jujutsu
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(表紙とタイトルをツイッターのフォロワー様より頂きました。有り難う御座います。)
夏の夕べは長く、ぼやぼやしていると取り返しの付かない時間になる。だと言うのに、コーラがぬるまっこくなったら五条くんから文句を貰うと言うのに、傑のつま先は言う事を聞いてくれやしない。コンビニエンスストアへのお使いの帰り道は、少しだけ遠回りの道を連れて行かれるのであった。
「帰ったら硝子と二人で部屋にこもるんだろう。今くらいは私に一人占めされてくれ。」
「傑だって、これから五条くんと夜通しでゲームをするでしょう。さびしくはないんじゃあありませんか。」
「嫉妬してる? 悟に?」
「ご機嫌に笑っているけれども、人の事を笑える立場なの。」
「まったく。君を一晩じゅう独占出来る硝子を心底羨ましく思ってるよ。」
「えっち。」
「何でそうなるんだ。」
「言い方が何だかやらしかったから。」
指先だけを絡めた風通しの良い恋人繋ぎの手もとを小さく引く。
夕立の通り過ぎた後の世界は、瑞々しい地獄だ。盛大な打ち水は道々を湿度の高いサウナ室へと作り変えてしまった。じっとりと重たく纏わり付く暑苦しい空気を、私達は掻き分けてゆく。一歩を踏み締める毎に玉の汗が浮くものだから不快で不快で仕方がないけれども、繋いだ手を離す気にはなれなかった。傑も同じ気持ちでいるのか、汗ばんで滑る彼の指先には、ほどけないように、先よりも力が込められている。
その必死さににやける唇を、表面が柔らかくなりつつあるソフトクリームの天辺にくっ付ける。本当のところはお高いカップのアイスクリームが食べたかったのだが、歩きながらでは食べづらいし、何よりも、両手が塞がってしまっては傑と手を繋げないから断念したのだ。口の中を一瞬だけ冷たくして、甘さを置き土産に消えるソフトクリームの欠片。この世の救いとも言える涼に、ほう、と人心地つく。
「買い出しに来た者の役得だね。」
ここぞとばかりにアイスクリームの買い食いを提案した張本人様も、バニラ味のラクトアイスのバーをひと口齧った。
ざあざあと大音を立てて降り頻る驟雨が上がると同時に、放課後に同級生四人で遊んでいたカードゲームは幕引きを迎えた。どべは罰ゲームとして筵山麓のコンビニエンスストアにお使いに行く、と言う設定を忘れたくなるのは科された本人ばかりだ。雨でぬかるんだ悪路を想像すると、あそこであの手札を切っておくべきであった、と采配に後悔が募ってゆく。泥で汚れるさだめとなった可哀想なローファーを見下ろしている間にも、私のもとには次々とお求めの品が寄せられる。コーラ、ポテチ、ポッキー、最近ハマっているチョコエッグ。それと煙草、と。五条くんのご注文に割って入ったのは硝子だった。「私服ならいけるっしょ、夏油だったら。」と続けられたパス回しのなんと上手なこと。気の重さで垂れていた頭を跳ね上げる。飄々とした彼女らしく持ち上げられた口角が、世話が焼ける、と言いながら私を甘やかしてくれていた。「あのコンビニでは通用しないだろ。制服で何度も行っているんだから。」。散らばったカードを纏め終えて、傑が席を立つ。「荷物持ちで行って来るよ。私も下から二番目だし。」「御託はいい。オマエ達がいると室温が上がるから、早く冷たいの買って来て。」。顔を態とらしく歪めて辟易する五条くんに追い払われる形で、私達は教室を出て、雨上がりの夕空のもとで束の間の逢い引きをしていた。
荷物持ちを買って出てくれた通りに、手を繋いでいない方の傑の腕には飲料や菓子の詰め込まれたレジ袋が提げられている。その先に摘ままれたアイスバーから、木製スティックの頭がちょこんと覗いているのが見えた。当たり付きだと話に聞いた事がある。好奇心のむずむずと刺激されるのに任せて、勢い込んで尋ねる。
「当たった?」
「この手のものは当たった試しがないからな。」
「今回は当たるかも知れないよ。勝利の女神になったげる。」
「それは頼もしいな。当たったら女神様に奉納しよう。」
「じゃあ、お礼にちゅーしてあげようかな。きっとご利益あるよ。」
「本当に? 楽しみにしてる。」
涼しげに受け答えをした口もとが、アイスバーの先を含む。もうひと口で当たりか外れか知れる。わくわくした無邪気な気持ちで見守っていたが、蒸し暑さに緩くなったアイスバーの下方に白色の甘露が溜まってゆくのを見付けると、そうもいかなかった。「あ。垂れる。」。注視の先で、傑がしたたりに吸い付く。その仕草は年相応に何所かあどけなくて、何でも卒なくこなしてしまう大人びた彼を隙だらけの子どもたらしめた。可愛いなんて言ったら、心外だなんて嫌がるだろうか。試しに言ってみようか、如何しようか。甘やかでささやかな悪戯心と何時迄も戯れていたかった私に、「垂れるよ。」と忠告が寄越される。見ると、ソフトクリームは春先の雪山の肌みたいにどろどろのずるずるに溶け出していた。コーンカップのふちから雪崩れようとするバニラの雪解け水を、慌てて舌先で受け止める。ソフトクリームと言うよりも最早クリームと化しつつある。氷菓としての意義を失わない内に急いで飲み込んでゆく。
この焦熱の気温の中で味わう濃厚なミルクの風味は、酷い喉の渇きを覚えさせた。糅てて加えて、齧る毎にコーンカップが口の中から水分を奪ってゆくのだから堪らない。ちら、と傑の腕で揺れるレジ袋を盗み見る。高専内に在る自動販売機で買い直したら良い、その方がキンキンに冷えていて喉越しも良いだろう。五条様ご所望のコーラに手を出そうとした私の口は、しかし、思わぬ形に開く事となった。
「あ。」
「え。」
干からびた喉が辛うじて一音を発する。応じさせた傑の唇を見ると、ぽかん、と無防備に開いている。何事かと視線を上げて、表情を窺う。心臓がぎゅうと締め付けられた。くしゃり、と。熱に赤らんだ顔が、嬉しそうに、嬉しそうに笑っている。
「当たった。本当に勝利の女神様だ。」
ラクトアイスの背骨であった木製スティックが目の前に差し出される。バニラの肉身が全て取り払われた其所には、『一本当たり』との焼き印が宝の地図の宝の在処みたいに印されていた。「初めて見た。」「私も。」「すごい。」「ああ、すごい。」と拙い言葉で笑い合って、不図、目が合わさる。そうして私達は交わした口約束を思い出した。
「帰って洗ってから渡そうか。」
「私は先払いしたい。」
「ここ、外だよ。」
「はしたない彼女でごめんなさいね。」
「求められて嫌な気はしないけど――それなら人目につかないところに行こうか。」
「えっち。」
自覚があったのか、今度はむっつりと黙ってしまった傑を横目に、小人の帽子程となったコーンカップにさくさくと齧り付く。最後のひと欠片を口へと放り込み、空いた指で口もとを颯と払う。
熱く湿り気を帯びる彼の指先を確りと捕らえて、もう一度、小さく引いてみた。それを合図にしたものか、脇の小路へと連れられる。ブロック塀に囲まれた其所はひと足早く夜が訪れたかのように薄暗く、日陰とあってひんやりしていて、日の照り付ける地獄の表通りとは大違いの極楽であった。
来た道からは中々姿が視認しづらくなる中程迄行くと手がほどかれ、前から来る人影もない事を確かめると、傑は振り返った。「それじゃあ、気の済むようにどうぞ。女神様。」なんて揶揄しながら。
逞しい肩へと手を添える。何も要求せずともそれだけで直ぐに背は丸められて、目線が近付いた。夏の夕景の色を写し取った、きれいなきれいなこんじきの瞳だ。それが私を映して、慈しみ深く細められる。傑と口付けを交わす瞬間に望めるこの景色が、何よりもいとおしかった。泣き出したくなるくらいに。足りない距離の分だけ踵を浮かせると、よろけてしまわないかと気遣った手に腰を支えられた。嗚呼、こう言う事をさらりとしてしまうところ、好きだなあ。胸が痛くなるいとおしさを押し付けるようにして、唇を重ねた。世界に充満していた水のにおいが、バニラの香りただ一つのみに染め上げられる。
つ、と。彼へと寄せた顔を離す。離そうとしたところを引きとめるようにして、そうっと片方の頬が包まれた。反対の頬が小さく啄まれる。
「今なら何でも出来そう。」
それが苦鳴に感ぜられたのは、私の思い違いなのだろうか。
耳もとに吹き込んだ傑が薄闇の中で照れ臭そうに微笑む。だから私もはにかんだ。きっと、陰気に翳るこの場所が錯誤させただけだろうと、呑気にも目一杯幸福に笑って返したのだ。
世界じゅうで二人だけが取り残されたかのように、音と言うものがなかった。血気盛んな筈の蝉も俄か雨の銃弾に撃たれて息絶えたのか、正に水を打ったよう。それでも構わなかった。
「傑。もう少し、遠回りしよう。」
迂回路として小路を進む。浮かされた心を引っ提げて、ふわふわと進む。一歩、二歩、三歩、四歩。強い力で手首を捕まれた。つんのめった視界に、大きな大きな、黒々として底の見えない水溜まり。あわや足もとがびしょ濡れになるところであった。
泥にまみれたローファーの更なる泣き言を聞かずに済んだお礼に、有り難う、と。言葉に出来なかった。首もめぐらせられない。それどころか身体がひと節たりとも動かない。次第に目蓋が重たくなりゆき、意識を保っているのも困難になる中で。
「駄目だ。戻るんだ。」
傑が、告げる。ようく知っているのにまるで知らない、成人男性の声帯から出でる成熟した深みのある声で。ならばこれは幻だ。だって私は、十代の貴男しか知らないのだから。静寂が耳鳴りに取って代わる。黄昏は暗闇に落ちた。傑はもう、いない。
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全ては気化した血液が見せる走馬灯であった。
だらりと脇に垂れていた腕で、腹に空いた大穴を押さえ直す。生命の流出はやまず、コンクリート打ちっ放しの床に赤色の水溜まりが広がって行く。携帯端末も操作出来ないくらいに消耗してしまっているが、“帳”が上がっても何時迄も音沙汰が無いとあれば補助監督の方が異常に気が付いてくれるだろう。呪霊と相討ちだなんて勝利の女神形無しだ。生命は繋いだので何とか面目は保っているか。――否。生命を繋いだのは、彼、だ。連れて行っても置いて行ってもくれないひどいひと。付いて行く事も出来なかった私に恨み言を言う資格はないけれど。アイスバーの木製スティックは、机の引き出しの奥深くに仕舞い込んだ儘。そろそろ交換のし時なのかも知れない。でも、私がこの儘くたばってしまったら卒塔婆にして欲しい、なんて思ってもしまうのだ。
死んだところで青く甘い夢からは覚めそうにない。
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