enen
name change!
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「隠居だって言っても、お前をおぶってやるくらいわけねェよ。」
広い肩幅も、大きな背中も、あの頃から何も変わらない。
紺さんは私を背負うなり、夕日色に染まった我が家への帰り路を、勝手知ったる足取りで辿り始めた。居心地の良さにすっかり身体を預けて、最後におぶって貰ったのは何時の事だったか、と記憶に問い掛ける。この下駄を買うより以前だと、取り急ぎの回答が寄越された。――長く履いていたからなあ。手にぶら下げた鼻緒の切れた下駄が、されるが儘にぷらりぷらりと力無く揺れる。
下駄が壊れてしまった時、私は早々に諦めて素足で帰ろうとしていたのだが、其所に通り掛かった紺さんがこうして背に乗せてくれたのだ。下駄の鼻緒が切れると縁起が悪い、だなんて迷信だと思わされる。だって、この景色、何時振りだろう。
「見晴らしが良くて気持ちが良い。紺さんにおぶられるの、好きよ。」
「ガキの頃からまるで変わらねェな、お前は。」
「成長した分、重みが増したと思うけれど。」
「言われるまでとんと気付かなかった。」
「もう。子ども扱いをして。」
むくれて突き出た唇を見せに、肩口から顔を出す。大事なお嬢さんをお預かりしているのだから転ぶ事があってはならない、とは態度で示されている事で、紺さんは真っ直ぐに前を向いて歩みを止めずにいる。けれども、細められたそのまなこが追っているのは道々に転がる小石ではなく、思い出の影に他ならなかった。横顔が遠くに過ぎ去った日々を懐かしんでいる。
「あの頃は紅に負けず劣らず手を焼かされたが、今は少しは大人びたな。」
「大人びるのは当たり前だわ。大人だもの。結婚も出来るのよ。」
「もうそんな年になるか。」
虚空と語らっているかのように、紺さんはしみじみとした吐息を夕景に溶かした。
何年も昔。第三世代の発火能力に目覚めた私は、紅と二人、十全に能力が制御出来るように紺さんに稽古をつけて貰っていた。朝な夕なと鍛錬に明け暮れて、へとへとになって動けなくなる事も屡々で。そんな時、紺さんは幼い私を背負って、今日みたいに家迄送ってくれたのであった。紺さんと同じ目線で世界を見られる一日の終わり。それは私にとって一等のご褒美であり――
「紺さん孝行が何時か出来るように、って。紺さんにおぶられる時は、ずうっと思っていたわ。」
「何だ。俺がジジィになった時には夢子がおぶって歩いてくれるのか?」
「それは無理。」
「それで構わねェよ。孝行なんて、俺じゃなくて親にしてやれ。」
――嗚呼、あの頃から何も変わら、なくはないのだ。紺さんのきりりとした眦に、針の先で引っ掻いたような小さな笑い皺が刻まれているのを見付けて、私は俄に手指から血の気が引いてゆく思いを味わった。夕焼け空の一番寂しくなるところと同じ藍色の法被。その上からではわかりはしないが、今、私が手を置いているこの立派な肩は所々が炭化している。灰が、この人を蝕んでいる。
手当て、と言うが、手を当てるだけで病を治せたならばどんなに良かったか。紺さんの肩を摩り、在りし日を夢見る。此所から噴き上がる炎は、鳥が羽を広げて力強く羽撃くようであったのだ、と。皇国では、天使、だなんて形容されそうだ。
高いところにも遠いところにもやりたくなくて、繋ぎ止めるみたいな手付きで法被の肩を握り込む。
「紺さんさあ。」
「ん?」
「長生きしてね。きっとよ。」
「ジジィ扱いされるには流石にまだ早ェな。」
「そう言う事じゃあなくて!」
未だ齢三十八の壮年の男なのだと、知らしめるように背負い直される。センチメンタリズムを抱いた儘ではいられない、広い肩幅、大きな背中。あの頃から何も変わらなくはない、でも、変わらない。いついつだって、いつまでだって、紺さんは私の憧れの人だ。
泣き出してしまいたがる顔を肩口にうずめて、もう一度、願いを懸ける。「長生き、してよ。」。応えの代わりに首が傾き、慰めに頭を擦り合わされた。仕方の無い奴だと思うならば叶えて頂戴よ。
23/46ページ