jujutsu
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「伊地知くん、そこのコンビニに寄って。」
目測百メートル余りの場所に建つコンビニエンスストアの看板を指さして、後部座席に座った女が億劫そうに口を開く。相手は学生時代からよく知る先輩だ。態々言動で以て尋ねずとも、彼女の体調を汲む事は伊地知には容易かった。
女はレザーシートにだらりと身を預けて腹を摩り、さみしいのを慰撫していた。耐え難い空腹を感じて苦しんでいるのであろう。目蓋が半分、気怠げに閉じられている。先程、伊地知が予め別のコンビニで買っておいたおにぎりを五つ平らげて、これだ。至極疲れ切っていると見える。数時間に亘って町を練り歩いた所為もあろうが、この度の任務に徴用された謂れ――彼女自身の体質こそが起因しているであろう事は想像に難くなかった。曰く、呪霊を刺激する体質。生まれ持った特殊な能力に関与するのか、彼女は生きる為に膨大なエネルギーを必要とする。平たく言えば、酷く燃費が悪く、常に腹が減っているのだ。伊地知がその事実を聞かされた時も、彼女はメロンパンを両手に持っていた。「良いところ無しだよねえ。」なんてきゃらきゃらと笑いながら。
そろり、と伊地知がバックミラーを窺う。後部座席には女の他にもう一人、彼にとって先輩に当たる人物が同席していた。五条悟、その人である。
女が呪霊を誘き寄せる役回りを担い、五条が呪霊を祓う役目を受け持つ。今回の任務はそう言う手筈で行われた。政令指定都市程の大規模な町ではないにせよ、万が一の事態に備えて土地の四分の一を封鎖して行われた任務は、呪霊の等級も相応のものであった。それに当たって尚、五条のかんばせに疲弊の色は一つたりとも浮かんでいやしない。
在るだけで最強の風格を知らしめる男は、言葉少なに携帯端末の画面をすいすいと撫ぜていた。帰りの送迎車に乗り込んでから、二言、三言を交わしただけ。後は携帯端末の画面や窓の外を望むばかりなのは、彼なりに女の体力の消費を慮っているようにも見えた。窮屈さに辟易しているだけの事やも知れないが。人並外れて背の高い五条だ。助手席を限界迄前に詰めてみても、移動の間じゅうは長い脚を満足に伸ばせやしない。況してや、二人で後部座席を共有している状態では横に逃がす事も叶わない。座席と座席とに板挟みにされる我慢を長らく強いられているのだから、むっつりとして口数が減るのも無理はない。
コンビニへの寄り道は五条にとっても良い休憩となるだろう、と伊地知は思った。幸いにも朝の通勤ラッシュ時間前の道路とあって車通りは少なく、高専への帰還予定時間迄存分に余裕はあった。
伊地知がウインカー・レバーを操作する。そのタイミングで、女が、「あ。」と何かを思い出したような声を上げた。
「今日はゼクシィの発売日だった。買わなきゃ。」
「「は!?」」
伊地知と五条の声が見事に重なった。
駐車場に乗り込もうとハンドルを切るのに忙しい伊地知に代わって、五条が携帯端末を弄っていた人さし指の先を女へと差し向け、問い掛ける。眼帯の下で目を見張っているのだとありありとわかる、端々に迄疑心が満ち満ちた声色であった。
「なに。オマエにそんな相手いたの?」
「いたらどうするの?」
「カモった相手に同情する。」
「詐欺に遭っている事を前提にして話すって、酷くない?」
力無く眉間を寄せて、女は傍らに投げ出した鞄に手を差し入れた。ごそごそとやって財布を取り出だす。それと同時に、伊地知が車体を白線内にバランス良く納めた。サイドブレーキの引かれる音を合図に、女がドアを開け放つ。
「付録が目的だよ。これがまた可愛いの。嗚呼、雑誌の方は伊地知くんにあげるからね。防弾チョッキにでもして。」
「狙撃される予定があるんですか、私。」
曖昧に微笑むだけで答えはなかった。明け方の静寂に配慮した女が物静かにドアを閉じ、ふらふらと覚束無い足取りでコンビニの入口へと歩を進める。
ややあって、反対側のドアも開いた。頭を打ち付けぬように大きな背丈を撓らせて鉄の箱から抜け出ると、此方は平常通りにバタンと音を立ててドアを閉めた。そうして五条もまた、女の後を追うようにして出て行ったのであった。
▼
それから、たっぷり十分は経ったであろうか。
熟達した店員の手によって雑誌と食料とが整然と詰め込まれた大きなおおきなビニール袋を提げて、女はいそいそと戻って来た。その一歩後ろを歩く五条の手にも、袋菓子が二つ程入る大きさのビニール袋が提がっている。其方には、期間限定、の文字が透けていた。
二人が後部座席に腰を下ろした事を確認した伊地知が、「出しますよ。」と声を掛ける。五条と女が揃ってハンドサインで応じた。ギアが切り替えられ、サイドブレーキが解除され、アクセルが踏まれる。烏の濡れ羽の如く艶めく黒塗りの車が、高専へとすべらかに発進する。
前方に注意を向ける伊地知の耳を後ろから不図擽ったのは、プラスチックの袋が次々と開けられる音であった。反射的にバックミラーに目を遣り、そして二度見した。鏡面に映っているのは、期間限定のスナック菓子を頬張る五条。彼の手もとから放たれる甘いキャラメルの匂いが、色気の無い車内を彩りで満たしてゆく。それは未だ良い。問題は、その隣。
「五条くんさあ、今や毒物も弾けるんでしょう。だったら、リコリス飴を投げたらどうなるの。」
五条に世間話を振る、女の膝の上にこそ問題があった。
「……何をやっているんですか。」
「ねるねるねるねを作ろうとしている。」
「何故、車内で。」
「ううん、唐突に駄菓子が食べたくなったから?」
「ねるねるねるねは知育菓子だろ。」
五条の菓子を食べ進める手が止まる。店員に付けて貰ったのであろうおしぼりで指先を拭うと、彼は女の買い物袋から取り出したミネラルウォーターの蓋を捻った。勢い良く出てしまうのを防ぐ為だろう。一度キャップに水を移して、其所からトレーから切り離した小指の先程の大きさのカップへと、一寸ずつ、一寸ずつ水を注いでいる。その横で、玉子サンドのひと切れを銜えながら、女が砂糖や澱粉や重曹の組み合わさった粉の入っている袋を開けようとしている。伊地知は、細かな粉――それも大部分は溶ければべたつく砂糖である――の入り込んだレザーシートを想像して背筋を寒くした。
「粉、こぼさないでくださいね……。」
そう言うしかなかった。
伊地知の懇願を受けてではなかろうが、直ぐ様に助け船を出したのは五条だ。水のなみなみ注げたカップを女に手渡す代わりに、パンの油脂で滑る指先から袋を取り上げる。ひと息に開封すると、白いプラスチックのトレーに中身を空けて行った。「ん。」と短く指示する五条に従って、玉子サンドを胃に落とし込んだ女が真っ白い粉に水を遣る。
五条と彼女は気が合う。それは学生時代に幕を下ろしてから十年弱が経つこんにち迄、変化の見られぬ関係であった。単調と言っても良いだろうが、穏やかと称するのが相応しい関係であった。少なくとも、明日も二人は斯様な調子だろうと信じていられるような二人であった。だから、結婚情報誌を買う、と彼女が言い出した時は、すわこの場で逆プロポーズでも繰り広げられるのではないか、と伊地知は身構えた訳なのだが――
「魔女みたいに笑いながら練らないと、色、変わらないんだって。」
「魔女って、小さい頃にやっていたCMの? どんなのだっけ。」
「これ。」
パッケージの裏面、つくりかたを眺めていた五条が、片手で携帯端末を操作する。動画サイトを開いて指南しているが、勿論、嘘だ。悪意も無く善意も無いその場限りの出任せは、冗談、と言った方が的確か。突っ込みを入れるべきであろうか。伊地知はバックミラーで後部座席をふた度見遣ったが、白かった粉が混ぜる毎に薄青くなりゆくのにきゃいきゃいとはしゃぐ二人は、純真にも嬉々としている。
余計な世話であると結論付けて、伊地知は前方に意識を戻した。繰り返し再生される知育菓子のCM、魔女の高笑い、ご陽気な効果音。それ等から怪しげな恩寵を得でもしたかのように、車は赤信号に阻まれる事なく快進撃を続ける。
「それでさあ、毒物の話だけれど。今度、五条くんのそばでシュールストレミングの缶、開けてみても良い? 毒物判定されるのか試してみたい。」
腹に食物が入り、血液に糖が流れ込み、人心地ついたのであろう。女がスプーンを動かす手を止めない儘、爛々と瞳を輝かせて尋ねる。そのぎらぎらとした表情は、CMのコミカルな存在ではない、あぶくの沸き立つ薬鍋を熱心に掻き回す――黴臭さが鼻を突くような魔女のイメージにまったくぴったりであった。
五条が、女の傍らに散らばる小袋の中から一つを摘まみ上げる。
「オマエの旺盛な好奇心には恐れ入るよ。」
「それは、どんと来い! って事?」
「そんな訳あるか。」
「シュールストレミングを引っ被る事をおそれて、何が最強なの?」
「周りの事も考慮しろ、っつー話。誰が片付けんだよ。」
指で弾いて粉を下方に落とすと、五条は『2ばん』と書かれた袋を横に裂いた。中の粉をさらさらと注ぎ込む。糊状の薄青色を覆い尽しても、女の手は中々動かなかった。「何。」。透明の内袋に空き袋を突っ込み、それを更に外袋に入れ、自分の買い物袋の中に処理した五条が訝しむ。好い加減に動画の再生を止めると、車内は俄にがらんとした。気遣った伊地知が運転席から場を繋ごうとする、が、それよりも一手早くに。女の唇から甲高い笑い声が漏れ出た。
「ヘェッヘッ!」
この数分で三人共が聞き慣れてしまった、魔女のそれだ。
「この流れで高笑いする?」
「だって、五条くんがそうしないと色が変わらないって言ったんじゃん。」
「そうだっけ?」
「いやあ。大人になるって、老化が進むって事だねえ。」
「ボケてねぇよ。ボケたけど。」
「どっちなの。」
苦笑いで会話を締めた女が、小さなスプーンで粉を練り込んでゆく。輪を描き、渦を巻き、トレーの中の薄青色だったものが徐々にパステルカラーの紫へと変色してゆく。練る。練る。練る。ねっとりと、而してふんわりと『ねるねる』と呼ばれる菓子が練り上げられた。
砕かれた飴の入った袋は、女が手ずから開けた。スプーンの先にねるねるを掬い取り、飴の欠片をまぶす。ひと口含むなり、女は黙って頷いた。その手からアルバイト代をせしめるようにして、当然と言った仕草で五条がスプーンを攫う。同じく掬い取って、満遍無く飴を纏わせてからひと口。これもまた同じく、黙した。
二人が細かな飴を噛み砕く、カリコリとした咀嚼の音だけが車内に響く。
「――まあ、こんなものでしょう。伊地知くん、後はあげる。」
「ええー……。」
後部座席から身を乗り出した女が、颯と助手席に白いカップを置き去りにした。彼女の横顔が非常にばつが悪そうにしているのを、伊地知は確かに見た。
学生時代にもあったなあ、こんな事が。珍しい味だと言って買って来た袋入りの飴は、彼女の口に合わなかったのであろう。一つを食べたきりで、後は同輩に配り、後輩に配り、最終的には断る事のない伊地知に全てが託されたのであった。窓の向こうに過ぎ去る景色のように、伊地知の胸に一瞬だけ懐かしさが過ったものの、遂に赤信号に道ゆきを塞き止められると、この掴みどころのない色をした知育菓子を如何したものかと思わされるのであった。
後部座席は、早くも静けさを取り戻している。スナック菓子に手をつけ始めた五条と、菓子パンを片手に、如何にも手持ち無沙汰と言った調子でお求めであった結婚情報誌を捲る女。暫くすると、また賑やかになるだろう。
「結婚も悪くないかもなあ。」
ページを繰っていた女がそうぽつりとこぼしたのは、伊地知が苦笑した矢先の事であった。この分では暫くではなく、直ぐにも賑々しくなりそうだ。
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