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珊瑚が、翡翠が、鼈甲が瑪瑙が言う。さあさ近くで篤と見て行っとくれ、如何だいあたしャ頗る付きの美人だろう、あたしが華を添えてやりゃァあんたの見てくれも少しはパッと華やぐってもんだ、惚れた男の一人もいるんだろうそいつに艶姿の一つも見せてやりたくはないのかい。
玉達は絢爛なだけあって大層目立ちたがり屋だ。お喋りな輝きにうんざりした目は、結局、若者や観光客向けの安価な簪の並ぶ棚に逃げ帰るのであった。私が生まれてからこれ迄中身の変わったところを見た事がない、値札に零が犇めく簪の居並んだショウ・ケースから、入り口の真正面に据えられた平台の上へ。簪の足は銀細工から鍍金に、飾り玉は貴石から色硝子に、品揃えは置物から売れ筋へと変わる。安っぽさに俄に安心して伸び伸びと冷やかせるのだから、我ながら根っからの小庶民だと思う。
色彩豊かに転がっている様々な硝子玉は平台を万華鏡を覗いた先の景色に似させて、幾ら眺めても飽きやしない。その内の一つが、チカリ、射し込んだ日の光の中で鮮やかに耀く。
「これ――」
「それが気に入ったのか。」
「わあ! 吃驚した!」
突如として背後から顔を覗かせて来たのは、紅丸、であった。私の悲鳴に耳を劈れて、垂れた眉をきつく顰めている。「店の中でデケェ声出すなよ。」。ご尤もな事を仰有る。店内を見回して他に客のいない事を確認した後で、顔馴染みの店主のおじさんの苦笑に向けて慌てて頭を下げる。紅丸はその間に一本の簪を摘まみ上げていた。先程、強く光って強く惹かれた、真っ赤な硝子玉の付いた逸品だ。
「お前、赤、好きだな。」
あんたの目の色だもの、と口を衝いて出そうになった本心は、恥ずかしいから胸の中に仕舞い直した。「……まあ、ね。」とだけ答えた私の目が遠くへ泳ぎ出す。あからさまに何某かを直隠しにする間の抜けた様子だったに違いないが、紅丸は不可思議そうに小首を傾げはしたものの、鷹揚にも受け流してくれた。その指先に摘ままれた簪が小さく振られる。意図しての事か見事に私の視線を引き寄せると、紅丸が言う。
「買ってやる。」
「何かあった訳でもないのに、悪いわよ。」
「原国では、女に簪を贈る行為には求婚の意味も含まれていたらしい。」
「何でそれを今、言うのよ。」
「知っておいて損はねェだろ。その内、娶る日が来るんだ。その時まで覚えておきな。」
ふ、と笑ったのは、私がそれだけ可笑しな百面相をしていたからか。頭の天辺から胸の奥の奥からつま先迄が煮え立った波濤に揉まれているかのように熱くてぐらぐらとする。
口をはくはくとさせて呼吸に精一杯となっている私に、ぴかぴかの硝子玉よりももっと、もっと力強く閃く赤い眼差しが問い掛ける。
「それとも、聞いたら今すぐに欲しくなったか。」
揶揄の色で塗られた声音は、私の答えを承知していた。
「未だ、少し、待って。心の準備が出来ていない。」
「少しで良いのか。じゃあ、明日にでも出直すとするか。」
僅かに、けれどもわかり易く笑みの形に細められた双眸が、そればかりは冗談だと語っていた。そうでなくては困る。気の長い方ではない彼が何時迄待ってくれるかは、神のみぞ知る、と言うやつだろうが。
しかし今日のところは言葉の通りに、紅丸は簪を棚へと戻して、私と擦れ違い、暖簾を潜って店から出てゆくのであった。
一人取り残された私はきっと、ぽかんとした、酷く気の抜けた顔をしている事だろう。――プロポーズの予告をする奴があるか! 脱力は顔のみならず四肢にも及ぼうとしたが、膝に手を突いて何とか事なきを得た。俯けていたこうべを上げる。何時かは買われ、何時かは贈られるのであろう簪の硝子玉は、貴石よりも特別な光を放って見える。
「何時迄も取り置きしておくよ。」と言う店主のおじさんの涙ぐみながらの祝福に、そう遠くない内に取りに来て貰う事になるだろうなあ、と予感した。
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