jujutsu
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五条悟はストレスが溜まっていた。
出張先であった僻陬の地では砂糖は希少品との事で甘味も満足に摂取出来ず、次の地こそはと梯子した出向先でも頭が痛くなるくらいに甘いチョコレートは品切れ。荒立つ気を宥めながら帰国すれば、いの一番で顔を出せ、との呪術界の重鎮達からのお達しが待っていた。そして大人しく出向いてみれば、有り難いお言葉の数々を浴びせられる始末。長旅の疲れが蓄積した糖分の足りない頭は、うっかりで呪ってやろうか、と物騒極まりない思考を抱える迄に至っていた。
五条悟はストレスが溜まっていた。だから――
背高の白亜の建物から出て来る、背高の黒尽くめの男性。夏の青空と白い入道雲にも通じるはっきりくっきりぱっきりとしたコントラストは、実に画になる。それだけによく目立っていた。
「あれって五条先生だよね。」
「間違いなく。」
「出張から帰って来たんだ。」
「今回は結構掛かりましたね。」
連れ立って道を歩いていた私と悠仁の視線の先には、にょっきりと伸びた影法師の様なシルエットが在った。距離は概算、二百メートル程。距離を考れば世間一般では普通の事だろうが、他人に絡みたがる悟さんにしては何とも珍しい事に、格好の獲物とも言える此方の存在に未だ気付いていないようであった。
その違和感に引っ掛かっていると、隣から悠仁が、悟さんの背景を指さして疑問を投げて来た。
「あの建物って何する所なんだろ。デカいスクリーンでもあんのかな。」
「……いえ。あれは――お化け屋敷、ですかね。」
「そんなんも在んの? ここ。」
「ええ、まあ。その様なものです。」
悠仁からの問い掛けによって、私の引っ掛かりは解けた。
恐らく、悟さんは今、不機嫌なのだ。
この学校の建物は、日々、場所を変動させる。本日はあの建物こそがお歴々が一堂に会する場であり、そこで呪術界のテンプレートじみた、気が滅入る一方の台詞をしこたま賜ったと見える。出張から帰って来たばかりだと言うのに災難な事だ。
そう得心いくと、頭を掻くその仕草からも苛立ちが見て取れる気がした。
「……なんか、五条先生、機嫌悪い?」
悠仁も気付いたようであった。額に手を翳して悟さんを望む彼に、「わかりますか。」と相槌を打つと、「半ギレって感じの顔してる。」との答えが返って来た。それは肝が冷える事実だが、これ程の距離で表情迄しっかりと捉えられる目の良さも中々に恐ろしい。
兎に角、声を掛けるにも、ここはタイミングが悪そうだった。
「挨拶は後ででも出来るでしょう。今はそっとして置きましょうか。」
「だね。」と短い了承を受けた事で、悠仁と二人、道行きを続行する事に決めた。見て見ぬ振り、素知らぬ振りで、寮が在る方向へと爪先を向ける。
「五条先生も機嫌悪くなる事あるんだね。」
「それくらい胸が悪くなる事が、この世界にはごろごろと転がっているんですよ。」
「マジかー……。」
そんな他愛の無い話をしながら、触りたくない神の御座す風景を横切ろうとした。何かを感じ取った悠仁が、「……あ。」と小さな声を漏らして足を止める。釣られて私の足も止まる。何事かと悠仁の顔を窺うと、悪戯が露見した幼子の様な、非常にばつが悪そうな表情をしていた。そしてその視線は、今し方、私達が通り過ぎようとしていた人物が居る方へと注がれている。
そんなわかり易い報告があるだろうか。
鬼が出るか蛇が出るか。そんな言葉を脳裏に浮かべながら、私も悠仁に倣ってぎこちなくそちらを見遣る。目に飛び込んで来たのは、狙いを定めた様にずかずかと、一直線に此方に向かって来る悟さんの姿だった。
長い長い足で足早になられては、何百メートルと言う距離なんて、あっと言う間に詰められてしまう。ふ菓子の如く軽い調子のお陰で何時もは忘れていたが、百九十を超える長身にそうして不機嫌そうに立たれると、凄まじい威圧感を受ける。
さて何が来るかと、二人で固唾を呑んで身構えていると――
「バケツプリン。」
謎の呪文を吐かれた。
「「バケツプリン。」」
思わず二人で復唱してしまう。
「そ。作り方ググって。で、材料買いに行こ。」
「何故そこでバケツプリン。」
口から飛び出て来たのが、気楽そうなよく知る声音であった事に安堵はした。が、本当にほとぼりが冷めているかもわからないのでは、流されるが儘に首を縦には振れない。
知らない内にペースに乗せられ、訳のわからない事に巻き込まれようとしている。それも、たった今の今迄不機嫌全開だった人間に、だ。本当に鬼か蛇か、もしくは何方もが出る可能性が有る。それ等がバケツプリンから出て来るかは定かではないが、注意深くなるのは当然の反応だろう。
警戒レベルがぐんぐんと上がっている私の前で、それを引き上げている当の本人である悟さんは、肩の力を抜いて、やれやれと言った風に溜息を一つ吐いた。
「流石の僕も、ちょっと疲れちゃったんだよね~。こんな時は豪勢に甘いものが食べたくならない?なるでしょ。なります!」
「ホールケーキでも買ってくれば良いのでは。」
「それも良いけど、今はプリンの気分。」
「じゃあプリンを買って来れば良いでしょう。」
「バケツサイズのプリンは市場に出ていないって。だから、愛しの五条先生の為に作ってよ。バケツプリン。」
「プリンが食べたいだけならばバケツに拘る必要はないと思いますが。」
「えー、そこまで言わせる気?」
何なんだ、その勿体振り方は。
もしかしてもしかすると、私達にバケツプリンを作らせると言う謎のレクリエーションを眺めてストレス解消したいだとか、そう言うよくわからない神経なのだろうか。そしてその推測は、強ち外していないような気がした。高専はメイド喫茶ではないのだが。
先程、慮ろうとしていたのが馬鹿らしくなる程、何時も通りにへらへらとした調子を炸裂させる悟さん。癪に障るので何かもう一言切り返したい、と思考を巡らせていると、横合いから、「はい。」悠仁の挙手。「はい、悠仁。」悟さんの指名。
「蒸して作るプリンと冷やして作るプリンがあるって。先生、どっち派?」
何やら静かだと思えば、素直にもググっていたらしい。
悠仁は携帯端末をすらすらと弄っては、数有るレシピを端から眺めて興味深そうに頷いていた。その瞳は何所となく浮わついており、幼気にきらきらと光って見える。
「…………何でそんなに乗り気なんですか。」
「だって楽しそうじゃん、バケツプリン作り!逆に何でテンション上がらねーの!?」
「お菓子作りは後片付けが面倒なイメージしかありませんから。」
「じゃあその辺りは俺がやるからさ、一緒に作ろうよ。」
急拵え半分本音半分で取り繕った理由は、まっさらな光の如き返答によって見事に封殺された。向けられた屈託無い笑顔の眩しさに当てられて、目が眩む錯覚を覚える。思わず眉間を押さえて黙り込まざるを得ない。――これだから陽キャは……!適応力が高くて、警戒心が足りなさ過ぎる……!
私のこの有り様を肯定、または降服と取ったのだろう。手を一つ叩いて、悟さんは高らかに宣言する。
「はい、決まり!それじゃあ、伊地知に車を出させよう。どうせ未だその辺をほっつき歩いているだろうから、直ぐ捕まるでしょ。」
善は急げとばかりに早速伊地知さんに電話を掛ける悟さんに、あんたと一緒にするな、と突っ込みを入れたかったのだが、通話の邪魔をするのはマナーが悪いと口を噤む。
耳を澄ますと、遣り取りの中から、「秒で」「マジビンタ」等と、剣呑なワードが聞こえて来た。ご機嫌斜めは矢張り直っていないのでは? と訝しくもなるのだが、普段と相変わらぬ遣り取りの様な気もするからわからない。
考えてみれば、悟さんの不機嫌は、連日の出張疲れによるものもあるのやもしれない。だとしたら伊地知さんは空港から高専迄、虫の居所が悪かっただろうこの最強の呪術師――それも彼にとっては先輩と来た――を乗せた車を運転して来たのか。苦労の程が偲ばれる。
私が密かに伊地知さんの胃を憂いている間も、悠仁は真剣にバケツプリンの事を考えてくれていたようであった。携帯端末の検索結果を共有すべく、此方に画面を見せてくれる。
「バケツプリンってマジのバケツで型取るんだってさ。じゃ、バケツは新しく買うとして……バケツかぁ……。」
「材質的には蒸せませんね。ゼラチン一択です。」
「デカいよね。食堂の冷蔵庫だったら入るかな。」
「まあ、単純に大きいプリンを作れと言う話ならば、ラーメン丼でも良いと思いますけれど。それだったら蒸すのも冷やすのも出来ますし。」
「でも、それだと丼プリンじゃね? あ、バケツプリン調理キットってのがある。」
「通販限定……では今からでは無理ですね。折角だから解散しますか。」
「折角って何よ。しませんよ。」
「と言うか、ですよ。冷やす時間を見てください。約十時間って。」
「うわー……映画何本観られるかな……。」
冗談めかした応酬をしていると、「悠仁。夢子。」と悟さんから声が掛かった。通話は終わったようで、端末を振りながら、「今からダッシュで駐車場に行くってさ。」と伝えられる。……プリンの材料費は悟さん持ちのようだし、伊地知さんへの差し入れとして胃薬くらい紛れ込ませても罰は当たらないのではなかろうか。
それは後での課題として、バケツプリン作りを持ち掛けた胴元へと水を向ける。
「バケツプリン、固まるのに半日くらい掛かるそうですよ。今から作ると、真夜中か明け方に完成する見込みになりますけれども……悟さん、待てるんですか?」
「長いね。」
「丼にしとく?」
「うーん……じゃあ、待ち時間が楽しくなるようにケーキも買おうか。僕はホールケーキにするとして、二人にも何か奢ってあげよう。」
「マジ!?大人の財力半端無ぇ!」
「結局ホールケーキも買うんですか。」
「フッフッフ。序でに耐久映画鑑賞でもやりますか!僕も明日はオフの予定だしね。」
予定ががら空きだったのか、悠仁は難色一つ示さずに歓声を上げた。「先生、コーラとポップコーンはおやつに入りますか!?」と、矢鱈と気合いの入ったリクエスト迄している。「入れましょう!」と、これまた気合いが籠った悟さんの返事を聞きながら、思う。
バケツプリン作りに、少し遅いおやつに、夜通しの映画祭りとは。部屋でごろごろしようと決め込んでいたこの度の休日前夜と当日であったが、一瞬でぎゅうぎゅうに予定が詰め込まれたものだ。嫌ではないと、知らず、胸が弾んでいる自分が居た。
方針も決まった事で、私達三人は、伊地知さんと送迎車が待つ駐車場迄揃って歩き出す。
そこで、ふ、と思い出す。それは悠仁もそうであったようで、二人して、「そう言えば、」と時を同じくして口火を切る事になった。思わず、悟さんを挟んで、顔を見合わせて笑い合う。
「何何?」とクエスチョンマークを浮かべる我等が先生に宛てて、先程、伝えそびれた言葉を唇に乗せる。
「悟さん。」「五条先生。」
「ん?」
「おかえりなさい。」「おかえり!」
きょとん、と。効果音が見えそうな程だった。随分とあざとい顔をするものだ。
ほんの少しだけそうやって時を止めて、それから悟さんはからからと笑った。
「うん。ただいま。」
その無邪気な笑い顔からは、不機嫌さはもう、一欠片も残さずに消し飛んでいた。
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