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ちりん、ちりん。
薄ぼんやりとした意識の切れ間に遠くから差し込んだのは、異世界より齎された「風鈴」なるものの音か。雨が近いのやも知れない。開放された障子戸から忍び込み、伸し掛かる様にして身体に纏わり付く夏の夜気は、熱と共にじっとりと湿気をも孕んでいた。呼吸をする毎に気怠さが蓄積されるようである。つ、と。額からこめかみへと汗が滑り落ちる。そこで私は、寝苦しさで気が付いたのだと悟った。濡れた額を袖で拭う。寝入る時に掛けていた布団は、足元に追い遣られて、団子になっている。眠いのに寝付けない苛立たしさから、えい、と更に向こうへと追い遣る。汗水漬くとなった背中は、「あつい……。」。しかし、眠らなければ。朝は待ってくれやしない。深呼吸を一つ。二つ。みっつ。よっつ――
ちりん、ちりん。
魔を退ける縁起物の如き清涼なる音色は、今度は、近くから。夢魘の空気を遠ざける結界の様にも聞こえるそれに手助けされて、普段よりも重みを増した目蓋を持ち上げる事が叶った。どれ程眠れたのだろうか。目蓋を開いたにも関わらず、外界は薄らと暗い。うっそりと定まらない視線の先では、青い闇が天井を揺蕩っている。未だ、朝は訪れていないのだろう。
不図、睫毛を風が擽った。拭えど噴き出る額の汗を冷やしてくれるその清けき風は、随分と小さく、とても穏やかなものであり、これが風鈴を揺らしているとは思えなかった。
「……ふむ。起こしてしまったか。」
風上に首を巡らせる前に、春のそよ風を思い起こす婉然とした声が掛けられた。唐突に、と言っても差し支えの無いタイミングではあったが、悪い驚きは一つも感じなかった。
――これは、夢か、現か。朝と夜が混ざり合う外界の様に曖昧な意識では、如何にも判断をつけかねる。ただ、「お館様……。」と声の主を呼ぶと、何時からか傍らに座していた麗人は、黎明の暗がりから優しく微笑み掛けてくれた。それだけで、もう、充分だった。
「朝は未だ先でござるよ。もう少し、ゆるりと眠っているが良かろう。」
そ、と目蓋に手が添えられる。与えられたぬくもりに、蕩けるようにして心身が弛緩してゆくのがわかった。いずこからか吹く細いすず風が、私を苛み苦しめる暑気の一つ一つを祓ってゆく。嗚呼、なんて心地のよい。
全き安堵を得た事で、知らぬ間に詰めていた息を、ほう、と解く。途端に浮遊感に包まれた。そうしてうつらうつらとし始めた時に、漸く感付いた。お館様のしなやかな手に握られている団扇の存在に。この長閑やかな風は――そうか――お礼を――。
唇を開く事は到頭能わず。憩いの闇に身を委ねるのみとなった私に安眠のおまじないを掛けるかの様に、頭をさらりと撫でられる。
「おやすみ。よい夢を。」
風鈴の音と共に慈愛の声で以て、お館様は夢境へと送り出してくださった。
おやすみなさい、と。それだけは如何にか発音出来ただろうか。忍び笑いのくすくすとした声は子守唄の様で、確かめる事は夢のまた夢、であった。
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