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筋張った大きな手の甲に、そうっと、頬が撫でられる。鏡なぞ覗かずともはっきりとわかる。今、私の頬は、矢鱈滅鱈に頬紅を塗りたくったかのように真っ赤っ赤に染め上げられている事だろう。熱された血潮の化粧が施されたのは頬ばかりではない。ついと掠めただけの、節榑立った指が。唇に何より鮮やかな紅を点して、引かれる。
「あんまり可愛い面してるから、思わず手が出ちまったな。」
揶揄いを含んだ笑みは、心臓へのとどめか。破裂した心の臓は溜め込んだ煮え立つ血液を撒き散らして、はらわたに満遍無く火傷を負わした。そうとしか思えぬ程にヂリヂリとする五体をようやっと引き摺って、私は紺炉さんの隣を歩く。川縁に吹く風は水気をたっぷり吸ってひんやりとしている。一歩ゆく毎に過ぎた熱は冷やされて、紺炉さんに撫でられた頬に触れてみても指先に火傷を増やす事はなかった。
「もしかして、頬に何か付いていましたか。」
「砂が少しな。」
先程、物置小屋の前で盛大に転んだ時に付いたのであろう。紺炉さんと会えた、紺炉さんと二人きりで会えた、と。浮かび上がった気分と共に身体迄浮ける訳はない。それを知らなかった足は小石によって掬われ、すってんころりん、子どもの時分以来の大転倒を紺炉さんにご披露したのであった。
「済みません、そそっかしくて。」
「怪我がなくて安心したが、足もとには気を付けな。嫁入り前の身体に傷が残ったとあったら一大事だろ。」
――嗚呼、嫌な予感がする。彼が笑んでくれるのならば如何様な羞恥も甘美なものだと、唇の端にずっとくっ付いていた笑みが強張ってゆく。逆上せていた脳味噌が、川風要らずで冷えてゆくのを感じる。しかし、頭が冷えて気が落ち着いた今こそがチャンスではないか。私は覚悟した。長年に亘る間違いに今日こそ決着を付ける覚悟をした。
「あの、紺炉さん、」と。決死の抵抗の口火は、ぽん、と頭の天辺を一つ撫でられただけで消されてしまった。
「まあ、紅はそんな事を気にするような男じゃねェが。あいつの嫁になる、って昔から言ってたもんな。紅と夢子、二人の晴れ姿が拝める日が楽しみだ。」
ちっがーう!! と叫び出せればどれだけ楽だったか。それは今の年齢の半分程の、未だ恋愛も親愛も区別が付いていなかった幼い少女の頃の口癖だ。浅草の町の人の誰しもが微笑ましく見守っていたままごとであり、当事者である紅丸だって「そんな事もあったな。」と疾うの昔に思い出話にしている。なのに! 紺炉さんったら! 私を何時迄も小さな女の子の儘にしているのだから!
ほんとうに恋した男のひとの、その鈍感さがうらめしい。晴れ晴れしく微笑む顔に絆されて今日も何も言えない自分は、もっとうらめしい。下唇を噛み締めて悔し泣きを堪える。
「こんろさんのばか……すき……。」
惚れた弱味も此所迄来ると滑稽だ。
傍らを流れる川のせせらぎが飲み込んでしまえるくらいの呻き声は、大きく開いた身長差も相俟って、紺炉さんの耳には拾われなかったようだ。かと言って大声で告白し直す事も出来ないのだから、私と言う奴は!
湿り気を帯びた風の音はせせら笑っているとしか思えない。紺炉さんは私の旋毛でも見下ろしながら、目を細めているのであろうか。それはきっと、恋人を望むようにいとおしそうに、ではないのだろうけれど。
「遅くまでお前を引っ張り回していると、若にどやされちまうな。早いところ帰るか。」
「もうどやされれば良いと思います、思い切り。」
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結婚? 俺と? 夢子が?
……紺炉、お前、一体いつの話してんだ。だが、まあ、俺もあいつとは付き合いが長いからな。ガキの頃からつるんでいるんだ。夢子の性格は親兄弟を除けば俺が一番知ってるだろうよ。だから言っておくが、紺炉――被った猫の下から、そろそろ虎が起きるぞ。
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