jujutsu
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此度の任務で無事に回収せしめた呪具を保管庫に納めると、示し合わせた訳でもなく、悟さんと私は校舎へと向かう事にした。自然と揃った足並みを仰倖と取るべきかは知れない。マウンテンパーカーのポケットに突っ込まれた両の手に代わって、その肘には――悟さんにしては気が利く事に――彼の担当する生徒達へのお土産が忍ばされた紙袋が引っ掛けられていたからだ。のたりのたりと歩む度にそれは振り子の如く揺れて、私の腕を鬱陶しく小突いて来る。数十メートルも行かない内に、半歩、タイミングをずらして斜め後ろに位置する事を決めたのは必定であった。
「何? 僕、日除けにされてる?」
「こうも四方八方から日に当たっていては、如何に背高の貴男でも日傘以下ですよ。」
「辛辣~。」
昼日中の陽光は道の脇に聳える白壁に反射して烈しさを増し、灼かれた影法師は二つ共、気付けば逃げ果せていた。世界にふたりきりと言う訳だ。
土埃で茶色い薄化粧が施されたつま先から徐に視線を上げる。チカ、チカリ。外からの害意や敵意、殺意のみならず、色素をも拒んでいるかのような髪が。白日に霞んでいた。目もとに巻かれた黒色の眼帯、それがこのひとをこの世にとどまらせる枷なのだと言われたら信じてしまうだろう。事程左様に、悟さんの肉体は憂き世から離れたつくりをしている。
青空を掃く白髪の穂先をぼんやりと眺めながら。私の指先は我知らず伸びゆき、目の前のマウンテンパーカーの縫い目を求めては悟さんの腰の辺りをなぞっていた。
「キャーッ! 痴漢よー!」
「誰が……いえ、触りはしましたけれども、そんなつもりは――!」
長閑な空気を震わす演技掛かった甲高い声に、すっかり気が動転してしまった私はその場で立ち止まると、身振り手振りでしどろもどろに弁解するよりなかった。自分の顔色が赤に青に白に赤にと変わってゆくのが額の温度で感じ取れる。私の百面相を見逃すまいとしての事か、悟さんも足を止めていた。肩越しに振り返って見えた頬の様相と言ったら、意地悪、それ以外に相応しい言葉はない。
「「そんなつもりは」? だったら、どう言うつもりでそんなやらしい触り方をしてくれたのかな。」
「やらしくはしていません。只、悟さんの服でもきちんと縫製が為されているんだなあ、と。」
「そりゃあ、頑丈じゃないとすぐに着られなくなるからね。呪術師稼業は肉体労働なもんで。でも、僕の服でも、って――ああ。天衣無縫?」
態とらしく顎に手を遣り、人指し指の背で下唇をひと撫で。得意気な笑みを刷いた唇から、私の思考が出て来る不可思議。こくり、と素直に一つ首肯する。
要領を得ない事を口走った自覚は十二分にあったのだが、後から順序立てて説明する隙は与えられずに、悟さんはあっさりと言葉の足りないところを読み解いてしまった。決して以心伝心の間柄なのではない。このひとが頭の回転が早い人だからこそ為し得た、神憑りのわざである。
「生憎と、不老不死には興味なくってね。ウィキペディアに載ってるくらいの事は僕にも出来るけど。」
くつくつと喉でひと頻り笑ってみせて、そうして重力にも縛れない軽うい足取りで歩き出す悟さん。つくづく前を向いている姿が似合いの人だ。頭上に広がる青天井を浮遊する綿雲のようにゆったりと前をゆく彼に続く。
「悟さん、仙人、ではないんですね。」
「足、見てみて。ちゃーんと地面に付いてるでしょ。」
「仙人にだって足はあるでしょう。幽霊じゃあないんだから。」
「似たようなもんだよ。肉体が無いって点ではね。」
ポインテッド・トゥの先端が地面を小さく蹴飛ばして、辺りに薄らと砂を散らす。些か乱暴な形で脚の在処を知らしめられたが、広義的に死人の扱いをされて気分を害した訳ではなさそうだった。視界を塞ぐ俗世間製であると言う黒衣を幾ら見詰めたって、私が彼についてわかる事は誰にだってわかるような、笑っているか怒っているかくらい。今は大きなおおきな背中を追いかけてばかりの私には何時迄も正面は捉えられず、その正体は杳として知れない。
「――私は悟さんのような眼は持っていません。仙人だと言われても幽霊だと言われても、信じるしかない。貴男がなにかだなんて、言われなければわかりません。」
「定義しろ、って? 最強、だよ。」
事実を述べる声だ、温度も湿潤も望むものではない。
自分の名前かのように告げられたそれこそが、疑う余地も無く悟さんだった。
何て事のない様子で、最強、を負える生命は凄絶だ。生命は並べて成熟に時間を要するものだが、このひとは自身の心身の扱い方と力の全てをはじめから掌握して生まれて来たのではないか。捕食される草食動物の仔の多くが早くに立ち上がり、身を守るすべを備える生態とは訳が違う。最強の呪術師とはそれだけの存在で、事象と呼べさえして、誰彼の運命ですらある。肉体のある事がそもそも何かの間違いなのだとの違和を持たれる程の、力そのもの。生きて死ぬ、その瞬間迄孤高にしかあり得ないさだめの高嶺に、一体誰の手が届くと言うのだろう。
そのような事を考えている内に何時しか失速していたこの脚のさまを、悟さんは失望のあらわれと受け取ったのだと思う。
「君だけのダーリン♡、とか期待した?」
顔こそ真正面を向いているが、五感全部で此方の反応を探っている気配がありありと感じられる。揶揄しておいてまるで試し行動だ。期待しているのは一体何方なのかと、応える為に小走り。緩やかなテンポを崩さずにいてくれたので所定の位置には直ぐに付けた。
「まさか。」。言わずとも心を理解される気持ちのよさを知っているからこそ抱いた、悟さんをえらく信奉した誰某に宗教なぞ興されやしないか、なんて心配はこの分では無用であった。
「そんな台詞、悟さんの口から出て来ようものならば冗談にしか聞こえませんね。」
「君さぁー、僕のことが好きだって言う割りには僕のことをあんまり信用してないよね。」
「だって、相手は悟さんですよ。だから、神様、なんて言われたらどうしようかとは少しだけ思いました。そうしたら神道系の高等学校に入り直して、巫女の資格を取りに行かなくてはなりませんから。」
「仙人の次は神様か。随分と偶像化してくれてるけど、そこまでして一緒にいたいなんて――やっぱり、夢子ってばホーント、僕のこと大好きだね。」
青天に高く打ち上がった呵呵大笑が花火の如く咲いて散って、余韻の消え失せた頃。悟さんの足音は意図してか潜められた。何かを言おうとして、何かを言うまいとして、何かと何かを天秤に掛けてはかっているらしき沈黙。その真摯さに倣い、時の訪れ迄、只ただ待つ。ひと呼吸置かれふた呼吸置かれ、悟さんは後ろ頭の刈り上げたところを乱雑に掻いた。「あのさ。」と。思い切って発されたそれは、己を定義した時と同じ声音をしていた。
「僕は天才だけど、何も万能って訳じゃあないんだ。出来ない事の方が少ないけどね。」
「例えば、私だけのダーリン、と自分を定義する事とかですか。」
「そ。人気者でごめんね。」
一つも悪いと思っていないとは表情を正視出来ずとも判断がつく事だ。
呆気無く、失恋、した。なんて、茫と突っ立っている場合ではないだろう。
私が追いかけている男は誰だ。最強、五条悟、綺羅星のようなそのひと。神様のように焦がれた先に在るひと。ならば、世界が、人類が、彼の背負うすべてが恋敵であっても相当で、上等だ。
「だとしても。私は、貴男だけのハニー、と自分を定義してみせますよ。」
幾ら待てど暮らせど星は手の中に落ちて来やしない。だから、手を伸ばしてしまった。しまった、であるものか。今度は自分の意思で伸ばしたのだから。
五指の全てでマウンテンパーカーの縫い目をひしと掴み取る。掴み取った矢先、悟さんは身を翻す事であっさりと私の手から逃れてしまう、と。くるり。勢いの儘に、此方に身体の正面を向けた。
「うーん。甘ったるい君にはぴったりで、意外性が無いな。」
「結構。甘党な貴男には最高でしょう?」
屹と振り仰いだ眼帯の下で――これは確信だ――天上の眼は私だけを映して、可笑しそうに可笑しそうに細まっていた。カッと身体が燃え立つようなのは照り付ける日射しの所為だけではない。歓喜の火で沸かされた血の波濤が押し寄せた脳味噌が、今だ今だ攻めるならば今だと号令を下して矢継ぎ早の告白。
「今は口だけです。けれども、悟さんの背を見続けて来たのは誰よりも私です。よく知る相手にこそ背中を預けられると言うものでしょう。今に見ていてください。」
「最強相手にまあ大きく出たね。――それじゃあ、まずはここまでおいで。」
た、た、た、と。地を踏んで前進するその足取りはスキップでもしているかのように軽やかだが、長い脚のする事だ。あっと言う間に引き離されてしまう。急ぎ駆け出して、紙袋をがさがさと鳴らしながら遠ざかる背中に追い縋る。白い光の波が身体じゅうに打ち付けて、波打ち際で戯れる男女も斯くやの追いかけっこだ。
永遠に続きそうな白壁の、終わりが直ぐ其所に望める所に在って。何時の間にか俄に嵩を増していた雲が太陽を遮り、かと思えば厚雲の切れ間から光が幾条もこぼれ落ちて来た。薄明光線、光芒、天使の梯子。暗がりで立ち尽くすと、天より降りる光のきざはしの袂から笑い声がする。白日昇天する仙人のようなけがれのない笑い声だ。――二十八歳の、人間の、男のひとが笑う声だ。
天衣無縫を否定した手を握り締める。
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