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傷付いた大地の上に立ち、人びとはいつも明日を目指す。
大災害の爪痕は未だ世界じゅうに深々と残っているが、こうして人類の営みが続いているからには、癒える日も近いだろう。傷痕の一つである、以前にも増して立て付けの悪くなった窓硝子ががたがたと鳴る。第8特殊消防教会そばの道路を大型トラックが通り過ぎる時の震動が伝わっているのだ。流通機能の復活に日常の戻って来ているのをしみじみと感じ取っていると、教会の扉が徐に押し開かれた。此方も立て付けが劣悪な所為で酷い音が上がる。思わず顔を顰めながら真昼の白光を負うシルエットを見遣る。金切り声の断末魔の叫びを思わせる軋りの中に浮かび上がる、二つの人影。それはよく見知った子ども達のものであった。
「シンラくん、ショウくん。」
「おはようございます。」
「……おはようございます。」
礼儀正しくもぺこりとお辞儀をする二人。オレンジ色の消防団員活動服に身を包むシンラくんには染み付いた挨拶であるが、長らく“地下”で暮らしていたショウくんには馴染みのないものなのだろう。隣の兄を見、真似ている。可愛らしい天使の風貌にいたいけな健気さが合わさって、如何にも微笑ましくてならない。
「おはようございます。ショウくんは、今日はお兄さんのお見送りですか。」
「ああ。それと、兄がどう言った仕事をしているのか知りたくて来た。許可は得ている。」
「成程、職場見学ですね。これはいつも以上に気合いを入れないといけませんね、お兄さん。」
「消防官として、兄として、今日は頑張りますよ! 格好良い兄の姿をショウに見せてやりたい……!」
私が態々言わずとも気合い充分のシンラお兄さんであったが、愛しの弟の「兄はいつも格好良いが。」との一言にめろめろの骨抜きにされてしまった。甚く感激したシンラくんにぎゅうぎゅうに抱き着かれているショウくんの頬には少しの照れ臭さが窺える。素直で、素直に慕ってくれて、素直に可愛い。彼が溺愛する気持ちがよくわかる。
「正に天使ですねえ。」
「ならば貴女は女神と言ったところか。」
お口が上手ですねえ、なんて、即座に笑って受け流せれば良かったのであろうが。ぱっちりとした円らな赤い瞳が、柔らかな輪郭を描く真っ白な頬が、凛としたボーイ・ソプラノが、嘘偽りを知らぬ本心だとはっきりと告げて来る。
戸惑う間に、するり、と。少年らしい華奢な手に、片手が掬われた。「え。」と。茫然とした声を漏らしたのは私か、将又、シンラくんか。ショウくんではない。だって、彼の唇は吐息一つこぼさずに私の手の甲に寄せられているのだから。
「ショウくん!?」
「何だ、兄。」
「何って言うか、何!? 何してんの!?」
「アーサーが、女性の手の甲に口付けるのは最大の礼をあらわす挨拶だ、と言っていたから実践したのだが。」
「あいつ何してくれてんの!? 馬鹿なの!?」
そう言えば、シンラくんとショウくんが一緒に暮らせるようになってからと言うもの、アーサーくんが彼等のもとに頻繁に遊びに行くようになったものなあ。仲が良くて何よりだなあ。
目の前で繰り広げられる兄弟の遣り取りにそのような事を考えたような、考えられなかったような。ぼんやりとしていてよくわからない。時が止められてしまったからだ。正確には時ではなく、思考、なのだが。何方にせよ、特殊消防隊に属していながら思いもよらぬ事態に対処出来ないのでは致命的だ。
既に解放された手を握ったり開いたりとして、遠いところに行ってしまった意識を掴もうとしている、と。
「――そうか。違うのか。」
ぽつん、と。呟かれたそれは不思議にも沈んだ声色をしていた。シンラくんの予想外に慌てふためく姿に悄気た、だけではないのだろうとは、「中々難しいな。」と接がれた言葉が教えてくれた事だ。
ショウくんは赤子の時分に“地下”へと連れられて、以来、思想も習慣も異なる文化圏で育まれたと言う。今は居慣れぬ地上の常識との摺り合わせを行っている最中なのだ。
それにシンラくんも思い至ったのであろう。ショウくんがこれ以上心細くならぬように頭を撫でてあげている。
「悪いのは全部アーサーだ。ショウは一つも悪くない……です、よ、ね?」
「お兄さんがそんなに不安そうな顔をしていたら、ショウくんも不安になってしまいますよ。ねえ。」
「……俺は、貴女に不愉快な思いをさせなかっただろうか。」
「私は、お姫様の気分を味わわせて貰って役得でした。天使も良いですが、王子様、と言う将来もお似合いになりそうですね。ショウくんは。」
俯けていたかんばせが、ぱっと上がる。「――王子。」。私の台詞をなぞるなり、薔薇の蕾のような唇が綻んだ。それは生意気盛りの、悪戯盛りの、年頃らしい笑みであった。
「では、その時は貴女を姫として迎えよう。」
「それもアーサーくんの教えですか。」
あっさりと首肯するショウくん。伝導者麾下であった頃には「騎士」の名を戴いていた彼に、アーサーくんは何か通じるものを感じているところがあるのだろうか。愛する弟に妙な知恵を授ける騎士王様に、シンラくんは大層ご立腹のようだが――友人が弟とも友人になってくれたのだから、ただ憎らしいだけな訳はないか。
「仲が良いですねえ。羨ましい限りです。」
「貴女も今度、我が家に来ると良い。歓迎しよう。母にも紹介したいからな。」
「ショウ! ちょっと展開が早くてお兄ちゃんついて行けてないんだけど!?」
焦燥のシャウトに、奥から顔を出した桜備大隊長の呼び声が重なる。私は肩を押し、ショウくんは手を引いて、混乱の渦に揉まれているシンラくんの身体を連行する。
――お義兄さん、なんて呼ぶ事になる日が来たら如何しようか。手の甲に触れたぬくもりの名残が、そんなもしもの明日を夢想させた。世界は未だ、はじまったばかりなのだ。
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