jujutsu
name change!
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「だらしない。」と。私の喉から咄嗟に飛び出て来たそれは、正に口ばかり。母親が幼子を叱り付けるような立派な厳めしさを持てずに、声は見事に引っ繰り返って、不整脈の心電図の波形みたいにぐにゃぐにゃと揺れた音を職員寮の廊下に撒き散らす。あられもない方角に飛び去って行った叱咤もどきを追って目の前の光景から視線を逸らせども、このひとはちょっかいを出す達人。自分のもとに他者の意識を引き寄せる事なんてお手のものなのだった。
「耳、真っ赤。処女じゃないんだから。」
耳の先が、ちょい、と摘ままれる。仰有る通りに火照った耳にも熱く感じられる彼の指先は、耳輪を挟んでくだり、耳朶に至ると白玉粉でも捏ねるかのようにふにゃふにゃと揉み始めた。おいたをする手を払い落としてやる。
「伊地知さんから伝言です。未だ提出していない領収書があったら早目に持って来るように、と。」
「僕の目はそんなトコについてないんだけど?」
振り払った手指に旋毛をつつかれる。つん、つん、つん。何時しか靴のつま先の削れ具合を確認していた私の目は、その余りの鬱陶しさから、羞恥に追い立てられて逃げ出したところへと取って返す事を余儀無くされた。白色と肌色の壁へと。少し草臥れているワイシャツから大胆にも覗く、逞しい胸板へと。
「半裸の人間を前にした時の反応としては正しいとの自負がありますけれど。」
「半裸の人間、ね。他人行儀だな。僕のカラダで知らないところなんてない君が。」
四つもの釦が開けられたワイシャツの襟が、「ねぇ?」と言う囁き声を衣擦れにしてはだけられる。
「身体はそうかも知れませんけれども、心までは。外での露出に興味が?」
「まさか。帰って来たばっかりで着替えの途中だったんだよ。そこにタイミング良く君が来たってわけ。」
「そこは、タイミング悪く、でしょう。」
「いやいや。タイミング、バッチリ。」
親指と人さし指で丸を作る悟さん。両の頬も口もともからりと笑っているけれども、双眸、は。露となっている瞳、は、青色。だけれども、その眼差しに色が付けられるならばきっと、どろりと濃い桃色だろう。と。そう気が付いて、群れの中に潜む羊の皮を被った狼を一番に見付けた羊の気分を味わった。
怖じ気を気取られぬ内に、爪牙の及ばない場所に落ち延びなければ。全てを見透かすお釈迦様のようなまなこの前でよくぞそのような傲りを持てたものだとは、後になって思う事だ。
「兎に角、領収書があるならば渡してください。そして、部屋へ。いつまでも寒々しい格好をしていては風邪を貰いますよ。」
「セクシーでしょ。」
「馬鹿な事を言っていないで、前、閉じて――」
戯れ言を跳ね退けようと虚空を薙いだ手が、掴まれ、引かれ、踏鞴を踏み、バタン、と何所か遠くでドアが閉まる音を聞いた。腹を空かせたけものの檻に引き摺り込まれたみたいだった。
「――ッ、」
ただいまのキスにしては随分と荒々しい、噛み付く、と言うべき口付けは骨の髄の髄迄貪るかのように貪欲で。頤に絡んだ骨太の指が、時折、喉を擽る。其所に理性を見出だして、息継ぎの合間合間に彼の名を呼び、制止を掛けるが、その悉くが呑まれてしまう。逃げ腰の一つも見せようにも、身体は悟さんと壁とに挟まれて叶わない。
どれ程、食われ、ねぶられていたのか。
「逃がさない。……いや、逃げられない、かな。その顔は。」
そんなにも腰抜けの蕩けた顔をしているのだろうか、私は。生理的に湧いて来た涙の膜の向こうの、悟さんの方が、余程うっとりと熱っぽくいるけれど。下腹部に押し当てられた彼の身体の中心だって――これだけ熱されて――大きな身体をぐいぐいと擦り付けられて漸く、遅れ馳せながら危機感が警鐘を掻き鳴らした。喉が緊張に干からびて。声が、嗄れる。
「当たって、います。」
「当ててんの。」
けろりと言ってのける悟さんに、普段の何所か超然とした、神秘的な気配は欠片だって存在していない。普通の男のひと、みたいだった。
こんにち迄付き合って来て初めて目にした、本能的な彼の一面に動揺を隠せなかった。息を詰める。それを隙と見たか合図と受け取ったか、ふた度擦り寄って来た唇は如何しようもなく逸っていた。
「シたい。」
耳もとに媚が売られる。懇願の声が、甘く、切なく、鼓膜を撫で上げた。
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人間は生命の危機を感じると生存本能が働いて生殖機能が高まる、って話。だったら僕には無縁だと思うでしょ。これが割りとあるみたいなんだよね、性欲。自分でもビックリ。今までだってそんなに頻繁に処理なんてして来なかったし、それで参る事も無かったし……「学生時代にグラビアアイドルの写真を携帯電話の待受画面に設定していた、って聞いた」? それとこれとは話が別だって。――さて。それじゃあ、何で今は参ってるのか訊いて。はい、良い質問ですね。答えは、君だ。好きな子の前だと、素敵無敵な僕も平均的な二十八歳男子に早変わり。身体を持て余して、本当、参るよ。他の誰にも出来ない芸当だろうね、この僕をただの男にするなんてさ。生命の危機云々のくだり? 腹上死には気を付けたいヨネー。――嫌? さっきから、顔、怖いよ。――大丈夫。無理強いするつもりはないから。そりゃあ、これだけ体格が違うんだ。僕は幾らだって君を好きに出来る。だけど、だからこそ趣味じゃない。何より、嫌がる夢子の意思をあの手この手で陥落させて行くのが最っ高に楽しいんだよね。手間の掛かる前戯には違いないけど、その分、大事にしている実感が湧く。「自分に酔っているだけじゃあないのか」、って? 手厳しー。
肩口にうずめられた白い頭が小刻みに震えている。哀れを誘っている訳ではないとは、果敢にも乳房に伸びて来た手が自白した事だ。ぺちん。直ぐさまはたき落とすと、悟さんは唇をつんと尖らせて拗ねているポーズを取って、手慰みならぬ口慰みに私の鎖骨を柔らかく食みはじめた。
「伊地知さんに、領収書、渡しに行かないと。」
「もう全部出したよ。っつーか、ベッドの上で他の野郎の名前を呼ぶって。萎えるわー。」
「七海さん、猪野くん、日下部さん、夜蛾先生――」
任務から帰って来たばかりだと言う話は如何やら本当らしい。一人掛けのソファの背凭れに雑に引っ掛かっている、マウンテンパーカーの居心地悪そうな皺苦茶具合と言ったら。
知人男性の名前をけだもの退散の経代わりに唱えていると、目に優しい色温度の低い照明のもと、目に優しくない燦と耀く毛先が揺れた。小首が傾げられたのだ。
「今日はやけに渋るな。生理、まだ来てないのに。」
「何で当然のように周期を把握しているんですか。流石に気持ちが悪いですよ。」
「気持ちが悪いて。彼氏の甲斐性の範囲内でしょ。」
私だって交際経験豊富な方ではないが、その言い分は世間ずれしていると断じてしまえる。若しくは、呪術界と言うオカルトな世界で生きて来たひとだから、穢れと言ったものに敏感なのやも知れない。いや、それにしても。
押し倒されたキングサイズのベッドの上、彼の半生にぼんやりと思いを馳せたりしていると。先程胸の山なりから放逐した手が、今度は肋の数でも数えるかのようにじりじりと脇腹を探る。擽ったさに身を捩ろうにも伸し掛かる大きな身体は退けられず、肩と脇の骨ぼねは無抵抗にも感度を高められてゆく。だと言うのに、衣服を乱す様子は未だ、ない。述懐した通りに、悟さんは私がその気になる迄待つ心積もりなのだろう。いずれは落ちると、いずれは落とすとの絶対の自信が見て取れるが――如何様にも扱える小娘を相手に許可を求めて丸まる背中は、躾の行き届いた大型犬を思わせてならなかった。忠実忠実しい健気さに報いてあげたい。応じてやりたい、のだが。
「私、明日、早くから任務が入っているんですけれど。」
「何時?」
「七時発。」
「車内で仮眠を取ればいける、いける。」
「寝かせる気、ありませんね。」
「ないよ。朝まで抱く。悪いけど、今夜は優しい男でいられない。」
悟さんが頭を擡げて私の顔を覗き込む。世界のはじまりや終わりに在っても透徹しているであろう唯一つの青の瞳は、燃え立つ肉欲によって焦がされる苦しみに喘いでいるかのように、きらきらと、ぎらぎらと潤んでいる。太股に押し付けた昂りよりもずっと、ずっと直接的に興奮を訴えて来る。
「――シよ。」
重ねられた唇から、情火が、移される。
離れ際にちろりと私の唇を撫でて行った悟さんの舌が、獰猛なけだものの笑みの浮かぶ自らの唇を這う。ちょっとだけ、こわい。こわくて、胸が高鳴る。見知らぬ際疾い彼の嗅ぎ慣れぬ際疾い色香が焚かれた夜気を吸い込む毎、眩暈がする。
だから頭が揺るいだのも、首肯のかたちに揺るいだのも仕方の無い事だ。
なまめかしさに逆上せた頭に口付け一つ、ふわりと降って来た。それから額に、こめかみに、頬にと接吻が降り頻る。今宵の優しいやさしい悟さんは、きっとこれで見納めだった。
「だーいじょうぶ。夢子が落ちた時には、ちゃんと起こしてあげるから。」
待ち遠しくしていた手が肋骨の階段を上り、包むようにそうっと胸に触れた。神経が一つずつ可愛がられるこそばゆさに身動ぎをすると、ご機嫌で、欲情した、余裕の無い吐息に更に耳を擽られる。
その儘、悟さんに、明日の自分に身心と責任の全てを委ねられれば良かったのに。思わず顔を背けた先に在る、ナイトテーブル。その上で私達に睨みを利かせるデジタルの置時計が、良い子も悪い子ももう寝る時間だと数字を掲げている。遅刻厳禁、とでかでかと書かれた看板に真横に立っていられるようで、気が散るったらない。
「悟さん、矢っ張り、ちょっと待って、」
「待たない。もう待っただろ。」
真実、遊びを忘れている声音であった。何時だって長閑な青空に浮かぶ綿雲みたいに悠々としていた彼は、大風に吹き流されてしまったのか。散り散りとなった余裕を寄せ集めても、余裕ぶるにとどまるだけだ。私の衣服に取り付く釦を外す事すらももどかしそうな指先の仕草に、置時計の向きを変えたい、だなんて言えそうもなかったが。上衣を脱がし終えたところで私の視線と意識を二分して奪う輩に気が付くと、悟さんはほとほと呆れたと口をへの字にひん曲げた。
「余裕あるな。」
「なくしたいんですよ。だから、」
少しだけ待って、と。続けられるべき嘆願が彼の胸に仕舞われる。
ぎゅうぎゅうに抱き締められた、と表したならば可愛げも感じられるだろう。だがこれは言うなれば、甘やかな縊殺、だ。長い両の腕は縄じみて身体に巻き付き、厚みのある胸板に頭が押し付けられて、窒息寸前。脚をばたつかせて足掻き、手を振り回してもがこうにも、あらゆる抵抗は巨躯に押し潰されて苦鳴だって上げられない。かないやしない。悟さんの思い切りは生命をおびやかす。これも「手間の掛かる前戯」なのだろうか。部屋に連れ込まれた時に語られた言葉が走馬灯のようにめぐる。生死の境を見極められぬ節穴がこのひとに空いている筈もないが、酸欠で思考が翳りゆくといよいよとの覚悟も決まろうもの。――今、死んだら。私は呪霊と変生して、悟さんの手に掛かるのか。それは、よくないな/よいな。相反する答えが明滅する。
「ッ、は、あ、」
不意に、無明であった視界に光が戻った。解放、された。
腹を空かせた大きなおおきなけだものは白いシーツの野に四肢を突いて、己が捕らえた息も絶え絶えとなった獲物を得意気に見下ろしている。
ぐったりと投げ出した手足には力が入らず、後は食われるを待つのみでは、自由を得た実感は薄い。体内の酸素濃度も薄い。肺に酸素を届けるべく半開きになってぜいぜいとしていた口は、嘸や無防備で好きに勝手に出来そうだと思われたに違いない。呼吸は又もや止められた。肉厚な舌が、ぬるり。唇を割って侵入し、歯列を撫で、上顎を擽り、舌に絡んで扱き立てる。鼻から取り込んだ先から空気を残らず略奪してゆく。これも「手間の掛かる前戯」? こんなにも命懸けの前戯があるか!
ワイシャツの白生地の張られた背中を叩いて、叩いて、繰り返し叩いて、限界を伝えていた必死な手が落ちかける頃。名残惜しげに細い糸を繋ぎながら、悟さんの舌は引いて行った。
「人間は生命の危機を感じると生存本能が働いて生殖機能が高まる、って話。ここまでしてもまだ時計にご執心だったら、どうしてやろうかと思ったよ。それこそ、ケダモノみたいな真似をするところだった。」
二人の間でふつりと切れた唾液の糸。その端を親指で取り去ると、悟さんは小奇麗にした唇に天真爛漫な笑みをのせて、未だ何方の体液で濡れているかも知れない私のそれに合わせる。軽やかに啄むような唇のまじわりは、今度こそ人間の為す前戯らしい。
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