jujutsu
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東京都立呪術高等専門学校。その敷地内をゆく虎杖の顔は、それはそれは当惑したものであった。今や住み慣れた場所でするには似つかわしくない顔付きだが、それが行き先への不安が織り成したものではない事は、振り返ろうとしては躊躇って前へと向き直る忙しない頭部が明らかにしていた。
右足を出す。左足を出す。間隙を縫う様に、異なる歩幅の足音が混ざる。ンン、と態とらしく咳払いをすると、追跡者のテンポが一つ、遅れた。直ぐ様、遅れを取り戻すようにアンダンテからアレグレットへと変調する可愛らしい足音は、虎杖が担任教師である五条悟からお使いを頼まれてから、ずうっと背に取り付いているものだ。――より正確を期するならば、今日は、だが。
この虎杖悠仁、一昨日から、昼日中は殆ど常に背中に気配を感じながら過ごしているのであった。
「俺、何かしたっけ……?」
視線に撫でられているうなじを、隔靴掻痒の思いで摩る。
独り言ちたものであったが、背後に付く人物の耳には届いてしまったらしい。「違、」との声が上がりかけ、そして打ち切られた。存在を気取られては不味いと懸命に噛み潰したものであろう。その様子を目の当たりにせずとも、まざまざと伝わって来る。
今更では、と思えば可笑しくも微笑ましくなるばかりで、虎杖は青空に浮かぶ白雲の数を無意味に数える事によって、漸く吹き出すのを堪えられた。
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虎杖が拙い尾行に遭い始めたのは、二日前の近接戦闘の鍛錬の後からだった。
一、二年生が合同で行うその時間に少女の姿だけが無い事は誰しもが気付いていたが、苦手であっても何時も直向きであったが為に、心配こそすれども、誰一人としてサボタージュを疑う事はしなかった。終わりがけに闖入して来た五条の、「彼女には別の訓練――ヒミツの特訓をして貰う事になったから。」との口添えもあって、何某かの理由が其所にはあるのだろうと、皆一様に納得もした。
虎杖も例外ではなく、納得した。
納得は数十分も経たない内に丸ごと疑問へと変じたが。
両手に個包装の菓子を握り込んだ彼女に後を付けられる事になるとは、夢にも思わなかったのだから仕様が無い。
船の絵が彫られたチョコレートの載る四角いビスケット菓子を手に手に、物陰から此方を窺う少女の姿を認めた時、虎杖は事情を問うべく近付いた。途端に慌てふためいて諸手を背に隠した彼女の様相は実に不可解であったが、虎杖は果敢にも尋ねたのだ。尋ねようとしたのだ。
「五条先生が――」
「私、用事、有りますので!」
備えていた菓子を虎杖の手に押し付けて、転進。はち切れそうなポケットから、一つ、二つ、と顔を覗かせる菓子を押し込みながら、慌ただしく走り去る少女の小さな背を、虎杖は黙って見送るしかなかった。
「五条先生が言ってたヒミツの特訓って、どんなんなんだろうな。」
手の中の菓子へと残りを遣る。青と白のコントラストに秘された菓子は答えを知っているのだろうが、当然、答える筈は無い。
声を掛けた瞬間の、酷く強張った少女の顔。それは恐怖とは違うもので凝っていたものの、虎杖の胸に小さなちいさな痛みを与えたのは確かであった。
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それから、虎杖悠仁は振り返らない事にした。――したのだが。制服に取り付けられたフードが、サンタクロースの背負う袋じみた膨らみを見せている今となっては、それも看過しかねるのだった。
菓子だ。一向に振り返らないのを良い事に、個包装の菓子がぎっしりみっしりと詰め込まれているのだ。少女の手によって。
昨日は勘違いかと思う程に大人しいものであったが、作戦を練っていたのか、将又、今日になって吹っ切れたのか。定かではなく、理由の如何も存ぜぬが、少女は虎杖のパーカーのフードに用があり、何故だか菓子を入れ込まなければならない境遇にある事だけは、否が応にも察せられた。時期を鑑みるに、これが彼女に課せられた特訓の正体なのだろうと当て込めども、では自分は一体如何すれば良いのだろう、如何するのが彼女の為になるのだろう、と、振り当てられた役割の不明が虎杖を困惑させていた。
なので、虎杖悠仁は振り返る事にした。この儘歩き続けるには限度がある上に、かの担任教師に指示された建物は疾うに通り過ぎているのだ。この辺りで決着をつけよう。虎杖はそう決めて、進め続けていた足を止めた。
――振り返って、また泣きそうな顔をされたらどうしよう。
男心の繊細な部分が懸念を抱く。だからこそ、硝子細工の御機嫌伺いをするかの様なこわごわとした小声になるのも宜なるかな。
「……あのさ。」
「ひゃいッ!?」
恐らくは、どれ程の気遣いがあっても足りなかったのであろう。よもや、感付かれていなかったとでも思っていたのか。傍らの建物の屋根の上で羽を休めていた烏が吃驚して飛び去る程の大声で以て、少女は応えた。
胸に片手を遣って動悸を宥めようとする彼女に、何もしない、とばかりに両手を上げる虎杖。その頬には、予想外の大きな反応によって齎された冷や汗が浮いている。
――泣かれたらどうしよう。
そう心許なくなるような表情が、まどかな瞳に揺らいでいるのだ。潤んだまなこを見詰める男心は、此所に在っては怯み切るばかりである。これ以上、刺激しないように、成る丈穏やかな声音を紡いだ。
「ビビらせてごめん。ちょっと聞かして。」
「……はい。偶然ですね……。」
「お、おう……ほんと偶然ね……。」
この期に及んで白を切ろうとするまさかの胆力に些か驚かされながらも、正否を確かめる為に、虎杖は口火を切った。
「夢野さ、何でフードに菓子入れてくんの?」
本当に気付かれていないと信じ込んでいたらしい。白昼堂々背後から斬り付けられたか、或いは晴天の下で雷に打たれたかと言う様な、実に衝撃的な表情を晒して、少女は狼狽えた。はくはくと口を開閉させてから、きゅうと結ぶ。少ししてから薄く開いた唇の「……ええと。」と言い淀む様に、虎杖が「うん。」と相槌を打つ。
「あ。もしかして、五条先生に口止めされてるやつ? だったら言えねぇか。ごめん。聞かなかった事にしといて。」
「いえ、その、何と言ったら良いのか考えていたもので。」
「成程ね。ゆっくりで良いよ。ちゃんと聞くから。」
その言葉を得て安心したのか、少女は詰めていた息を徐に吐き出した。幾度か意識的に呼吸をすると、凝り固まった身体も解れたようで、固くかたく握り締めていた拳の緊張も弛んでいった。
「――五条先生が。」
「うん。」
「私は近接戦闘が得意不得意以前にお話にならないから、虎杖くんの制服のフードにお菓子を入れて来るように、と。」
「……と言うと?」
「虎杖くんに気付かれないように、フードの中をお菓子でいっぱいにして来なさい、って言われて。」
「それでこんな事になってんのか。」
こくり、と傾いだこうべを見るなり、苦笑が出て来た。気付かれないように、と言う割りには明け透けであったが、叶わぬ程に苦手なのだろう。それは少女も芯迄理解させられたのか、今しも外れやしないかと不安になるくらいにがっくりと肩を落としている。
虎杖が手を伸ばしてフードに触れる。揺らしてみると、プラスチックの包装同士が擦れて、わさわさと音を立てた。玉入れの如く入れられた菓子累々は、いっぱい、にはほんの少しだけ足りないが、走るとぼろぼろと溢れ落ちてしまうであろうくらいの量になっていた。
「これってさ、いっぱいになったらどうすんの? 五条先生、何か言ってた?」
「いいえ、何も。」
「食べてもオッケーな感じ?」
「私のお金で買って来たので、多分。どうぞ、お納めください。」
ずい、と手の平を差し向けられる。
腹の虫の都合を述べた心算では無かったのだが、断る理由も特段有りはしなかったので、勧められるが儘に虎杖はフードの中を探った。適当な一つを摘まみ出す。食べ易い大きさにカットされた海藻が透明な包装に封入されている――味付き茎わかめだ。
「チョイス渋いね。」
「ご、ごめんなさい。」
「いや、良いんじゃね。食物繊維豊富だし。」
五条は何故、自分を指名したのか。虎杖は指先の茎わかめを眺めながら考えた。
身体能力は人よりも優れている。残酷な事ではあるが、その気になれば少女の視界に映る事無く逃げ仰せるなど容易く、ノルマの達成を夢物語とする事だって十二分に可能である。全力で取り組ませよ、と言う事なのだろうか。少し上の実力を持つ相手を当てる特訓方法は有るには有るが、これは力量差が開き過ぎではないか。ハンディキャップを設けるべきだろうか。うんうんと考え込んだ所で、もしかすると、偶々目に入ったフードに着想を得ただけの事やも知れない。意図はあれども、自分には到底計り知れないものやも知れない。
わからない中で、それでも、虎杖は己の為すべき事を心得た。
取り成してから、茎わかめをフードの中へと戻す。それは嵩を減らさないようにとの働き掛けであった。
「よっし! それじゃ、特訓の続きといきますか!」
「続き……ですか。」
「そ。フードに未だ余裕あるし。但し、特訓と知ったからには、次からは俺もスパルタでいく。気配を感じたらソッコー振り向くからそのつもりで。」
「……出来ますかね。私、きっと、虎杖くんの想像以上にこう言うのが苦手ですよ。」
言葉を継ぐ毎に下がり、遂には伏せられてしまった少女のかんばせ。その後頭部を慰めようと手を差し伸ばして――迷った末に、虎杖は引っ込めた。間を埋める様に努めて明るく笑ってみせる。
「大丈夫、大丈夫。夢野、逃げ足速かったじゃん。あんだけ走れんならすぐだって!」
「そう、ですかね。」
「そうですよ。五条先生から花丸貰えるまで、俺も付き合うからさ。やってみよ。」
語り掛けると、項垂れた少女の顔がゆっくりと持ち上がった。未だ信じ切れずに視線を右往左往させる彼女に、虎杖が太鼓判を推す様に力強く頷く。その仕草に勇気付けられたのか、困ったように眉を下げてはいたが、少女がひっそりと微笑みを返した。
それだけで。虎杖の胸を小骨の様に苛んでいたつかえは溶け去った。
「この特訓が終わったら、一緒にこの菓子食おうぜ。……っつっても買って来て貰ったやつだけど。」
「はい。足りますか?」
「十分!」
「でも、釘崎さんと、伏黒くんと、先輩方と、五条先生も入れたら足りなさそうです。」
「ああ……皆と一緒に……。はい、喜んで……。」
思わず気落ちした自分のわかり易さに感じ入る。同じ釜の何とやらと言うし、大人数との席であろうが、これで少しでも彼女との距離が縮められれば。そんな淡い望みを取れたつかえの代わりに秘めて、虎杖は先んじてUターンする。随分と軽くなった足取りで歩き出した先は、一先ず、当初の目的地であった建物である。
と、と、と。追い縋る小さな歩みが音を鳴らす。愛おしんで、肩越しに盗み見る。走るべきか、足音を気に掛けるべきか、悩んでいるようだ。危なっかしいその足取りを見守るにつけて、虎杖はかるがもの親の気持ちが理解出来たような気持ちになるのだった。
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