jujutsu
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私とて呪術師の端くれ。近接戦闘の訓練程度で足腰が音を上げる訳もない。只、此度の失態の理由を強いて挙げるとするならば、久し振りに恵くんと二人きりで過ごせる時間が取れて浮かれていたのだと思う。
浮かれぽんちに鼻歌なんてすさびながら、校庭脇に作られた階段の一段目に足を掛け――ようとして見事に失敗して、盛大に段差に蹴躓いた。視界がぶれる。身体が傾ぐ。咄嗟に手を前へと出す。
「夢子さん、危――ッ、――、」
だが、パラシュート反射の働いた私の身体は、キョンシーじみた格好で地面と垂直を保てていた。
耳朶に触れた安堵の籠った吐息が、ヒュ、との喉鳴りと共に吸い込まれる。抱え込まされた時限爆弾を手離すかのように、慎重に、慎重に。あわや転倒するところであった私の身体から、胸部から、恵くんの手の支えが外される。ざり、と彼の靴底が砂を躙る音には、後退ったと言うよりもよろめいたと言った風情があった。
突っ張っていた腕を下ろし、身体の横にくっ付けて気を付けの姿勢を取る。強く意識しなければ、胸もとに火傷の痕のように残る、思うよりも大きかった手の感触に自らの手を重ねてしまいそうでならなかった。それでは恵くんが気不味かろう。既に先迄の和やかな雰囲気は打ち壊されているけれど。不慮の事故が起こった凄惨な現場に垂れ込める、特有の重々しい沈黙を一刻も早く払い除けるべく、振り向きざまに謝ってしまおうとした、矢先。
「殴ってください。」
遺書でも読み上げたのか、と思う程には固く鬱々とした声音であった。そんな事は出来ない、と。大慌てで向き合った先に在った恵くんの顔はそれはもう酷いもので、死人の蒼白から、目が合うなり赤と青が混在した不可思議な色に変色してゆくのだから。不憫に過ぎる。生真面目が過ぎる。放って置いたら切腹しそうだ。その手から短刀を取り上げる気持ちで、へら、と無害そうに笑ってみせる。
「過失でしょう。助けてくれてありがとうね、恵くん。」
「ケジメとして殴ってください。」
「ケジメ、って。ヤンキーみたいな事を言うなあ。」
す、と外方を向いたのは、何もストレートで殴り易くする為の気遣いではなさそうだった。仮令そうであっても憚られる。
恵くんのお望みから逃れられる事を願って、隙を突いて階段を一段、気を取り直して登る。大きな失敗から足腰も学んで、今度は危なげなく持ち上がってくれた。狭い足場でくるりと身体を半回転させる。背丈が揃い、目線が揃う。
「殴ってください。」
「未だ言う?」
「夢子さん、この儘なあなあにするでしょ。それだと俺の気が済まないんですよ。」
真正面を向く事で、恵くんの意志がかんばせによりあらわとなる。凄味すら感じるくらいの覚悟の決まった頑なさだ。梃子でも動かない、とは今の彼のような様子を言うのだと、辞書を引いている人間に触れ回りたい。
支点、力点、作用点。三つ、つま先で階段を打つ。それ程言うのであれば、一発だけ、軽うく。妥協しようとしたが、矢張り、困ってしまう。
「そうは言っても、助けてくれた人を殴るのは良心に悖るよ。」
「そんなに甘いと好きにされますよ。」
「誰に?」
「五条先生、とか。」
「五条さんだったら尚更殴れないでしょう。物理的にも。」
無言だのに、確かに、と言う声が聞こえて来そうである。
互いに退かず、互いに進めず、青空を泳ぐ巨大な魚の形をした雲が二度かたちを変える頃。あれだけ自責に尖っていた眼光が少しだけ、鈍った。苦々しい、否、苦しいと訴えていた恵くんの顔が俯き、半分が覆われる。利き手ではない方を用いたのは、先程の出来事を反芻してしまうからであろうか。釣られて私も胸へと手を遣りかけて、諌めた。
「夢子さん。」。何所か言い訳がましかったこれ迄の口調が引っ込められた、恵くんからのささやかな呼び掛け。応じると、本音の音がした。
「触っても許される気になるから、殴ってください。」
「拒絶して欲しい、って事? だったら、駄目。」
じっとりと、訝しそうな視線が射て来る。そんな目で見ても、駄目なものは駄目だ。
目一杯に手を伸ばす。恵くんの胸の真ん中に、触れる。心臓、ばくばくしている。――異性に触れたからなのか、私に触れたからなのか。ジャージの上からでもわかる忙しない鼓動に問い掛けても、答えはくれないから。
「はい、おあいこ。これで言いっこ無しだよ。それとも、殴ってくれる?」
「……する訳ないでしょ。夢子さんが相手だったら。」
「それじゃあこれにておしまい。お疲れ様でした!」
間に託したものが、答え、だと信じたかった。
むっつりとして尚相変わらぬ美貌を隠していた手を攫い、階段を駆け上がる。「沢山動いたらお腹が空いたなあ。」なんて、平々凡々な世間話でもして誤魔化そうにも、第一声がよろこびに裏返っていては誤魔化せるものも誤魔化せない。
繋いだ手に力が込められる。ほどけないように、との事か。そうだったらどんなにか良いのに。
「転ぶ時は一緒だよ、恵くん。」
「何の為に片手が空いてると思ってるんですか。」
「腕を振って勢いを付ける為。」
「わかった。夢子さんはそれで良いです。」
呆れた声は背を追いかけて来ていた筈なのに、恵くんはさっさと加速すると、私の隣に着いて階段を駆けた。片手を空けているのは私をたすける為とでも言うのか。後輩に身を呈して庇わせては、先輩風は吹き止んでしまう。吹き止むより早く階段を駆け抜けてしまいたい、なのに、こうして二人でずっと走っていたいだなんて!
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