jujutsu
name change!
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支柱と支柱との間に作られた射光のしがらみの、向こうに。
梁迄伸びる背高影法師を見とめた瞬間、逃げ出そう、と脳味噌と足腰が口を揃えて提案した。本能は正常。反応も上々。惜しむらくは、逃げ出そうとして出し抜ける相手ではない事か。
目の前に整列している自動販売機よりも巨大な体躯のする事だ。軽快なステップでの小走りだろうが、獅子の狩猟のような大迫力の躍動感が有る。ならば、私は差し詰め水呑場で暢気にしていた兎か。格好の獲物らしく強張って動けぬ身体。含んだ儘でいた缶コーヒーの中身を生唾代わりに呑み込む。――終わった。束の間の休息も、人生も。神の御手で特に丹精込めてつくられたとしか思えぬ顔かたちは、サングラスをしている事を差し引いたとしても、全く、全く表情と言うものが読めない。それだけにこれから我が身に一体何が振り掛かるのかとおそろしくなる。自動販売機の真向かいの柱に凭れさせていた身体を起こす意気は、迫り来る足音によって拉がれてしまった。片手に握ったスチール缶の固さをよすがに、腰を抜かしてずるずるとへたり込まぬように努めるのが手一杯だ。
影が、差す。悟さんが立ち止まる。私の直ぐ目の前に立ち塞がって。睥睨。片腕が掲げられる。強く頬を張りでもしそうな威圧感だが、しかし、この人が無闇矢鱈と手を上げる姿なんてこの期に及んでも想像も出来ない。では、悟さんは何がしたいのだろう。まばたきをせずに事の成行を見守っている、と。振り上げられた手に勢いが付く。
刹那、私の顔の横に、ドンッ! と大音。
衝撃が背を伝い、身体を跳ねさせ、心臓を僅かに止めた。詰めた呼吸を恐る恐る吐き出す。じりじりと視線を横へ横へと移してゆき、柱に大穴は開いていないか、天井は崩落しやしないか、と気を揉みながら確かめる。無事、だった。そろそろと視線を上へ上へと移してゆき、意図は何か、意味は何か、と気を揉みながら探る。
彼を知らない人間が端から見ている事があったら、きっとモデルがポーズを取っていると勘違いするであろう。それ程にさまになっている、ように、思う。片手を柱に突いた悟さんが、真剣な顔付きをしてじいっと見下ろして来る。サングラスの奥から、観察、して来る。日の光の欠片を鏤めた青い瞳が、耀く。
「――どきどきした?」
した。此所最近では一番だ。
小首を傾げ、無邪気にも弾んだ声音で問い掛けて来る悟さんに、必死に首を縦に振る。何度も何度も冷や汗まみれの首を縦に振る。命乞いみたいであった。事実、近しいものがあった。
「ごめんなさい、ごめんなさい。貴男の分のカップケーキを食べたのは私です。」
表参道に用向きのあった補助監督が、皆さんで食べてください、と今流行りのカラフルで洒落っ気なカップケーキを先程土産に持って来てくれたのだが。いつ帰るかわからない奴の分を後生大事に取って置いても傷むだけだ、五条の分は夢子が食べな、と硝子さんに余分を貰った私だったのだが――まさか当日に帰って来るとは。
頭からすっぽりと影に覆われた中で自白を終えて、無言でいられると、それはもう居心地が悪く、大蛇にひと呑みにされた蛙の気分を味わうかのよう。悟さんの息遣いだけがダイレクトに伝わる、開放的な密室に。
「そうじゃないんだけどなぁ。」
期待外れな結果だとでも言いたいのだろうか、幼気に拗ねたような呟きがぽつりと落とされる。
では、如何言うのをお求めであったのか。お伺いを立てるべく口を開こうとして下げた顎に、伸びてきたる手。私のものよりもひと回りもふた回りも立派な骨張って固い手は、猫にでもするかのように顎の輪郭を撫でてこそばゆさを与えると、大きく広がって鷲掴みにして来た。顔の下半分が包み込まれ、指先でむぎゅむぎゅ、もにもに、やわやわと、頬をしこたま揉まれる。
「ま、良いや。で? 何、カップケーキ? 僕の分も食べたって? その償いがしたいって?」
其所迄は言っていないです。抵抗しようにも頬を弄ばれている為に上手く発音が出来ない。もごもごとしている私の口の不格好さに興をさかしたのだろうか、悟さんの表情を少しずつ少しずつ、笑みが彩ってゆく。性根悪そうなにんまりとしたものだが。
「そうだなー、じゃあコンビニで同じようなカップケーキでも買って貰おうかな。それとも、今から同じの買いに行く? 僕はどっちでも良いよ。夢子が、どれだけ僕と一緒に居たいかで決めて。」
ぱ、と。顔から離された手は、翻って自然なさまで私の手を取った。指先が絡められたそれは、恋人繋ぎ、と呼ばれる手繋ぎだ。これこそ如何言った意図で、如何言った意味で為されているのか。手もとから、頭の上の高いところで光る青いまなこを振り仰ぐ。すうっと細まる眼差しに込められた感情は読めない。けれども、陽光の射し照らす中でまばゆそうに微笑んだ、その頬に。その頬に宿った暖色の名前は、知っている気がした。
――吊り橋効果、と言うやつか。逃がさないとでも告げるかのように確りと絡め取られた手指を引かれながら、私は勘違いした胸の高鳴りを抑える為にもう片手を持ち上げて。きつく握り締めていた所為で人肌の温度が移ったコーヒーの空き缶の存在に気が付いた。私の選択を待たずして、悟さんは無計画に門へと歩き出している。呆気に取られて連れられている間に、日のもとに。自動販売機の設置場所は背後に。空き缶を捨てるタイミングを逃していた。
「それでは、コンビニに行きましょう。」
「この絶世のイケメンを長時間独占出来る、絶好のチャンスなのに? 無欲だなぁ。」
「表参道で空き缶を捨てられる場所なんて限られていますから。」
悟さんの脚がぴたりと止まった。颯と身体の向きを反転させるなり、私の手から空き缶を取り上げてしまうと、大きく大きく振り被って――投げられた缶は吸い込まれるようにして、見事にごみ箱のど真ん中に入った。白いかごの中から、カラン! 空き缶同士がぶつかる音が、いってらっしゃい、との掛け声に聞こえた。
二〇一四年、某月某日某時間の事。
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