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錻のこがねの音、カラン、コロン。
四角い缶を振ると、庭を駆け回るものさみしい北風に乗って、小人の作った歪な雪玉みたいな飴が転び出る。甘いのが売りであるドロップスに何故、辛い味を紛れ込ませる必要があったのか。生みの親は相当に捻くれているに違いない。色取り取りの飴玉と共に缶を彩る会社名をひと頻り睨めて、二つ目の薄荷飴を口の中に放り込む。辛味。苦味。凩を一層冷たいものに感じさせる、すうすうした味わい。舌先で一つ転がして、二つ転がして、三つ転がすには時間が掛かる。私の舌は未だ、果実味を軒並み攫って行ったヒカゲやヒナタと同様に子どもなのだ。
それでも仕方無く口から喉、喉から胸を冷やしていると、廊下の先から徐に足音が聞こえて来た。角からのっそりと現れた人影が、二つの紅色の珠玉で辺りを見回す。
「ヒカゲとヒナタ、どこ行った?」
「遊びに出て来る、って。夕餉には帰ると言っていたから遠くには行っていない筈だけれど。」
へェ、と頷いて、紅丸は私の隣に腰を下ろした。何とはなしにと言った様子で庭の盆栽に目を遣っている姿を見るに、火急の用ではないのだろう。会話は途切れ、沈黙を北風が障子で遊ぶ音が埋める。芯迄身体の凍えそうな中で、冷えた舌にへばり付く薄荷飴の欠片を噛み潰した。缶の上部にぽっかりと空くまあるい穴を覗き込む。缶を揺すぶり、二つ、三つ、コンコロリ。だらだらと我慢比べを続けるよりかは一気に食べ切ってしまった方がましだろう。手の平に全ての薄荷飴を引っ繰り返し、口へと運ぼうとする――その前に。横合いから伸びて来た手が、ひょい、と二つばかり摘まんで去ってゆく。私が首をめぐらせて飴玉の行方を追いかける頃には、紅丸の手はあっさりと袖に仕舞われていた。もごもごとする彼の頬に問い掛ける。
「飴、食べたかったの? 喉でも痛めた?」
「別に痛めちゃいねェよ。ただ、お前、薄荷食えねェだろ。」
二人の間に置かれたドロップスの空き缶、私の手の平に残された最後の薄荷飴、と一瞥して行った紅丸の瞳が、最後に私の顔を窺う。
その目に映る私の姿は、今でも幼い子どもの形をしているのだろうか。確かに、二人共が名実共に子どもと呼ばれる時分には、私は紅丸に薄荷飴を押し付けていた。小さな紅丸の、辛い、との文句を適当に丸め込んで、小さな私は大概底意地が悪かったのだ。勿論、果実味も分けてはいたが、平等な配分をした覚えは残念ながらとんと無い。
蘇った記憶が生み出した気不味さが罪悪感へと変ずると、私はもう紅丸から顔を背けるしかなかった。
「何時の話をしているのよ、それ。私だってもう大人よ。」
「そうか。そいつは余計な世話焼いたな。」
「……本当は、食べられるけれども、未だ、苦手。」
「知ってる。」
虚勢は丸で保てずに、紅丸の口の中で飴と共にがりがりと噛み砕かれてしまった。
飴の破片を胃腑に落とすなり、紅丸は自分に用意されたものに手をつけるように、至って当然な素振りで私の手から薄荷飴を持ってゆく。
「その、ごめんなさい。何時も、薄荷、食べて貰って。嫌だったでしょう。」
「嫌だったら態々テメェから貰いになんて行かねェよ。昔っからな。」
「小さな頃から薄荷が好きだなんて珍しいわね。」
「薄荷、ってェよりかは――」
真っ白な薄荷の塊を口に含んで、暫く。物言いたげに黙りとなり、ただただ飴玉をカラコロと転がしていた紅丸であったが、不意にドロップスの缶をむんずと掴んだ。片手から片手へと受け渡して、空き缶を胡座を組んだ向こうの膝の脇に移す。私達の間に在ったささやかな隔たりは呆気無く取り払われた。紅丸の腰が浮く。離席するならば見送ろうと、持ち上げた私の顔に濃い色の影が掛かる。
「……近い、わよ。」
幾ら昵懇の間柄にしても気恥ずかしく感じられる、それ程の近さであった。ひと息にずいと距離を詰めて来た紅丸は、間に拳一つ置けるかと言った間近に、私に真向する格好で腰を落ち着けた。
カロリ、と。今から舌が如何動くのかを教えるようにして、彼の中の飴玉が先駆けて鳴らされる。
「近づかなかったら触れねェだろ。」
「触るの?」
「嫌か。」
「嫌、じゃあ、ない、けれど。」
しどろもどろな答えが完成を迎えると同時に両の手が取られる。親指に手の甲を撫ぜられた。それから、手の平を、指先を、やわらにやわらに揉まれる。まめまめしく働く武骨な手指の仕草を、健気だ、と思った。その内に、電氣の溜まりゆくような痺れが端々に生じ始める。其所で私は漸く、血流が酷く悪くなっていた身体に気が付くのであった。
「冷え過ぎだ。」と。氷の指先を包み込んで仕様が無い奴だとこぼす、紅丸の心臓は吃驚してしまっていやしないだろうか。視線でもあたためようとしてくれているのかと可笑しくなってしまうくらいに、熱心に手もとを見詰める赤々とした瞳を覗き込む。
「銭湯に行って来たの? 石鹸の匂いがする。」
「ああ。うるせェのに捕まって長湯する羽目になったが……逆上せた身体には丁度良い冷たさだ。暫く付き合え。」
「湯冷めするでしょう。」
「そうしたらもうひとっ風呂入って来るかな。」
風邪の憂き目に遭っても大した問題ではない、と言葉以上に声音が言っているものだから困ってしまう。北風も滅多に邪魔出来ず、丹念に慰撫された指先は彼の火照った体温の恩恵を受け続け、今やヂリヂリと焦げ付くように熱くすらあった。
「紅丸、少し、私に甘いんじゃあないの。薄荷飴の事と言い。」
「少しで利くと思われてるようじゃァ、俺もまだまだだな。」
如何言う事か、問う事は適わなかった。
末梢に熱を籠めていた手が、するり、とほどける。その儘袖には仕舞われずに、今度は露な首筋へと当てられた。頸動脈の、鼓動の、盛んに波打っているのが気取られているに違いない。揶揄されるだろうと踏んで、顎を引いて意を決し、上目勝ちに紅丸の表情を確かめる。真剣な眼差しと、搗ち合った。ただならぬ気配に動揺を示した肩が、彼のもう片方の手によって逃げ場を奪われる。
「お前が嫌がる事はしやしねェよ。だから、嫌だったら殴ってでも言え。」
もどかしい焦れったさで首を撫でさすられる。かぶりも振らずに黙りこくる私の小ぢんまりとした姿から、紅丸は片時も目を離さない。
薄荷飴は未だ彼の口を冷やしているのだろうか。だとしたら、焼け石に水と言うやつなのやも知れない。
熱を蓄える余りに今しも溶けてしまうのではないか、なんてつい危ぶんでしまうような、熱くしっとりと汗ばんだ手がそろそろと上へと滑ってゆく。顎の輪郭の一線を越え、そう、と頬が包まれる。
「どこもかしこも柔らかいな。食えちまえそうだ。」
「紅丸が甘やかしで育てたから、きっと甘いでしょうね。」
「だとすれば悪くはねェな。味見してみるか。」
冗談めかした台詞は、しかし、本気なのだとそのまなこが告げていた。
何を言おうとしたものかは自分でもわからないが、嫌、の一言ではなかったように思う。思うが、良い、でもなかったのであろう。まごまごとしている間は、良い、と取られたようだが。
強引に身体が寄せられる、性急に顔が寄せられる。――唇に、薄荷の涼風が吹く。
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縁側に一人きりで胡座を組んでいる紅丸の、その気落ちした横顔に紅葉の張り付いているのを見付けて、紺炉は肩を竦めた。
「随分と男前になったもんだ。」
「うるせェ。」
「まさかとは思うが、短気を起こして無理矢理迫ったんじゃねェだろうな。」
「しねェよ、そんな真似。……嫌とは言ってなかったんだよ。」
「女心ってやつは難しいからな……。まあ、次はうまくやれや。一発殴られたくらいでしょぼくれて終わるタマじゃァねェだろ、お前は。」
「こっちはガキの頃から惚れてんだ。今更諦めるつもりは更々ねェ、が――」
「ねェが?」
「何だってあんなに鈍いんだ、あいつ……。」
より項垂れる紅丸に、苦笑いを返答とする紺炉。軈て紅丸の丸まった背中を叩いて活を入れると、紺炉の足は来た道を引き返して行った。何某かの用件があった訳ではないところから察するに、詰所の入り口辺りで息急き切って逃げ出そうとする女と鉢合わせて、様子を見に来たのであろう。
焦り過ぎた、と。張られた頬へと戒めに指を遣る。女のものよりも固く、あのまどかな頬への憧憬や名残惜しさがいや増した。
「惚れた弱味、か。」
紅丸とて何も生粋の辛党であった筈もない。薄荷飴よりも果実飴に美味を感じていたし、薄荷飴を寄越されては一言添える事を忘れなかった。それでも最後には口にしていたのは、想いを寄せる少女に格好を付けたかったからだ。薄荷は大人の味で子どもは食べられない、などと言葉巧みに負けん気を煽って来るものだから乗ってしまった、と言うところも多分にあるが――。
女は未だに少女の儘でいる心算なのだろうか。此方は一端の男と成り、愛した女として彼女に情を傾けていると言うのに。
嫌われてはいない、筈だった。接吻を拒まれたのは薄荷味を嫌っての事だと思いたかった。脈がない、とは考えたくもない事であった。ガリ、と。小さくなった置き土産を噛む。口の中に広がる薄荷の清涼感が、凩と一緒になってひりつく頬を慰めた。
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