jujutsu
name change!
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華奢な肩の向こうに在る席にピントを合わせていたのだが、如何やら、情熱的な眼差しで愛でられていると錯誤したらしい。女の頬のとろける様相は、今し方、七海が目を引かれた先――幾つもの甲高い歓声の上がったテーブルの上の、華やかに飾り付けられたパフェの天辺に載っかっているストロベリーアイスの端っこのようであった。
「一度来てみたかったんですよねえ、このパフェのお店。」
「五条さんを誘えば喜んだでしょうね。」
「私といる時に他の男の名前を出さないでください!」
テーブルに手を突いて、女はずいと身を乗り出した。卓上のスタンドに立て掛けられていた二つ折りのメニューを開いて、拗ねて尖る唇の吶喊を阻む盾とする。眉の一つも動かさずに平然としている七海に、「つれないんですからあ!」。女は憤慨すらも楽しそうにしてみせた。
その腰が椅子に落ち着いたのをサングラスの奥で確認してから、七海は端から順繰りにメニューを見返した。つい先程、店員に注文したのは苺とクリームチーズのパフェだが、苺とチョコレートのパフェも捨て難かった。選び取る事のなかった味覚を惜しみながら、彼女は何を頼んだのだったかと次のページに移る。半ばも行かない内に、甘味に甘味を掛け合わせて甘味を足したパフェの名前が目についた。五条も頼みそうな一品だと、七海は思った。
「――夢野さんは以前に、五条さんの顔は好きだ、と言っていましたね。」
「随分前の世間話を覚えていてくれただなんて! 感激です! 好きです!」
「あの人だったらこう言った場所にも慣れているし、アナタと食の好みも合う。五条さんと来た方が楽しめたのでは?」
「一世一代の大告白はスルーですかあ。」
残念がっているのは態とらしく落とされた両の肩の様子のみで、それが却って些とも堪えていないと、些とも堪える気はないと頑なに告げていた。女の双眸が七海の瞳の真ん中を確と射る。
「私は七海さんが好きなんです。これ以上の釈明をさせるのは、幾ら七海さんでも野暮と言うものですよ。」
親犬を一心に慕う子犬のようににこにことした首が、深々と首肯する。女から直向きに寄せられる思慕を知り得ていながら、何とも意地の悪い事を言ったものだ。まるで子どものする試し行動ではないか。密かな内省を、七海はグラスの中の冷水と共に腑へと飲み下した。
「それに、五条さんは不必要に衆目を集めるヘキがあるじゃあないですか。そこが厄介なので、こう言う、若い女性の多いお店に五条さんと一緒に来るのは嫌です。」
「私といる時にあの人の名前を出さないでください。」
噂をすれば影が差すと言う。神出鬼没なかの先輩の名を何度も唱えていては、何れ本当にひょっこりと姿を現しかねない。巷で人気の店に二人でパフェを食べに来た場面などを目撃されては、一体、何と言って揶揄されるものか。ひしひしと頭が痛み出すようで、七海は更に冷や水を呷った。
グラスの半分を干すと、不図、メニューの壁の向こうの女と視線が搗ち合った。普段よりもずうっと真ん丸くなったまなこに、顎を落としてぽっかりと空いた口。酷く驚いた形相であった。――滑ったな。彼女の台詞をなぞったそれは、場を和ませるには足りなかったようである。話題を変えようとして、七海が重たい口を開――こうとした矢先、刺突の鋭さを以て何かが突き付けられた。目にもとまらぬ素早い動作で取り出された携帯端末であった。
「今の台詞、もう一回! ボイレコの準備をしたのでもう一回お願いいたします!」
「お断りします。それと、店内で騒がない。他のお客様の迷惑になります。」
為付けない事を言ったのだと自覚させられると、七海の語気は自然と強くなった。然しもの興奮しきりの女も、強固な意思を感じ取ったと見える。立ち上がって前のめりとなった身体を着席させて、大人しく不貞腐れるにとどめた。
七海の視線が、女のつんとした唇からメニューに取って返す。軽やかに踊る筆記体をすべらかに追ってゆく。
「ハニーハニーストロベリーミルクプリンパフェ、でしたか。アナタが頼んだのは。」
「シェアしますか。しましょう。しなくては。」
「結構です。食べさせ合うつもりはありません。」
「そう恥じらわずに。いずれ『新婚さんいらっしゃい!』に出て師匠を転けさせる仲ではありませんか。愛の力でハワイ旅行を獲得する二人ではありませんか。」
「ハワイか。」
「良いですよねえ、夢がありますよねえ、ハワイ旅行。呪術師稼業は長期休暇が取り難いですから、浪漫で終わってしまうのがかなしいところですけれど。」
「この仕事に就いている限りは、日帰り旅行が精々ですからね。」
「そうなると実用的なたわしの方に有り難みを感じてしまいかねないのが、何とも。――因みに、七海さんからのプレゼントであれば、非実用的なものであっても大歓迎ですからね。お勧めは婚約指輪や結婚指輪です!」
「渡す予定が今後一切ありません。」
「予定は! 未定! でしょう!」
あわよくばが透けて見える挑戦的な姿勢を崩さない女に長々とした吐息を漏らして、七海はメニューを閉じた。
卓上スタンドに戻しながら感嘆と共に仰いだ天井は、白地に赤い水玉模様が鏤められている。店内の内装を検分する。淡いピンク色と白色で織り成されたストライプの壁紙は、この店の一押し商品である苺と生クリームのパフェを表しているのだと、先程、彼女が教えてくれた。
今度は斜め向かいの四人掛けの席から、若々しさ溢れるきゃいきゃいとした声が沸き上がった。赤い椅子に、白のテーブル。紅白を基調としている店内は縁起が良いとも受け取れるが、四方八方を見回すと、これは可愛らしいカラーリングなのだと途端に認識を改めさせられる。こぢんまりとした店に集った殆どが、若年の女性である為だ。そして丹念に化粧の施された数々の目は、時折、七海へと吸い寄せられた。男女のカップルで訪れている客も少ない中では、男性も、日本人離れした風貌も、スーツの格好も実に目立っていたが――七海自身が意に介さずにいられたのは、常の通りに振る舞う女に常の通りに意識を割いていたお陰か。
その女は一転して、むっつりと黙り込んでは、真剣な表情で携帯端末を睨んでいる。七海の目にはこの場に於ける己の風体以上にもの珍しく映った。
「急用ですか。」
「急ではありませんが――いえ、急務ですし、大切な用事です。」
飛び込みの任務でも入ったか。そう合点して、七海は手を挙げようとした。店員を呼びとめて、二人分の注文を取り消し、一刻も早く店を出る段取りを組もうとした。
女が携帯端末の背面に付いているカメラレンズを少しずつ少しずつ上向けてゆき、次第に七海の顔に狙いを定める。
「七海さんのオフショットを撮る事以上に大切な用事は、この地上には滅多にありませんからね。」
豈図らんや、盗撮の真っ最中であった。
挙がりかかった七海の手が女へと、その手の中の携帯端末へと伸びる。女の喉から悲鳴が上がる前に引っ掴んで、直ぐ様に画面上の停止ボタン――録画であった――を押す。それから女に携帯端末を引き渡した。
「夢野さん。肖像権の侵害で訴えられる前に消してください。」
重く低く冷え冷えとした声には閻魔王が罪人を詰問しているかのような厳格さがあり、憤怒があった。グラスの中の氷がおそれおののき、からからん、と震えて泣き崩れる。それでも女の据わった肝は小揺るぎもせず、成果を手放す事をただただ渋っていた。
「アナタは日頃のお礼に盗撮をするんですか。」
「だって、折角のデートなんですよ! 箍を外さなければ失礼と言うものです!」
「デートではないので填め直してください。早急に。」
日頃の御礼に美味しいものをご馳走する、と。この店に七海を連れて来る際に、女はそのような体裁を使ったのであった。確かに面倒を見た覚えは幾つもあれども、そのどれもが自らの仕事の範疇であり、取り立てて礼をされるような事ではない。七海はそう言って断った。だが、女も負けじと食らい付き、食い下がった。「それではデートをしましょう! それならば良いですね!?」。良くはない。良くはないが、何せ相手は「押して駄目ならば更に押すべし」と強引に迫ろうとして来た前例がある女である。何と言ったところで、頑として退かないであろう。七海は抵抗を諦めて、女の熱意に押し負けた。
七海が「それでは、任務終わりに。」と伝えると、女は「甘いものが食べたいと言っていましたよね。では、このパフェ専門店に行きましょう!」と嬉々として提案したのだが――振り返ってみれば自分だって同じようなものではないか、と七海は自らに向けて溜息を吐きかけた。一人では足を踏み入れる事のない店の妙味を楽しめると、何所か浮わついていた。何よりも、他愛の無い世間話の中で話した、その場限りで忘れてしまえる些細な事を気にとめてくれていた。それが子犬の精一杯の恩返しのようで、七海の胸にも擽ったく感じられたのであった。
盗撮は看過出来ない事だ。だとしても、気を遣ってくれた相手に対して少し気を張り詰め過ぎたかも知れない。一度目蓋を伏せて、強張る目もとを気遣う。
目の前の女は、今やすっかり静まり返っている。
唯々諾々と携帯端末の画面を操作する神妙なさまが、寧ろ不気味でならないくらいに。
七海は矢張り苦々しい思いで女を見遣った。
「次に盗撮を働いたら張り倒しますよ。」
「失礼な! 不要なデータを消去して容量を確保しているだけですよ。パフェを食べる七海さんの動作を、余す事なく記録しなければなりませんからねえ。連写で。」
ふた度、女から携帯端末を取り上げる。
「今回は事前に言いましたよ!? ぎりぎり盗撮ではないでしょう!」と図太く喚く女を徹底的に無視して、彼女の携帯端末を懐に仕舞い込――もうとして、七海は幾らか前に二人で任務に就いた後のホテルでの一夜を思い出した。返却した時に体温が残っている事を喜ぶ姿が、まるで見て来たかのように目蓋に描けてしまった。卓上の直ぐ傍らに携帯端末を置いて、持ち主の手から遠ざける。
「これは店を出るまで預かっておきます。」
「非道です! 彼女を困らせて楽しむだなんて!」
「誰が、誰の、彼女ですか。」
「私が、貴男の、スウィートメロメロハニーちゃんです!」
「そんな事実は地球上のどこにもない。」
「既成事実はここから始まるんですよ! 手始めにこのお店にいる人間に認知させ、ゆくゆくはグローバルスタンダードに!」
「壮大な野望に巻き込まないでください。」
携帯端末に伸びて来る女の魔手を往なし、払い落とし、撃ち落として牽制する七海。果たしてそれは、女の目論んだ通りに誤解を与えるものであった。
「お待たせいたしました。」と遠慮勝ちに割って入る声は、耳にすれば反射的に申し訳無くなってしまう程に気不味げで。端からは仲睦まじい男女が手を繋ぐだの繋がないだのとしている痴話喧嘩にしか見えないのだとは、見目麗しい立ち姿の二杯のパフェを運んで来た店員の愛想笑いから察せられる事であった。
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