかのような佇まいである。彼の手の内に在ると小匙に見えてしまう食器の妙を眺めて答えを待っていると、それは徐に黒蜜で化粧した寒天を掬い上げた。運ばれて行った先の口がもごもごとし、軈て、甘味を楽しんでいるにしては苦い笑みが浮かび出した。
「条件には適っちゃいるが、こんな年嵩の男は御免だろ。」
は? 其所い等の破落戸顔負けのドスを利かした声がビリリと空気を震わした。凄まじい気迫に鼻白んだ紺炉さんの手が、びくりと跳ねたのを見た。八つ時の平和な甘味屋で、無粋にも脅し付けるのは誰の喉か。挙手の代わりに滑らかな餡こを掬って、頬張る。
「まったく、馬鹿をお言いですねえ。よい男と言うものは経年劣化しないものです。――嘗て、貴男の誕生日に何が起こったのか。よもやお忘れでは御座いませんでしょう。」
「随分と昔の話を引っ張り出して来るじゃねェか。生憎と、今でも粉ァ掛けて来る酔狂な女はもういねェよ。だからこうして独り身でいる。」
「ははあ。知らぬは本人ばかりか。」
桃と緑の求肥を匙でつつく。在りし日に乱舞した着物の中にもこの色合いはあった筈だ。
――五月六日は浅草の女衆にとって一年の大一番であった。新門火鉢と言う偉大なる火消しの右腕を務める男――相模屋紺炉は、女のみならず男も惚れる、浅草の羨望の的であったのだ。火消しは只でさえ誰しもの憧れを集めるが、身心共に逞しく、粗野に振る舞う火消しの中で繊細で、義侠に生きる。その背中に惚れるなと言う方が無理からぬ男であった。一度は抱かれたいと擦り寄る女は数知れず、それは彼の誕生日ともなると過激化した。一目気に入られようと必死な女達の泥仕合は血で血を洗う諍いを呼び、出し抜き、抜け駆け、押し合いに圧し合いと、女の地獄が其所には在った。私はその頃は幼気な少女で、血眼の姉さん方が恐ろしくてならずに参戦なぞ出来たものではなかったが。今だって、あんな旦那とはおさらばして紺炉さんと一緒になりたいくらいだよ、とは所帯を持った姉さん方の決まり文句となっているくらいだ。
「お嫁さんを貰いたいのだったら、道ゆく姉さんに手当たり次第に声を掛けたら。一人残らず、その日の内に旦那に三行半を突き付けに行ってくれるでしょうよ。」
「お前は俺を間男か何かだと思ってんのか。」
「引く手数多で羨ましいと言うお話。」
「そうは言うが、お前みたいな頭も良けりゃァ器量も良い女、男が放って置かねェだろ。焦らなくても旦那の一人や二人、すぐにでも捕まえられるさ。」
「願ったり叶ったりの相手が見えないんですよねえ、これが。」
「そいつは難儀なこった。」
紺炉さんは小豆の小山を切り崩し、私はアイスクリームの丘を削り取り、各々溜め息を押し込む形で口にした。その時だ。「紺さん! ここに居たか!」。切迫した様子で、一人の年若い火消しが暖簾を潜って店に飛び込んで来た。大慌てで私達の席に駆け寄るなり火急の用だと伝える若衆に、餡蜜をかつかつと素早く平らげて、紺炉さんは席を立った。
あれよあれよと言う間に事が進んでゆく。呆然と見送る事しか出来ないでいる私の肩に、擦れ違いざまに紺炉さんの大きなおおきな手が置かれる。
「だったら、あと二年しても嫁の貰い手が見つからなかったら、俺のところに来な。」
甘味も苦味も無い、まったき真剣な声であったから。驚きに跳ね上がった頭が彼の真意を確めたがったが、見上げた横顔は、厳めしく引き締まった火消しの顔付きをしていたのでわからず仕舞いだ。茶屋の主であるお婆ちゃんと二言三言話してから、颯爽と去ってゆく紺炉さんの背中を息を詰めて見詰める。潜った後の暖簾の揺れがおさまる迄、動けなかった。
嘘を言う人ではないが、本気なのか。ぼんやりと、クリーム餡蜜に向き直る。寒天の上にぽてりと乗った餡こに寄り添う、シラップ漬けの蜜柑を食む。瑞々しい甘酸っぱさが混乱しきりの胸に染みた。ちまちまと食べ進めて、紺炉さんの言葉を思い出しては止まり、もそもそと食べ進めて、アイスがクリームと化して正にクリーム餡蜜となったものを漸く食べ終える。紺炉さんに代わって向かいでずっと見守ってくれていた、空の器。それを相手にうんうんと又暫く考え込むが――答えが出ないものは仕方が無い。二年後になればわかる事だ。
結論を引っ提げてお会計を頼むと、「もう済んでいるよ。」と。「紺ちゃんからね。気前が良いねえ。」と、お婆ちゃんは明らかに私達の会話を初めから聞いていた顔で伝えて来た。これは、扨は、二年をかけて外堀を埋められるのではないか。
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