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背伸びをしても背は伸びないのと同じ事だ。大人の振る舞いは真似事の域を出ず、けれども言う程は子どもでもないのだ。少なくとも、腕を組んで偉ぶっている隣の迷子の達人よりは。
アーサーの堂々とした面構えを横目に見ると、森羅の心身には、通算五度に及んだ捜索の苦労が重々しく伸し掛かって来るように感ぜられた。
「二人は本当に仲が良いですねえ。」
「どこをどう見て言っているんですか。全ッ然仲良くないですよ。俺がコイツの面倒を見てやっているだけです。」
「困っている子を放って置かずに助けてあげるのは偉い事です。シンラくんは責任感がある良い子なんですね。流石はヒーローです。」
彼女が微笑むと、やわらかな春風が吹くような、花ばなの咲くのが見えるような、穏やかなあたたかさが全身を包む。密かに憧れを持っている女性からの讚美に、森羅の唇は自然と三日月を象っていた。
何と返答したものかも決まらぬ内に、緊張によって縺れた思考と舌とがしどろもどろの返答を形成しようとする。横合いからの、フ、と小さく笑う声が失態を阻止してくれた。
「俺も偉い。騎士王だからな。」
「ええと……困った時には素直に他人を頼れて偉いですね……?」
「夢子さんに気を遣わせるなよ、馬鹿騎士。」
「王。騎士王だ。」
決まり文句を言い終えるなり、アーサーは食堂の誕生日席から腰を上げた。厨房に移ると冷蔵庫からコーラの缶を取り出して、真実、掌中の領土を闊歩する王の如く気儘な様子で食堂から出てゆく。部屋に戻ってやりかけのゲームに没頭する心算なのだろう。揺れる金糸の残影が視界から消え去る迄見送っていると、今日だけで一体何度見た背中だろうと、森羅の腹から怒りだか疲れだかが沸々と込み上げて来る。
「疲れましたか。」
「え? ああ、いえ、これくらい平気です。俺だって消防官ですから、体力はあります。」
「そうですね。でも、慣れない所に行かせてしまったでしょう。気疲れはしていませんか。」
「それは――」
新しく発売されたヒーローフィギュアを買いに出ようとした非番の森羅に声を掛けて来たのは、第8特殊消防隊に所属する女性陣であった。何でも、目当てのホビー・ショップの通り道に在るケーキ屋の期間限定ケーキの売り出し期間が今日迄との事らしかった。代金は後で支払うから、と必死に頼まれては無下に断る事も出来ず、おやつのお使いと言う使命をも負って街へと繰り出したのだ。何故か付いて来たアーサーと共に。ヒーローフィギュアは難無く手に入れられたが、ケーキ屋の方は難関と言って良かった。先ず、可愛らしい装飾の施された店内に一歩踏み入れた途端に、場違いな思いで居た堪れなくなった。口もとが引き攣ってゆくのを感じながら、硝子造りのショウ・ケースへと近付き、衣服のポケットに仕舞っていたメモを参照して煌びやかなケーキの数々をつぶさに眺めてゆく。――これ、少し傾けただけで崩れるんじゃあないか。注文を受けた店員は色取り取りのケーキを手際良く、きっちりと箱詰めにしたが、森羅の身体はメモに記された耳慣れぬ言葉を読み上げた時以上にぎこちなくなっていた。それからは、幼児、又は忍者宛らに音も無くふらりと迷子になるアーサーの行動に気を配るよりも、ずっと神経を使う作業となった。第8特殊消防教会迄緊張の糸を張り詰めさせ続け、白い箱を抱えて来た腕の強張りは、実のところ未だ解け切っていない。
手の平で筋肉を慰撫しつつ、森羅は笑った。
「でも、皆が喜んでくれるなら疲れる甲斐もありますよ。」
「ヒーローの鑑ですねえ。少し、心配になってしまう程です。」
「俺、そんなに頼りないですか。」
「いいえ。只、先輩が後輩を気に掛けているだけですよ。無理な無理だけはしないでくださいね。」
甘やかしの眼差しに居心地の悪さを覚えるのは、きっと、自分が未だ未だ子どもだからだ。自らを庇護の対象としてしか映さぬ彼女の双眸は優しい色を湛えていて、見据えるだけで心がとかされてしまいそう。
それでも、何時迄も子どもの儘ではいたくないから。森羅は言わずにはいられなかった。
「後輩扱いは仕方ないですけど――俺だって男なんです。子ども扱い、しないでください。」
「シンラくんの瞳、真っ赤で苺のようで可愛いですねえ。」
「夢子さん、話聞いています!?」
聞いていないのだろう。「そうです。ケーキ、買って来てくれたんですよね。」と椅子から立ち上がると、厨房の方へとつま先を向けている。
――女の人って……。決めた心が不発に終わり、今日の日に積み重なった疲労に抗う意思は拉がれた。押し倒されるようにして森羅がテーブルに突っ伏す。
ゴン、と言う額を打ち付けた鈍い音が彼女を振り向かせたものか、森羅の背中を軽やかな笑い声が撫でる。それは矢張り、春のやわらぎを感じさせる肌心地のよい響きだ。
「私はショートケーキが一番お気に入りなんですが、これから天辺の苺を見る毎に、シンラくんを思い出すでしょうね。」
た、た、た、と厨房へと足音が消えゆく。
苺は美味しいものでしかなく、可愛いものだとは思い難い。この赤い瞳は悪魔のように鋭いばかりで、可愛いものとは思い難い。理解の及ばぬその牧歌的な感性をこそ、可愛らしい、と言うべきではないのか。
「あー、守りたい……守らせてくれ……。」
早く大人になりたい、早く先輩に頼られる大人になりたい、と。気持ちが急いて身体の全てが居ても立ってもいられずにむずむずとする。――取り敢えず、ケーキくらい余裕で持ち帰らないとな。冷蔵庫の前でケーキの艶姿を盗み見する彼女の歓声に頬を弛ませながら、森羅は己の胸の高鳴るのに静かにしずかに耳を傾けていた。
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