jujutsu
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五条の手の平の真ん中に飴玉を一つ置いて、ささやかな謝礼を前払いしたその女は忙しなく踵を返した。次に向かう先は決まっているのであろう。迷いの無い小走りの足音が廊下の角を折れてからも軽快に響き渡り、軈て遠ざかる。
カサリ。五条と共に廊下に佇んでいた伏黒の耳が、包装の破かれる小さな音を拾った。去りし女の影から傍らへと視線を移す。伏黒と同じようにして彼女を見送っていた五条が、早速飴玉を頬張っていた。一つ、二つと舌の上で遊ばせるなり、「ウマッ。」。感想は望外の美味に色めき、甘ったるい吐息を纏って二人の間に転がり落ちた。
「そんなに好きなんですか。その飴。」
「フツー。」
「いや、だって。」
伏黒は言葉を濁した。耳から得た反応は至って平然としたものだった。しかし、目から得た反応はそうではない。視神経から視覚野の間に唐突に何等かの問題が生じて、見えていないものが見えているのか。疑わしく思った伏黒が、窓硝子に映る五条の横顔を確かめる。何度確認しても視覚は正常。上機嫌に空袋を眺める眼帯越しの眼差しは、愛でる、と言う表現が不思議と似つかわしく。頬の有りさまは、含んだ飴玉の甘さが内側から滲み出ているかのようであり。言葉よりも遥かに強い力でものを語っているそれ等が示すのが「フツー」であるとは、伏黒には中々に思い難かった。
一体、如何様な飴玉なのだろう。興味を掻き立てられるが儘に、伏黒が五条の骨張った指に摘ままれている小袋を見遣る。
「どこにでも売ってる飴だよ。でも、これは特別。」
探りを入れる伏黒の視線に気が付くと、五条は可笑しそうにして、指先の袋を旗を振るようにしてはためかした。言い分通りに、それはスーパーマーケットにもコンビニエンスストアにも陳列されているのをよく見掛ける、長く広く親しまれている飴の包みであった。
どこにでも売っているのに、特別。飴玉の代わりに口の中で転がす。はっきりしない味が舌に残って、伏黒の眉間を僅かばかり狭めさせた。飴玉の袋が、摘まんでいた手と共にマウンテンパーカーのポケットに仕舞い込まれる。
「さて、ちゃっちゃと片付けるかな。恵も来る?」
「俺は戻ります。これから虎杖と釘崎と出掛ける用事があるので。」
「そ。仲良きことは美しきかな、ってね。若人らしく、そりゃあもう羽目を外して遊んで来なさい。」
「いってらっしゃい。」と軽やかに片手を振ると、五条は女の足跡を踏むようにして緩やかに歩き出した。肩を回して身体を簡単にほぐすその姿は、女からの頼まれ事に前向きに取り組む姿勢に他ならなかった。カラコロと舌先で飴玉を弄びながら、二歩、三歩。廊下をゆく五条の背中は、億劫そうな態度で丸まってはいない。
「五条先生って、夢子さんにかなり甘いですよね。」
例えば伊地知が同じ内容を五条に頼み込んだら、結果的には遂行するだろうが、此所ぞとばかりに罰ゲームじみた何等かの手痛い悪戯を繰り出すだろう。女の唇から伝えられたからこそ、面倒事にも関わらずに快い二つ返事が聞けたのだとは、伏黒のみならず、五条と接点の有る者であれば誰もが知るところだ。
眼帯によって持ち上げられた白髪の毛先が揺れ、のっそりとした動作で長躯が振り返る。少しだけ首を傾けた五条の仕草を、伏黒は何所か態とらしいと感じた。
「対価を支払われたからには、それなりに要求を飲まないとね。これだって一種の縛りだよ。」
「建前ですか。飴がなくても、どうせ引き受けたでしょう。」
「勿論。恵も知っての通り、僕は夢子にかーなーり甘いからね。」
五条が静かに、静かに笑みを深めてゆく。胸の奥に満ち満ちる甘やかな感情のうしおを押し込めようとして、それでも滾々と湧き出すものだから溢れて来てしまった。そう言った類いの抗い難い微笑みである。
「まあ、向こうは僕を懐柔出来てるのは菓子のお陰だって思い込んでるみたいだけど。こちとら成人男子だっつーの。あのおめでたさ、今年中にギネスに載るね。いやー、ホント――」
端から端迄穏やかさを刷いた唇から、飴玉に添加された香料にとっぷりとひたった声が淀み無く流れる。
「夢子のお願い、片っ端から何でも叶えたくなる。好きな子からのお願いって、笑えて来るくらいに可愛いものだからさ。」
「またそう言うたちの悪い冗談を――」
よくもまあ悪びれもせずに言ってのけられるものだ。高いところに在る五条のかんばせを、伏黒は呆れ混じりに今一度見据えて――ぎょっとした。
青い春の真っ只中にいる者がする、爛漫の笑顔が其所には咲き誇っていた。只でさえ年齢を感じられない白皙の顔が、純真に生き生きとして、とても若々しく見える。それこそ、伏黒が初めて出会った当時の齡よりもずうっと。
旧知の間柄である後見人の初めて見る一面に、まるで考えが追い付かない。十秒が経っても伏黒はまばたきをするのがやっとであったが、もう十秒が経ってから漸く、まばたき以外の身体の動かし方を思い出した。長らく油を差さずにいたブリキ宛らとなった、強張った声帯をぎこちなく震わす。
「――え。マジですか。」
「チョーマジ。大マジ。」
五条は外連無く無邪気に笑った儘、欠片となった飴玉を奥歯で噛み砕く。言うだけ言って、くるり、と伏黒に背を向ける。恋しい女の願いをいち早く聞き届けるべく、五条は颯爽と現場に足を運ぶのであった。
「マジか。」。ふた度、驚愕を吐き出す。廊下に一人取り残された伏黒の頭は未だ情報の整理が行き届かず、ごった返す思考の中では現実逃避じみた雑感が幅を利かせていた。曰く、チョーって古くないか、と。
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