jujutsu
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会合で纏わり付いた鬱陶しいものの全てを振り払うように、自室に入るなり、ばさばさと豪快に着物が脱ぎ散らかされてゆく。
嗚呼、この羽織の一枚で何人、何十人の使用人の当面の生活が賄える事だろう。織物に宿る金銭的価値など知らぬ存ぜぬの小さな御主人様は、羽織を落とし、袴を落とし、遂には長着を削ぎ落とそうとしていた。
「お風邪を召しますわ。」
「そんな弱っちくねぇよ。」
心配すらも苛立たしげに叩き落とされる。長襦袢一枚と言うあられもない格好になった彼は、万人が神秘を見る真白の頭を乱雑に掻いて、その場に胡座を組んで座り込んだ。膝に突いた頬杖に載ったかんばせたるや、子どもの癇癪と看過出来ぬ程の怒りに滾って歪んでいる。
「どいつもこいつも年食ってるだけ。ガンつけるしか能が無い雑魚ばっか。」
八つ時前から開かれていた会合は、呪術界に名を連ねる大家の懇親会――とは障子紙よりも薄っぺらい建前だ。実際のところは、誰しもが彼の五条悟様をひと目見ようとの思惑を腹に抱えて集ったものであった。
天は二物を与えず、とは誰が言ったか。ならば天に見離された代わりに呪術に愛されてしまいでもしたのか、この少年は、五条家が渇望した類い稀なる力の全てを一身に宿してしまった。魍魎じみた老獪共はきっと、未だ子どもの彼を無遠慮に見世物としたに違いない。無数の好奇の目に晒されるだなんて、大人でも怖じ気付いてしまうのだから、並みの小学生であれば心身共に余程堪えるだろう。
だが、彼の佇まいは如何だ。顔には翳り一つ無く、意思も強く凛としたものではないか。あわれに思う事こそ侮辱にほかならない。
「坊っちゃんはお強いですものね。」
「当たり前だろ。馬鹿にしてんのか。」
「まさか。主人にそのような事を、如何して思えましょう。」
言葉を間違えたとは思っていないが、花丸が添えられるようなものではなかったのだろう。ふっくらとした唇の様相が強張り、への字を超えて峻厳な山なりとなった。
十畳は優に超える部屋はだだっ広く、人気が二つばかり在るくらいでは薄ら寒さを払えない。壁に寄せられた桐の和箪笥からオーバーサイズの黒色のパーカーを取り出して、羽織の代わりに年相応に華奢な作りをしている肩にお掛けする。これは振り払われる事はなかったので、安堵出来た。
主人の身体をいたわった後、私は畳に広がる錦を粛々と拾い上げる事にした。皺にでもなってしまったら一大事だ。ひと先ずは畳んでしまわなければならない。難を逃れていた羽織は回収出来たが、袴と長着は未だ無惨にも踏み付けにされている。
「腰をお上げくださいませんか。着物を畳みたいのです。」
至宝の青を見詰めて、一言、懇願する。
すらりと双眸を細めるさまは傲岸と言うよりなく、大人顔負けの迫力が有った。この目で睥睨されては、寄り合った権威者達もさぞや腰が引けただろうと窺えた。
「疲れてるご主人サマに優しくしようって気持ちとか無いわけ?」
「頭でも撫でましょうか。」
「ガキ扱いすんな。」
つい、と外方を向いてしまわれた。むつかしい年頃だ。自然と苦笑いが込み上げて来る。
それでも彼は、億劫そうにだが立ち上がって退いてくれるのであった。手早く袴と長着を取り上げて、絨毯にされていた為にぬくもりが残るそれ等と羽織とをいそいそと畳む。
急ぎクリーニングに出す準備に取り掛かろうと、着物を腕に抱えて部屋を辞去しようとする。途中で厨に寄ろうと考えたのは、何かを思っている風に尖った唇を見つけたからだ。
「お茶とお茶菓子、今、お持ちいたします。」
「いい。服出して。」
「お洋服ですか。」
「そ。気晴らしに外出ようぜ。」
「今から、ですか。」
「ん。」
簡単に仰有るが、奥座敷に戻って来る時に縁側から見た庭は、斜陽に焼かれて一面が橙色に染まっていた。逢魔が時が差し迫っている時刻だ。幾ら格別な方とは言えども、子どもを出すには気が引ける。
「危ないですよ。」
「ちょっとその辺をぶらつくだけだっての。」
「だとしても、旦那様に許可を得て参ります。」
「どうせ許可すんのに? わざわざ?」
ゲエ、と面倒臭そうに舌を出す彼に、厳粛に見えるよう深く、ゆっくりと頷いてみせる。
彼の御父上である旦那様は、この方の気性と能力を熟知されている。先ず間違いなく、好きにさせろ、と仰有る事だろう。だとしても思慮は捨てられない。
只の魔、只の呪いが相手であるならば、彼にも私にも対抗する手段は有る。私とて彼に比べればささやかとは言えども、呪力を持ち、結界術だって扱えるのだ。だが、夜闇に乗じて魔手を伸ばすのは、何も人ならざるものばかりではない。誘拐犯、呪詛師、殺し屋。何所に居ようとも燦然と輝く彼を曇らせようとする不貞の輩は多く、知をめぐらせて襲い掛かって来る分、呪霊よりもずうっとたちが悪い。誰彼に行き先を告げて置けば、万が一の時には――考えたくもないが私の力が及ばずに彼が加害を受けた時には――捜索の手懸かりとなり得る事だろう。
五条悟様は、宝だ。呪術界にとって、五条家にとって、私にとってのかけがえのない宝なのだ。万全を期するのは当然の事と言える。
納得して頂けるよう、もう一度、強い調子を繕って訴える。
「許可を頂いて参りますわ。」
「誰にも秘密にしてた方が、スリルがあって良い。」
「そんなものを楽しんでは碌な大人になりませんよ。」
ずかずかと距離を詰めに掛かる足音が、その表情以上に不愉快だと告げている。
腹癒せに脛でも蹴られるだろうか。そう身構えるくらいの剣幕を見せていた彼は、私の眼前に立つなり手を伸べた。着物で塞がれていないがら空きの手が、強引に掠め取られる。更にはするりと隙無く細い指を絡められたものだから、丸くした目で奇麗な旋毛を凝視する以外に動きようが無かった。
変声期も未だ訪れていないのに、随分とませた言動をするようになった。一体、何所で覚えて来るのだろうか。
思わぬ成長を目の当たりにして怯む私を蛙とするならば、彼は汚れを寄せ付けぬ潔癖の白蛇だ。指先に力を込めて逃さぬようにすると、幼いばかりと思っていた少年はまことに不敵に笑ってみせた。
「俺が大丈夫だって言ってんだよ。――信じられねぇの?」
魂に問い掛けるように潜められた声に屈服してしまいたくなるが、皮膚に伝播する高い体温が、手の小さな輪郭が、彼の年齢をはっきりと意識させた。
幾ら最強の名に相応しい力を持っていようとも、この方は未だ子どもなのだ。ならば大人に部類される私が庇護の意志を曲げる訳にはゆくまい。
「信じておりますわ、心より。けれども旦那様にお伺いを立てて参ります。」
「空気読めよ、マジで。」
「読んでこそです。私、大人ですもの。」
捕える手から抜け出して、形の良い額に触れ、前髪を掻き上げるようにして丸い頭を撫で付ける。擽ったかったのか、目蓋がきゅうっと閉じられた。猫を想起させる愛らしさについ笑みを溢すと、ぱ、と術式で弾かれてしまった。
その儘、一人で出て行ってしまわないかだけが気掛かりだった。唯一の出入り口である襖の引手と彼とを然り気無く身体で隔てるようにしたが、考えを見抜かれたのだろう、露骨に嫌な顔をされた。畳敷きに膝を突いてしゃがんで、目線を合わせる。
子どもの身体は大人よりも瑞々しい。それは髪や肌のみに限らず、瞳にも言える事である。潤んで透き通った青色は、水鏡宛らに克明にものを映し出す。
「直ぐに戻ります。待っていてくださいますか。」
見るに耐えないくらいに情けない私の顔に、柔らかな御慈悲があった。憂いを拭い去るようにして、そうっと頬が撫でられる。一度、二度。あたたかな手の平の思う通りにさせていると、ややあって、大きな溜息が吐き出された。
「わーかったよ。俺だって別に、オマエの事をいじめる趣味はないしな。」
「お優しいですね。優しい男の子はモテますよ。」
「は? 何だそれ。キョーミねーよ。」
ご気分が軟化したかと思いきや、又もや柳眉がきつくきつく寄せられる。今度は何が気に障ってしまったのだろうか。本当にむつかしい年頃だ。ふた度の苦笑が頬に滲み出るのを感じながら、ご機嫌ななめの白皙の頬を暫し慈しんだ。
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側仕えの女が着物を引っ提げて出て行った後、少年は苛立ちの全てを詰め込んだ悪態を畳へと叩き付けた。
「クソが。」
古狸の群れはこの際、如何でも良かった。彼等に有無を言わせないだけの才覚を宿す身にとっては、かかずらう程のものでもない。
少年をこれ程に憤懣遣る方無くさせているのは、側仕えの女、そのひとであった。
子どもと女の連れ合いが弱々しげな見てくれをしている事は、少年とて理解していた。その上で、仮令如何な危険が向かって来ようとも自分の身も彼女の身も十全に守れるとの自負が、彼にはあった。だと言うのに、女の信頼が得られない。否、術師として信頼はしているのだろう。
「力だけあっても意味ねーってか。贅沢過ぎ。」
只々侮られているのであれば力の一端でも開帳してやれば良かったが、眼中に無いのでは今の少年には手立てが無い。
彼女が打ち掛けて行ったパーカーは着丈が大きく、手を通すと身頃も袖も余る始末だ。成長を期待して買ったものだが、この衣がぴったりになったところで説得力は高が知れていた。男としての信頼を勝ち取るには、齢が足りない、背丈が足りない。そう結論を出して、少年は鋭く舌打ちした。
「見てろよ。ガキ扱いしていられんのも今の内だけだからな。」
沸々と煮えていた感情をひと息に冷やして、低く唸る。パキリと家鳴りが被さったが、それは強い執着の込められた言霊に部屋が圧されたようであった。
少年はご機嫌ななめだった。好きなひとに何時迄も子ども扱いをされて、ご機嫌ななめだったのだ。
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