enen
name change!
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
さあさ、午前様のお大尽様のお成りである。
頽れるようにして食卓についた紅丸は、こめかみに鉛の塊でもぶら下がっているみたいに至極重たそうに頭を抱えていた。卓子の木目でも眺めているのか、将又、少しの光も障りとなるものだからきつく目蓋を閉ざしているのか。此所からでは視線の行方は窺い知れないが、俯けた顔の色はきっと、生気を失って生っ白いのだろう。
「吐くまで飲むからそうなるのよ。」
うるせェ、との減らず口は返って来なかった。余程重症だ。紺炉さんにこってりと絞られたのが効いているのやも知れない。
二丁目の弥次さんと飲み代を賭けて飲み比べをしたのだとは、詰所迄送ってくれた喜多さんが説明してくれた事であった。「いい加減に酒の飲み方を覚えて欲しいんだがな。」。出迎えた紺炉さんはひと目見て呆れ果ててしまったと言う。へべれけに酔った紅丸は、本当に火を噴いてしまうのではないかと言うくらいに顔を真っ赤っ赤にして、喜多さんの肩を借りて千鳥足で帰って来たらしい。それでも飲み比べには勝ったと言うのだから流石と褒めるべきなのか。「これで勝ったって言っても締まらねェだろ。」と夜半に酔っ払いの介抱を務めた紺炉さんは、つい先程、ひと足早く朝餉を終えてそう話を締め括った。あの様子では暫くは飲み屋に出入りする事を許さないどころか、詰所で飲む酒の量にも目を光らせそうに見える。
心の中で、御愁傷様、と一つ呟いて、温め直した鍋の中の汁物を椀へと注ぐ。
「はい。これくらいならば食べられる?」
汁椀を供するなり、すん、と鼻が鳴る。くゆる味噌の香りにゆっくりと面が上がる。矢張り、その顔は二日酔いに苛まれて真っ白かった。炎を象った真紅の瞳もどんよりと濁って、酷い有りさまだ。
普段のよく通る声は何所へやら、「おう。」と病人のように弱々しい返事をすると、紅丸は椀を手に取った。擦れ合う貝殻の音ごと吸い込むようにして、ず、とひと口啜る。椀の縁から離れた唇が漸く安息を得たかのようにしみじみと吐息した。
「染みるでしょう。二日酔いには蜆の味噌汁が一番だものね。作っておいた甲斐があるわ。」
正面に座って話し掛ける間にも、紅丸はふた口目を啜っている。心なしか頬に赤みが戻っているようにも見えて、自業自得な事だとは言えども、死にそうな目に遭った彼を助けられた安堵がこの胸をあたためる。
早くも味噌汁を干して殻から引き剥がした蜆の身をしがんでいる紅丸から、椀を受け取ろうと手を差し出す。
「お代わり、要る?」
ん、と。渡された椀に是の意思が示される。か細い声音としおらしい態度が、未だ本調子ではないと語っていた。椀を片手に立ち上がり、鍋の置かれた台所に向かおうと紅丸に背を向ける。その隙に掛けられた台詞は、一歩を踏み出す足を止めたそうにしているようにも聞こえた。
「これだけ美味いなら、毎日でも食いてェもんだ。」
「そんなに飲んだくれて、身体を壊したら如何するのよ。」
何やら不自然な間が空いたが、それを作り出した紅丸の思うところがわからない。わからないのだから考えながら動く事にして、躊躇無く台所へと進んでゆく。背後で小さく小さく何某かが呟かれたが、既に何かと問い掛けるには大声を出さなければならない距離だ。彼の頭痛に響くだろうからやめておいた。
しかし、そんなにも美味しかったのか。二日酔いが最高の隠し味になったにしても、毎日食べたいと迄言われると嬉しいものだ。ならば椀に装うよりも食卓に鍋を持って行った方が良いだろうか、などとめぐる思考に、蜆の貝殻がカチャカチャと合いの手を入れる。
2/46ページ