jujutsu
name change!
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で、ディダラボッチ。
三メートル先に迫った角からぬうっと現れたその男の人は、黒い巨人、だった。夜道を歩いていたら、リフレクターの一つでも付けておけ、と吐き付けたくなる上下共に真っ黒な衣服に押し込められた、バスケットボールで引く手数多の大活躍をしそうな長身。白は膨張色とされるが、謎の眼帯に持ち上げられたまばゆい白髪も例に漏れず、彼の身長を二メートルにも五メートルにも見せた。――それは若しかすると、オーラ、と言うものの所為もあるやも知れないけれど。
黒い巨人がのっしのっしと道に出て、ゆったりと右を左をと見回す。無礼は承知でまじまじと観察してしまったが、矢張り、ディダラボッチに似ている。週末に放送される映画番組で某アニメーション映画を観たばかりの脳味噌は、目の前の男の人から、夜の森を彷徨い己の首を探し求める巨人の姿を想起して仕方が無い。
数日前から重く伸し掛かっている頭の痛みも一緒に振り払えてしまえれば良いのだが。小さくかぶりを振って思考を振り落として、手に提げたケーキの納まった紙袋を極力揺らさぬように心掛けつつ、気を取り直して歩き出す。
「そこの君。ちょっとたんま。」
一歩目を踏み出しかけた足が、その場に縫い止められる。私が制止の声の掛けられた方向に意識を向けるよりも、発した張本人である男の人が距離を詰めて来る方が断然早かった。否。これでは、詰めて来る、よりも、詰め寄る、だ。影に呑み込まれる、と錯覚して気圧される程の近距離で、私の首の角度は今や九十度きっかり。天上を振り仰いでいた。
なん、ですか。問えたかも聞こえたかもわからないけれども、男の人は眼帯の下で目を細めて確りと狙いを定めたように思えた。すい、と。立てられた人さし指が私の手もとを指す。
「それ、この辺りに在るって言うケーキ屋の紙袋だよね。SNSで超バズってるところの。」
取っ付き難い外見からは想像もつかないうきうきとしたご陽気な声と音とが飛び出して来たので、身構えていただけに肩透かしを食らった気分であった。にっこりと奇麗な弧を描く唇を遠くに見ていると、なけなしの警戒心も脱力してゆくようだ。
「そう、です、けれど。貴男もここのケーキが目当てなんですか。」
「ご名答。看板は出していないって話だけど、道、こっちで合ってる?」
「ええ、はい。向こうに少し行くと三叉路に出るので――」
来た道を振り返って指さしながら説明する。男の人は顎に指を掛けてふむふむと真剣に耳を傾けていたのだが、その間じゅう、背丈を持て余しているかのように背筋を曲げて肩幅に脚を開いてとまるで水を飲む時のキリンみたいな格好をしていた。ので。顔が。随分と近いところに。在る。
「ん? ああ、見ての通り、僕は身長も度量も大きい男でね。これだけ身長差があると声が聞こえづらいんだ。気にしないで、続けて続けて。」
そうは申されても。
好奇心には勝てずにちらちらと横目で見てみると、怪しさで織られている眼帯を巻き付けているにも関わらず、おそろしいくらいに目鼻立ちの良さが際立っている。世を動かす高名な画人が一筆走らせたかのように、すっと通っている鼻筋の美しさたるや。これ迄に出会った中でも飛びきりの、ふた目と会えない美形だ。其所い等に存在して良い人物ではない。きっと、芸能人が何某かの撮影の休憩時間に抜け出して来たのだろう。
合点が行くと同時に道案内は終えられたのだが、類い稀なる美を前に、視線が如何にも離れ難い。頭痛も増している。頭が、ぼんやりとする。
「――その儘。その儘、僕の事だけ見ていて。」
背筋を震わす甘やかで低い声を含んだ吐息が、そうっと耳朶に触れた。――瞬間。男の人の手が頭上を掠めた。旋毛がざわめく。突然の事に身を竦めて戦慄きの治まるのを待っている、と。「あれ……?」。有刺鉄線で締め上げられているかのように酷かった頭の痛みがすっかり引いていた。思わず頭部に手を遣って、くるくると頭蓋骨の形を確かめる。
「何でいきなり……?」
「さあ、何ででしょう。何にせよ、これで今夜からはゆっくり眠れるようになるよ。それじゃあ、道案内ありがとね。今日は早いところ帰って、美味しいケーキを食べてよく寝なさい。」
ぽん、と。やわらかな力で私の肩を一つ叩いて、男の人が擦れ違う。一歩、二歩。身長に見合う歩幅の大きさは、十歩と少しもゆくと声を張らなければ気持ちも届かない距離を生んでいた。慌てて真っ黒な後ろ姿へと叫ぶ。「あの、ありがとうございました!?」。何が何だか一つも訳がわかっていない疑問だらけの頭からカッ飛ばしたのだから、自然と語尾も跳ね上がろうもの。それでも男の人は片手を上げた。何でもない事だと、ひらひらと振られた手が頭痛を治めたのだと言っていた。
その内、男の人の手はマウンテンパーカーのポケットに突っ込まれ、巨躯も遠ざかって小さくなりゆき、人影は三叉路の一本に入って見えなくなった。
「ほんもののディダラボッチだ。」
大きくて、黒くて、よくわからなくて、強い。
超越的な存在に出会した衝撃は凄まじいもので、暫く茫然とその場に立ち尽くしていた私であったが、ケーキ箱に備えられた保冷剤の保冷時間を思い出すと否が応でも動かざるを得なくなった。
首ではなくケーキを求めるディダラボッチは無事にお目当てを手に入れられただろうか。ショウ・ケースに陳列されていた品数は、私が購入した時点であってももう残り少なかった筈だ。ならばこの手の中のケーキを差し出さなければならないか。鎮まり給え、と。
そんな事を考えて、私の足はのろのろと、彼の人が追いかけて来る事があった時の為に敢えてのろのろと前に進む。
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